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革命という並木道

作者: 吉田 逍児

 私は文学少女だった。将来の夢は小学校の教師になることだった。しかし家が貧しかった上に、父が交通事故で亡くなった為、私の母に私を大学で学ばせる経済力無かった。そんな事情から私は大学進学を諦め、高校を卒業するや印刷会社に就職した。でも私は教師になる夢を捨てきれなかった。そこで私は働きながら夜間大学に通う決心をした。私は『M大学』二部文学部を受験した。合格出来るか心配だったが見事合格し、入学することに成功した。母は、とても喜んでくれた。『M大学』は勤務先の市ヶ谷から3つ隣の御茶ノ水にあったので、交通費が、それほどかからず助かった。大学に入学してからの2年間は、級友と文学論を語るなどして、楽しく過ごした。この頃、大学では授業料値上げ反対闘争で、キャンパスは騒然としてた。苦学生の私には気になる事であったが、私は傍観者でいた。そして昭和44年(1969年)4月、私は大学3年生になり、小学校教師の免許状を取得する為、教育原理、教育哲学、教育管理という講義を受けた。この授業は辛かった。厳格な三木教授は出席率を重視し、教育が国民とって如何に重要であるかを熱弁した。二部の学生で、教職課程を選択する人は、少なかった。普通の授業の後に授業があるので、帰りが、その分、遅くなるのだ。その為、教室に集まる学生数は30人程度だった。それも、法学部、商学部、工学部、文学部の学生たちの混成だった。そんな中で、女性の私は目立ったらしい。何かと理由を付けて商学部の山田昭彦と松宮健二が、私に近づいて来た。山田昭彦は、両親が教員なので、自分も教員の道を選ぼうと、教職の講義に出席しているなどと、個人的な事まで喋った。また自分は文学に興味があり、松宮たちと、同人誌『虹』に参加していて、同人誌に小説を発表していると自慢した。そして、もし良かったら、『虹』の同人にならないかと、勧誘した。私は詩に興味を持っていたので、詩について質問すると、『虹』には、橋本ひろ子という女流詩人がいて、勉強になるよと私に言った。高校時代から詩が好きだった私は、そこで『虹』の同人に加わる事にした。


         〇

 五月半ばの日曜日、私は山田昭彦たちと、新宿で待ち合わせして、新宿三丁目の喫茶店『らんぶる』に行き、同人誌『虹』の月例会に出席した。会合は雑誌社に務める立川順造が主幹となっていて、編集顧問の照井直哉と橋本ひろ子が積極的に発言して進められた。そのメンバーの中に、北島真理子、竹内晴美、水木道子たち女性会員がいたので、私は直ぐに仲間に溶け込むことが出来た。会合の参加者は20名程度で、大学生から定年退職者まで、老若男女、多種多様で、面白かった。その中で、大学生は、山田昭彦、松宮健二、赤木政明、渡辺英二、水木道子、竹内晴美と私の7人で、会員の3割を占めており、情熱的発言をする人が多かった。私は、初めてなので、播磨夕子ですと自分の名前を言っただけで、大人しくしていた。その会合が終わってから、私たち大学生は、ゴールデン街のバー『裏窓』に行った。『裏窓』は水木道子がアルバイトをしている店で、霧島香苗ママが、私たち大学生に、とても明るく接してくれた。そんなこともあって、私は女性だけでなく、初めての赤木政明や渡辺栄一とも気軽に会話することが出来た。皆、文学に傾倒している者らしく開放的で、爽やかな若者らしさに溢れていた。そんな同人誌『虹』の会合を2回ほど経験した6月半ば、私は赤木政明からの手紙を受け取った。彼は、こう手紙に書いて来た。

〈 播磨夕子様

 拝啓

 紫陽花の花が、雨に濡れる季節、突然、手紙を差し上げる不躾をお許しください。先日の同人会の帰りの『裏窓』での飲み会の時、貴女が詩人、立原道造の話をしてくれたので、私は『立原道造詩集』を購入し、彼の作品を読みました。そして短い青春を過ごし、24歳で亡くなった不運の詩人の詳細を知ることが出来ました。とても参考になりました。お陰で詩の世界を知らず、小説を書いて来た自分の未熟さ痛感しました。これからは、詩人の作品を読んだりして、自分の内面を崇高なものに近づけたいと思っております。

 6月21日の日曜日、午後1時半、新宿駅東口の交番前で待っています。詩の世界について、意見交換したいと思っております。沢山、語り合いたいのです。期待してます。

               敬具 〉

 一方的なデートの誘いだった。私の都合など、お構いなしに日時と場所を指定して来たので呆れ返った。なんて強引な人なのでしょうか。私は悩んだ。『W大学』文学部の彼が、何を考えているのか読めなかった。でも文学を語る時の誠実そうな彼の瞳の輝きが印象的だったので、手紙をもらっても不愉快ではなかった。手紙を受け取った私の心は動揺したが、時間と共に、その動揺が期待に変わった。そして、勇気を出して、赤木政明の誘いに乗る決心をした。


         〇

 6月21日の日曜日、私は早めの昼食を済ませ、新宿駅東口の交番前に行った。丁度、1時半に行ったのに、赤木政明の姿は交番前になかった。私は、することもなく、前方に見える『二幸ショッピングセンター』に出入する人たちを眺めながら、時を過ごした。15分程してからだった。私は突然、後ろから肩を軽く叩かれた。

「ごめん。遅れてしまって済みません」

 赤木は目をうるませながら、低い声で、私に詫びた。私はちょっと怒った振りをして、彼に返事した。

「あらっ、その言い方。まるで私の方が貴方を誘ったような言い方ね」

「申し訳ありません。自分で誘っておきながら、遅刻するなんて。僕って男は馬鹿ですね・・」

 赤木政明は白い歯を見せて、きまり悪そうに笑い、深々と頭を下げた。そんな私たちを警察官が怪しんだ。それに気づき、警察官の視線を避けるように赤木が私に言った。

「ここから『らんぶる』は遠いから、道向こうの喫茶店に行きましょう」

「はい」

 私たちは靖国通りを越え、西武新宿線の新宿駅前に移動し、『西武』という喫茶店に入った。そこの片隅の席に座り、コーヒーを註文し、見詰め合った。私より赤木の方が緊張している風だったが、運ばれて来たコーヒーを1口飲み、文学の話を始めると、お互い息苦しさは無くなった。彼は急にお喋りになり、トルストイやドストエフスキーの話を始めた。トルストイの『戦争と平和』や『アンナ・カレーニナ』について、ドストエフスキーの『罪と罰』について、熱弁した。私は話について行けなかった。

「私、外国の小説、余り読んでいないから、理解するのが難しいわ」

「うん。長い小説だからね。機会があったら、本を借りて上げるようか」

「私、それより、詩人に興味があるの」

 すると彼は中原中也の話をしてくれた。『在りし日の歌』や『羊の歌』などの解説をしてくれると共に、彼が29歳の若さで夭折されたことを語ってくれた。私は私の知っている事柄でも、彼の口から出て来ると、妖術をかけられたように、その話に引き込まれた。彼は魔術師のような語り口によって、人を感動させ、酩酊させる不思議な牽引力を持っていた。私は全く時間の経過を忘れさせられた。何と不思議な人でしょう。赤木政明。彼はこの日から私の憧れの人になった。何時の間にか夕方の5時になっていた。彼は慌てて言った。

「あれれ、もうこんな時間になってしまった。僕、これから家庭教師のアルバイトがあるので、失礼するよ」

 私は、呆れ返った。これから一緒に食事しに行かないかと、『裏窓』あたりに誘われるのではないかと、想像していたのに、想像は外れた。でも彼と過ごした3時間は、とても楽しかった。コーヒー代は彼が支払ってくれた。彼と2人で外に出ると、周辺は昼間以上に人で溢れていた。彼は西武新宿線で、帰ると言うので、西武新宿線の新宿駅前で、彼と別れた。別れ際、私は彼に礼を言った。

「誘っていただき有難う御座いました。とても勉強になりました」

「それは良かった。これからも会っていただけますか?」

「はい。喜んで」

「では来週の日曜日、また同じ時間に・・」

「はい」

 私はまた来週、同じ時刻に赤木政明と新宿で会う約束をして別れた。この日から、私の人生の並木道は自分の目標と少し、変化し始めた。


         〇

 次の日曜日、また西武新宿線新宿駅近くの喫茶店『西武』で赤木政明とデートした。この日、彼は宮沢賢治、大手拓次、北原白秋の作品について、私と詩評を楽しんだ。私は中学生時代から、島崎藤村などの詩集を愛読していたので、彼との話が面白くて仕方なかった。評論で意見が一致すると胸がワクワクした。そこで彼は、私に、大学生だけの同人誌を刊行しないかと、持ち掛けて来た。私は会社勤めしながら、大学に通い、かつまた同人誌『虹』の会員になっているので、その忙しさを思うと、彼の提案に即座に同意することが出来なかった。ためらう私に彼は言った。

「僕はドストエフスキーの『罪と罰』に出て来る貧しい大学生、ラスコーリニコフのようにノイローゼにならないうちに、昼間、チャラチャラ遊び回っている大学生たちと違い、夜間の大学に通っている大学生仲間と可能な限り人生を語り合いたいんだ。そんな僕の前に貴女は現れた。貴女は、まるで純粋な愛に生きる聖少女、ソーニァだ。僕はそんな貴女や松宮君、渡辺君、山田君たちと僕たちの世界を追求してみたいんだ」

