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「地球と似たような環境である事は確かだよ? 太陽もあるし、一年の周期も同じ。海もある、人種も似てる」
「一年は365日?」
今日はセンターに行かずにベースで勉強会。
そんな名目で、こちらの世界について基本的なことを伝えていると。自分の説明を大人しく聞いていた緋天がようやく質問を口に出した。
「そう、同じ」
緋天の傍らで、これまた大人しく座っている蒼羽は、何かを考えているのか分からない。
ただ黙って彼女の横顔を見ているだけ。
「文化的には・・・そうだなぁ、科学技術は及ばないけど、その分、石があるからどっちもどっちかな」
「ええ? でもそれっておかしくないですか? だって知識や技術は穴を通って、勉強すれば済む事ですよ? 戸籍を手に入れる手段があるなら、どんどんこっちに来て、好き放題できますよ」
ぴょこ、と野うさぎが巣穴から顔を出すような仕草で、緋天の背が伸びて。
その目が驚きと疑問に左右するのが可愛くて、つい笑ってしまった。
「そういう事をするのは、『雨』に関する事だけ、私達に被害が及ぶのを防ぐ事だけにする、って決めてあるんだよ。正直、地球の人間は争い事が多いから、できるだけ干渉しない事にしてるんだ」
本当の事を口に出し難くて。
「あー、何となく、分かりました・・・。だから、穴の周りは何もないし、柵で囲んで、特別な人間しか入れないようにしてたんですね?」
「うん、ごめんね? 別にアウトサイド全員が悪い人間じゃない、って判ってるけど。私達は、自分の国や領地で、普通に暮らせればそれでいいんだ。雨からみんなを守りたい奴、アウトサイドに興味のある奴らは、センターに集まる。そんな感じ」
緋天が笑って首を振る。
「ちゃんと分かってますから。ベリルさんが謝る事ないですってば」
「まあ、穴の周りを柵で囲うのは、他にも理由があるんだ。雨が具現化する時はね、だいたい、あの柵の範囲内だから。その中で、予報士が動きやすいように、一般人を入れてないんだよ」
緋天は一瞬怯えた顔で、隣に座る蒼羽を見て、それから自分に視線を戻した。
顔を向けられた先の蒼羽は、一瞬、その手を彼女へと伸ばしかける。
「そうですよね・・・あんなのが街に出たら、大変ですよー」
トーンダウンした声は、すぐに別の声音で塗りつぶされたのだけれど。
その話はしたくないのだろう、と分かった。話題を変えよう、と思った矢先。
「あっ!そういえば、梅雨になったら忙しくなるから、あたしも蒼羽さんのお仕事手伝ってもいいって。オーキッドさんが、結晶も用意してくれるって言ってました。どういう事をすればいいんですか?」
彼女の口が、思いがけないことを発した。
初めて聞くその話に、蒼羽を見る。視線を受けた蒼羽は首を振り、ソファから身を起こして緋天を見ている。
「・・・本当に結晶を用意するって言ったのか?」
「え? うん、昨日言ってたよ?」
「う、わー・・・。何考えてんだ、叔父さんは・・・」
額に手をやって、体をソファに沈める。頭が痛くなりそうだった。
「え? え? 何ですか?・・・変な事なの?」
緋天は蒼羽を困った顔で見ているけれど。
「結晶を持たせるなら、アウトサイドの思念の反応を見極めさせたいんだろう。お前なら、アウトサイドの事を勉強する必要がない。すぐに使える人材だ」
「・・・え? それって・・・」
「緋天ちゃんに、予報士みたいな働きを期待してるんだろうね。すぐにでも、外で自由に動き回れるから。情報集めには最適だよ」
彼女の存在を、どのようにするか、と。
まだ何も決めていなかった。叔父の行為は、彼だけの決定であって、誰の許可も得ていない。だからきっと、そうできればいい、という程の、安易なものではあったが。
「嫌ならちゃんと言え。利用されるぞ」
蒼羽が緋天をのぞき込む。
「うーん・・・。あのね? あたしが、オーキッドさんとか、偉い人の立場なら同じ事すると思う。だって、お金出して、仕事、って形にしてるんだもん。使う人間の特性を最大限、利用しなきゃ・・・」
そんな考えに行き着く彼女の。
至極全うな、ビジネス的、とも言えるその考えが。少々意外な、と言っては失礼だが、とにかく驚いた。蒼羽も同じ事を思ったのか、眉をしかめながらも、次の瞬間には口元に笑みが浮かんでいた。
