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アラフォー聖女、辺境で愛されます。~用済みと追放されましたが私はここで充実しています~

作者: 猫燕

 エレナの指先は、治癒魔法の長年の酷使で擦り切れていた。

 かつては白く柔らかかった手は、今やくたびれ、魔法の反動で細かな傷が刻まれている。

 20年間聖女として務めてきた彼女は、鏡を見るたびに思う。――こんな手でも、誰かを救ってきた。それだけで、十分じゃない?

 だが、今日、彼女の信念は音を立てて崩れた。


 ☆


 大聖堂の祭壇は、色とりどりのステンドグラスから差し込む光に輝いていた。金箔の装飾、香木の煙、聖歌を歌う聖職者たち。エレナは祭壇の前でひざまずき、祈りを捧げる。

 いつものように、治癒魔法で民を救うための儀式だ。

 その彼女の背後に一人の少女が歩み寄る。


「エレナ様、儀式は私が引き継ぎます」


 声は若く、透き通っていた。新聖女リーリエ、18歳。金髪をなびかせ、純白の聖女服に身を包んだ彼女は、まるで神の化身のように美しい。

 エレナが振り返ると、微笑むリーリエの青い瞳が冷たく彼女を見下ろしていた。


「リ、リーリエ?儀式はまだ――」

「あなたはもう十分なんです、エレナ様」


 リーリエが口角を上げ、嘲るように言う。


「気付いていない様なので教えて差し上げますが、もうあなたの力は弱まっているのですよ。とっくに。神の加護は、私にこそあるのです。ねえ、司祭様?」


 祭壇の脇に立つ司祭が、ゆっくりと頷いた。白髪の老人、ガルド司祭。

 エレナをずっと酷使してきた男だ。彼は豪華な法衣を翻し、威厳を装って言った。


「その通りだ。エレナ、君の今までの奉仕には感謝する。だが、神の意志は新たな聖女に宿った。君はもう、用済みだ」

「は……?」


 エレナの声が震えた。20年間、彼女は教会に尽くしてきた。

 戦争で傷ついた兵士を癒やし、疫病に苦しむ民を救い、夜通し魔法をかけ続けて倒れたこともある。睡眠を削り、食事も忘れ、ただひたすらに人々を救うためだけに生きてきた。それなのに――。


「……これで、終わりですか?」


 エレナの呟きに、リーリエがクスクスと笑った。


「エレナ様、お疲れ様でした。でもほら、見て? 民はもう、私を聖女として迎えているのよ」


 祭壇の外では、群衆がリーリエの名を呼んでいた。


「リーリエ様! 新しい聖女様!」


 若い聖女の美貌と、初々しい治癒魔法の光に、誰もが魅了されている。エレナの存在は、まるで忘れ去られたかのようだった。

 ガルド司祭が冷たく言い放つ。


「エレナ、荷物をまとめなさい。今日限りで、教会を去ってもらう」

「去る……? どこへ、ですか? 私は、ここしか――」

「それは君の問題だ。神の加護を失った者に、居場所はない」


 司祭の言葉は剣のようにエレナの胸を刺した。彼女は立ち上がろうとしたが、膝がガクガクと震え、祭壇の縁に手をつく。擦り切れた指が、冷たい石に触れた瞬間、涙がこぼれた。


「私が、何を間違えたの……?」


 誰も答えなかった。リーリエは勝ち誇った笑みを浮かべ、司祭は無関心に目をそらし、聖職者たちはエレナを避けるように下がった。群衆の歓声が遠く響く中、エレナはひとり、祭壇に取り残された。