 彼は情熱的だった。同人誌発刊を真剣目に私に提案する彼の私への信頼の気持ちが嬉しかった。私は、その日のデートが終わってから、彼の希望に協力したい一心で、同人募集に、東奔西走した。言うまでもなく同じ大学に通う、山田昭彦や松宮健二を同人に引っ張り込んだ。結果、昔の友達や友達の友達が同人になってくれた。第1回の会合は7月12日、日曜日、竹内晴美がアルバイトをしている飯田橋の喫茶店『あすなろ』に12名が集まって、スタートした。同人誌名を何にするか、沢山の意見が出たが、これだという適切な同人誌名が浮かばなかった。そこで発起人の赤木政明が同人誌名を決める事を一任された。すると彼は同人誌名を喫茶店と同じ、『あすなろ』に決めたいと、皆に伝えた。

「もし、ここにいる竹内さんのお母さんが、同意して下さるなら、僕は同人誌名を、ここの店と同じ、『あすなろ』にしたいです。飯田橋は勿論のこと、この近くの御茶ノ水、水道橋、市ヶ谷、四谷には、大学が沢山あります。その大学生たちに、この店に来てもらい、僕たちの同人誌を読んでもらいたいのです。どうでしょうか?」

 すると竹内晴美の母、瑞江は、娘の顔を見て、答えた。

「良いわよ」

 かくして、私たち大学生の同人誌名は『あすなろ』に決った。発行回数、入会金、同人会費、同人主宰、編集委員、会計委員なども決めた。当然のことですが、発起人の赤木政明が主宰の役を務めることになった。編集委員には渡辺英二と栗山良平、竹内晴美、水木道子が選ばれた。私は面倒な会計委員に選出された。大変な事だが引き受けた。その会合が終わってから、私たち役員は多忙な日々を迎えることとなった。同人から作品を集めると共に、表紙を考えたり、作品の配列を相談したり、後記をまとめたりした。同人誌を発行するには、予想もしていない沢山の仕事があった。しかし、赤木政明は私たちをリードし、疲れなど見せなかった。私たちは同人誌の発行に情熱を燃やした。


         〇

 私の日常生活は、大きく変化した。毎週日曜日、私が外出するので、母、和子が心配した。7年前、父が亡くなってから、日曜日、滅多に外出しなかった私が、急に外出するようになったので、母が私に質問した。

「あなた、随分、変わったわね。同人誌の会員になって、そんなにやることがあるの?」

「あるの。沢山あるのよ」

「あなた、もしかして、好きな同人誌仲間が出来たんじゃあないの?」

「まあね。皆、文学に夢中だから」

 そう答えると母は私を睨みつけて,、訊いた。

「その中で、素敵な人いるの?」

「ええ、いるわよ。『W大学』の赤木さん。とても優秀な人なの。文学にとても詳しくて、私たちの知らないことを詳しく教えてくれるの」

 私が、そう話すと、母は渋い顔をして、言った。

「まあっ、『W大学』の学生さんなの。でも余り良くない苗字ね」

「なんでよ」

「あなた、赤木圭一郎という映画俳優、知ってるでしょう。日活の撮影所内で猛スピードでゴーカートを走らせ、倉庫の扉に激突して死んだハンサムボーイのこと」

「ああ、そういうこと。不吉な事、言わないでよ。私に親切にしてくれている人なんだから」

「まあ、そうなの。それは良かったわね」

 母は、そう言って笑った。母は私の気持ちを察してくれたのでしょうか、急に機嫌が良くなった。私は嬉しくなって、彼の事をもっと話そうとしたが、早計だと思い、話すのを止めにした。


         〇

 同人誌『あすなろ』1号の原稿締切りは7月末までだったが、文学好きの仲間たちは、その前に自分の作品を『あすなろ』の事務局に提出してくれた。世の中はアメリカの有人宇宙船『アポロ11号』が人類初の月面着陸に成功したことで、大騒ぎになっていたが、私たちは、それどころでは無かった。私は竹内晴美たち編集委員や赤木政明と一緒になって、寄せられた原稿をチェックし、同人誌の目次を決定し、『土佐印刷』にゲラ刷りを依頼した。その後、出来上がったゲラ刷りの校正を済ませ、製本の発注をした。『土佐印刷』は学生たちの為だと言って、特別価格で大至急、同人誌を仕上げてくれた。同人誌『虹』のデザインも素晴らしかったが、『T芸術大学』に通う白石和正が担当してくれた『あすなろ』のデザインは抜群だった。9月初め、その同人誌『あすなろ』1号を手にして、私たち『あすなろ』の仲間は歓喜した。真新しい同人誌のインキの匂いは、何とも言えない気分を与えてくれた。自分の作品が活字になったのを目にすると、それが、まるで別人の作品のように異なった生命を帯びて見える不思議を感じた。9月14日、日曜日、私は『あすなろ』1号の合評会に出席した。作品は小説、詩、エッセイに分かれていて、まず栗山良平の小説『光の窓』と山田昭彦の『上野公園』と水木道子の詩『深海魚』と私の作品『あの船は』、松宮健二のエッセイ『逃げ出せない苦悩』の批評となった。赤木政明を中心に各作品の批評がなされた。私の作品は作者の外国への願望が生き生きと表現されていて、詩人として受け入れられる要素を持っていると、まずまずの評価をいただいた。翌週の21日の日曜日には、赤木政明の小説『ビーチパラソル』と渡辺英二の『ラブソング』、竹内晴美の詩『涙にさよなら』、白石和正のエッセイ『放蕩息子』の批評が行われた。赤木政明の作品『ビーチパラソル』について、松宮健二は誠実な青年が夏休みに海水浴に出かけ、明るい太陽の下で、何の為に、自分はこの世に存在するのか自己追究している作品で、作者が自己内面を深く掘り下げていく筆力は、見事だと批評した。それを聞いて、私は、赤木政明と同人誌『あすなろ』を立上げて良かったと思った。赤木の作品『ビーチパラソル』は好評を博した。特に『あすなろ』を読んだ私の弟、敏夫は、赤木の作品をべた褒めしてくれた。母、和子も、娘が付き合っている『W大学』の学生の作品を読み、上手に書けていると褒め称えた。小説を執筆する力があるということは、天才的特別能力が必要なのだと、母や弟は考えているみたいだった。従って母と弟は、彼の事をとても尊敬した。同人誌『あすなろ』は好評で、三百部発行して、全部売れた。1冊の価格が五百円だったが、表紙が良かったのでしょう。見知らぬ学生が手にしているのを時々、目にすると嬉しかった。白石和正の表紙絵が、とても幻想的だったからに違いない。


         〇

 私の母、和子は私の同人誌仲間、赤木政明が、どんな男性なのか確かめたかったらしい。私に彼を家に招待するよう言った。そのことを赤木に伝えると、彼は私の家に訪問する理由が無いと、私の誘いを拒否した。それでもと、お願いすると、彼はやっと了解してくれた。9月末の土曜日の午後、私は赤木と経堂駅近くの喫茶店『ササール』で待ち合わせした。私はサンダル履きで『ササール』に行き、彼と前打ち合わせをして、私の家に彼を案内した。なだらかな坂道の途中にある私の家に到着すると、庭で金木犀の花が、その芳香を周囲に放って、彼を歓迎した。

「ここが私のお家よ」

 私が、そう言うと彼が羨ましそうに言った。

「随分、素敵な家に住んでいるんだね」

 アルミサッシの扉を開け、庭に足を踏み入れると、母が玄関に出て、待っていた。私たち2人の並んだ姿を見るや、母は、赤木に挨拶した。

「いらっしゃいませ」

 今日の母は和服姿で、普段よりも若やいで見えた。母の優しいい言葉を受けて、赤木は一瞬、立ち止まり、深くお辞儀をした。

「初めまして。赤木政明です。夕子さんに、何時もお世話になっております」

「こちらこそ、夕子が、お世話になっております。どうぞ、中へ中へ・・」

 母は玄関の上がり框にスリッパを並べると、まるで自分の恋人を招待するかのように、ウキウキして、彼を応接室に案内した。私は馬鹿みたいに、その後について行った。我が家の応接室に通された赤木は、借りて来た猫みたいに、母に指定された椅子に座り、買って来た『文明堂』のカステラを横に置き、黙りこくっていた。しばらくすると母が、笑みを浮かべお茶を運んで来て、テーブルの上に茶飲み茶碗と御菓子を並べた。赤木が黙って、母の仕草を見ているので、私は赤木が持って来た土産袋を取り上げて、母に言った。

「お母さん。これ、赤木さんから、お土産ですって。カステラよ」

「まあっ、夕子ったら、何て、お行儀の悪いの」

「何で?」

「そうでしょう。人様の物を勝手に扱うなんて」

「それは、そうよね。赤木さんから渡して」

 私は母に注意され、慌てて、赤木にお土産を渡した。すると赤木はその土産品を両手で持って、母に差し出した。

「お口に合うかどうか分かりませんが、これを・・」

「赤木さん。こんな気遣いは要りませんのよ。この次は手ぶらでいらっしゃってね。折角ですので、有難く頂戴致しますわ。ゆっくりしていって下さいね」

「は、はい」

 赤木は、そう答えて、母が応接室から消えると、椅子から立ち上がって、窓辺に行き、我が家の庭を眺めた。我が家の庭は夏が過ぎ、ホトトギスの紫の花が咲き、柿の実が目立ち始めていた。小池で金魚が四五匹、泳いでいるのも見えた。その庭を一眺めしてから、赤木は席に戻り、椅子に座ると私に質問した。