「本当に、もう。緋天ちゃんは真面目っていうか、何ていうか・・・。君の考え方には驚かされるね。もっと、偉そうにしてていいんだよ。お金だってもっと貰おうと思えば、それこそ湯水のように貰えるはずだし。それでいいの?」
「えー? だって・・・真面目に働いてる人から怒られますよ。あたしはそれだけの働きをしないと、お給料を貰う資格、ないです」
「うーあー、もう。なんていい子なんだ!! 蒼羽は幸せ者だ!」
緋天の頭をなでようとして、手を伸ばすと。蒼羽が緋天を引き寄せてそれを阻んだ。
「ほら、そんな事するし。本当に蒼羽でいいの? なんか間違ってない?」
「間違ってないですよー。蒼羽さんがいいんですー」
うれしそうにそう言って、緋天は蒼羽を見る。
「あー、なんか当てられた気がする・・・。それにしても、あんな面白いお母さんで、緋天ちゃんみたいな子が育つってのも楽しいねー」
「え? あ、そうか、ベリルさん、一回家に来たんですよね。そういえば、お母さん、ベリルさんの事、すごい好きですよー。ベリルさんとなら、浮気しても悔いはないわ、とか言っちゃって。昨日、蒼羽さんが送ってくれた時もねー、すごかったんですよー・・・」
家での出来事を楽しそうに話す彼女の笑顔を。
蒼羽がこれまた柔らかな笑みを浮かべて聞いているのを見たら。
平和だ、と。そんな事を思った。
「緋天ちゃん、寝不足? 目、赤くない?」
土曜日の朝、ベースに入った緋天を見て。
なんとなく気だるそうに歩く上、いつもは綺麗な薄水色がかった白目部分が赤い。それに気付いて声をかけた。
「えっと、・・・」
困ったように、曖昧な笑みを浮かべる彼女が珍しいと思った。
何かを言いかけて、結局やめてしまった、それを。
「・・・どうした?」
ソファから立ち上がった蒼羽が緋天の前に回り、目線を合わせる。ああ、蒼羽がこのような事をするまでになったのか、と思い、嬉しさが先に奔ってしまう。
「あの、えっと、・・・寝不足で」
彼女の答えは、答えではあったけれど、蒼羽を納得させるものではない。彼の眉間には、案の定、皺が発生している。
「どうして寝られなかった?」
原因を探る蒼羽には、緋天が寝不足になる程の夜更かしをするような性格ではないと、分かっているからだ。若者にありがちな、目先の欲に駆られ、後先を考えずに羽目を外す、といったような要素が。少しも緋天に見当たらない。
「あのね? 笑わない?」
上目遣い、という攻撃を、いつの間にか緋天が使っていた。
今の蒼羽に、これほどダメージのある攻撃はないだろう。これからの彼らを思えば、これはほんの序の口であったが、蒼羽がたじろいでいるのが良く分かった。
「・・・笑わない。ベリルに聞かれたくないか?」
「ううん、別にいいんだけど・・・あの、ほんとに何でもないの」
ちらりとこちらを見る緋天のその目は、ごめんなさい、と蒼羽への言葉を補うために謝っているようでもあり。
「昨日の帰り道でね・・・なんか、変な人が出てきてびっくりしたの」
「何それ!! 今、緋天ちゃんち、誰もいないんだよね? 大丈夫なの?」
変な人、というそれが。どういった状態の人間を指しているかは分からなかったが。
眠そうな目をした緋天が何でもない事のようにそう言うので、驚き、勢い込んで声を上げてしまう。
「すぐ警察の人、来ましたよ。スピード逮捕って感じでした」
「お前は何もされなかったのか?」
顔色を確かめるように頬に手をやり、目線を合わせる彼に、緋天はいつものように頬を染めた。
「平気。大声出したら、すぐ近所の人出てきたよ。だって、住宅街の中にいるんだもん。人がいない場所なら判るけど。ちょっと頭が回らなかったんだね、って警察の人、言ってた」
「うーん、それは本当にマヌケな人だね。でも何もなくて良かったよ」
意外な結末にようやく笑みがこぼれた。
「それで、何で寝不足になるんだ?」
「え、あのね、警察の人にあれこれ質問されて、ちょっと興奮してね、だって、刑事ドラマとか大好きだから、憧れだったの」
具体的な番組名を挙げて、楽しそうに言う彼女に。蒼羽はそれ以上を聞くのをやめていた。緋天に身体的な被害はなかったから、傍から見れば、何でもなかった、という部類に入る。しかし、緋天が寝不足に陥ったのは、変な人、と表現された人間を恐れていたからだ。
「あれは私も好きだよ。カッコいいよねー。あー、思い出したらまた見たくなった」
