山に潜んだ紫のお化け
「はあっ…はあっ…ちょっ、フレイ、待って…」
「ふふっ、まだ中腹にすらついてないぞ、男だろ?いけるいける」
「…君は本当に女の子なのか…?はぁぁ…」
山を登った先には、この国で一番大きな町、ニキョウがある。迂回はできない道だ、それにいい運動になるだろう。そんなことをフレイに言われ、ソラは今必死に山を登っている。
が、ソラには体力がなかった。別に特別太っていたり、足が短かったりはしない。むしろちょっと痩せている方だが、ここ最近はいろんなことを考えてぼーっとする機会が多く、相対的に体を動かす機会が減っていただけだ。
(ただ、ここまで減ってるとは…)
そこそこ急な山であった。だが、10分も歩いているうちに息が切れ始めたソラとは異なり、彼の10メートルほど前を歩くフレイはちっとも疲れた様子ではない。
やはり、運動慣れしているのだろうか。
「…ふう。ほらソラ、中腹だぞー。ちょっと休憩しようか」
「はあぁっ…あ、ありがとう…ございます…」
「ちょっと疲れすぎじゃないか?ほら、水」
山を登り始めてから、だいたい30分。ようやく、中腹に辿り着いたらしい。既に疲れ切ったソラは、フレイから木の水筒を受け取るが早く、ごくごくと水を飲んだ。
「はぁーっ、死ぬかと思った…っていうか、ハヤテ地区から一番でかい町に行くために毎回こんな山登る必要あるの、結構無駄じゃない…?」
水筒の中身の大体半分を飲んだソラは、フレイに尋ねた。
近くの岩に腰掛けているフレイは、事もなげに答えた。
「いや?普通は川を渡って行ってるからそこまで大変じゃないぞ。だいぶ前に川をよけて左に行ったろ、あれを右に行ったとこに船着場があるんだけど…」
「…はあぁ!?え、じゃあこんな山登る必要なかっただろ!!!船乗ってきゃよかったじゃん!!」
ソラは思わず、叫んでしまった。
「バカか!異能力者が勝手に別の地区に行ったら捕まるんだよ!これしか道はねーの」
「えぇー…?そう言う事情…?」
フレイは怒った、と言うか呆れた様子であった。
「…そうじゃなきゃ、わざわざさっきだって監視役のでかいだけの奴らに殺されかけるふりなんかしなかったっつーの。ノンギフの方が圧倒的に数が多いし、結構、逃げるってのは難しいんだよ」
「ああ…」
さっきーといってももう2,3時間も前だがーフレイが自分より実力の低い、武器を持ったノンギフ達に追われていたのはそう言う事情があったのか。
「…大変なんだな」
「なーに他人事みたいに言ってんの。ソラも異能力者でしょ」
「…あ、そうだった」
どうやらこの世界の異能力者は、ソラの考えていた数倍は生きづらいらしい。急にこの世界に飛んできた自分はともかく、フレイが気の毒でならなかった。
「ま、とにかく水、飲み終わったらまた動くから。しばらくゆっくりしてな」
そういって彼女も水を一口飲む。紅い髪がかかった首元が、暑そうに汗を吹いていた。
(生きるか死ぬかレベルの"逃げ“を、フレイはやってたんだな…ますます情けないじゃん、俺)
俺ももっと頑張らなきゃなと心の中で呟きながら、ソラは水筒を取ろうとした。
「…は?」
水筒が、浮いていた。錯覚や幻覚ではなかった。本当に、水筒が地面から4,50センチほど浮いていたのだ。しかも、よく見ると…
「なんだ?この紫のモヤモヤみたいなの」
紫の煙のような薄い…オーラのようなものが、水筒を掴んでいるではないか。ただのモヤなのに、一部の出っ張った部分が水筒を抱き抱えているような感じになっていた。
幽霊のようだ…ソラはそう感じた。昔読み聞かせの本などで見た、丸っこい幽霊。顔こそないが、煙が動く様は、それを連想せざるを得ないものであった。
「どした、ソラ」
フレイが顔を覗かせた。
「なんか…ちっちゃくて可愛いお化けみたいなのが…」
ソラは指を指した。お化けのような煙は、必死に水筒をぷかぷか浮かせていた。
(健気なお化けだなぁ)
などと考えているソラとは対照的に、フレイは険しい顔をしていた。
(大きさも形も違うけど…この霊、まさか)
突然、フレイが立ち上がった。
「ソラ、退いてろ!」
「…ええっ!?」
フレイは"蹴り"の体勢を取っていた。なんなら、異能力すら使っている。炎を纏った足を構えながら彼女が睨んでいたのは、他でもないあのお化け煙だった。
「いやいやいや、ただの可愛いお化けでし…」
「ふっ!」
ソラが仲裁する隙なく、フレイは哀れなお化け煙に炎の蹴りを放った。
シュッと、空気を切る音がする。
(ええーっ!?!?!?な、なんで!?)