「あの油絵の人は誰?」

 彼が質問したのは部屋の壁に飾ってある父の肖像画だった。

「私の父のプロファイルです。父は私が高校2年生の時に亡くなりました。交通事故で亡くなったのです」

「そうですか」

 私は父の肖像画を見上げながら、彼に父の話をした。父が品川にある電機会社に勤務していて、技術部の課長だった為、仕事が忙しく、毎日の帰りが、夜9時過ぎだったと説明した。それから暮れの28日の仕事納めの日、突然、警察から電話があり、父が泥酔い運転で、ガードレールに衝突し、病院運ばれた時のことを語った。茫然とする母をタクシーに乗せ、警察署から連絡のあった、救急病院に駆け付けた時、父はまだ意識があったが、危篤状態だった。そして翌朝、そのまま、あの世に逝ってしまった。

「私も母も、父にすがって泣きました。しかし弟は涙一つ見せませんでした。男らしく、歯を食いしばって、じっと我慢してました。父を失ってからの我が家の生計は苦しくなり、厳しさが増しました。母は外に出て働くことになり、私もアルバイトをしました。弟も新聞配達しました。しかし、高校生と中学生のいる母子家庭では、母の稼ぎなど砂漠に水を注ぐようなもので、直ぐに何処かへ消えてしまう有様でした。父の命の代償の生命保険金も、退職金も、みるみるうちに減少する一方で、私たち家族の前途は真っ暗闇でした。でも命が続くのですから、頑張るしかありません」

「君も随分、苦労して来たんだね」

「そうよ。貴方の想像するような世田谷のお嬢さんでは無いのよ。私はそんな訳で、大学進学を諦め、高校卒業するや、印刷会社に就職しました。弟がこれから大学に入るのに、お金が沢山かかるので、私は夢中になって働きました。残業も沢山しました。しかし、私は教師になりたいという夢を捨てきれず、夜間大学に入り、教職の勉強をすることになりました。私が夜間大学に合格したことを知ると、会社の人事部は私を印刷現場から、受付に異動させてくれました。私は残業せずに、大学の講義を受けられるようになりました。収入は若干、減ったけど、大学に通い、赤木さんたちと知り合うことが出来ました」

 私は父の話から何時の間にか、自分の身の上話をしていた。赤木は、それを黙って聞いてくれた。私は自分の事を喋り終えると、赤木に言った。

「私の身の上話をしたので、貴方の身の上話を聞きたいわ」

「僕の身の上話。それは普通のつまらない身の上話だよ。話す程でもないよ」

「でも聞かせて欲しいわ」

 すると赤木はとても渋い顔をした。

「今日は、君のお母さんへの顔見せと、同人誌『あすなろ』1号の反省と2号についてどうするかの打合わせに来ているのだ。僕の身の上話をしているような時間はないよ」

 そう言われれば、その通りだ。私は不機嫌そうな顔になった赤木の機嫌を直す為、『あすなろ』1号で誤植や抜け字があったことなど問題点があったことを話し、相互理解した。また『あすなろ』2号には俳句も掲載しようなどとも語り合った。そんな所へ予備校の授業を終えた弟、敏夫が帰って来て、赤木と私に塾の講師の悪口を言って笑わせた。そして、何時の間にか夕刻になって、赤木が帰る仕度をした。すると母が、私と赤木の顔を見て言った。

「夕ご飯を食べてから、帰ってもらったらどうなの?」

「そうね。そうして」

「は、はい」

 私は彼の為に、カレーライスを作ることにした。母は違う料理を作ろうと考えていたようだが、私の意見に従った。母は野菜サラダやデザートの準備をした。その間、赤木は応接室で弟と男同士の話をして過ごした。食事の準備が出来ると4人で、食堂のテーブルに座り、夕食を共にした。食事をしながら、母が中心になり雑談した。弟の受験のことの相談もした。母は彼の事を気に入ってくれたようだった。夕食を終えて、私が彼を駅まで送って家に帰ると、母が私に言った。

「良い人じゃあない」

 母が赤木政明のことを良い人じゃあないと言ってくれたので、私は嬉しかった。


        〇

 同人誌仲間の赤木政明が『W大学』第二文学部のクラス委員をしていることを知ったのは、それから数日後でした。竹内晴美のいる喫茶店『あすなろ』に行って、『あすなろ』2号の発行について、相談する日だった。私が『あすなろ』に行くと、そこに赤木政明の姿は無かった。『H大学』の栗山良平や『C大学』の渡辺英二、『W大学』の杉下栄がいたので、主宰の赤木が何故、不在なのか問うと、杉下栄が、集まっている仲間に言った。

「赤木は今日、明日、クラス委員の仕事があるので、欠席させてもらうと俺に伝言を頼んだ。栗山さんに議長になってもらい、『あすなろ』2号の計画を進めて欲しいって」

「ええっ。赤木君。来られないの」

「うん。兎に角、大学の自治会の仕事は複雑で大変らしいだ。クラス委員が主体となって、大学生活の向上や学問の自由について、改革していかねばならないらしんだ」

 私はこの時になって初めて、赤木政明がクラス委員で、自治会活動に熱心であると知った。杉下栄は更に付け加えた。

「赤木は今、大学立法粉砕を名目に、無期バリストに突入している執行部に反対し、彼、独特の思想を基盤にして、クラスの者、数名と授業再開活動を展開している。クラス討論会、学生大会、ビラ配りと大変なんだ。学問に傾注したい彼は学園の正常化を目指し、奮闘している。今、『あすなろ』2号の話をしても、耳を傾けてくれない」

「何でよ。彼が立ち上げた同人誌じゃあないの」

 竹内晴美や水木道子、小林君代たち女性陣が、不満を漏らした。杉下は申し訳なさそうに、赤木を弁護する言い訳をした。

「赤木は大学は学問をするところだと思っている。その学問をする為の学園の正常化に、彼は最大限の力を注いでいる。だから彼に『あすなろ』2号の事を要請しても、それは彼を苦しめるだけだ。だから我々は彼におんぶしないで、2号の話を進めようよ」

「そういうこと」

「仕方ないわね」

 女性陣は納得した。残念ですが、私も杉下栄の意見に従わざるを得なかった。そんな同人会を終えてから、私は杉下栄に連れられ、水木道子たちと『W大学』に行った。赤木は大学の正常化を目指し、無展望なバリストをする学生たちに訴えている最中だった。

「皆さん。皆さんにとって、大学とは何ですか。大学生とは何ですか。私たち大学生の本分は大学で教えを賜り、真理を探究し、専門知識を習得し、社会に貢献する能力を身に付けることだと思います。ただ単に授業料を支払って、学園生活を過ごし、卒業証書をもらえれば、それで良いと考えている人がいるとしたら、私は間違いだと思います。大学は、そんな所ではありません。大学は個人の自由と尊厳に根差ざす、豊かな教養と生きた知性を身に付け、自主独立の執権ある人物を育成する所です。知識、教養、技術を修得する所です。大学の自治会のメンバーの中には、大学の本旨が何であるかを忘れ、無期バリストを実行しようとしている人たちがいます。しかし我々は、その考えに断固反対せねばなりません。無期バリストを敢行して、学園を閉鎖させて、何の得があるというのでしょう。高い授業料に反対するのは良いですが、その高い授業料を納めていながら、大切な学業を放棄するなどということは、あってはなりません。それは、授業料を捻出してくれている家族や支援者や大学の存在を軽視する行為です。そればかりか、大学生としての己自身の矜持を放擲するに等しい態度です。大学生は学業第一であるべきです。我々、大学生の中には家庭教師をしたり、新聞配達したり、アルバイトをしながら、大学に通っている仲間が沢山います。我々は苦しい生活の中から、大学で学ぶ為の高い授業料を捻出しているのです。そのお陰で、大学の授業に出席し、沢山の事を学べるのです。その学びの時こそが、我々にとって最上の喜びなのです。大学に高い授業料を納めて、より高度な知識を得ようとする我々から、バリストを続け、授業時間を奪い取る学生たちの行動はまさに犯罪です。我々は学園の正常化を目指し、お互い協力し合うべきです。そんなことから無期バリストに私は断固反対します。皆さんも反対しましょう。皆さんのご協力をお願いします」

 私は彼の学生たちへの呼びかけを聞いて涙が出そうになった。彼の正義感は多くの学生たちの心を揺り動かしていた。しかし、『東京大学』を中心とする全共闘の力は強く、その勢いは私たち『M大学』にも波及し、益々、その勢力圏範囲を広めていた。


         〇

 その数日後、赤木政明から私の勤務先に電話がかかって来た。私は何事かとびっくりした。すると彼は私が『W大学』に訪問したことを杉下栄から聞き、次の日曜日、会いたいと言って来た。私は、日曜日、新宿の喫茶店『西武』に行った。コーヒーを飲みながら同人誌『あすなろ』の状況について、彼に話した。それから、何故、学生運動の混乱を鎮めようとしているのか訊いた。すると彼は身の上話を始めた。

「僕は君より、年上だ。苦労して大学に入学し、勉強したいのに、今の状況では勉強が出来ない。立派な教授たちの講義を聞くことが出来ない。僕は一日も早く先生たちの講義を再開して欲しいんだ。こんな状態では、単位を取得することが出来ず、留年することになってしまう。それでは困る。だから正常な授業復帰が出来るよう、バリストに反対しているんだ」