 エレナが教会を出たのは、その日の夕暮れだった。擦り切れた聖女服と、わずかな着替えを詰めた布袋。それが、彼女の20年間の全てだった。

 教会の門をくぐる瞬間、背後でリーリエの笑い声が聞こえた。


「やっと、あのオバサンがいなくなったわ」


 幻聴かもしれない。だが、エレナの心には、その声が焼き付いた。

 都の外れ、荒れた街道を歩きながら、エレナは自嘲する。


「20年も尽くして来て、こんな終わり……。聖女なんて、ただの道具だったのね」


 足取りは重かった。過労で弱った体は、冷たい風に震える。

 治癒魔法の反動で、関節がきしむ。髪は乱れ、かつての聖女の威厳はどこにもない。道端の岩に腰を下ろし、エレナは空を見上げた。夕陽が、赤く染まる。


「はぁ……私の人生、何だったの?」


 その問いに答える者は誰もいない。だが、風がそっと彼女の頬を撫でた瞬間、胸の奥に小さな火が灯った。――まだ、終わっていない。どこかに、私の居場所があるはずだ。

 エレナは立ち上がった。布袋を握りしめ、震える足で一歩を踏み出す。知らぬ土地、知らぬ未来。だが、彼女の瞳には、かすかな希望が宿っていた。


「ここじゃないどこかに、行ってみよう。もう、ここにいてもしょうがない」


 街道の先に、薄闇が広がる。エレナは振り返らず、歩き始めた。彼女の知らない新たな物語が、そこで待っているとも知らずに。


  ☆


 エレナの足は、冷えた土の街道で重かった。

 擦り切れた聖女服は冷たい風を防げず、20年間の過労が体を蝕んでいる。38歳の元聖女は、布袋を握りしめながら歩き続けた。

 教会の嘲笑、群衆の歓声、リーリエの冷たい目。あの屈辱を思い出すたび、胸が締め付けられる。


「私の居場所なんて、本当に――」


 その時、遠くに煙突の煙が見えた。荒れた丘のふもと、木造の家々が寄り添う小さな村。エレナの瞳に、かすかな光が宿る。


「少し、休ませてもらえるかもしれない」


 村に近づくと、妙に空気が重かった。

 家々の窓は閉ざされ、道には人影がない。代わりに、かすかな呻き声と、腐臭のような気配。エレナの鼻がひくつく。


「この匂い……魔物の呪い?」


 教会での20年、彼女は魔物の毒や呪いを浄化してきた。

 だが、今は聖女でもない、ただの旅人だ。


(……関わらない方が)


