私、耳だけはいいんですよ
「ニーネ・オレイユ。検討の結果、お前は俺の結婚相手として力不足だと判断した。お前との婚約を破棄する!」
王都で開かれた夜会のクライマックスで、私は婚約破棄を言い渡される。
相手は伯爵令息のグティス・イミシオン様。マゼンタのスーツを着て、高い鼻と三白眼が特徴的なお方。
婚約した時の文書に、婚約解消が可能な期間も記されていたので、この婚約破棄そのものに違法性はない。
それに私はこうなることを知っていた。
……というより、聞いていた。
ある日のデート後、私と別れたグティス様は、その足で違う女性と会っていた。
「おっそーい」
「悪い悪い。あいつとのデートが長引いちゃってさ」
「そんなにあの子が大事なの?」
「まさか。地味で愛想も可愛げもない。子爵家だからツバ付け感覚で婚約してみたが、あいつと付き合っていても金にならなそうだ。ペトラ、お前と組んだ方がよっぽどいい仕事ができる……」
「……もう。悪い人なんだから」
ペトラは確か商人上がりの家系の男爵令嬢。グティス様は私と婚約しつつ、ペトラと関係を持っていた。
「近々、あいつとの婚約は破棄する。そうしたらたっぷり楽しもう」
「そうね! たっぷり愛し合いましょう……」
抱き合い、唇と唇が触れる音まで耳に入る。
これ以上は聞きたくなく、私は走って逃げた。
といってもこの時、私は彼らの近くにいたわけじゃない。家十軒分ぐらいの距離はあったと思う。それでも聞こえてしまったのだ。
***
私は生まれつき耳がよかった。
それもちょっとやそっとの耳のよさじゃない。尋常ではないほどに。
豪雨の中で一枚のコインが落ちた音さえ聞き分けられてしまう。
本気で耳を澄ませたなら、例えば人で賑わう大きな公園の東端に立った状態で、西端に立つ人のささやきですら聞けてしまうだろう。
ただし、不思議なことにある種の防衛機能が働いているようで、落雷や花火などで耳がダメになってしまうようなことはない。
それでも周囲の小声がいちいち聞き取れてしまうのは結構なストレスだった。
幸い、家族は私の聴覚に理解があった。
父と母は温厚な人で、元々陰口を叩くような人じゃなかったし、次期当主である兄は両親とは違う意味合いで理解があった。
「ニーネ、コソッと言ってもどうせ聞こえちゃうだろうからはっきり言うぞ」
「うん」
「もう少し垢抜けた方がいいぞ! でないとモテないぞ!」
「余計なお世話よ、お兄様!」
「ハハハ、怒り顔はなかなか可愛いじゃないか」
物事を面と向かって言ってくれる兄の存在はありがたかった。おかげで、厳しい言葉への耐性がついた面もあったから。
それに、私の耳のよさは結構役に立った。
例えば、森の中で迷子になっている男の子を助けたり、害虫の巣を正確に当てて退治に貢献したり、わずかな音の違いで偽物の宝石を見抜いたこともあった。
とはいえ、本気でこの力を使ってしまうと、多分みんなから不気味がられてしまう。どんな些細な小声すら聞き逃さない女なんて近づきたくないに決まってる。
だから私は「多少耳がいい令嬢」として、社交デビューを果たす。
けれども、元々私は社交向きの容姿も性格もしていない。耳がいいなんてなんの武器にもならず、壁の花常連だった。
栗色の髪をハーフアップに編み込んでみたり、ドレスを明るい色に変えてみたり、自分なりに工夫をしたけど焼け石に水。
初めて交際したグティス様とも婚約までいったけど、手すらまともに握ったことはなく、結局遊ばれただけで終わってしまった。
***
婚約破棄されても、社交シーズンはまだ長い。
成果は望めないけど、私は各種パーティーに参加し続ける。
「あの子、この間婚約破棄された……」
「気の毒だけど、グティスの気持ちも分かるな」
「なんの取り柄もなさそうだしねえ」
陰口もバッチリ聞こえる。
「全部聞こえてますよ」なんて言ってやりたいけど、そんなことしてもコイン一枚の得にもならないことは分かっている。
なんで私はこんなに耳がいいんだろう。耳たぶを引きちぎりたくなる衝動に駆られることもあった。
そんなある日の夜会。
今日も誰とも話さず、話しかけられず。時折聞こえる陰口に内心で顔をしかめながら、一人寂しくフロアを歩く。
ふと、ある男性と目が合った。
襟足が長めの金髪、切れ長の眼を持ち、長身に白いコートを羽織って、腕を組んでいる。体格ががっしりしていることから、騎士のような職務についていそう。
その男性の鼓動が、私と目が合わさった瞬間、跳ね上がった。
(え、なんで……?)