「赤木さんは、私より一つ年上なのね。一浪されたの?」

「いや。1年目は受験しませんでした。一浪と同じです。高校の先生は、僕の大学進学を勧めました。僕も大学に進学したいと思っていました。しかし、僕の家は貧乏で、僕の大学の受験料や、入学資金、授業料など支払えるような蓄えはありませんでした。そんなだから、僕の両親は、高校を卒業したら、直ぐに会社勤めをして、お金を貯めるよう要請しました。妹や弟の面倒をみる事を強く期待されました。これが両親の僕への願いでした。僕は一時も早く大企業に就職し、高給をいただき、我が家を経済的欠乏から救うことを選択しました。僕は高校での成績が良かったので、有名機械メーカーに就職しました。入社1年生の給料ですが、大企業の給料なので、我が家も経済的に少し、楽になりました。しかし、向学心に燃える僕は、そんな生活に耐えられませんでした。コンベアに乗せられたような時間に追われる毎日。時計の中の歯車のような存在。肉体をすり減らす重労働。束の間の娯楽を労苦の吐け口とする日々の連続。僕はそんな毎日の繰り返しに嫌気を抱くようになりました」

「分かるわ。その気持ち」

「僕の人生はかくあって良いのか。このような状態で一生を終わって良いのか。自分の存在とは何か。僕は矢張り大学に進学し、大学の先生たちから、もっと高度な知識と技術を教えて貰い、社会に貢献する夢の仕事をしたいと願った。そして大学に進学すべきだと決断し、会社勤めをしながら受験勉強に励んだ。僕は独断で機械メーカーに辞表を提出し、家族を振り捨て、上京した。僕は練馬のアパートの1室を借りている高校時代の友人のところに転がり込み、居候を始めた。生活費は勿論のこと受験料や学費を稼ぐ為、僕はアルバイトをした。ペンキ屋の手伝い、トラックの助手、新聞配達、倉庫係、夜景、家庭教師などなど。どれもこれも経験しましたが、美味い仕事は無かった。それでもつましい生活を続けた甲斐あって、大学の受験料と入学金を準備することが出来た。問題の『W大学』への入学試験も無事合格出来た。だが授業料や生活費を稼がなければならなかった。そこで僕は夜間部に入学しました。兎に角、授業料を払わなければならず、荷物配達などして、生活費や学費を稼ぎました」

 赤木政明の学園正常化の話は、何時の間にか、彼の身の上話になっていた。彼は少し興奮気味に個人的話を続けた。

「夜の学業は昼間働いた疲労との闘いです。僕は昼間、大学に通い、勉強出来る連中を羨ましく思っています。僕の高校時代は、沢山の書物を読むことが出来たのに、一日に短時間しか書物を読むことの出来ない今の現実は、とても辛いです。しかし、夜間部に入学し、そういう境涯にいるのは僕だけで無いことを知りました。僕以上に苦しい条件で学んでいる苦学生もいます。なのに彼ら学生たちは、夕方に登校して来ると、不思議にも、目をキラキラ輝かせ、向学心に燃え、楽しさいっぱいの顔をしているのです。でも、それは学問を楽しんでいる一時的な楽しさでしかありません。誰もが寂しさに耐え、懸命に頑張っているのです。僕らは貧しさ、苦しさ、辛さを一切、表面化せず、口にもしません。ただ学ぶ喜びだけを語り合います。この喜びに満ちた大学は昼間以上に明るい学園としての雰囲気に溢れています。僕は、そんな夜間大学の雰囲気が好きです。君には分からないだろうな、こんな貧乏学生の気持ちは・・」

「そんなこと無いわよ。充分、理解出来るわ。私だって、昼間、印刷会社に勤め、夕方から大学に出かけて教員になる勉強をしている夜間大学生なんですから・・」

 私は、そう答えて、彼への同情を示しました。すると、彼は、こう言った。

「同情してくれてありがとう。しかし、同情というものは、あくまでも同一感情に沈潜しようとする君の思いであって、僕の感情と一体になることは出来ない。君には現在の僕の苦悩を理解することは出来ない」

 私は赤木の顔を凝視した。何と冷たい事を言う人なのだろうと呆気に取られていると、彼は私の目を見つめ返した。そして吊り上がった目をに、薄っすら涙を光らせた。そんなに今の生活が辛いのか。私は彼の事を愛おしく思った。


         〇

 10月15日の水曜日の夕方、私は大学の授業が休講になったので、飯田橋の喫茶店『あすなろ』に行った。相変わらず、文学好きの仲間が、竹内晴美たちと、文学や政治について語り合っていた。私の訪問に気づくと、杉下栄が、立ち上がり、私に手招きして、片隅の席に座るよう指示した。何事かと思って席に座ると、杉下が小さな声で言った。

「実は赤木のことなんだが・・」

「赤木さんが、どうかしたの?」

「彼、悩んでいるんだ」

「何を悩んでいるの。学生運動の事?」

 私が確認すると、杉下はちょっと近くに誰かいないか振り返って確かめてから、私に答えた。

「実は、貴女のお母さんから、手紙を頂戴して、赤木、悩んでいるのだ。返事を出すべきかどうか、迷ってる」

 それを聞いて、私はびっくりした。何で母が赤木に手紙なんかを。母は赤木のことを気に入ったに違いない。しかし、手紙を出すなんて。母親とは恐ろしいものだ。娘の個人的なことにまで介入して来る母に怒りを覚えた。私は心を落ち着かせ、杉下に対応した。

「親馬鹿だわ。娘の事に首を突っ込んで。赤木さんも赤木さんよ。そんなこと、杉下さんに相談することでは無いでしょう」

「そうだよなあ。もしかして、あいつ、俺が貴方に気があるとでも思っているのかなあ」

 杉下は、少し恥ずかしそうに言って頭を掻いた。母の手紙のことを知った私は、母が私に黙って赤木に出した秘密の手紙を読んでみたくなった。私は即刻、赤木政明を新宿の喫茶店『西武』に呼び出し、その手紙を見せてもらう事にした。彼は拒否したが、私は許さなかった。喫茶店『西武』で合流し、コーヒーを一口飲んでから、私は赤木に言った。

「手紙、持って来た?」

「うん。持って来たけど、この手紙は僕と君のお母さんの間だけの物であって、君に関係ない手紙だ。従って君に求められても、見せられない」

 そう拒否されると、私は余計に見たくなった。

「見せてよ」

「駄目だ」

「じゃ良いわ。直接、母に何を書いたか聞いてみるわ」

 そう言うと、赤木は慌てた。私と母が大喧嘩になることは誰でも分かることだった。それを想像したのだろう、彼は泣きそうな顔になって言い訳をした。

「それはまずいよ。お母さんから手紙をいただいた事は、君に秘密にしておくことになっているんだ。杉下の奴、余分な事を君に言いやがって。仕方ない。君に見せるよ。しかし、このことは、君のお母さんには、絶対、秘密だよ。このことが、君のお母さんに知れれば、僕への信用は台無しになるからね。杉下の奴、馬鹿だよなあ」

 赤木はブツブツ言って母の手紙を内ポケットから取り出して、私に見せた。そこにはこう書かれていた。

〈 赤木政明様

  爽やかな秋晴れの続く今日この頃です。

 お元気ですか。

 娘と一緒に立ち上げた同人誌『あすなろ』創刊号、拝読させていただきました。

貴女の作品『ビーチパラソル』素敵でした。青い海、白い帆影、ロマンチックな作品でしたわ。ヨットに乗った経験のない私にも、何処となく潮の香りがして来て、都会生活をしている、私のような年寄りの心を、爽快にしてくれました。青春って素晴らしいわね。特にあの女性がヨットの上に残して行った赤いビーチウエアがとっても印象的に描かれていたわ。石原慎太郎を思わせる現代的な表現方法で、私、感心しました。息子の敏夫も立派な作品だと称賛しています。

 夕子の詩は、まだまだというところね。私にも分かります。

 私たちの若い頃と比較すると、現代に生きる貴方たちは、とっても幸せですわね。私たちの青春時代は戦争でした。私たちは毎日、敵をやっける方法を考えていました。兵器工場で働いたり、モンペを穿いて竹槍で敵を突く訓練をしました。校庭でサツマイモを育て、千人針も縫いました。主人は技術屋だったので、戦地には行きませんでしたが、兵器の設計に懸命でした。誰も彼もが敵を殺傷する為に生きている暗い毎日でした。私たち夫婦は敗戦直後の廃墟の東京で結婚しました。結婚当初、主人は私に言いました。

「この惨敗国の日本に、これから生まれて来る子供たちは、不幸になることが目に見えていて可哀想だ。だから俺たちに子供は要らない」

 でも私は、その考えに反対しました。私は子供が欲しかったのです。主人と私の子供が。私は主人の反対を押し切って、夕子と敏夫を産みました。主人は自分たちの子供を授かって、子供が宝であることに気づいたのです。私たち夫婦は2人の子供に恵まれ、2人の子供はスクスクと成長しました。貴方たちと青春を謳歌している子供たちを見ると、苦労して育ててきて良かったと、つくづく思います。

 今の夕子は、交通事故で父親を失い父親のいない娘です。父親に甘えん坊だった夕子は、男らしい貴方に甘えることがあるでしょうが、その時は厳しく叱って下さい。至らぬことの多い娘ですが、今後とも娘をよろしくお願い致します。また遊びにいらっしゃって下さい。この手紙の事は夕子には秘密にしておいて下さい。