「家にビデオありますよー。全部録画したんです」
「緋天ちゃんとは、趣味が合うなぁ」
蒼羽には、何でもなかったことにできない。もちろん、自分にも。
けれど、緋天がその話を止めて、無邪気に振舞うのならば、それに合わせなければいけなかった。今の蒼羽には、それができなかった。話を引き継いだ自分を遮っていない蒼羽に、今はやめておけ、という合図を出した。
「今日、暇だから送る」
夕方、センターから帰ってきた緋天に向かって、蒼羽は声をかける。今朝の話を、そのままにはしておけないのだ。彼の緋天という存在は、決して何かに傷つけられてはいけない、という地位に上ろうとしている。
「ええ? いいの?」
「いいんだってば。いっその事、暇な日は蒼羽を送り迎えに使いなよ」
横から割り込んで、驚く緋天の頭をかき混ぜる。
「ついでに、蒼羽にビデオを渡してくれると、うれしいなー」
「うわ、かき混ぜられたー。あ、あとね、お父さんの刑事ものドラマ、ベストセレクションのビデオもありますよー。それも見ます?」
「えっ!そんなのもあるの? ぜひ見たいなぁ。じゃあ、蒼羽、よろしく」
「ん。行くぞ」
蒼羽は髪を直す緋天に言って、その空いた手を取って外に出た。
よろしく、と言ったのは、もちろん違うものに対してだった。
「蒼羽さん、今日、家じゃなくて、そのちょっと前でいいよ」
緋天の住む街に入った所で、彼女は思い出したように声を発した。
「用があるのか?」
「うん。夜ご飯の買い物に、スーパー行くの。あー、でもそしたらベリルさんのビデオ渡せないや・・・って、そうだ! 蒼羽さん、これからお仕事ないんだよね?」
「ああ。何もない」
「じゃあ、じゃあ、用事もない?」
「ん」
「うー、すっごくいい事思いついた! 蒼羽さん、今日うちでご飯食べて行かない?」
「・・・いいのか?」
「うん。一人でご飯食べるのも淋しいし」
「じゃあ、行く」
満面の笑顔でそう言われて。断る理由もなく。つい笑みがこぼれそうになるのを、必死で抑えて、答える。本当は、彼女が昨夜寝られなかったという不安を消したいのだ。緋天自身が、何ともない、と言って話を続けるのを止めてしまっていたから。自分が傍にいるから、もう何も怖くない、と。そう思って欲しい。
「わぁ、蒼羽さんとご飯。あ、じゃあ、ベリルさんに電話しないとね。えっと、携帯、携帯」
カバンの中を探る緋天を、横目で見てハンドルを切った。
「何、作ろうかなー。蒼羽さん、嫌いなものある?」
手をつないでスーパーに入って、緋天が自分を見上げた。思わず唇を落としそうになって思いとどまる。この場では彼女は絶対に嫌がるだろう。
「・・・脂身の肉」
緋天の手にした買い物カゴを取って、答える。
「あ、ありがとう。っていうか、それじゃ、分かんないよ~」
「何でもいい」
「んー。ベリルさんはいつも洋食っぽいよねー。和食って食べないの?」
「あいつは、食べた事のない物は作らないんだ」
「あぁ、なるほどー。あ、じゃあ、洋食だとベリルさんに負けるし・・・蒼羽さんの食べた事ないもので、おいしいものを作ろう。えーと、あー、じゃあ、お好み焼きは? 食べた事ある?」
「・・・ないな」
「良かったぁ。お好み焼き嫌いな人、聞いた事ないし。決定だー」
笑顔の緋天を連れて、買い物を済ませた。浮き足立つ気持ちを押さえ込んで、緋天の家に入る。
「蒼羽さんは、テレビとか見ててね」
一階の居間に通されて、大人しくソファに座る。緋天がリモコンを渡して笑った。彼女のテリトリーに迎え入れられた、という喜びが大きかったが、そういった事よりも、先に解決すべき問題があった。楽しそうにする緋天を前にして、それを問い質すのは気が引けた。
今日は夕飯を食べに来ただけなのだから。
「できたよー」
緋天の動く気配に気をとられながら、内容を把握する気もなくテレビを眺めていたら彼女の声が聞こえた。
「・・・もうできたのか?」
「うん。だって、お野菜とか切るだけだもん。今日は時間がないから手抜きでごめんね?」
ダイニングテーブル乗せられたプレートに、緋天が油を落とす。
「あとは、目の前で焼くだけだよ。蒼羽さんはそこ座ってね」
何か、今日の緋天はご機嫌にすら見える。
自分と過ごすことが嬉しくてこうなっているのだとしたら、良かったのに。そうではないということは、もう分かっていた。彼女が、一生懸命に、寝不足の原因となった不安や恐怖を、消そうとしているのだと。