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《feally tale》は営業中  作者: 夏野睡夏
~がらくた娘と人魚の姫~
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変わらぬ水の精

二階にある深月の部屋はシンプルな六畳一間の和室で、小学生の梓が何度か訪れた頃と大した差異は見受けられなかった。

入って正面の窓際にはベッドが据えられ、その脇に置かれた学習机。押し入れもクローゼットも無いため左側の壁を塞ぐように洋風のタンスが鎮座しており、かなり閉塞感の感じられる室内だ。

おまけにピンクのカーペットが見える唯一の足場には折り畳み式の小さなテーブルが居座り、部屋を更に狭くしている。


が、そんなことより何より梓が嘆息したくなったのは、そのテーブルや学習机やタンスの上やベッドに所狭しと並べられた、たくさんのぬいぐるみと人形に対してだった。

どれも日焼けしていたり手擦れで生地が痛んでいたり、新品は一つも見当たらない。


「………何にも変わってない」

肺の奥から吐き出すように独り言を呟くと、つっ立っていた梓の背後で襖の開く音がした。

「何やってんのあーちゃん、そんなとこ立ってないで座りなよ」


ジュースのコップを乗せたトレーを持ってきた深月が、笑いながら床を示した。

やや気後れしながらクッションに腰を降ろすと、深月は反対側に回って座り込み、テーブルを挟んで梓と向かい合った。


「ちょっと待っててね、今片付けるから」

トレーを自分の脇に置き、深月はテーブルの上に散乱した裁縫道具を集めた。梓にも見覚えがある、小学校の家庭科の授業で買った、くまのプリントがついたトランク型の裁縫箱だった。

すべてしまい終えると、それを足元に置き、入れ替えにトレーをテーブルに乗せた。


「はい、どーぞ」

「…ありがと」

結露したコップを受け取り、オレンジジュースを一口啜った。そして正面で嬉しそうに口をつけている深月をまじまじと眺める。


「もうびっくりしたよー、あんなところであーちゃんに会うなんて思ってもみなかった」

「私もだよ、あんた本当に変わってないね」


微かに皮肉を込めた梓の言葉に、深月は全く分かっていない様子で笑顔のまま小首を傾げた。

朴訥そのものといった深月の顔を見つめながら、梓はもう一度大きく深くため息をつき、胡乱な目付きを相手に向けた。


「…深月、あんた、相変わらずゴミ漁りやってんの?」

「うん」

もう一度詮索するように低く訊ねた梓に、深月は微塵の躊躇も後ろめたさも見せず快活に即答した。

それを聞いた瞬間、梓は自分の眉間にみるみるうちに皺が寄るのが自分でも分かり、思わず頭を抱えた。


「…あんたさぁ」

「だってしょうがないじゃない、見つけちゃったんだから」

何もやましいことはないといった明朗な口調で反論し、深月は上半身を捻ってベッドの上に手を伸ばした。手に取ったのは先程拾ってきたうさぎのぬいぐるみだった。

「可哀想だね、あんなところに閉じ込められて…」

大きな瞳に憂いを滲ませ、労るようにぬいぐるみの頭を撫でる少女を、苦いものでも口に含んだような微妙な面持ちで見つめた梓は、やがて諦めたように頬杖をついてそっぽを向いた。


時の経過などものともしない。深月は、本当に昔から何一つ変わっていない。


覚えている限り、梓の知る高坂深月という人間は始まりからこうだった。

人よりぬいぐるみや人形のような物品に執着し、体裁や世間体などという人が生きていく上で多少なりとも気に掛ける己への評価に全く興味を持っておらず、自分の衝動に非常に正直な、心を隠さない子供だった。

彼女の本質は集団行動とは真っ向から相容れず、学校に持ち込んだぬいぐるみばかりを相手にし、クラスメイトはおろか教師ともコミュニケーションがまるでとれていなかった。


というより、今にして思えば当人は始めからそんなものを取ろうとしていなかったようにも感じられる。


その頃から深月はゴミ漁りを習慣にしていた。ゴミ捨て場に放置された人形を拾って帰り部屋に飾っている深月の姿は、近隣住民の間では知らない者はいない程有名で、協調性が皆無な上奇妙な行動ばかり繰り返している彼女は『頭のおかしい子』というレッテルを貼り付けられ、同級生からも乞食やゴミ女、がらくた大好きな変人など散々な言われ様と扱いを受けていた。