 学業にアルバイトにと大変な毎日でしょうが、無理をせず、くれぐれもご自愛下さい。また素晴らしい作品が出来ますよう、陰ながら、お祈りしております。

               播磨和子

 母の手紙には何も秘密にすべきことなど、書かれて無かった。私は母の行為に嫉妬を感じていた自分に気づき、自分の愚かさを後悔した。私は手紙を読み終わり、母が赤木政明のことを、お気に入りであるのを知り、嬉しい気分になった。彼も私に母の手紙を見せて、安心したみたいだった。


         〇

 秋になって、どこの大学でも学園内闘争が手におえない程、激化した。自治会執行部はバリストの継続を強行した。赤木は、そのバリストの中止を、自治会執行部に呼びかけた。しかし、学費値上げから始まった反対闘争は執行部の連中に理解してもらえなかった。全共闘運動は、全国の大学に燃え広がっていて、抑えようが無かった。バリストに夢中になっている学生たちは、思想家に誘導され、大学そのものを経営する資本家や国家に抵抗する事の刺激を求めて活動するのが目的であり、暴力が快楽だったからだ。暴れ回ることの快感に酔った学生たちにとって、大学での学業など関係なかった。大学生でも無い若者を集めて来て、暴力を楽しんだ。博士号を持つ教授の貴重な講義を聞いたり、知識教養を身に付けることなど二の次だった。ただ国家や資本家を困らせる事だけが、バリスト集団の目的であり、大学生としての受講、大学の機能、存在価値など、お構いなしだった。そんな連中、バリスト学生たちは、赤木政明にとって、学生証を持ちながら、学生としての本分を持ち合わせない、受講を邪魔する幽霊学生たちだった。彼らは大学の授業をさぼって麻雀、競馬、ガールハントに明け暮れる学生たちより、大学の機能役割を阻害する質の悪い学生であり、学問の敵だった。赤木は、そんな悪質な連中が正義感を装い、自治会執行部を掌握していることを嘆いた。

「僕の主張は決して間違っていないと思う。だが、受け入れてもらえない。僕の思想は反動的ではない。資本主義と戦う意志なら、誰にも負けぬ程、持っている。しかし、僕の主張を理解してくれる学生は少ない。僕自身の理論構築が下手だからかもしれないが、でも分かって欲しい。僕は大学での講義を受けたいのだ。勉強をしたいのだ。だがバリストに反対する僕の情勢は余りにも不利だ。ノンセクト・クラス連合の結成を考えたが、反スト派の首魁とみなされ、暴行を受け、その計画は駄目になった。自治会執行部の連中は思想面から、僕の言うことを聞いてくれない。授業放棄をリクリエーションのように考えている昼間部自治会の連中と一緒になり、やみくもにバリストを強行しているが、このことは大きな間違いだ。学生の本分は、学問に生きることである。それは裕福な生活をしている昼間部の連中には、休講の毎日は楽しいのかもしれない。バリストに参加しない学生は、登校する必要もなく、気の合った連中で、登山に出掛けたり、麻雀したり、パチンコしたり、酒を飲んだり、やりたい放題遊んでいる。それで良いのだから困ったものだ」

 私は、黙って頷いた。赤木の言葉に共感している私を見て、彼は勇気を得たのか、更に喋り続けた。

「しかし、どうだろう。大学に進学させた息子や娘たちが、勉強もせずに、大学構内にバリケードを築き、暴力の日々を送っているのを知ったら。きっと彼や彼女らの両親や家族たちは驚き、激怒するであろう。勉強もせずにバリケード暮らしをしている子供たちに、汗水たらし働いた大切な資金を貢がねばならぬのか、考え直すであろう。昼間部の学生の中にも、アルバイトをしながら苦学している学生がいるに違いない。彼らは大学の授業が、一時も早く再開することを願っているであろう。僕は、そいう昼間の苦学生や夜間学生たちの為に、何としても、授業を再開させねばならないと、その使命を感じている。傍観者として、何もしないでいることが、一等かもしれないが、僕には、そういう逃避的なことは出来ない。真正面から執行部の連中とぶつかり合い、学園の正常化を実現させる。だが、その壁を乗り越えるのは厳しい。執行部の連中は妄信的で過激的でである。この間、杉下と山田が一緒にいるところを、彼らに殴られた。僕が駆け付けなかったら、2人は滅多打ちにされていたであろう。世の中は全く間違っている。大学生が大学での授業を希望することが、悪事とされている。授業を希望する学生が何故、暴力に合わなければならないのか。最近、僕は自分自身が武装せねばならぬと思っている。僕たち学園の正常化を希望する学生たちが集まり、集団武装し、バリストを続ける執行部の連中を学園から追放せねばならないと思っている。僕らが武装すれば、彼らは更に武装強化するかもしれない。しかし、その時はその時で良いではないか。徹底的に闘争するのだ。それが僕の思いだ。しかし、いざ実行となると、そんなことは出来ない。学園内で血を流すことになり、下手をしたら、講堂や校舎を焼失てさせてしまうかも知れない・・」

 赤木は、そう喋って愕然とした。慙愧に耐えられない表情だった。私はそこに学園の正常化を希望する赤木の焦燥を見た。自ら過激的になろうとして過激的になれない心情。それは赤木の良心かも知れない。私は彼の言葉を聞いて、ちょっぴり心配になった。こういう良心的で誠実な男こそ、いざやろうと思ったら徹底して過激的になるのではないかと。彼の話を聞いていると、同人誌『あすなろ』2号のことなど、今や全く他所事だった。私は学生運動に首を突っ込み始めた彼のことが心配でならなかった。彼と喫茶店で別れてからも、彼の事が気になって仕方なかった。


         〇

 10月21日、火曜日。国際反戦デー。この日、新左翼各派は各地で大規模な街頭闘争を展開した。東京のあちこちでで、左翼運動家が若者を集め、暴れ回った。新宿ではデモ隊と機動隊が衝突した。新宿以外でも、NHK放送センター、日本生産性本部、日本工業倶楽部、本所警察署などに学生らが乱入、火炎瓶を投げたりした。共産党によって地方の教員や学生たちが東京に集められ、活動した。9月に結成された共産主義者同盟『赤軍派』もこの時とばかり、闘いに参加した。そんな状況下、赤木は革マル系執行部に反対しつつも、独自の思想基盤を構築し始めていた。それは戦争のない世界平和の為の思想だった。赤木は私に、こんな手紙を書いて来た。

〈 播磨夕子様

 ご無沙汰しております。

僕は今、アパ-トの部屋から、秋の月を見ながら、ペンを執っております。

しばらくぶりですね。

君が怒っている事、杉下から訊いています。誠に申し訳なく思っております。杉下君や栗山君によく頼んでおきましたので、『あすなろ』2号は発刊出来ます。僕も作品を書きたいのですが、自治会執行部との間がうまく行かず、執筆の時間がありません。だからといって僕が創作活動を放棄した訳ではありません。小説は自分自身の姿見。作者にとって分身です。だから僕にとって創作は自分の分身です。手足のように自分の欲するものを把握し表現してくれます。僕の力の源泉です。

 僕は少年時代から書物が好きでした。書物は孤独な僕にとって、唯一の友でした。僕は書物の中に、如何に人間は生きるべきかを学びました。暗い情熱を秘めた貧しい大学生、ラスコーリニコフ。はきだめのような生活の中で、純粋な愛に生きる聖少女、ソーニア。僕はドフトエフスキーの世界に、人間の生きる事に関する回答を見出そうとしました。そして、彼らの世界こそ、人生だと思いました。前にも話したと思いますが、僕は文学の素晴らしさを知ったのです。自分もドフトエフスキーのような人の心を揺さぶる作品を書きたいと願いました。この頃より、僕は小説家になりたいと、夢見るようになったのです。

 その僕が何故、小説の創作を放棄するような事が出来ましょう。従って、『あすなろ』の事を忘れたり致しません。何時も、君と立ち上げた『あすなろ』のことを思っております。

 ただ、現在の自分には、自分自身が未熟故、新しいことを沢山、教えてくれる大学の正常化が大事なのです。各大学の経営者たちも、学園内を占拠している学生執行部によるバリストに頭を抱えているようですが、僕自身も同じです。一日も早く、学園が学びの場になるよう願っています。数人の有志と、セクト的に固執する執行部の連中を説得していますが、彼らは一向に授業再開を理解してくれません。むしろ僕らを敵視し、襲い掛かって来る有様です。彼らの思想は狂っています。彼らは狭い範囲でしか、物事が分からない、洗脳された連中です。愚かな破壊思想を持った集団です。最近、僕は、そういった連中を相手に説得を続けているのですが、分かってもらえず、うんざりします。しかし、何としても彼らに分かってもらわねばなりません。

 そんな中で、僕は日本を汚染しようとしている思想が、何処から流れ込んで来ているのか追求し、改変しなければならないと思っています。それは地球規模の改変です。

 この間、いやな夢を見ました。それは、この地球が死滅する悪夢です。平和に寄与する為に打上げられた人工衛星が、アメリカやソ連のミサイル誘導の為の戦略兵器であるという夢です。ある時、イギリスが打上げたロケットが、不運にも、それら地球周辺を回遊する原子炉衛星の一つに正面衝突し、大爆発を起こしたと言う悪夢です。一つの原子炉衛星の爆発は、他の軍事原子炉衛星の連続爆発を誘導し、世界各地に、死の灰が落下し、人類が滅びるという、嫌な夢です。しかし、世界で最初に原子爆弾の被害に遭った日本の医術は、日本人のみを救い、日本人が開発した宇宙船に日本人を乗せて、宇宙の彼方、希望の星、ピィアへ連れて行ってくれるという夢です。

