戦闘無しシリアス練習&恋愛練習『俺のカオスの血が……サワグ!!』
そこは、例えるなら別世界だった。階級制度の最上に位置する者すらも満足にその部屋にはいられない。
見事な装飾。赤、緑、青の三原色を基礎としてそれに金を付け加えた豪華な部屋。目が疲れてしまうような色彩の乱舞。その光景を見ていられるのは、恐らく幼くしてこの部屋に住んでいた者だけだろう。
なぜなら、そこは通常の人間には立ち入ることの出来ない空間だからだ。
部屋自体が居座ることの出来る人物を選定し、それ以外の者は頑なに拒否する。そんな部屋を、二人の人間がさも当然といった風に歩いていた。
一人は、まだまだ幼い少女。
未成熟な体。日の光を知らないような不健全な白色に透き通る肌。白いフリルのついたパジャマから露出した四肢は、触れば壊れてしまいそうなに細く、恐ろしく可憐だ。
それ自体が輝きを放っているような金色の髪。それは腰を通り越し、最早太股の付け根の部分にまで伸びている。だが、その髪には枝毛は一つとしてなく美しい。現に、少女が一歩歩く度に髪がまるで波のように緩やかに揺れている。
幼さの残る顔立ち。瞳は血のように赤く染まっていて、どこか人外染みた感覚を覚えた。だが、その目元は緩みきっていて、人間ともあまり変わらないように見える。
口元は弾けるように開かれ、次から次へと言葉を吐き出している。その言葉に、笑顔で受け答える男がいた。
身長は、恐らく平均男性の身長よりも高い。百八十にはギリギリ届かない程度に見えるが、その体付きは驚くほどガッシリとしている。シワ一つ無い値の張りそうなスーツの上からもクッキリと浮かび上がっている筋肉。魅せに特化したものではなく、実用性に特化した物だと素人目でもわかるほどだ。
そのしなやかな手足を用いて戦争で活躍していた、といわれれば間違いなく納得するだろう。
歩き方一つとして、重心はまるで揺らめいていない。その風貌と合わさり、かなりの使い手だとわかる。
その顔は以外にも笑顔で包まれていて、まるで子供をあやすかのように優しく微笑んでいた。だが、その笑顔の奥であってもその瞳の鋭さは覆せない。氷の刃のような鋭い視線。
見ただけで相手を殺せるような視線を持つ男に、少女は特別怯えた様子も無く話し続ける。
「ねえ。一つ、聞いてもいいかしら?」
「なんなりと」
男は丁寧に腰を折り曲げ、優雅な礼をした。少女はそれをあまり気にせずに進める。
「人間とホモ・サピエンスの違いって何?」
「……申し訳ありません。仰る意味がわかりません」
「人間なんていうモノはあくまでも“ヒト”科でしょ? 学名ホモ・サピエンス。どこにでもいる生物の内の一種。
けれど、その“ヒト”は時に自らのことを“鬼”や“悪魔”と呼ぶわ。馬鹿な話だと思わない?