まるで心当たりがない。私はじっと男性の目を見返す。彼の鼓動がさらに速まる。
なぜだろう。なぜあの人は、私を見た瞬間、あんなに緊張しているのだろうか。
はっきり言っていい気はしない。例えばだけど、あの人は私を見て「なんてみすぼらしい令嬢だろう。汚らわしいな」だなんて思った。そんなことを思っていたら、本人と目が合ってしまった。気まずくなり、心拍が速まった――こんなシナリオが思い浮かぶ。
私はむっとして、婚約破棄されて投げやりな気持ちになっていたことも手伝って、声をかけることにした。
私の耳には、あなたの心の内はお見通しなのよ。
「……あの」
「なんだろうか」
男性は澄ました顔をしているけど、相変わらず鼓動は速い。
「ゲッ、話しかけてきやがった。勘弁してくれ」だなんて思ってるんだろうか。
私は自分の耳を指差す。
「私、耳だけはいいんですよ」
「ほう?」
「あなたの心臓、ドキドキを通り越してバクバクしてますよね。全部聞こえてます」
「……ほう」
平静を装っているけど、心拍数は減っていない。梟みたいな返事をしているのがその証拠。そんなに話しかけられて嫌だったのだろうか。だったら距離を詰めてやる。私は顔を近づける。
「私を見て、緊張した理由を教えてください。私に対してなにか嫌な感情を持っていたのでしょうか?」
男性はおもむろに答える。
「いや、そうではない」
私の予想は外れた。嘘をついているようにも見えない。
「まず、自己紹介をしよう。私はシュレイド・ヴェルヘイト。公爵家の長男だ。君はニーネ・オレイユだろう?」
「……!」
今度はこっちが驚く番になった。今日の夜会はそこまで格式の高いものではない。それなのに、そんな人が来ていたなんて。しかもなぜか、遥か格下である私のことを知っている。
「私が君を見て緊張した理由は……君は昔、悪徳宝石商逮捕に貢献したことがあったろう?」
「ええ、ありました」
「そのことについて、詳しく話を聞きたいと思ってね。ただ、私も社交慣れしていないから、緊張してしまった。非礼を詫びたい」
「いえ……」
シュレイド様の鼓動がだいぶ落ち着いてきた。
私も鼓動が聞こえるとはいえ、決して嘘発見器のようなことができるわけじゃない。
こうなると、発言の真偽は分からなくなる。
「ここじゃなんだし、よかったら二人で話せるところへ」
「よろしいですよ」
私はシュレイド様とともに夜会を後にする。
周囲からは――
「なんでシュレイド様があの子と!?」
「遊びのつもりか? しかし、シュレイド様はそういうことをする人ではないしなぁ」
「分からん……」
――分からないのも無理はない。
だって私が一番困惑しているんだから。
***
「夜会は苦手だが、一人で飲むのは好きでね」
シュレイド様が案内してくれたのは、静かでお洒落なパブだった。
私はお酒が苦手なのだけど、頼めばフルーツジュースも出してくれた。
それから、私はかつて悪徳宝石商人を追い詰めたカラクリを話す。
彼が扱う宝石は、見た目は本物そっくりだったけど、テーブルに置いた時の音が本物と違った。私が偽物だと指摘すると、商人は露骨に慌て始めて、馬脚をあらわし……こんな事件だった。
「……君はそんなに耳がいいのか」
「はい、それはもう。尋常ではないほどに」
「私が君に興味を持ったことも、バレバレだったわけだ」
「はい、それはもう。尋常ではないほどに」
シュレイド様は肩をすくめ、お酒を一口飲む。
「我がヴェルヘイト家は近衛騎士の家系だ。近衛騎士の使命は王家を守ることはもちろん、王都の秩序を保つことも含まれる。王都はこの国有数の富が集まる都市ではあるが、その分欲望が集まるということでもある。今、王都の平和は緩やかに、しかし確実に蝕まれている。だからこそ、我々近衛騎士団が巡回し、そういった歪みを排除する必要がある。どうだろう、私を手伝ってくれないか?」
私の耳が王都の治安回復の役に立つかもしれない。