 と一瞬思うが、村の広場で目にした光景に足が止まる。

 子供が倒れていた。10歳ほどの少女、ぼろ布のような服にくるまれ、顔は青白く汗だく。そばで若い男が叫んでいる。


「ミナ、目を覚ませ! 誰か、助けてくれ!」


 だが、集まった村人たちは怯え、首を振るばかり。


「また呪いだ……もうこの村はお終いだ……」


 エレナの胸が締め付けられる。子供の苦しむ顔は、教会で何度も見てきた。

 見ず知らずの村、関わる義理はない。なのに、彼女の足は自然と動いていた。


「ちょっと見せて!」


 エレナが少女に駆け寄ると、村人たちがざわつく。


「なんだよ、あんた?」

「オバサン、危ねえぞ!」


 村人の声を彼女は聞かず、少女の額に手を当てる。微かに脈打つ熱。呪いの気配が、確かにそこにある。


「まだ間に合う……!お願い、私の力、残っていて」


 エレナは目を閉じ、深く息を吸う。20年間、酷使され続けた治癒魔法。教会では「弱まった」と言われた力。だが、彼女の指先から、淡い白光が溢れ出した。

 光は少女を包み、青白かった顔に血色が戻る。黒い呪いの気配が、まるで霧散するように消えた。


「ミナ、ミナ!」


 若い男が少女を抱き上げる。少女が弱々しく目を開き、「お兄ちゃん……?」と呟く。広場が、静寂に包まれた。次の瞬間、村人たちの歓声が爆発した。


「生き返った!」

「なんだ、今の光!?」

「聖女じゃ、あれは聖女の力じゃ!」


 エレナはよろめき、地面に膝をつく。魔法の反動で体が軋む。――やっぱり、力はまだ残ってる。でも、こんな歓声、初めてだ。教会では、感謝の言葉すらなかったのに。


「なあ、あんた!いや、聖女様!」


 若い男がエレナの手を握り、目を輝かせる。


「ありがとう、ミナを助けてくれて。俺はカイル、村の騎士見習いだ」


 日に焼けた肌に、剣を佩いた姿の彼の笑顔に、エレナは戸惑う。


「え、聖女だなんて……私はただ――」

「あなたはすごい魔法使いだ!」


 カイルが興奮気味に言う。


「どこでそんな力を?」

「教会で、20年くらい……でも、もうお役御免みたい」


 エレナは自嘲しながら苦笑するが、カイルの興奮はまだ収まらず、


「教会で魔法を使っていた!?ということは本当に聖女様なんですか!?」


 エレナの手を握る両腕にさらに力が入る。


「だからもう聖女じゃ――」

「いきなりですみませんがお願いがあります、村の力になってくれませんか。魔物の呪いで、みんな苦しんでるんです。あなたが必要なんです」

「魔物の呪い?」


 エレナが尋ねると、説明する。


「最近、魔物がこの村近くの森に現れるんです。呪いの毒で、ミナみたいな被害が続いてる」


 ミナを抱きしめ、目を潤ませる。


「お願いします。こんな時にこんな力を持った方が村に現れたのは単なる偶然じゃないと思うんです」


 村人たちの視線が、エレナに注がれる。彼女は一瞬、教会の冷たい目を思い出す。――用済み、と言われた私。でも、ここでは、必要とされている?


「私、聖女じゃないけど……少し、様子を見させて」


 エレナの言葉に、広場が再び歓声に沸いた。

 カイルが「よっしゃ!」と拳を振り、笑う。エレナは照れながら、村人たちの笑顔を見つめる。

 夕陽が村を赤く染める中、エレナの心に小さな火が灯った。――ここなら、私の力を活かせるかもしれない。擦り切れた手が、温かく感じられた。


  ☆


 エレナは村の広場で、子供達に囲まれていた。

 ミナを始め、呪いから解放された子供たちが、彼女の手を握り、笑顔で囃す。

 純粋でかわいいこの子達を見ていると、ふとエレナは自分にもこんな頃があったなと思い出す。


(あの頃から考えると随分大人になっちゃったんだな……)


 一瞬、しみじみとしたエレナに子供達がくっついてくる。


「聖女様、また魔法見せて!」

「エレナさん、すごい!」


 38歳の元聖女は、照れながら頭を掻く。


「もう、聖女じゃないってば……でも、ありがとう」


 村に着いて数日経った。

 エレナは村人たちの温かさに、胸の奥がじんわりと温まるのを感じていた。

 教会での20年、感謝の言葉はなく、ほぼ強制的に力を放出する日々がただただ続くだけだった。

 ここでは違う。村人たちは彼女を「聖女様」と呼び、食事や寝床を惜しみなく提供してくれる。

 カイルも、事あるごとにエレナを気にかける。


「エレナさん、ちゃんと食べてますか?」


 カイルが広場の隅で剣を磨きながら、視線を向ける。


「魔物の呪いがまだ残ってます。聖女様には元気でいて頂かないと!」

「聖女様じゃないって……何回言わせるの?」


 エレナが苦笑すると、子供達が「エレナさーん!」と飛びついてくる。彼女は転びそうになりながらも、笑顔で受け止める。

 ――こんな温かさ、教会では知らなかった。

 だが、その穏やかな空気は、突然の叫び声で引き裂かれた。


「魔物だ!森から出てきた!」


 村人が広場に駆け込んでくる。

 エレナが振り返ると、森から黒い影が這い出していた。狼のような姿だが、目は赤く輝き、口から黒い霧を吐く。呪いの魔物だ。

 村人たちが悲鳴を上げ、子供たちがエレナの背に隠れる。


「みんな家の中に!」


 エレナがミナや子供達を誘導し、カイルが剣を構え、前に出る。


「エレナさん、下がって!俺がやっつける!」


 エレナの心臓が早鐘を打つ。教会では、魔物の浄化を何度もこなしてきた。だが、あの頃は司祭の命令に従うだけだった。

 今は違う。――この村の人たちを守りたい。私の力で、守れるなら!


「私に任せて!」


 エレナが一歩踏み出す。擦り切れた聖女服が風に揺れ、彼女の瞳に決意が宿る。

 村人たちが息をのむ中、彼女は両手を広げ、治癒魔法を呼び起こす。


「神よ、我に力を……!」


 淡い白光がエレナの手から溢れ、広場を包む。魔物が咆哮し、黒い霧を吐き出すが、光に触れた霧は溶けるように消える。エレナの額に汗が滲む。――反動が体を軋ませる。でも、負けない!


「カイル、今!」


 カイルが剣を振り上げ、魔物の足を斬りつける。


「くらえ!」


 魔物がよろめくが、赤い目でエレナを睨む。彼女の胸に、教会での記憶がよぎる。――「お前の力は弱まった」「用済みだ」。リーリエの嘲笑、司祭の冷たい目。

 だが、村人たちの声がその記憶を打ち消す。


「エレナさん、頑張れ!」

「聖女様、俺たちを救ってくれ!」


 エレナの心に火が灯る。――弱まってなんかいない。私の力は、まだ誰かを救える!