ソラは驚きのあまり目が飛び出そうであった。あれほど可愛い生き物を蹴るなんて、フレイはどうかしてしまったのかとさえ思った。
だが、引っ込ませた目で見たのは、予想を大きく超えるものだった。
「ケッケッケ」
果たして、お化け煙は生きていた。生きていると言う表現が正しいのかはともかく、水筒もろともフレイの蹴りから逃れていたようだ。
そのお化け煙が、嘲笑するような声を出したのだから、ソラはまた驚いた。
「え、お化けが笑った!?ってか避けた!?」
「お化けなんて可愛いもんじゃないぞ、こいつ」
お化け煙を睨みつけながらフレイが言う。そのまま、顔を山の木々の方に上げて声を大きくしてこう言った。
「おい、いるならさっさと出てこい!降霊術の異能力者」
また聞き慣れない単語が出てきたなとソラが思ったのも束の間、お化け煙が動き始めた。それもすごい速さで。
「うわっ」
お化け煙は、ある一点を目指して水筒と共にするすると空中を滑ってゆく。その先には…
「…あちゃあ、まさかこんなとこに異能力者が来るとは思わなかった…で、あたしに何か用?」
木の上には、少女がいた。ふわふわした長めの、黒っぽい紫色の髪の毛と、同じような色のパーカー服を身に纏っており、桃色の瞳がなければ薄暗い森の色と混ざって溶けてしまいそうだった。
フレイとは対照的な、可愛げのある女の子らしい女の子…と言うのが、ソラが抱いた印象であった。
実際、フレイの鋭い目を見つめる少女の目は柔らかであったし、口調もフレイに比べてずっと女の子らしかった。
「まさかこの国に降霊術を使えるやつが残ってるとは思ってなかったな」
少女を鋭く睨みつけながらフレイが呟く。
「降れ…い…?」
ソラは完全にポカンだった。
「…あたしにもレーユって名前があるんだけど。まあいっか、このお水はもらっていくわ」
ニコッと、レーユと名乗った少女が2人に笑いかけた。
見れば、先ほどまでお化け煙が抱いていたソラの水筒が少女の手の中にあった。
「あっ、俺の水」
「じゃあねー」
少女は木の上で立ち上がった。と思うと、別の木の枝までふわりと飛んでいった。
「…あんな異能力もあるんだな」
「おいソラ、ぼーっとすんな。追うぞ」
「うわっ!?」
フレイは、ソラの手を握って走り出した。まだ目視できるレーユの方へと。
「ちょっ、水筒くらい別に奪われても…てか自分で走れる」
慌ててソラも走り出し、フレイの手を振り払う。
「水筒もそうだけど、あの異能力は中々いいんだよ。私の言いたい事、わかるか」
…ちょっと考えた末、ソラは驚いてフレイの顔を見た。
「えっ、まさかあの娘を…」
「そ。あいつ、仲間にしたい」
フレイは、いつかソラにしたのと同じように、ニヤッと笑った。