しかし当の本人はというと、そんな世間の評判はどこ吹く風で、軋轢や齟齬もものともせず、己の行動を改めることも見直すことも無く、平然と同じことを繰り返していた。


その行動心理は件の通り、これほどの月日を経ても改善の兆候すら見せていない。むしろ悪い方向へ進んでいるように梓の眼には映った。頑固と呼ぶには少々悲しすぎる気もする。

無駄とは知りつつ、梓は忠告せずにはいられなかった。


「…深月、もう少しさ、自分の行動自制しようとか思わない?」

「ん?自制って?」

「だから、もうちょっと人目を気にするとか…あんたももうなにやっても許される子供じゃないわけだし…友達に変な眼で見られるよ?」

「友達なんかいないもの、あーちゃん以外は」


のんびりした口調で告げられた内容に、梓はしまったと思った。

深月はこの気性なので、出会った当初から友達はおろか気軽に話し掛ける相手さえいなかった。そして今の口振りから、現在進行形でその状況は続いているのだろうことは容易に推測できる。


梓は三年生ではじめて深月と同じクラスになった。その時既にいじめの対象にされていた深月だったが、それを曲がったことが大嫌いな梓が見過ごせるわけもなく、標的にされている彼女を助けることが多くなった。自然話をする機会が増えたわけだが、そんな梓とて深月の行動を理解しているわけではなく、まして肯定的な意見を持っているわけでもない。それは再会した今も変わらない。


「あーちゃんだけだもん。昔から私と対等に喋ってくれたのは」

「…あのさ、深月。私はただ言わなかっただけで、あんたが思ってるほど何も…」

「いいの、それでもあーちゃんは他のヒトみたいに、頭ごなしに私を非難しなかったでしょ。それだけで、充分なの」

居心地が悪くなって、ぼそぼそと言い訳めいた言葉を紡ぐ梓を、深月は首を振って静かに制した。その率直な信頼に戸惑いはしたが、素直な感謝は素直に嬉しかった。


「それにしてもさ」

照れ隠しに一際声を大きくし、梓は話題を切り替えた。

「増えたよね、みんな拾い物?」

「うんそう、みんな破けてたり綿が出ちゃったりしてたから、これでも綺麗にしたのよ」


成程、裁縫道具に然り、学習机にはぬいぐるみ専用の洗剤のボトルもある。色褪せてはいるが、どれも清潔にされているらしい。

しかし綻びの修繕の方はお世辞にも行き届いているとは言えなかった。性格同様、深月は決して指先が器用ではないのだ。


近くに置かれていたテディベアを手に取り眺めた梓は、思わず首を傾げたくなった。

開いたほつれの跡には太い糸でいくつも縫い目が走っており、しかも彼女の不器用さの証拠のように縫い目は見事にばらばらだった。

出来栄えの程は如何ともしがたいが、それ故に深月の苦心と真摯さが伝わって、見ている梓としては決して不快なものではなかった。


「そうだ、あーちゃん、この子見て」


不意に思い出したように深月が立ち上がると、枕元に並べた人形の中から一体を抱き上げ、まるで赤ん坊をあやすようにしながら梓の前に差し出した。

訝しげに覗き込む。

そして産着のような白い布に包まれたそれの姿をはっきり捉えた途端、梓はぎょっとなって仰け反った。


「なっ…それ…!」

「この子、一昨日拾ったんだけどね、酷いでしょ?治してあげたいんだけど、どうやって治せばいいのか分かんなくて…」

困り果てたといった風情で肩を落とす深月。


治すより捨てた方が早いだろ、喉元までせり上がってきたその台詞を、梓は理性と平常心を総動員して何とか飲み下した。だが顔は痙攣したように引きつり、発した声は上ずった。

