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《feally tale》は営業中  作者: 夏野睡夏
~がらくた娘と人魚の姫~
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修復

「え、修理?」


調理台の前に立ち、絞り出し袋に口金をつけていたダニエルが、告げられた梓の言葉を不思議そうに鸚鵡返しした。彼女は買い物から戻った直後、早速頼みの綱に事のあらましを伝えたのだ。


「ビスクドールなの?」

「多分。顔に罅が入ってたから」

普段は踏み台として使用している丸椅子に体育座りで座りながら、梓が難しい顔で首肯した。

そんな梓にのんびりと受け答えしながらも、店主は彼女には一瞥もくれず、前屈み気味の体勢で調理台の上に置かれた沢山のクッキーに溶かしたチョコレートを塗り付ける作業に集中していた。


「しかし変わった子だね、人間にあまり興味が無いんだ」

粘土細工に使うような細いヘラを器用に動かしながら、ダニエルは感心したような喜んでいるような明るい口調で賛嘆した。

「今時の子はさ、特に女の子なんか些細なことでも繋がってないと不安で不安で仕方ないってのに、友達がいなくてもへっちゃらなんて、いやいや、(たくま)しいね」

「何感銘受けてんの、笑い事じゃないよ。それだけで生活してけると思ってんの?とばっちり受けるのは周りなんだから。大体常識ってもんが無さすぎるんだよ」

「そんな言い方するもんじゃないよ。常識なんて往々にしていい加減なんだから。殺しも盗みも、時代と世相が変われば善になるんだからさ」


やんわりと諭されたが、語調の中にいつもとは違う妙な響きが感じられた。おやと眉根を寄せたものの、相手の背中からは何の変哲も見出せない。

気のせいだと自分に言い聞かせ、梓は眼を伏せると抱えた膝に自分の顔を埋めた。

指摘は的を射ている。梓とて、本気で深月を非難しているわけではない。


「そんなことわかってるけど…」

「ならそれでいいんだよ。自分の意見を押しつけたり、自分と同じであることを強要するのは幼稚園児のすることだよ」

そこでダニエルは話を本題に戻した。

「で、修理だっけ?」

「あ、うん。安請け合いしちゃったんだけど、宛てはある?」

「うん、知り合いに人形の修繕専門にやってる人がいるから、その人に頼めば何とかなるよ」

「本当?よかった!」

「明日にでもその、深月ちゃんだっけ?その友達呼んでおいで」

「恩にきるよ、でも修理代は?」

「心配しなくても、梓の友達から金取ろうなんて思わないよ」

なんだか後が怖そうな物言いだったが、深く追求する間もなくダニエルが大きく伸びをした。


「よーし一段落、と」

「一段落?」

首を傾ける梓の方を、ダニエルは腰に手を当てながら初めて振り返り、悪戯っぽく笑いながら小さく手招きした。招かれるまま近づいて手元を覗き込み、梓は思わず歓声をあげた。

「うわ、すごい」

「我ながら上出来」

そこにあったのは、童話に登場するお菓子の家だった。


四角く切った薄いクッキーを土台に、屋根は波型の縁取りがされたクリームサンドビスケットで葺かれ、煙突部分はふわふわのビスキュイで形作られている。窓ガラスは透明な飴とチョコレート。壁は渦巻き模様と市松模様のクッキーやキャラメル、ミニチュアのタルトがレンガの代わりに張られ、隙間を埋める接着剤として絞りだした真っ白なアイシング。さらに家の周囲に広がる花壇には色とりどりのフルーツの砂糖漬け。まるで絵本からそのまま飛び出してきたような、鮮やかで繊細な出来栄えだった。


天性の色彩感覚と手先の器用さが為せる賜物に、梓は完全に脱帽し感嘆の声を洩らした。

「すごーい」

「今度雑貨屋開くから、店に飾りたいって人がいてね。特注だよ。ドイツでいう所のヘクセンハウスだね」

「それはクリスマスの時期に出回るもんでしょ」

応答しながらも、梓の視線はお菓子の家に釘付けだった。子供のように瞳を輝かせる少女の横顔を、ダニエルはエプロンを外しながら大人びた温かい笑みで見守った。


「後はマジパンでヘンゼルとグレーテルと魔女のおばあさん作ってガラスケースに入れれば完成」

「へえー…」

今日はこれで終了らしく、周囲に散らばった家の材料を片付け始めたダニエルは、ああそうだと梓に向き直って忠告した。


「先に言っとくけど、つまみ食いしちゃ駄目だよ?もう防腐剤かけちゃったから、食べたらお腹壊すからね」

「もとより店のものに無断で手を付ける気はありません。それにその忠告は私より先にすべき相手がいると思うんですけど」

顔を上げた梓は、入り口からこそこそこちらを窺っている双子を親指で示し、半ば呆れが混じったきつい口調で切り返した。

言ってしまってから、頼み事をした身で不敬な発言だったかなと少し後悔したが、ダニエルは苦笑気味に笑ってそうだねと相槌を打っただけだった。







翌日『フェアリーテール』を訪れた深月は、背が高く髪も眼も自分と違う色をしたダニエルを前に、臆することなくはきはきと自己紹介した。

「高坂深月です。よろしくお願いします」

「はいはい、承りました」

献上するように恭しく差し出された人形を丁重に受け取ると、ダニエルは布を取り払って簡単に検分した。

「…ふむ、確かにビスクドールだね。損傷は酷いけど、このタイプはポピュラーだから治すのにそれほど手間はかからないと思うよ。とはいえ一から両手両足を型取りして焼いて色付けして、髪も付け直さなきゃいけないから、修繕には一週間位かかるかな」

