「何しようぞ くすんで 一期は夢よ ただ狂え」 閑吟集より。
「何しようぞ くすんで 一期は夢よ ただ狂え」
――何になろう、まじめくさってみたところで。所詮、人生は夢よ。ただ面白おかしく遊び暮らせ
(閑吟集 54、55番)
確かに我が人生の来し方行く末を鑑みても、これからどう大ブレイクするわけでなし、所詮庶民のわび住まい、しょぼくれ人生がだらだらと続くだけなのは目に見えている。
そうして、、ある日誰にも知られることもなく、、
あっけなく死んでいくだけ?
思い通りにならない人生、
夢の一つも叶わなかった、人生前半戦もとうにすぎて気が付けば、気が付かなくても、今ははや、老年期にも達しようかという年代に、
ずっとくすぶり続けた我が人生、これから、急に大爆発なんてありえないし、また、もしや、大爆発でもしようものなら、身が持たぬ。
最近根暗キャラでKさんが小ブレイクしているという。
何のことは無い、アレは私の日常ではないか?
上目遣いに眼鏡の下から世間様を眇めで見上げる。
そして唇には、薄ら笑いを浮かべて、足元はふらふら、心臓がバクバク、狭心痛、
ちょっと歩けばもうめまいが、、、、。
目は霞がかかって、蚋みたいなものが視界を飛んでいるし、これはもしや、飛蚊症?
顔には老人斑がいわゆる死ほくろって奴がたくさん出来てるし、
頭はもう真っ白の白髪で、歯はボロボロ、足はよろよろ、、耳鳴りがいつもしている。
嗚呼、中高年。哀れな末期の人生なりとはこは如何に?
Kさんは脳溢血後遺症?とか、60歳であの老化振りはちょっと情け無いが、でもまあ、人は個人差があるから、しょうがない面もあろうよ。
先日NHK教育テレビで、なんと、42歳で、若年性痴呆症とかで、次第に日に日に、きおくが抜け落ちていくのだという方のドキュメント番組を見た。
。着替えさえ、その、手順がきおくから抜け落ちている。
したがって着替えもできない。もちろん仕事はリタイアするしかなかったという、
簡単な記憶さえ抜け落ちるのだから仕事どころではない。
奥さんがメモに事細かく日程やら、用事やら書いておかないと、全くなにも出来ない状態。
完全に、要介護痴呆症である。
かと思えば、NHK教育テレビで、70歳で、NPO法人チーフとして毎日朝から晩まで駆けずりまわっている人も、いる。更に新規事業も立ち上げるのだという
全くこればっかりはどうしようもない。かって一世を風靡した名女優がいまは、全くボケきってしまい、
「どうするんだよ、ごはんくれよー」とばかりわめいている。
ピカソやチャップリンは80歳台で、なんと、若い妻を迎えて、子供まで作っている。
一体この差は何?と問うて見ても詮無いこととは知りつつ、でも、問うてみたい。
Kさんは60歳であの、老耄ぶりとは?
目に生気なく、歩く足取りはよろよろと、心臓痛に氷水がいいと言って、用意させて、
それを飲みながらのテレビ出演とは、
もうこれは、運命としか言いようが無い。この人の罪ではない。
42歳で痴呆症になったのはもうこれは運命だ。この人が悪いのではない。
奥さんが悪いのでもないし他の誰が悪いのでもない。
別に大酒飲んで不摂生ばかりしていても70歳でぴんぴんしている人もいる。
かと思えば、毎日節制して酒もタバコも女もやらない人が23歳でなんと肺がんで、4ヶ月病んだだけで急逝とは。これはもう神の定めた運命としか言いようがないだろう。
Kさんも本人が悪いのではない。
もうこれはその人の運命、としか言いようが無い。
宗教的に言えば、これは、このことは、その人の御許に
神の御わざが現れんがためであるとしか言いようが無い。
さてそういう訳で、結論。
憂きも一時 嬉しさも
思い覚ませば夢候よ
何ともなやなう、何ともなやなう
うき世は風波の一葉よ
何しようぞ くすんで
一期は夢よ ただ狂へ
閑吟集より