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《feally tale》は営業中  作者: 夏野睡夏
~がらくた娘と人魚の姫~
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魔法の時間

携帯に連絡を入れると、大して間を置かず息を切らせた深月がやってきた。一目で全力疾走してきたことが窺える。

深月は喘ぎの下からまくし立てた。


「できた…できたんですか?」

「うん、できたよ」


深月と梓をテーブルにつかせ、自分は持ってきた椅子に座って、ダニエルは仕上げ作業を開始した。

手足を慣れた手つきで嵌め込み、動きを確かめる。菓子作り同様に思わず見惚れてしまう手際の良さだ。


「深月ちゃん、この子に服着せてあげてくれる?」

組み立てが終了すると、ダニエルはそう頼んできた。流石の彼も女子高生達の前で、女の人形に下着を履かせることには抵抗があったらしい。


言われるまま、深月は人間用をそのまま小さくしたドレスを手に取った。最初はおっかなびっくりした態度で、完治した己の人形に触れていたが、童顔が安堵の笑みで緩むのに時間はかからなかった。


梓も手伝って靴下を履かせる。なんだかんだ言っても、着せ替え人形には女性を惹き付けるものがある。

頭と胴体しかなかった時は随分小さく見えたが、こうして服を着せ付けて改めて見直すと、背丈は五十センチほどあり、ビスクドールとしては決して小ぶりな代物ではなかった。


髪飾りをつける段階に到達すると再びダニエルの仕事となった。細いヘアピンを駆使して頭に固定し、見栄えがするよう角度を調節したら、眼帯を取り付けていく。


最後に全体のバランスを整え、手櫛で長い髪を梳いた。両脇の下に手を差し入れて持ち上げ、見上げるように掲げてから満足げに一つ頷くと、食い入るように凝視している本来の持ち主へと手渡した。


受け取った深月と、その隣に座った梓は、じっと人形を見つめた。


澄んだ薄碧の瞳が、静かに二人を見つめている。

不思議に静謐な思いが胸に迫り、心がさざ波のように揺らぐのを感じた。


深月に抱かれたそのビスクドールは、最早一点の曇りも無い。左目を隠す眼帯さえも、最初からそう采配されたもののように、完成された美を振りまいていた。梓はふと目頭が熱くなり、何気なく傍らの深月に視線を移すと、彼女の両目にも透明な膜が張っていた。


「…ありがとうございます」

立ち上がった深月はダニエルに潤んだ声で礼を言い、深く深く頭を垂れた。我が子の病を治療してくれた医師に感謝の言葉を捧げる母親のような、裏の無い感謝に満ちた姿だった。

ダニエルは両違いの双眸を優しく細め、それから流し目のような視線を梓に向けた。不審に感じる間もなく、彼は深月に声をかけた。


「深月ちゃん」

「はい」


踊りだしそうな位浮き足立っていた深月は、ダニエルの呼び掛けの中にそれまでとは異なる響きを敏感に汲み取ったらしく、背筋を伸ばして態度を改めた。

そんな彼女に何処か意味深な含み笑いを向け、ダニエルは人差し指を立てた。


「君は本当にその子を大事にしてくれたね。だから、その子に魔法をかけてあげるよ」

深月は異国の言語を耳にしたような風情でまばたきし、梓は胡乱な目付きになる。彼女等の態度にはお構い無く、腰を浮かせたダニエルはエプロンのポケットに右手を差し入れ、何か小さなものを摘み出した。


掌に簡単に収まる鈍色の金属片。

それは、螺旋(ねじ)だった。


オルゴールやからくり時計を巻く時に使うようなその螺旋(ねじ)は、持ち手に蝶を彷彿とさせる繊細な装飾が施され、それだけで一種の美術品のようだった。


梓ははっとした。その螺旋(ねじ)には見覚えがあった。


ダニエルは深月の目の高さに、手品師のパフォーマンスのような動作で螺旋(ねじ)を持ち上げると、空いている左手を伸ばし、人形を渡すよう身振りで示した。


深月は一瞬警戒するような躊躇を見せたが、やがて素直に従った。

ダニエルは受け取った人形をおもむろに裏返すと、その背中に螺旋を当てた。

人形に視線を固定したまま、暗記したおとぎ話を語り聞かせるような、迷いの無い囁きを紡ぎ出す。


「モノにはね、魂を持つものと持たないものがあるんだ。制作工程で授かったり、持ち主に大切にされてるうちに宿ったり、理由は様々だけど。後者は日本では九十九神(つくもがみ)なんて観念であるかな?とにかくそんなわけで、人間にしろモノにしろ、生まれついての素質という壁はどうしようもないわけ。でもこの場合は幸いというべきかな?『彼女』はその素質と機会、両方を得た」