だから、同じ人間であるあなたに聞きたいの。どうして“ヒト”は“人間”であるはずなのに空想上の存在に自らを例えるの?」
それは、ただの言葉遊びだ。人間は所詮人間でしかないし、どれだけ足掻いてもヒトから抜けられない。悪魔や鬼は、人間が普段味わうことの無い恐怖や狂気を持つ者に当てはめられるものだ。
故に、人々は殺人“鬼”のように空想上の存在を冠す言葉も生み出す。
男はそう考えた。
「つまらない話です。人間は自身が理解できないものを畏怖の対象と見なし、それを空想上の存在と重ね合わせる。そうして、自らの生活を守ろうとする。
簡単に纏めますと、どこか遠くの存在と重ねることによって自らの生活とは関係ないと割り切ろうとする……私はそう考えます。だからこそ、自らの生活を脅かすモノのことを化け物と呼び、そうでないモノを人間と呼ぶ」
「“私”は? じゃあ、あなた以外の人は違う答えなの?」
「こういうものは千差万別なものですからね。もしかすれば、私と同じ解釈の者が多数存在するかもしれない。
ですが、それは箱の中の猫と同じ。実際に観測してみなければどちらとも言えませんよ。大勢の人間と照らし合わせてみなければ、私の解釈が正しいかどうかなんてわかりえません」
「……なんだか不思議なのね。私にはまだまだ難しいわ。それに、どうしてそこで箱の中の猫が出てくるの?」
「有名な量子論の例えですよ。箱の中の物に対して推測を立てるのは簡単です。ですが、その“推測”と実際の“状態”は観測してみなければわからない。
……つまり、実際に見てみないことには何もわからないということです」
少女はその言葉を聞いて、なんだそれはと頬を膨らませた。『見てみなければ実際には何もわからない』ことを小難しく話しただけなのだから、当然の反応だ。そのぷっくらと膨らんだ頬を見て男は微笑ましげに笑った。
「あなたはまだまだ幼い。難しい話をしすぎましたね。申し訳ございません」
男は再び優雅に一礼し、少女へと謝った。だが、少女の表情は一向に晴れない。それから、男と少女は再び話をし始めた。
足を進めている内に、男と少女はベッドの前にたどり着いた。真紅のシーツが引かれたベッド。その上に、少女は横たわる。
男はそれを見て、満足そうに微笑んだ。だが、違和感に気づく。足を返そうと思ったら、どこか抵抗があった。
男が違和感の先を見てみると、少女の指が男のスーツにシワが付く程握り締めていた。
「……まだ、眠くないわ」
その瞳は眠気からか潤みに潤み、今にも泣き出しそうだ。瞼は痙攣したかのように瞬き続けている。
それでも、眠くないと言うのならば仕方が無い。寝付くまでは相手をしようと男は考えた。
「お嬢様。一つ、聞かせてもらってもよろしいでしょうか?」
「なに?」
「あなたにとってヒトはなんですか? 人間ですか? それとも――化け物、ですか?」
いつの間にかベッドと同じ赤い毛布を口の所まで手繰り寄せて、口元を隠している。少女の目は答えるのをためらっている。なぜなら、その視線は不安そうに揺れていたからだ。
その表情を見て、男はしまったとじたんだを踏んだ。ここで人間だと答えれば、この王者の部屋から立ち去り、圧倒的な存在として君臨できる筈だ。そうすれば、自分が今まで行ってきたことは決して無駄にならないと自覚できる筈だ。けれど、目の前の少女は支配を何よりも嫌う……男以外の者達はそれを理解してはいない。
だが、ここで化け物だと答えれば――それは、男の否定へと繋がる。
人々を支配する者がこれでは失格だ。故に、この少女の真意を知っているのは男と少女のみ。それでも。
答えられる筈が無い。男はそう思い、唇を強く噛んだ。それからすぐに血の味が口の中で広がったが、構わなかった。まだ幼い少女に自分は何を聞いているのだろうと、遅すぎる後悔をしながら。
少女は悲しげに目を伏せた。
「……申し訳ございませんでした。私の失態です」
「あなたが気にすることでは無いわ。それと、私に取って人間は化け物よ」
予想していた答えだ。男と少女の関係は簡単に断ち切れるものでもない。時間を掛けて作ってきたこの関係が、そう簡単に無くなってしまうわけが無いのだから。
「……そうですか」
故に、男は微笑む。老人のような優しい笑顔を。だが、少女はその笑顔を受けても何も反応しなかった。人形のように無表情で男の後ろを見つめていた。光が消え、虚空へと視線を向けた少女を見て男は足を返した。