「消えなさい、魔物の呪い!」


 エレナの叫びとともに、白光が爆発的に広がる。

 光は魔物を包み、黒い霧を一掃。赤い目が消え、魔物は地面に崩れ落ちる。だが、エレナの魔法はそれだけでは終わらなかった。光は村全体に広がり、呪いで弱った村人たちの体を癒やし、怯える子供たちの心を落ち着かせた。


「な、なんだ?この温かさ……」


 カイルが剣を下ろし、呆然と呟く。


「エレナさん、すげえ……!」

「エレナさん、ありがとう! ミナも、村も、救われたよ!」


 広場が歓声に沸く。


「聖女様!」

「エレナ様、最高だ!」


 子供達がエレナに飛びつき、村人達が涙ながらに感謝する。エレナはよろめき、カイルに支えられる。


「あ、ありがとう……もうオバサンだから体がダメね」

「そんなことありません。エレナさんはオバサンなんかじゃない、凄く素敵な方だと思います」

「ちょっと、やめてよ」


 カイルの真っ直ぐな瞳にエレナは心が跳ねるような気持ちになった。随分昔に忘れていた感覚。

 その感覚を処理しきれないエレナは反射的に目を反らし、村人たちの笑顔を見つめる。

 ――教会では、こんな笑顔はなかった。ここでは、私が必要とされている。自らの擦り切れた手が、やけに誇らしく感じられた。

 その時、数人の村人が広場に駆け込んできた。


「おい!都の方にも魔物が現れたらしい!新聖女が魔物の浄化にてこずってて、街が大混乱だって!」


 リーリエ、苦戦しているのね。魔物の浄化には力の出し方に少しコツが要るのだけれど……。


 ☆


 都の大聖堂前は、かつての荘厳な輝きを失っていた。ステンドグラスの光は曇天に遮られ、広場には魔物の黒い霧が漂う。市民たちの悲鳴と、聖職者たちの慌ただしい足音が響き合う中、新聖女リーリエは祭壇の中央で膝をついていた。


「どうして……私の力が、届かないの!?」


 リーリエの声は震え、金髪が汗で額に張り付いている。

 純白の聖女服は泥と黒い霧で汚れ、18歳の可憐な顔は焦りと恐怖で歪んでいた。

 彼女の手から放たれる治癒魔法の光は、確かに美しい。だが、魔物の呪いの霧に触れると、まるで水をかけたようにかき消されてしまう。

 広場の一角で、咆哮を上げる魔物に衛兵たちが槍を構えて立ち向かうが、呪いの霧に触れた者は次々と倒れ、青白い顔で地面に崩れ落ちる。


「リーリエ様、早く浄化を! このままでは都が……!」


 衛兵隊長が叫ぶが、リーリエは唇を噛むばかり。

 彼女の魔法は、軽い傷や病を癒やすには十分だった。だが、魔物の呪いは別格だ。教会で教えられた「神の加護を信じ、光を放て」という言葉だけでは、まるで歯が立たない。


「私が……私は聖女なのに!どうして!?」


 リーリエの叫びに、群衆がざわつく。かつて彼女の美貌と初々しい光に熱狂した民は、今、怯えた目で彼女を見つめていた。


「新しい聖女様、ダメじゃないか……」

「エレナ様なら、こんな魔物をすぐに浄化できたのに……」

「何だ、あの小娘!やっぱり年季が違うんだ!」


 民の囁きが、リーリエの耳に突き刺さる。エレナ。あのアラフォーの元、聖女。

 リーリエは彼女を「用済み」と嘲笑い、祭壇から追い出した。あの時の勝ち誇った笑みが、今は遠い記憶だ。


「エレナ、エレナって……!あのオバサンより私の方が力も何もかも上でしょ!私は神に選ばれた聖女なのよ!」


 リーリエが立ち上がり、両手を広げて再び光を放つ。だが、魔物が咆哮し、黒い霧が彼女を包む。光は一瞬でかき消され、リーリエは咳き込みながら膝をつく。彼女の青い瞳に、初めての恐怖が宿った。

