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静かに寝ついたのに、緋天は夜中に二回、泣きながら目を覚ました。
傍にいた自分がなだめると、すぐに落ち着いてまた眠りにつく。その様子はとても不安定に見えて、一人にして帰らなくて良かったと。自分を緋天が夕食に招いた事は不幸中の幸だと思わせた。
朝の八時半。
わずかに身じろぐ彼女をのぞきこむと、緋天の目が開いていた。
もう少し寝かせておこうか、と思っている内に、彼女が驚いたように自分を見上げて。身を起こそうとする緋天を支えついでに、視線を合わせた。
「ちゃんと眠れたか?」
口を開くと緋天が顔を曇らせた。
「蒼羽さん、寝てないよね・・・ごめん」
「お前が寝てる間に寝てた。もともと5時間もあれば足りるんだ」
「本当に? 無理してない?」
「ああ。それより緋天はいいのか?」
頬に手をやって、親指で唇をなぞる。少し顔色が悪かった。
「うん・・・寝汗で気持ち悪いからお風呂入りたい。蒼羽さん、もう帰る?」
「・・・ちょっと調べたい事があるんだ。一人で平気か?」
不安げな顔をする緋天に言い聞かせるように言葉を返した。
「今日、友達と約束してるから。お母さん達が帰ってくる時間まで、その子と一緒にいる」
「何時に約束してるんだ?」
「えっと、11時」
「じゃあ、そこまで送って行くから。何かあったら電話しろ」
「うん。ありがとう・・・」
素直にうなずく緋天に、ようやく笑いかけることができた。
「センターに連絡しておいたよ。緋天ちゃん大丈夫だった?」
ベースに戻った蒼羽に、待ちかねて本題を切り出した。
「夜中に泣きながら起きたんだ。すぐに落ち着くんだけど、あの時みたいに、一瞬パニックになってる」
「昨日、電話で言ってたのは確かなのか?」
「・・・ああ、多分。ずっと気になってたんだ。あの時、始めに結晶が反応した所に現れないで、緋天の所で具現化したから。もう一度同じ状態になれば、確かめられる」
「じゃあ、緋天ちゃんが落ち着くまでは、詳しく聞くのは待った方がいいな。そんなに怯えてるなら。あの時、君が口止めしたのも、それが原因? いつか、緋天ちゃんがこうなるって分かってたのか?」
「何もなかったら、大丈夫だと思ってたんだ。そのうち、平気になるって思ってた。だけど、一昨日ので、フラッシュバックみたいに恐怖が戻ったんだと思う」
左手の人差し指の間接を噛んで、何かを考え込む蒼羽を目にして、内心驚く。
昨日の夜も、蒼羽は冷静な声で電話をかけてきて、理路整然と、緋天の様子と自分の疑問点を口にした。それを聞いて慌てる自分に、雨が具現化した時の今までのデータを集めたいから、先にセンターに連絡してくれ、とそう言って。
先週、緋天の事で涙を落として、さんざん自分を心配させたくせに、今はどこにもそんな影はなく、急に大人に見える。あっという間に彼が成長したかのように見えたが、そもそも、緋天への態度を除けば、これが普段の蒼羽だ。
「ご両親にも話しておいた方がいいんじゃないか? 夜に不安定になるなら誰か側にいた方がいい。緋天ちゃんが気付かない内に話せるといいけど。私が行こうか?」
蒼羽が首を振って答える。
「いい。俺が説明する。ベリルはあいつを足止めしてくれないか? 家の前で待って、親に会えたら連絡するから。それから二十分位、緋天が家に近づかなければいい」
「緋天ちゃんが先に帰ってきたら?」
「親が家に着くのを確認するまで、帰らないって約束したから。駅で友達と待ってろ、って言ったんだ。話が長引いたら、そこにベリルが迎えに行ってくれ」