 僕は、この夢を見て日本人だけが救われるということは、不公平だと思いました。人類、総ての人が救われるべきだと考えました。そして至ったのが、世界一統思想です。早晩、僕が見た悪夢のような不幸は地球を襲います。その時、アメリカ人だ、ロシア人だ、中国人だ、インド人だといって人類が争って、自分たちだけが、幸運を掴もうとする不幸などあってはなりません。人類は一つになるべきです。みんなの力で人類を愛し、守るべきです。世界は一つになるべきです。国連のような不公平な組織など廃止すべきです。人類の平和は世界の人たちが一つになった時に、初めて地球に訪れるのです。

 僕が大学の役目を大事に考えるのも、地球を救済する優秀な人材を1人でも多く育てねばならぬと思うからです。沢山、勉強し、宇宙の平和、人類の恒久を招来させることが、今、地球に生息している僕らの使命なのです。僕は現代の預言者になって、これから多くの人たちを説得します。学生たちに弁説し、世界平和の為の論文を発表します。否、そればかりではありません。地球上のあらゆる場所に行って、あらゆる人たちに、これからの人類のあるべき姿について語ります。

 君には分かってもらえないかも知れませんが、僕はこれから世界統一の為、全力を挙げて頑張ります。

『あすなろ』については杉下君たちと一緒になって、長く続けて下さい。僕の勝手な考えを許して下さい。

             赤木 政明  〉

 私は長い赤木の手紙を読み終え、自分がおかしいのか、赤木がおかしいのか頭が変になった。彼が別人になったような感じを受けた。ショックだった。彼が文学の世界から思想の世界へ移行し、自分から遠ざかって行くような気がした。不安がよぎり、私は返事を書いた。

〈 赤木政明様

 萩の花が咲き乱れ、木々の葉が紅葉する季節となりました。

お手紙、拝見しました。

『あすなろ』のことは、私たちにお任せ下さい。

自分の考えを信じ、自分の夢の為に行動して下さい。でも無理をしてはいけません。

 私たち若者に人気のある作家、三島由紀夫も、最近、創作活動を離れ、思想的行動に夢中になっております。若い時、兵隊検査に不合格になり、戦地体験が無かった為、戦争が終わって、人々が戦争を忘れかけた今になって、『祖国防衛論』を語り、祖国防衛隊を立ち上げました。『楯の会』と称する小隊を結成し、軍服姿で往来を行進したりして人気を集めています。軍人としての快感を味わっているようです。杉下さんの話によりますと、最近、それがとみに過激的になって来ているという事です。外人記者クラブの会場で、中曽根防衛庁長官に、あれを見ると、宝塚の少女歌劇を思い出すと言われて、三島は逆上したとのことです。彼は見栄っ張りで、中曽根長官の言葉に反発し、数人の会員を引き連れ、自ら自衛隊に入隊し、飛行訓練、落下傘訓練、銃撃訓練などに熱中しているとの話です。そして、俺は自らを鍛え、自衛隊を奪い、将軍となり、大日本帝国を再来させると、公言しているとか。

 私は心配です。

もしかして大人しい赤木さんも、三島由紀夫のように、突如、豹変するのではないでしょうね。忍耐が爆発した時、人は思わぬ力を発揮するものです。

貴方の事を思うと、私は矢張り、心配でなりません。一途に思い詰めたら、何をしでかすか分からない貴方には、そんなところがありますから。

 兎に角、無理をなさらずに、夢に向かってご精進下さい。

今度、お会い出来る日を楽しみにしております。

                 夕子より

 私は手紙を書き終え、今まで胸を締め付けていた不安から、少し解放された。その所為か急に赤木に会いたくなった。でも会うのを我慢した。時を待つのも悪くない。


         〇

 赤木に手紙を出してから、彼も私に会いたいのではないかと思った。今の私たちは今だけなのに、今度、お会い出来る日までなどと我慢している。このようなことが私には愚鈍に思えた。可能な限り、好きな人と多くの時間を過ごすのを我慢する事は間抜けだと感じた。そこで私は思い切って火曜日の夕方、東中野にある赤木のアパート『松原荘』に、ケーキを持って訪ねた。赤木は狭い四畳半の部屋で論文を書いていた。その論文には『世界同時革命論』という恐ろしいタイトルが付けられていた。彼は私を部屋に招き入れると、慌てて、机の上の原稿を机の引出しにしまった。でも机の横に置いている地球儀は、そこに置かれたままだった。彼は笑顔で私を迎えた。

「久しぶりだね。『あすなろ』の方は順調ですか?」

「はい。栗山さんが中心になり、杉下さんたちに良くしていただいて」

「それは良かった」

「あらぁ、赤木さんて中学生みたい。大学生になったのに、地球儀と睨めっこしてるなんて」

 私が、そう言ってからかうと、彼は真剣な目をして私に言った。

「播磨さん。その君の考えはおかしいよ。大学生だからこそ、中学生以上に地球儀と睨めっこすべきだと思うよ」

 言われてみれば、その通りだった。子供、大人含めての地理の試験でもあったら、私は中学生に負けてしまうかもしれません。赤木に指摘され私は深く反省した。そして彼に訊いた。

「赤木さんは、どこの国が好きですか?」

「うん。僕はロシアが好きです。あのドフトエフスキー、トルストイといった文豪を生み、皇帝を退位させ、最初の社会主義革命を成し遂げた大いなるロシア。僕はロシアに限りない憧れを抱いています」

「私は前にも、お話しましたが、ドイツが好きです。ゲーテ、ハイネ、シュトルムなどの詩を生み出した、ドイツの自然に憧れを抱いています。ドイツは美しい森と湖に恵まれています。そこには物語や詩や音楽が溢れています。詩人が生活するのに最適な国ではないかと思っています。出来たら、ライン河畔に行ってみたいわ・・」

 私は勝手な想像に夢を走らせ、ドイツに行ってみたいと思った。赤木はそんな私の嬉しそうに喋る顔を見て、言った。

「羨ましいな。文学に夢中になれて。ところが僕は、以前の僕と変わって来ている。僕の文学の思想は学生運動に頭を突っ込んでいるうちに、人類愛思想へと変化している。従って君は僕に近づかない方が良いよ」

「何で?」

「お母さんに黙って、僕のアパートに来るなんて、悪い事だよ。君にとって僕に接近することはプラスにならない。むしろマイナスだ。僕は最近、そう思うようになった」

「何故です」

「僕が恐ろしい思想の持主になったからです。世界一統を考えているなんていう事は、江戸時代末期の勤王の志士のようなものだからね。僕は、この恐ろしい僕の思想の為に、君の大事な青春を、無駄にさせてはならないと思っている。僕が君を僕の革命思想の世界に引きずり込んだら、君は苦しむだろう。生きて行けるかどうかも分からない」

「どうせ儚い命。赤木さんと一緒なら、死んだって、後悔しないわ」

 私は、そう答えて、思いもよらぬ自分の発した言葉に赤面した。

「お母さんが嘆かれるよ」

 赤木は、またもや母の事を口にした。でも私は私なんだから、私のしたいようにするの。私は思い切って告白した。

「母は母。私は私。私は貴方と同じ道を歩くことを選んだのだから、母のことなど気にしないわ」

「僕は反対だね。きっと後悔するだろうから。だから一緒に行けない。君と一緒に行きたくない」

 赤木は私の願望を拒否した。私がついて行こうと願ってるのに、冷たいことを言う人だと、私は彼を疑った。普通の男性なら、私の言葉に感激して強く抱きしめてくれるでしょうに、赤木は、それを示してくれなかった。赤木にとって私は魅力のない邪魔な女性みたいだった。彼は私に背を向けた。私は悲しくなった。赤木は狭い部屋の片隅の机に向かい、窓ガラスを通して部屋に入って来る街灯の灯りに目をやり、黙り込んでしまった。私の心は彼に愛されたい気持ちでいっぱいだった。私は訊いた。

「私が怖いの?」

 私は追求した。だが、返って来た赤木の言葉は厳しかった。

「僕は今、大事な論文を書いている途中なんだ。申し訳ないけど帰ってくれ。邪魔なんだ」

 彼は私を突っ撥ねた。私は立腹した。折角、来て上げたのに。私は仕方なく、涙を堪え、彼のアパートから逃げ出した。腹が立って腹が立って仕方なかった。近くにあった喫茶店『ルーブル』に入り、コーヒーを飲んで、気持ちを鎮めようとしたが、無理だった。彼と一緒に食べようと思って持参したケーキのことを思い出し、『ルーブル』のモンブランケーキを自棄食いした。それから反省した。悪いのは自分だ。突然、訪問した自分が悪いのだ。彼の所為ではない。彼の都合も考えず、予告もせずに訪問した自分が悪かったのだと・・・。