 大聖堂の奥、司祭たちの会議室は緊迫していた。ガルド司祭は豪華な法衣を握り潰し、顔を真っ赤にして叫ぶ。


「なぜだ!リーリエは神の加護を受けた聖女のはず!なのに、魔物を浄化できないだと!?」


 白髪の司祭の声に、若手の聖職者たちが縮こまる。部屋の隅では、灰色の法衣を着た使者が怯えた声で報告する。


「ガルド様、魔物の数は増える一方です。都の外郭ではすでに三つの門が破られ、市民の避難も追いつきません。リーリエ様の魔法は、魔物の呪いにまるで効かず……」

「黙れ!」


 ガルドが机を叩く。彼の脳裏に、エレナの姿がちらつく。

 戦争の傷、疫病、魔物の毒、呪い――エレナの手にかかれば、すべてが癒やされた。だが、彼女は老い、弱まった。そう見切って、リーリエの方が有用だと判断したのだ。


「ガルド様、提案が……」


 一人の聖職者が恐る恐る進言する。


「エレナを呼び戻してはどうでしょう? 彼女なら、この危機を――」

「愚か者!」


 ガルドが唾を飛ばして遮る。


「あの女は用済みだ!神の加護はリーリエに宿った!今さらエレナを呼び戻すなど出来るか!教会の威信が地に落ちる!」


 だが、部屋の空気は重い。聖職者たちの視線が、互いに交錯する。

 エレナを追放したのはガルドの独断だった。彼女の力は確かに全盛期に較べると衰えたように見えたが、魔物の浄化に関しては、誰も彼女に並ぶ者はいなかった。

 リーリエの若さと美貌は民を惹きつけたが、肝心の力は……。


「ガルド様、しかしこのままでは都に致命的な損害が!」

「すでに市民の不満が爆発寸前です! 『エレナ様を返せ』との声も上がっています!」


 ガルドの顔がさらに赤くなる。彼は拳を握り、歯を食いしばり、小さく震える。


「エレナ……あの女、どこにいる!?」


 使者が慌てて答える。


「ここから遠く離れた村にいるとの情報が。魔物の呪いから村人を救い、『聖女』として慕われているとか……」

「なんだと!?」


 ガルドの目が見開かれる。エレナが、聖女として?あの終わった女が?彼の胸に、焦りと屈辱が渦巻く。


「さんざん世話になった都の危機だと言うのに辺鄙な村で遊んでいるだと!?そんなことは到底許されることではない!そうであろう?聖女の力はもっとふさわしい場所で使われなければならん。私の言いたいことがわかるな?」


 使者が頷き、部屋を飛び出す。

 ガルドは窓の外を見る。都は黒い霧に覆われ、市民の悲鳴が遠く響く。リーリエの光は、まるで届かない。

 広場では、リーリエが再び立ち上がっていた。衛兵たちが魔物を食い止める中、彼女は震える手で光を放つ。


「お願い、神よ……私に力を!」


 だが、光は弱々しく、魔物の咆哮にかき消される。群衆の失望の声が、リーリエの胸を刺す。


「リーリエ様、ダメだ!逃げろ!」

「エレナ様なら……エレナ様だったら!」


 リーリエの目から涙がこぼれる。彼女は聖女だ。神に選ばれた存在だ。なのに、なぜ?なぜ、エレナの名がこんなにも重いのか?彼女の心に、初めての嫉妬と後悔が芽生える。

 


 村人達は都の事を心配しながらもどこか遠い地の事、と楽観的だ。


「おいおい大丈夫なのかあ!?」

「うちらにはエレナさんがいる!」

「へっ、若いだけの聖女じゃダメってことか」


 笑う村人達に対してエレナは苦笑する。


「比べなくていいの。私の力は、村のために使いたいから」


 村人たちが再び歓声を上げる。


「エレナ様、村にずっといてくれ!」

「聖女様、俺たちの希望だ!」


 エレナの胸に、確かな決意が芽生える。――この村が、私の居場所になるかもしれない。

 夕陽が村を照らし、エレナの白光が薄れゆく。彼女は疲れた体を支えながら、微笑んだ。――私の力、まだ輝ける。ここでなら、きっと。

 


