雪
あいかわらずよくわからない短編です
雪が降る。
しんしんと積もる雪は世界を白く染めて行く。
すべてを無垢な色へと染めて行く。
「先を急ごう」
僕は少女の手を引いた。
少女は何も言わずにされるがまま、僕に引っ張られるままに歩いていた。
少女は心を閉ざしていた。ぼんやりとした瞳は何も見ていない。言葉を発することもない。生きながらにして死んでいる。人形のようだった。
冷たい風が吹き付ける。体温を奪い、突き刺すような冷気を叩きつけるそれすらも、少女の心には届かない。それよりも冷たく心が凍てついている。
僕はそれが悲しかった。この雪は僕の悲しみなのかもしれないと、ふと思った。
僕は悲しみを積もらせる。凍える風は少女の心から吹いていて、僕の心すらも凍らせようとしているのかもしれない。
「そんなのただの妄想だ…」
僕は一人呟いた。その呟きにも、少女は反応することはなかった。
僕は少女の手を引いて荒野を歩く。
目的地などなかった。ただ、さまよい続ける。
雪は振り続ける。まるで夢の中にいるのかと思うくらい、幻想的で、無機質で。でも、寒さが現実だと教えてくれる。
少女と繋いでいる手だけが暖かく熱を持っていた。
白く染まった荒野を歩いていると遠くに廃れた小屋を見かけた。
「今夜はあそこで夜を明かそうか」
返事がないと知りつつ、僕は言葉を紡ぐ。
僕は小屋に入るとバックパックから明りを取り出す。発光石と呼ばれる鉱石をつかったランプでぼんやりと光を発する不思議な石だ。
それを中心に置く。バックパックから毛布を取り出して少女にかけてやる。
僕は小さい頃から聞かされていた歌を口ずさみながら食事を用意する。食事と言っても干し肉だけだが。
差し出された肉を少女は機械的に食べる。生きるために必要なことは機械的にこなす。
何故、少女がこんな風になってしまったのか、僕は知らない。だが、僕はそれを見て見ぬふりをすることはできなかった。だから、僕は少女を連れだした。それが正しかったのかは僕にはわからない。
今日も少女の心を溶かすことはできなかった。明日はできるかもしれない。明後日はできるかもしれない。いつかきっと、少女の心を溶かすことができると信じて、僕は眠りに落ちた。
今日も雪は降っていた。その次の日も雪は降っていた。ずっとずっと雪は降り続けていた。
僕はその中を少女の手を引いて歩く。辛い時、僕は歌を歌った。僕の世界は自分の歌と、少女が全てだった。
最近、咳が出てくるようになった。風邪でも引いたのだろうか。少女にうつさないよう気を使う。
時折、少女が手を握り返してくるようになった気がする。僕の気のせいかもしれないが、それでも嬉しく感じた。
歌を歌っている時が多いように感じる。もしかしたら、少女の心が溶けるのも近いのかもしれない。
時折、咳に血が混じるようになった。どこかを悪くしたのかもしれない。少女は相変わらずだった。
旅を始めてから長い時間が過ぎたが、少女の声すらも聞いたことは一度もない。
僕の心が疲れ始めた。時折、旅を始めたことを後悔するようになった。だから、歌を歌った。歌を歌っていれば僕の心はまだ大丈夫だと感じた。
咳に交じった血は少女に見せないようにしようと思う。何故だかはわからないけど、そうしたほうがいいと思った。
咳が止まらなくなった。体力も衰え、長距離を歩くのが辛くなってきた。歩みを止めると動けなくなってしまいそうだった。
少女の手のぬくもりが歩く力を与えてくれる気がした。
とうとう歩く力も無くなった。僕は少女の方を向く。
「キミを連れだして歩いてきたけど僕はもうここでダメみたいだ」
返事は期待していないので僕は淡々と喋りつづける。
「キミを勝手に連れ歩いてきたけど僕はキミに何かできたかな?」
既に目が霞んでよく見えない。唐突に視界が奪われた。どうやら目が見えなくなったようだ。そろそろ死期が近い。
「結局僕はキミを救うことはできなかった」
僕は既に座っていることも億劫だった。
ふと、耳に旋律が聞こえた。
よく知っている旋律。僕がよく歌っていた歌だ。
「キミが歌っているのかい?」
僕は返答など期待していなかった。歌声は優しく、そして切なかった。
少女が歌を歌っている。僕の歌は彼女に届いていたのだ。
歌が止まった。美しい声は僕を幻想的な気持ちに浸らせた。
「聞こえるなら手をのばしてください」
美しい声が言った。どうやら少女の声はこんな声だったらしい。
僕は手を伸ばす。その手を少女の手が包み込んだ。
「とても胸が痛いです」
手に滴が落ちた。少女は泣いていた。
「泣かないで」
僕は言った。既に目は見えていないけど、僕は少女に涙は似合わないと思った。
「よくわからないんです。こういうときにどうしたらいいのか。どうしてこうなっているのかも」
戸惑ったように言う少女。長い間心を凍らせてきた少女は忘れてしまっていたのだ。
僕は少女を抱きしめた。
「暖かいです…。でも心が痛いです」
痛みを伴う温度。少女の心が感情の覚醒に震えているのが分かる。
「笑えばいいよ。キミはキミを取り戻したんだ。それは僕が望んでいたことでもある。だから一緒に笑おう」
僕は笑みを浮かべた。少女は笑みを浮かべただろうか?僕に確認する術はもうない。
そろそろ限界だった。
「キミは行くと良い。僕はここで休んでいくから」
「でも…」
「いいから」
僕は強く言った。そうしている間にも僕の体は力を失っていく。もうすぐ、僕は死ぬだろう。
でも恐怖は不思議となかった。
次第に音が聞こえなくなる。僕の意識が暗闇に堕ちていった。
「知ってるか?」
「何を?」
「最近、森から歌が聞こえるらしいぜ」
「森から歌?どういうこった」
「そのまんまだよ。なんでも心が奪われるくらい綺麗な歌声なんだと」
「へぇー、雪女でもいるんかね」
「さぁな。でも聞いた話によると悲しそうな声でもあるらしい」
「そりゃ気になるな」
「今度聞きに行くか」
「いや、やめといた方がいい」
「あんたは?」
「俺か?俺は歌声を聞いた事が者だ」
「そうなのか?どうして止めるのか聞いてもいいか?」
「ああ。あれは、多分誰か一人の為に歌ってる歌だ。興味本位で聞きに行くのは無粋だと思ってな」
「誰かの為?」
「多分大切な人だと思う」
静寂が支配する森に、歌声が響く。
白い息の中で目を覚ます
凍えた大地に降り立った無垢な結晶は
痛みを伴う温もりに震える
静寂の中で響くその歌は
誰かの心へ語り継がれる
人はいつか、笑えるだろう
世界が痛みに染まっても
忘れないよう、この歌を歌おう
貴方に捧ぐ、この歌を