         〇

 『あすなろ』2号は栗山良平、渡辺英二、杉下栄、水木道子、竹内晴美たちの努力により、10月末に発行することが出来た。だが赤木政明が主宰である『あすなろ』2号なのに、彼の作品は無く、彼が2号に関与した痕跡は何処にも見当たらなかった。たった1か所、発行人のところに彼の名前が印刷されているだけだった。その『あすなろ』2号は11月2日の日曜日の同人会で配布された。配布が終わるや、栗山良平から、主宰、赤木政明の代行を杉山栄が依頼されているという説明があり、杉山栄中心に、月例会を始めることになった。同人たちは印刷の匂いがする『あすなろ』2号を手にして、互いの作品を批評し、文学青年らしい激論をぶっつけ合った。また白石和正の独特な挿絵が功を奏し、『あすなろ』2号の発行は成功した。私の『今日は何の日ですか』というタイトルの詩も掲載されていた。同人夫評価では前回の作品に比べて、出来栄えは良かったようです。松宮健二や竹内晴美たち同人が褒めてくれたし、喫茶店『あすなろ』に来て同人誌を見たお客も、良い詩だと言ってくれた。でも月例会に参加せず、私と会っていない赤木政明は、私の作品を読んだのか読んでいないのか、便りもくれないので寂しかった。赤木がが私に〈小説は自分自身の姿見。作者にとって分身だ〉と言っていた言葉は嘘だったのかと思った。『あすなろ』2号の執筆者たちの作品に対しての感想は無いのでしょうか。私は赤木に失望した。小説家を志していると言っていた赤木が何時の間にか、学生運動に参画し、政治家まがいのことをやっているのを知って、私は無性に腹立たしくなった。私がそんな気分でいる時に、手製爆弾やナイフなどを持った大学生や高校生、教員などが大菩薩峠で凶器準備集合罪で逮捕された。それは共産主義者同盟『赤軍派』による武装訓練計画が露見しての逮捕だった。『赤軍派』の連中は『11月戦争』と称して、首相官邸及び警視庁を襲撃して人質を取り、獄中の活動家を奪還するという計画を立てていた。その予備練習の為に、山梨の大菩薩峠に集まり、武装訓練を実施しようとしていたのだ。私は逮捕された学生の中に、赤木政明がいるのではないかと心配した。心配になって赤木と親しい杉下栄に確認すると、彼の運動とは関係ないと言われ、ホッとした。そんな事件があったから私の母も赤木のことを心配してか、こんな手紙を書いた。

〈 赤木政明様。

 拝啓

 散歩道で銀杏の葉が色づき、日毎、寒くなりゆく今日、この頃です。

お元気ですか?

私たち家族3人、皆、元気です。

先日、娘の机の上にあった、同人誌『あすなろ』2号を拝見しました。そこに掲載されている貴方の作品を読みたいと思っていたのですが、貴方の作品が見当たらず、愕然としました。

今回、何故、赤木さんの作品が無いのと夕子に訊いても、夕子は答えてくれません。お母さんには関係ないことでしょうと、不機嫌になるばかりです。夕子と喧嘩でもなさったのでしょうか?それとも何か別の問題があったのでしょうか?私は心配しております。でも夕子は、敏夫には、貴方の事を話しているようです。大学での休講が多いせいか、夕子は最近、早く帰って来ます。今回の夕子の作品『今日は何の日ですか』は、読んでいて、とても爽やかだったので、夕子を褒めてやりました。しかし夕子は、ちっとも嬉しい顔をしてくれません。赤木さんと何かあったの?と訊くと、夕子はとても怒りました。ヒステリックになって私に言いました。

「何も無いわよ。赤木さんは、一生懸命頑張っているわ。『あすなろ』の事や私の事など、お構いなしで、学生運動に夢中よ。無理して身体を壊せば良いのよ」

 そんなことを言う夕子を私は叱りました。すると心にもないことを言った夕子は、2階に駆け上がり、私たちに隠れて泣いているのです。

 赤木さん。夕子は貴方が、文学以外にいろんな活動をなさって、お身体を壊されるのではないかと、心配しております。夕子の気持ちを察し、無理な事は止めて下さい。また時々、私たちの家に遊びにいらっしゃって下さい。

 喧嘩してても、直ぐに仲直り出来ると思いますし、話し合えば、総てが丸く治まります。私には若い皆様のことは、何が何だか分かりませんけど、仲良くして下さい。

 まずは健康第一です。健康であってこそ、希望に向かって前進することが出来ます。兎に角、お身体をご自愛下さいますよう心よりお願い申し上げます。

                敬具

          播磨 和子

 しかし私の母からの手紙を受け取っても、彼は別段、気にせず、杉下栄にも私にも、その報告をせず、ただひたすら、学園の正常化と世界一統計画を追い求め続けた。母は赤木政明が『W大学』の学生というだけで、彼に御執心だった。私はそんな母の関与が煩わしくて、母と生活していることが嫌になった。


         〇

 11月中旬になると、『70年安保延長反対』を唱える日本社会党や共産党の活動が、自民党政権の考えに反発し、新左翼、学生運動家、各種労働組合員を駆り立て、反対運動を繰り広げた。その集団が沖縄の本土復帰を外交課題に考えている佐藤内閣に襲い掛かった。11月16日、全共闘、新左翼諸派や学生運動家たちは、先月の国際反戦デー闘争に続いて、佐藤首相の訪米を阻止しようと暴れまくった。ゲバルト棒や火炎瓶を持って武装した中核派、解放派を中心とした武闘派の連中が、羽田空港に押しかけ、警察官との大乱闘となった。だが、これに対応した機動隊や警官によって、闘争派は撃破され、反対運動は失敗に終わった。佐藤首相は予定通り、17日、アメリカに向かった。その事件が落ち着いてから数日後の土曜日、私が新宿のデパートへ行った帰り、喫茶店『西武』に入った。するとて、何と偶然にも、窓際の席で赤木がコーヒーを飲んでぼんやりしていた。私は彼に近寄り、言ってやった。

「彼女と待ち合わせ?」

 突然、私に声をかけられ、彼はびっくりして、赤くなった。

「ああ、播磨さん。久しぶり。女性とのデートだと良いんだが、書き上げた論文を読み直しているんだ」

「あっ、そう。『世界同時革命論』ね」

 彼は私の言葉に顔色を変えた。私はいけないことを言ってしまった後悔した。赤木の顔面が怖い程、蒼白になって行くのが分かった。それでも彼は直ぐに落着きを取り戻し、真剣な目で私に話した。

「えっ。何で知っているの」

「この前、アパートに行った時、書いていたでしょう」

「そこまで知っているなら、現在、執筆中の一部分の話をして上げるよ。僕の前に座って」

 私は久しぶりに赤木の前に座った。彼は私のコーヒーをウエイターに註文してから、話を始めた。

「僕は今、イスラエルの研究をしている。モーゼに率いられエジプトを出て、エルサレムに辿り着いた人たちは、パレスチナの地にユダヤ国を成立させたが、ローマに支配され、反乱を起こした。だが強力なローマの将軍にエルサレムを破壊され、彼らは世界中に離散した。主な逃げ先はロシア、ドイツなどで、19世紀後半になって、ロシアにいたユダヤ人がパレスチナに戻って来るようになった。更に1939年、ナチス・ドイツによるユダヤ人の大虐殺が起こり、1948年、国連総会に於いて、イスラエルの建国が承認された。そのことで、パレスチナの地に沢山のユダヤ人が戻って来て、パレスチナ系アラブ人との間での中東戦争が勃発した。その争いが停戦となったものの、イスラエルの存在するパレスチナでは現在も民族間闘争が続いている。僕はこのような民族争いがあってはならないと思っている。何とか止めさせたいと思う」

 彼はそう言って私の目を見詰めた。私は、そこで彼に同調した。

「そうよね。日本人にも差別があるけど、それは良くない事よね」

「その通りだ。イスラエルの人口は現在、六百万人。そのうちユダヤ人が三百万人。パレスチナ人が三百万人。どちらも同数だ。しかしユダヤ人がパレスチナの土地の八割の土地を占有し、イスラエル国家としている。パレスチナ人は残りの二割で良いから、そこに自分たちの国を作りたいと言っている。ところがアメリカをはじめ日本などの数か国が、〈そこがテロリストの聖域になる。またソ連の衛星国になる〉と言って、反対している。それは正解かもしれないし、不正解かもしれない。ヨルダン川西岸とガザ地区に一定期間、自治権を与え、自決権を行使させれば、パレスチナ人は立派な彼らの国を建設すると思う。イスラエル人は一時も早くパレスチナ人から奪った占領地から撤退し、パレスチナ人に正当な権利を与えるべきである。大きな声で言えないが、僕は現在、世界同時革命によって、世界制覇を考えている。キリスト教、ユダヤ教、イスラム教、仏教などの宗教を一つにし、世界一統を実現させるのだ。その発火点とすべき場所を僕はパレスチナにしたい。何故ならパレスチナこそ、確実に世界革命を起こすにふさわしい素因を含有しているからだ。パレスチナの他にも、世界には革命を起こせそうな所がある。いずれも民族人種問題、あるいは宗教問題で内紛が起きている国だ」