 魔物の襲撃から一週間、村は活気を取り戻していた。

 閉ざされていた窓が開き、煙突からは湯気が立ち、笑い声が響く。

 エレナの手には、ミナが編んだ花冠。10歳の少女が、はにかみながら言う。


「エレナさん、これ、聖女様に似合うよ!」

「もう……、何回言えばいいの?」


 エレナが苦笑すると、ミナは「えへへ……」と頭を掻く。

 広場の隅では、村人たちが復興に励んでいる。壊れた柵を直し、呪いで荒れた畑を耕す。エレナは簡単な治癒魔法を子供たちに教えていた。


「ほら、ミナ、力を抜いて。優しく、こうやって……」


 彼女の指先から白光が漏れ、ミナの小さな手にも小さな光が灯る。


「わ、エレナさん、できた!」

「上手よ、ミナ。いつか、村を守れる聖女になれるかも」


 エレナが笑うと、ミナが目を輝かせる。


「エレナさんみたいになりたい!」


 その時、広場にカイルや村の若者達が近付いてきた。エレナを囲む子供たちを見て、口々に笑う。


「エレナさん、子供にモテモテですね!」


 カイルが剣を肩に担ぎ、先日の魔物戦でのエレナの活躍をまだ興奮気味に語る。


「あの浄化魔法、すごい光でした。聖女様、村の英雄です!」


 エレナは照れながら、花冠を直す。


「そんな、大したことしてないわよ。私、ただ……ここにいたかっただけ」

「それで十分です!」


 カイルが拳を握り、熱く言う。


「エレナさん、ずっと村にいてください!俺、エレナさんのこと、とても頼りにしてるんです!」

 その言葉に、エレナの目が潤む。教会では「用済み」と捨てられた。20年間、感謝の言葉すらなかった。なのに、ここでは――。


「ありがとう……こんな気持ち、初めてよ」


 村人たちが広場に集まり、エレナを囲む。

 子供たちが花を投げ、笑顔が広がる。エレナは擦り切れた手を握りしめ、思う。――ここが、私の居場所だ。

 だが、その温かな空気を、馬蹄の音が破った。

 広場に、教会の紋章を掲げた馬車が現れる。

 村人たちがざわつき、エレナの背筋に冷たいものが走る。馬車から降りたのは、ガルド司祭の部下、灰色の法衣を着た男だ。男はエレナを見つけ、傲慢に言い放つ。


「エレナ、元聖女よ。司祭様の命だ。都へ戻れ。新聖女が失敗し、魔物の脅威が広がっている。お前の力が必要だ」


 村人達がどよめく。


「ふざけんな!なんだ、こいつ!」

「お前らがエレナさんを追い出したんだろうが!」

「連れ戻す気か!?やらねーぞ!」


 エレナの胸に、教会の記憶がよぎる。

 リーリエの嘲笑、司祭の冷たい目、20年間の搾取。「用済み」と捨てた彼らが、今さら私を必要とする?笑わせる。


「大丈夫よ、みんな」


 村人達に声をかけ彼女は一歩踏み出し、使者の前に立つ。擦り切れた聖女服が風に揺れ、瞳に強い光が宿る。


「司祭に伝えて。20年尽くした私を捨てたのはそっちよ。今さら必要だなんて、笑わせないで」


 使者が顔を歪める。


「何!?貴様、聖女の務めを忘れたか!」

「聖女の務め?」


 エレナが笑う。


「それは、人のために尽くすこと。この村で、私はそれを見つけた。ここが、私の居場所よ」


 村人たちが歓声を上げる。


「そうだ、エレナ様は俺たちの聖女だ!」

「消えろ、教会の犬!」


 カイルが剣を振り上げ、「エレナさんは渡さない!」と叫ぶ。

 使者はたじろぎ、馬車に逃げ込む。


「覚えておけ、エレナ!司祭様は許さんぞ!」


 馬車が慌てて去ると、村人たちが笑い、子供たちが石を投げる。

 エレナは身体の力が抜け、振り返る。

 そこには皆の笑顔があった。カイルが「大丈夫ですよ!何度来ようと、俺が追っ払います聖女様!」と拳を突き上げる。

 エレナは照れながら、花冠をそっと握る。

 夕陽が村を茜色に染め、広場に笑顔が溢れる。彼女は子供たちに囲まれ、穏やかに呟く。


「ここが私の居場所……」


 ミナがエレナの手を握り、笑う。


「エレナさん、ずっと一緒にいてね!」

「そうね、ミナにももっと魔法を教えるわ」


 エレナは頷き、子供たちと笑い合う。擦り切れた手は、もう冷たくなかった。村の未来が、彼女の光とともに輝いていた。

 


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