少女がどこかおかしい方向を向いている時は、とても深く考える時以外ありえない。ならば、執事たる者主人の思考の妨げになってはならない。
「それでは。良い夢を」
男は一度だけ振り返り、優雅な礼を一つ。そのまま、再び後ろを向いて部屋の入り口へと歩いていく。
「……けれど」
「どうかなされましたか?」
「化け物を好きになったって、いいじゃない」
少女がいきなり話し出した内容が、あまりに唐突過ぎて男は一瞬呆けたように目を見開いた。その後、再び少女のほうを向いた。
少女の視線は男の目を捉えて離さず、その視線には全てを支配できる王者の風格があった。
「私は化け物よ。吸血鬼だなんて呼ばれているけれど、所詮はヒトにとっての畏怖の対象でしかないわ」
「……」
男は無言で少女を見つめ返した。その視線を受けて、少女は満足そうに続ける。
「“鬼”を冠してるって事は、人間は私達を恐れている。そして、自身の生活から切り離して考えようとしている。それは、あなたにとっても同じことでしょ?」
少女はその年齢にそぐわない自嘲するような笑顔を男へと向けた。
男はそれを見て、自分が冷静ではないと感じた。なぜなら、その笑顔に一瞬だけ殺意を抱いたからだ。ふざけるな、と感情の波が自分の理性を押し流してしまった。男はそう感じた。
「いえ。私に取って、そんな物は些細なことです。それに……“化け物”と呼ばれたヒトも、数え切れない程見てきましたからね。
――だからこそ言えます。あなたは決して化け物なんかではない。あなたは“人間”だ」
「ッ!?」
だから、男は口を開くことをやめない。吸血鬼なんてものは、所詮は畏怖の対象でしかないと。
少女はそう言った。それが間違いだなんて事に気づかせてやらなくては、きっと自分は後悔する。人間同士で騙し合う哀れな者共を何度も見てきた。時に殺し、殺されそうになった。だからこそ言える。
「誰よりも優しく、仲間を想える。そんなあなたを人間と呼ばずになんと呼ぶ」
男の口調はどんどん荒々しいものとなり、普段の男の空気から一変してまるで野生の動物か何かだと錯覚してしまうほどだ。
「あなたが化け物ならば私は悪魔だ。私だって、誰かを騙してきた」
少女は思わず息を呑む。それは、目の前の男の真剣さに驚いたからだ。
「もう一度言いましょう。いえ、あなたがそのようなことを言うのであれば何度でも言いましょう。あなたは人間だ。確かにあなたはヒトではない。ですが、仲間を想えるその心遣いはまさに人間だ」
「ッ……」
「……いい加減にしてくれよ。俺はさ。お前の事を優しい奴だって理解しているし、誰よりも人間らしいと思ってるんだから」
「……そんなの、反則過ぎるわ……いきなり素に戻るだなんて……」
声は振るえ、両手はシーツを強く握り締めている。顔は俯いていて、表情を伺うことは出来ない。だが、髪の隙間から僅かにその瞳が見えた。
少女の目は眠気だけではない、そうハッキリとわかる程に潤んでいる。頬は赤く上気し、瞳は僅かに晴れ上がってきている。
男は激情を全て抑える為か、一度大きくため息を吐いた。その後、僅かな沈黙の後に優しく笑った。
「こんな所で仮面を被っていても何も意味無いだろ? ……だから、さ。気にするなよ。
それと、勘違いしてるようだから一つ言っておく。化け物と嫌々一緒にいる奴なんていない。俺は……好きだからお前といるんだ」
「……」
「それじゃあ、もう寝ないと。夜行性のお前にはそろそろきついだろ?」
少女は、吸血鬼だ。男の体内時計では今は朝の六時。夜行性である吸血鬼にはそろそろ辛い時間帯だろう。
「一緒に寝てくれないの?」
「別に構わないけど……お前はいいのか?」
「お願い」
悲願する少女に無言で近づくと、男はそのまま少女をベッドに押し倒した。体重をあまり掛けないように心がけながら。だが、男の顔は獣のそれではなかった。慈愛に満ちた、まるで聖母のような笑顔を顔に浮かべていた。
「大丈夫。俺は近くにいるから」
「……ありがとう」
男はそのまま少女の体を抱きしめる。少女は愛しげなものを見るかのように泣き、男はそれを見てつられて泣く。そして、どちらとでもなく。互いの唇を合わせた。
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