「あの、お金は…」

気がかりそうな上目遣いで深月が問う。ダニエルはその不安を払拭するように、軽い調子でひらひらと掌を振ってみせた。

「気にしなくていいよ、代金は梓の給料から引いておくから」


昨日と言っている事が違う。


梓は営業スマイルを浮かべながら怪しまれないようにダニエルの背後に周り、素知らぬ顔で思い切り背中の肉をつねってやった。


「でも、そんなわけには…」

「じゃあさ、お店でお茶してってくれるかな?見ての通りの空き様だから、その方がずっといいよ」


思いの外律儀な深月の言葉に応じたのか、実質的な痛みがそう言わせたのかは定かではないが、こうして交渉は成立した。安堵したように力の抜けた深月の肩を、梓は労るように叩いた。


「よかったね、深月」

「うん!」

「仕上がったら梓を通して連絡するからね」

「よろしくお願いします」

ダニエルはテーブルに横たえていた人形を抱き上げると、妙に確信のこもった声音で深月に訊ねた。


「それで、この人形の名前は?」

「え、名前なんてないでしょ」

「あるよ、メイメイっていうの」

ダニエルの問いを梓が否定し、梓の否定を深月が打ち消した。


「メイメイ?」

「そう」

梓は酷く怪訝な顔をしたが、深月はにこにこしながら説明した。

「この子脚が無いでしょう?人魚姫みたいだから、マーメイドから取って、メイメイなの」

「…腕もありませんけど」

小声で指摘したが、深月には聞こえていないようだった。


連想としては飛躍しすぎているきらいはあるものの、本人が納得しているのだからそれ以上重箱の隅を突くような真似はしないことにした。


その後深月はダニエルの要求通りお茶を飲み、ケーキを注文していった。


彼女が選んだのは『小人と靴屋』――貧しい靴屋のもとに、ある夜小人が現れて代わりに仕事をしてくれる。暮らしが落ち着いた靴屋は小人に服と食べ物を贈り、喜んだ小人はその日から姿を消した――というタイトルのチョコレートケーキだった。

薄く切ったココアのスポンジを、アプリコットジャムで張り合わせてL字型を作り、角を削って靴の形に見立てたら、薄くココアクリームを塗って断面を隠す。細く絞り出したチョコレートで靴ひもを結び、傍らには靴磨き用クリームをイメージして生クリームをこんもり盛り付け、隣にはメレンゲの小人を配置する。それを見て、可愛い可愛いと子供のようにはしゃぐ深月に、ダニエルは修理代を受け取ったってこんなに喜ばないだろうという程、この上なくご満悦の体だった。


物珍しげに纏わりつく雪白と薔薇紅とも、深月はそれまでの人間関係からすると意外な程あっさり打ち解け(梓はその理由を精神年齢が近いからだろうと推測した)三人で明るく笑い合っている様子は歳の離れた姉妹のようで、見ていて微笑ましかった。








深月から依頼を受けて、ちょうど五日目のその日、店に入った梓はいきなり視界に飛び込んできたものに息を呑み、危うくスクールバックを取り落とすところだった。


入り口の前方に据えられた二人掛けの丸テーブルに、見覚えのある人形が置いてあった。


丸刈りにされた頭には新しく頭髪が植え込まれ、柔らかい正常な輪郭を取り戻している。ウィグの色は限りなく白に近い銀色で、人形にしては非常に珍しい。前髪の下に覗く顔はどのような修復が施されたのか、亀裂の痕跡は影も形も無かった。そして白磁器のように艶やかで光沢のある、すんなりとした球体関節の手足。


だが残念なことに、梓が息を呑んだのは、それらの修繕の技術に対する驚愕のためではなかった。


人形は相変わらず裸で、しかもバラバラだったのだ。


子供が遊びの最中に解体したような、無惨極まる人形の惨殺死体。

それが客用テーブルに無造作に置かれたこの事実。


「や、学校お疲れ様」


人形が『広がる』テーブルに腰掛けていた店長が、気やすいのか鷹揚なのか分からない口調で梓を出迎えた。ダニエルはそれまで読んでいた洋書と思しき背表紙の本に栞を挟んで立ち上がる。


「深月ちゃんを呼んであげて、完成したからって」

しかし言われた梓はしばらく反応できず、酸欠の金魚みたいに口をぱくぱくと開け閉めした。懸命に己を落ち着かせ、ようやく喉から声を絞り出したものの、それは意味を成さない呟きとなった。