「…な、治すったってそれ……」

差し出された人形を、微かに震える手で指差す。



それは間違いなく人形だった。ビスクドールと思われるその人形はしかし、観賞用人形という枠から大きく逸脱していた。そんな呼び方をすれば他の人形への冒涜になってしまう程崩壊していたのだ。

髪は根元からすべて刈り取られ、やっと伸びはじめた坊主頭のような頭を晒け出し、左顔面には蜘蛛の巣のような亀裂が走っていた。薄青の瞳はそちら側だけ失われ、空っぽの眼窩が虚ろに宙を見つめている。

そして、極め付けにおぞましいのが、布が取り払われた人形の胴体だった。


そこにあるのは本当に、服を着ていない剥き出しの胴体だけで、手足は影も形もない。ただ左目の眼窩同様暗く黒い空洞が四つ、本来四肢があるべき場所にぽっかりと空いているだけで、まるで頭のついた芋虫のような全体像だった。


軽く怪談の小道具に成り果てたその人形の残骸を前に、梓の背筋を凄まじい勢いで悪寒が駈け登った。最早救い様がない有様の人形を前に顔面蒼白になった梓だったが、そんな彼女の様子にまるで気付いていない深月は、ただただ心配そうに目元を歪めてその人形の頭を撫でていた。


「この子が一番可哀想だから、一番いいようにしてあげてるの。夜も私の隣で寝かせてるし」

「………寝かせてる?」

「そう」

「同じベッドで?」

「うん、そう」

「……………」

やはり、理解不能な感覚だ。


誰が見ても一目でどん引きする怪奇人形を、深月はこの上なく優しい手つきで抱き上げている。

全身に鳥肌と冷や汗が浮かび、呼吸も忘れて硬直していた梓だったが、深月の瞳に滲む慈しみの深さを見るうちに、胸に沸き上がったうそ寒い感情は徐々に引いていった。


梓は細く息をつき、頬を掻きながら暫時思案にくれる。

余り無責任に期待を持たせるようなことは言いたくなかったが、この場合知らんぷりして帰るわけにもいかないと踏んだ。他人の真剣な願望を無視できない、梓の性格だった。


「…あのさ、深月」

「何?」

「私のバイト先の店長が、割とこういうのに詳しいんだよね。もしかしたら修理先とか知ってるかもしれないから、聞いてみようか」

「え、本当!?」

深月は身を乗り出し、その弾みで人形との距離も縮まった梓はうっと唸って、反射的にバネ仕掛けのように上体を逸らし、ついでに眼も逸らした。


「で、でもそんなに期待しない方がいいかも…」

「聞いてみて!聞いてみるだけでもいいから!」

「わ、わかったから少し離れろ」


テーブルを挟んで梓に覆い被さるようにしながら熱願する深月に、梓はそれ以上近づかないよう両手でバリケードを作りながら承諾した。


それから十五分程世間話をし、もう問題は解決したといった様子の深月に見送られて、梓は高坂邸を後にした。

キッチンに立つ深月の母親に暇を告げた時、彼女は顔の皺を深くしながら微笑んだ。


「梓ちゃんは立派になったわね」

「いえ、そんなことありません」

「貴女は昔から大人びていたわ…ねえ梓ちゃん、深月のこと、ありがとうね」


深月は玄関へ行ってしまい、この場にはいなかった。潤んだ瞳を向ける深月の母の言葉と姿を、梓は万感に満ちた眼差しで受けとめ、神妙に頷いた。


深月の母親は、娘の奇怪と呼ぶ他は無い性癖に、随分悩まされただろう。双方の心理が容易に想像できるだけに、梓は居たたまれなくなるのだった。

帰路の途中、再びバスに揺られながら、梓はふと、ジロドゥー作の戯曲『オンディーヌ』の話を思い出した。余りに自由で無邪気であったため、却って軽蔑の対象にされた水の精。決して人間世界に溶け込むことができなかった無垢な娘。深月は、その水の精に似ている気がした。


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