普通に聞いたら正気を疑われるようなカルトじみた内容だったが、深月は沈黙を守っていた。それが相手への礼儀だというように。


「だから、これは彼女の望みと君へのお礼だ」


宣誓(せんせい)のように言い渡すと、ダニエルは螺旋(ねじ)を背中に押し込んだ。

水色の布地に細い先端が食い込む。

ビスクドールは内部に仕掛けがあるオートマタではない。勿論螺旋穴など存在せず、従って巻けるわけが無い。



だというのに―――



カチリ、と微かな硬い音が、店内の空気を振動させた。

何かが繋がった音だと、本能的に察した。

そして、ダニエルは螺旋の柄を親指と人差し指で掴み、ゆっくりと螺旋を巻いていく。


螺旋(ねじ)を回す動作と一緒に、きりきりきりと歯車が噛み合うような調べが奏でられた。

そして螺旋を外すと、そこにはやはり何もなかった。ただのビスクドールは無言でされるがままになっている。


そんな『彼女』を、テーブルの縁に座らせた。

大洋から掬い上げた水のような、淡い色合いのドレスが軽やかに視覚を通過する。


俯くように前のめりになった人形は、一見何の変化も見られず、端正な貌は作り物の美を醸し出しているだけで、相変わらず単調だった。


空気が凍ったような沈黙が辺りを支配した。


と、不意に無言で腰掛けた人形から、吐息にも似た柔らかい気配が漂ってきた。その瞬間、水蒼の衣裳を纏った人形の全身にノイズのような振れが走り、ビデオテープを早回しするような急速な勢いで人形が振動する。その震えはある一点に到達すると、一気に一つの志向性を持って脈動しはじめた。


白い手足には明かりを仕込んだかのような温もりが宿り、白磁の頬はうっすらと薔薇色に輝き、髪は磨いた銀のような艶を発し、無機質な硝子玉の瞳の奥には有機的な光が浮かび、人間の持つ情動の源―――生命の灯が燃え上がった。


閉じるはずのない目蓋が引き下ろされ、再び開いた時、そこに座っていたのは人間を縮小したとしか思えない、小さな少女だった。


蒼い衣装に包まれた、その少女が微かに顎を持ち上げる。それに連動して額にかかる銀砂の前髪が揺れ、今にも触れ合う鈴の音でも聞こえてきそうだった。


言葉も無く立ち尽くす一同の中心に正座したメイメイは、感情が身体と上手く繋がっていないようなおぼつかない表情で、自分を見下ろす人間をぐるりと見回した。


やがて薄青の瞳が、ある一点で停止する。


右目が捉えたその先には、さくらんぼのような赤い髪飾りをつけた一人の少女。

ぽかりと口をあけた深月に向かって、メイメイは錆びたような緩慢な動きで繊手を伸ばした。

その拍子に重心を失い、テーブルから滑り落ちたメイメイは乾いた音を立てて床に叩きつけられ、そのまま俯せに倒れこんだ。


反射的に抱え起こそうと身を乗り出した梓の腕をダニエルが掴み、黙って見ているよう押し留める。


腹這いになったメイメイは麻痺したように全身を痙攣させていた。感情同様手足を動かすという基本的な動作ができないらしく、それこそ壊れかけたねじ曲き式のからくり人形のように角張った動きで両手をつき、起き上がろうと藻掻き、そのたびに力が上手く入らず床に崩れ落ちた。


不自由な仕草でのたうちながら、それでも懸命に上半身を起こし、半ば這いつくばるようにしながら深月のもとへと這い進んだ。ずるずると衣擦れの音が響く。


深月はそんなメイメイの正面ですとんとしゃがみ込むと、辿り着くのを辛抱強く待った。

時間はかかったが、彼女は最後まで、梓のように近寄って助け起こそうとはしなかった。


やがて到達したメイメイは、深月の手首に頼りながらも自力で立ち上がった。

その姿はまるで、魔女の魔法で両足を得た人魚姫が、初めて砂浜で身を起こした時のように弱々しく不恰好で、けれど心が震えるように尊く、純粋な歓喜に溢れていた。


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