「…で…ぇ…」

「え、何?」

梓は顎を上下に振り、言葉を振り出そうと大変な努力をした。


「なんで…それ…」

「ああ、なんで組み立ててないのかってこと?」

彼女の指差す先のものを確認し、言いたいことを把握したダニエルがそれを代弁する。こくこくこくと何度も頷く梓。


目の前の人形はパーツのそれぞれが成型されているだけに、えもいわれぬグロテスクさと、独特の退廃美を漂わせている。加えてあどけない造形の容貌が訴えるように宙を見つめた様は哀れでならなかった。


「深月ちゃんのいない所で完成させるわけにはいかないからね」

事もなげに言い放たれたが、梓はわけがわからす目を白黒させた。彼女の混乱を見て取り、ダニエルは詳しく解説した。


「修繕した人に言われてね。全部仕上げて渡したらきっと疑われるからって。新品か、そうでなくても別の人形持ってきたんじゃないかって。それじゃ不本意だから、仕上げはそっちでやれって」

「…あ、ああそういうこと」

相変わらず思考は追い付かないが、とりあえず得心はいった。


「そんなわけで、最後の組み立ては深月ちゃんの前でやるからさ」

「それはわかったけど、服は?」

「ここにあるよ」


足元にあった紙袋の中から取り出されたのは、瞳の色に合わせたらしい、淡いブルーを基調とした豪奢なドレスだった。

たっぷりと広がる可憐な姫袖。首筋にかかるのは濃い蒼色の梯子レース。大きく割れたスカートの中からは、真珠をからげたように光沢のあるフリルが幾層にも重なってこぼれている。

加えてドレスと対になる髪飾りは貝殻と波をモチーフにしたらしい造形で、衣装と同じような青と白で彩飾されており、水しぶきをイメージしたような透明のビーズもあちこちに踊っている。

更にドレスの下に履かせる真っ白なドロワーズとペチコート、レースの靴下に新品の革靴が一足。


「全部オーダーメイドだよ。世界に一つだけ」

ダニエルがどこか得意げにドレスを掲げてみせる。

「それも修繕やった人が作ったの?」

「いや、助手やってる人が洋裁得意でね。二人三脚」

「へえー。でもその人形師の人、逆を返せば随分自信家だね、相当腕に自信がなきゃ普通そんなこと言えないでしょ」


梓は驚かされた腹いせに辛辣な批評を吐きつけたが、ダニエルはその評価をむしろ面白がっているように明るく笑った。

「そのうち紹介するよ。気難しくて頑固だけど―――いや、だからこそって言うべきかな?腕は確かだから」

「うん」

まんざら関心が無い話でもないので、頭の片隅に留めておく。


気を取り直し、改めて人形を上から下まで眺めた。関節が繋がっておらず服を着ていないことを差し引いても、手放して絶賛できる申し分無い再生ぶりだ。

「こんな風に直せちゃうんだね」

感嘆に眼を細めた梓だったが、ふと視線を止め、眉宇を潜めた。


「…これ、左目は?」

これだけ完璧に修理されたというのに、何故か左目は空っぽのままだった。

すぐさま疑問符を投げ掛けたが、返ってきたのは見当違いも甚だしい返答だった。


「ちゃんと眼帯用意したから大丈夫」

「眼帯…?」

「さすがにこのままじゃ見栄えが悪いからね」

「あの」

「ほら見て、人魚姫がモチーフだって言ったから、骨貝の刺繍をしてくれたよ。細かいでしょ」

「ちょっと」

「はい?」

一人で勝手に盛り上がる店長の腕を掴んでこちらに呼び戻し、わざと抑揚をつけて質問を繰り返す。


「なんで、左目、治ってないの?」

「だからこうして眼帯を…」

「そうじゃなくて!人形に眼帯って、特殊な趣味の領域じゃん!無いわ、本気で!」

怒気を孕んだ彼女の剣幕に、これはまずいと焦ったダニエルは、浮かれたような態度と表情を引っ込めた。

「いやいや、そうじゃなくて、あのね―――」

「いらないんだって」


彼の言い訳めいた弁解は、唐突に梓の背後からかかった幼い声に遮られた。

びっくりして振り返ると、そこにはいつからいたのか、紅白の衣裳を身につけた双子が手を繋いで二人を見上げていた。


「……え?」

「その子がね、いらないって言ったのよ」

拙い言葉遣いで、雪白がテーブルに置かれた人形を指差し、薔薇紅も神妙な面持ちで首を縦に振る。


「眼をいれてもね、見えるようになるわけじゃないから、それならそんなのいれなくていいって。今のままでいいんだって」

真顔で語る二人を前に、当惑した梓は救いを求めるようにダニエルへ首を巡らせたが、相手は外国映画の俳優がするような、大袈裟に両手を広げるジェスチャーをしている。

「そんなわけ、了解?」

「…一応」

釈然としないものの、そんな風に言われてしまえば、頷く以外の選択肢は無いのだった。




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