耳たぶを引きちぎりたくなるほど呪った、私の聴力が――
断る理由はなかった。
「いいですよ。お手伝いしましょう」
「君と組めば、いい仕事ができそうだ」
どこかで聞いたような台詞が飛び出してきて、私は内心で苦笑いした。
でも、いい仕事をしてみせる。グティス様とペトラに負けないぐらいに。
***
翌日から、私とシュレイド様はさっそく王都巡回を開始した。
といってもシュレイド様はお忙しい身だから、巡回はお昼の二時間程度のみ。
私はともかく、背が高く眉目秀麗のシュレイド様は非常に目を引く。
「近衛騎士のシュレイド様だ。かっこいい~」
「だけど隣の人は?」
「シュレイド様の恋人?」
「まさか……メイドかなにかだろ」
「薔薇と雑草って感じ」
こんな声が聞こえてくる。
釣り合っていないのは分かり切っていても、ちょっと落ち込む。
シュレイド様もこんな私に気づく。
「どうしたんだい?」
「あ、いえ……私たち釣り合ってないなぁと思って」
「周囲からそんな声が聞こえるということか」
「ええ、まあ」
「君を相棒に選んだのは私だ。気にすることはない。周囲が何か言ってたとしても、それは全て雑音に過ぎない」
「……はい!」
こうして励ましてもらえると、やはり嬉しい。
その時だった。
――金出せよ、オラァ。
――財布ごとよこせや。
――まだ死にたくねーだろ?
声が聞こえた。複数人で一人を囲んでいる。
「シュレイド様、向こうで恐喝が行われています!」
「よし、すぐに向かおう」
現場に急行する。といっても、かなりの距離があったけど。
袋小路でならず者らが市民に恐喝を行っており、駆けつけたシュレイド様はすぐさま彼らを叩きのめした。
礼を言う市民に「騎士としての義務を果たしたまで」と返すシュレイド様は本当にかっこよかった。
私もつい、こんなことを口にしてしまう。
「かっこよかったです……! まさに騎士の鑑という感じで、惚れ惚れしちゃいましたよ!」
その途端、シュレイド様の鼓動が夜会の時のように速まった。
これは巡回で遊びじゃないんだ。惚れ惚れとは何事だ。と不快に思ったのかもしれない。以後、こういう発言は慎もうっと。
しかし、シュレイド様との巡回は楽しかった。
長くて一日二時間。シュレイド様の都合でできない日も多かったけど、私とシュレイド様のコンビで大勢の悪者を捕まえることができた。
ある朝、兄にこう言われた。
「ニーネ、お前最近いい顔になったな」
「え、そうかな?」
「さてはひょっとして……恋をしているな?」
「そ、そんなことないっ!」
「耳まで真っ赤じゃないか。耳がいいから、耳の血行もいいのか? 分かりやすいな、お前は!」
「お兄様ったら!」
けらけら笑う兄に、私は頬を膨らませた。
そう、私は恋をしている。シュレイド様に。
だけど、子爵家の娘が公爵家の嫡子――近衛騎士まで務める人に恋慕なんて許されるわけがない。
この想いはそっと胸の奥に秘めておこう。そう決めた。
***
昼下がり、私とシュレイド様は王都を巡回していた。
この頃になると、私もだいぶシュレイド様と気さくに話せるようになっていた。
「シュレイド様の人生で、一番のピンチってどんなものでした?」
「まず、間違いなくアレだろうね」
「アレ?」
「本当に死ぬところだった。だから私は命の恩人に報いたいと決めたんだ」
「そんなことがあったんですね。ぜひ聞きたいです!」
「うん……。そろそろ話すべき時なのかもしれないな」
私の耳に、不意に音が飛び込んできた。
――チャリン。
さらに、会話も聞こえる。
――これが上手くいけば、俺たちは大儲けだ!
――ついにやったわね、グティス様!
この声。間違いない……グティス様とペトラだ。
だけど、それよりも私が気になったのは「チャリン」という音。
金貨が落ちる音だけど、違和感がある。
普通の金貨とは違う。つまり、混ぜ物がされている。もっとはっきり言うなら、偽物!