蒼羽が既に緋天の家族に話をする事も考えていた事に、またしても驚かされた。
「蒼羽。君、今、すごくかっこいいよ。・・・驚いた」
「・・・茶化すな。とにかく、今からセンターに行ってくる」
「緋天、本当に大丈夫? もう帰る? 私が送ってってあげるよ?・・・徒歩だけどさ」
「ううん。蒼羽さんと約束したから、ここで待ってる。京ちゃんは暗くなる前に帰った方がいいよ」
久しぶりに会った友達は、なんだか元気がなくて。いつもの彼女ではない。笑顔が少なく、声にも力がなく。一人にできない、とそう思わせる要因だらけ。
「蒼羽さん、って、朝、緋天を送ってくれた人だよね。ちょっと、聞きたいの我慢してたんだけどさ、もう限界。あのかっこいい人、誰!? もう、朝からずっと気になってたんだけど!!」
なるべく楽しい話題を探して、緋天を笑わせようとしていたけれど、ここにきて、ついに好奇心に負けて聞いてしまった。
「・・・あー、やっぱり聞かれちゃった。えっとね、会社の上司でね。就職したのは、前に電話で話したよね? そこの、上司」
少し笑って、蒼羽さん、の事を話す緋天は、いつもの様子に戻ったように見えて、この話題はいける、と思う。
「えぇ? 緋天、絶対、今、なんか省略したでしょ? 嘘つかないでよ!」
「う・・・。えっと、あの、えっと、あー、うー、その、・・・」
うつむいて、指を遊ばせる緋天を見て確信する。
「だー、もう!じれったい!!・・・付き合ってるんでしょ?」
「・・・うん」
緋天はうなずいて、耳を赤くする。
「いつから? 何で、私に教えてくれなかったの!? 私は緋天の何?」
「・・・友達。ごめん。だって両思いになったの、この前の月曜だもん」
素直に謝る緋天に苦笑して。携帯電話を取り出す。
彼女のこういうところに弱いのだ。
「うーん。じゃあ、仕方ないか。よし、それなら、やっぱり、私も緋天と一緒に蒼羽さんを待たないとね!!」
家に電話をかけて、父親と話し出す。
「あ、お父さん? あのさ、昼も言ったけど、緋天の迎えが来るまで、木船駅にいるよ。うん。大丈夫。だってかっこいい彼氏が迎えに来るんだよ? 私もチェックしないと。そう。だーかーらー。今日、夕飯、外で食べるって言ってたでしょ? それを、駅の前の新しくできた、イタ飯屋さんにしようよ。そう、それ、ガラス張りの。うん。じゃあ、待ってるから。来たら電話して。はいはい。分かった。撮れたら撮ってみる。うん。じゃあね」
電話を終えると、緋天が不思議な顔で自分を見ていた。
「あのね、うちの家族とそこのイタ飯屋さん行く事にしたから。蒼羽さんを見たら、行くよ。つーか、うちのお父さん、緋天の彼氏が迎えに来るって言ったら、怒ってたよ。写真撮って見せろ、だって」
高校の時から、何度も自分の家に緋天を誘っていたので。そこで自分の父親が緋天を気に入って以来、やたらと父は緋天の動向を気にしていた。娘の自分よりも。
緋天が恋をするのは、もう少し先なのだと、そう思っていた。
そもそも彼女は、同じ年頃の男女が、恋人が欲しい、と言ってあれこれ動いていることなど全く気にせず、恋愛しようなどと露ほども思っていなかったはず。つい先頃までは。
そんな緋天が、こんなにもあっけなく彼氏持ちになるとは、一体何が起こったのだろう。
「あぁー。おじさん、怒ってた? でも、蒼羽さんを見たら、びっくりするね。かっこいいもん」
のほほん、と無害な笑顔を浮かべて、彼のことを話す緋天の。
その顔は、すっかり恋する乙女。
「こらー!何、どさくさに紛れてノロケてんの!ったくぅ。こうなったら、ばっちり、写真撮ってやる!!」