彼らがいる場所も、すぐに特定できた。二人は王都内のある屋敷にいる。
私はすぐにシュレイド様に話した。ただし、デリケートな問題でもある。
「彼らが偽物の金貨を扱っているのは間違いありません。しかし、彼らも伯爵家と男爵家のお方。むやみに飛び込むとシュレイド様の名前にも傷が……」
「傷? そんなもの、かつて君が受けた傷に比べれば些細なものだろう」
「!」
「ちょうどよかった。私もいつか二人には償いをさせてやりたかった。贋金を作っているかどうかなどこの際関係ない。今すぐ乗り込む」
「い、いけません! 私などのために!」
「私など? 私が最も燃え上がるのは、君のために動く時だ!」
目を丸くする私を尻目に、シュレイド様は屋敷の中に飛び込んだ。
ドアを蹴破り、二人がいる部屋に闖入する。
「な、なんだお前!?」
「きゃあああっ!」
「貴様ら贋金を作っているな。今ここで捕縛する」
「ふ、ふざけるな! どこにそんな証拠が……そもそも令状があるのか!?」
「証拠? 令状? 知るか! 私はニーネを傷つけた貴様らを絶対許さん!」
「ニーネ? なんであの女の名前が……」
「問答無用!」
こんなやり取りの後、グティス様は叩きのめされ、ペトラは恐怖で震えていたところを御用となった。
その後、正式に捜査が行われ、グティス様とペトラは共謀して偽金貨を作っていたことが明らかになった。
グティス様の「お前と組めばいい仕事ができる」というのはこういうことだったんだ。商人上がりの貴族ということで、どこかで硬貨偽造のノウハウを手に入れてたのかも。
贋金作りの罪は重い。二人は死罪こそ免れたけど、厳しい労役のある監獄で終身刑が確定。ペトラの家は技術的な関与が認められ、爵位を剥奪され断絶。グティス様の家も監督責任を問われ、領地の大半を没収されることとなった。
シュレイド様は強引な捜査を王家やお父上から多少窘められたけど、おかげで功績を上げたのは事実だったとして、特にお咎めは受けなかった。
私も「ニーネ嬢の鋭い勘が事件を暴いた」という扱いになり、大きく評価を上げることができた。両親には喜ばれ、兄からは「お前の耳は悪い奴を地獄に落とす地獄耳だな」とからかわれた。
***
後日、王都郊外で二人きりで会った時、シュレイド様は真相を話してくれた。
「かつて、君が森で助けた迷子……あれは私だったんだよ」
「あ……!」
王国内の大森林で、ある大貴族の子が行方不明になった。伝令が飛び、近隣の貴族は捜索隊を派遣する。私も父に「子供の声に耳を澄ませてくれ」と頼まれた。
そして、私は金髪の男の子を見つけた。衰弱しきってたけど、私は手持ちの水筒とサンドイッチを手渡し、どうにか助けることができた。
「あの時の君の姿は、救いの手を差し伸べる天使に見えた」
やがて、シュレイド様は騎士として成長し、あの夜会で私と目が合う。
あの時の心境をそのまま文章にすると、こんな感じだったらしい。
(彼女がニーネか。あの時の天使が成長して……おお、なんと美しい。酷い理由で婚約を破棄されたと聞くが、なんと見る目のない男だ。今すぐ叩きのめしてやりたい。……ん? ニーネがまっすぐこちらに来るぞ? なんで? なんで? なんで? 私のことを覚えているはずはないし……ち、近い! 私がずっと憧れ続けていた女性が……間近にッ! これは夢なのか? 夢なら覚めないで――)
『……あの』
『なんだろうか』
――その後、咄嗟に「王都の治安のため、悪徳宝石商を逮捕した君と組みたい」という理由を思いついたそうな。もちろん、その使命感も本物ではあったけど。
全てを話してくれた後、シュレイド様は私をまっすぐ見据えた。
「ニーネ。こんな私だが、どうか……婚約を交わして欲しい」
シュレイド様の鼓動が速まっている。すぐに返事をして、落ち着かせてあげたい。
だけど、私の心臓も跳ねていて、上手く言葉を返せそうにないから、もう少しだけ待ってもらいたい。
おわり
お読み下さいましてありがとうございました。