「日本はどうなの?」

「日本も、その一つと言えよう。沖縄返還に反対している連中がいる。また朝鮮半島も、北と南で争っている。僕は、これら紛争地帯に行って、人類の平等を訴え、誰もが救われるべきであることを説教し、世界一統を実現させるつもりだ。この前、言ったと思うが、時代はもう宇宙時代なのだ。宇宙には僕たちの知らないいろんな変化が起こっている。今や地球はアメリカやソ連のものだと言っている状況ではない。もっと大きな目で、地球そのもの、人類そのものを見詰めなければならない。心ある宇宙の星人たちは、僕ら地球人を眺めて、笑っているであろう。地球人は何と愚かなのだろう。地球を危険な原子炉で包んでどうするつもりだ。互いを滅亡させる為の核兵器を製造してどうするのだ。放射能を含んだ黒い雨が、人体にどんな不幸を招くのか分かっていないのか。広島や長崎で経験済みではないか。地球人は自分の足元に地雷を埋めているような生き方をしている。沢山、埋めているうちに、何処に埋めたか忘れてしまい、自分自身、粉々に吹っ飛んでしまうことを分からないでいる。人類はそんな愚かな未来を招かぬよう、一時も早く統一思想のもとに集結されなければならない。その為には常任理事国を置いた国連など無用だ」

「でも国連は大事よ」

「今の国連では駄目だ。第二次世界大戦の戦勝国が、何もかも決めている。そんな理不尽で不公平な国際機関などあってはならない。世界中の至る所で、同一思想を持った連中が、同時に革命を起こせば、世界一統は実現する。アメリカでもソ連でも中国でも、インドでも、他の如何なる国でも、これら革命軍に対し、原子爆弾を使用することは、よもやあるまい。何故なら、それは自国内にミサイルを撃ち込み、自国内を放射能で汚染することになるからである。どんな国でも内紛に核兵器を使用することはあり得ないと思う。自分の腹に弾丸を撃ち込むようなものだ。この世界同時革命が、成功するか否かは分からないが、やってみるべきでであろうと思う」

「そ、そんな」

 私は赤木の熱弁が他の人に聞かれるのではないかと、心配で心配で仕方なかった。赤木は続けた。

「もし、この世界同時革命を実行し、事が成功しなかったなら、人類は永遠に救われないだろう。そして人類は近い将来、地球と共に滅亡する運命となろう。世界一統。それは人類の恒久平和の為に、絶対、成功させなければならない重要なことなのだ。人類は今や一丸となって宇宙の彼方から見た地球を研究すべきではではなかろうか。地球の周囲から遠く離れて地球を見るべきだ。アンドロメダやベルギュウスやメトンについての充分な観察を行い、第二の地球を探すべきだ。愚鈍なのは地球人だけではない。他の星の生物が地球を狙ってやって来るかも知れない。宇宙戦争。それは地球人同士の戦争だけではない。地球人と宇宙星人との戦争だってあり得る。その宇宙戦争に勝利する為、人類は一つになり、宇宙開発を進めるべきである。その為には、どうしても、権威主義を排斥する世界同時革命が必要なのだ。僕の『世界同時革命論』は、今、述べたような骨子からなり、より細かく民族問題などを追記せねばならないでいる」

「まだ完結していないのですか?」

「うん。地球の各地で民族紛争が続いている。パレスチナの他、アフガニスタン、カシミール、キプロス、イランなどなど。それだけではない。日本国内にも在日朝鮮人や華僑、アイヌ、沖縄等の問題がある。これらをまとめ上げるには、革命を起こしてから、数年、かかるであろう」

「まあ、大変ね」

「僕は愚かな学生運動を見ているうちに恐ろしい思想の虜になってしまった。『世界同時革命論』をほぼまとめ上げた今、僕は自分が論じた自分の道を歩まねばならぬ。人類の恒久平和の為に・・」

 赤木は私に向かって、少年のような眼差しで、大袈裟な理論をぶちまけた。私は、それを笑って過ごすことが出来なかった。何となく、赤木のいうような世界変事が起こるのではないかと予感した。そして、赤木の思想が通用するのか、彼に付いて行ってみたいと思った。

「素晴らしい考えね。そんな夢のような世界を見る為に、私も付いて行きたいわ」

「それは駄目だ。君は詩を書いていれば良いのだ。君には文学少女姿が、一等、お似合いだ」

 赤木は私の革命への参加に反対した。私は赤木に拒否されたが、心の中で、彼に付いて行こうと決めていた。


         〇

 11月24日の日曜日、私たち『あすなろ』の仲間は合評会の後、『あすなろ』3号の打合せを行った。各人が持参した小説や詩、エッセイなどの新作が集められた。私は何時ものように詩を提出した。竹内晴美は学園小説を、水木道子は恋愛小説を提出した。私の高校時代の親友で、『あすなろ』の同人になった新井洋子は、散文を持参した。栗山良平は推理小説、杉下栄は時代物、渡辺英二は戯曲、松宮健二は青春小説、山田昭彦は山岳小説と、皆それぞれで多彩だった。中に長い作品があった。それは杉下が持参した赤木政明の作品『世界同時革命論』だった。私は、この作品を『あすなろ』に掲載することを好ましく無いと思った。そこで主宰代行の杉下栄に疑問を投げかけた。

「政治思想論文を『あすなろ』に掲載する事は、私たちのこれからの文学活動に支障が生じるのではないでしょうか。そう思いませんか?」

 すると杉下栄は、私を睨み付け、その良し悪しを皆に確認した。

「赤木君の論文をエッセイとして掲載しようと思うが、どうかな?」

 すると山田昭彦が賛成する意見を述べた。

「会員の自由投降が同人誌の本質だ。内容がどうであれ、個人が思い切り自分の思考を表現出来る媒体である同人誌が、『あすなろ』の良さなのだから、俺は、賛成だね」

「少しオーバーだな」

 松宮健二が、そう言って笑うと、他の仲間も笑って賛成した。杉下栄は何時も赤木政明の味方だった。私は杉下栄や山田昭彦の発言に同意した。こうして赤木の『世界同時革命論』は『あすなろ』3号に掲載されることになった。私は嬉しさの反面、不安が増した。赤木の『世界同時革命論」が発表されてから、どんな反応が起こるのかが心配だった。革命を夢見る多くの若者たちが集まって来る可能性が予想された。もしかすると警視庁から危険思想分子として、『あすなろ』が睨まれることになるのではないか。あるいは同人の中から、赤木の思想に反対する者が出て、同人誌『あすなろ』を解散せねばならぬことになるのではないか。私はいろんな事を危惧した。そうこうしているうちに激化する学園紛争を阻止する為、大学側の要請により、バリストが行われている大学に、機動隊がなだれ込み乱闘となった。機動隊は、バリストを強行していた自治会執行部の連中を手当たり次第、逮捕した。それにより、学園紛争は鎮静化した。私は赤木の言論より、機動隊の実力行施の方が効果があったのを目の当たりにした。《ペンは剣より強し》などと赤木が言っていたが、現実はペンより剣の方が強かった。武力の方が言論を凌駕し勝利した。この結果について、赤木は怒った。大学側が学園内に機動隊を突入させたことに憤慨した。私は数日後、喫茶店《あすなろ』で会った赤木に言ってやった。

「もし大学側が今回のような行動に出なかったなら、依然としてバリストが行われ、学園閉鎖が続いたままで、何ら学園正常化の道は開けなかったと思います。授業が始まって良かったですね」

「でも大学のやったことに僕は賛成出来ない。立腹している」

 赤木は私に反論したいらしかったが、『あすなろ』の仲間がいるので、反論を我慢した。そして、そっと、次の土曜日の午後、喫茶店『西武』で会って欲しいと私に囁いだ。私は彼の要請を受けて頷いた。


         〇

 12月6日、土曜日、私は赤木政明に会えるのが嬉しくて、ルンルン気分で新宿の喫茶店《西武」に行った。雪のちらつきそうな寒い日だった。彼は先に来て、コーヒーを飲んで待っていた。私がオーバーコートを脱いで、コーヒーを註文し、席に座ると、彼は私が予想していた学生運動の話の前に、こんな事を言った。

「僕がこれから話すことは、君にとっても、君のお母さまにとっても、重要な事だと思う。個人的なことで驚くだろうが、静かに聞いて欲しい」

 私は彼の吊り上がった真剣な目を見て、頷いた。何を話すのか気になって仕方なかった。赤木はコーヒーを飲み干すと、その後、冷たい水を一口飲んで、私に喋った。

「高校生の時、僕はある少女を好きになった。或る日、僕は勇気を出して、恋心を彼女に告げた。彼女は積極的な僕の熱意を受け入れ、僕との交際を始めてくれた。ところがある友人から、僕が帰化人であることを聞くと、あっという間に、僕から去って行った。それ以来、僕は、この国の女性を恋すまいと心に決めた。しかし運命は君と僕とを結びつけた。僕は何時か言おう、何時か言おうと思いながら、今日まで来てしまった。君に告白する勇気が無かった。ごめん。このことを君に喋れなかった。しかし、君のお母さまに信頼され、気に入られ、手紙などを頂戴するうちに、僕は急に自分の事を悪者だと思うようになった。己の出生及び宿命を故意に隠しているような後ろめたい気持ちになった。そして今日、その罪悪感から解放される為に、君に僕の正体を話すことにした。僕の名前は朴政明。韓国人だ。終戦前、日本で生まれてから小学校に入るまで韓国籍だったが、昭和30年に日本国籍を取得し、日本に帰化し、赤木政明と改名した。僕はこの真実、僕の正体を今まで君や君のお母さまに隠して来た。許して欲しい」

 私は赤木から話を聞いて、びっくりした。彼は今まで黙っていた苦しさに耐えきれず、自分が背負っている宿命を、私に告白してくれた。私は驚きを隠そうとしたが、隠しきれなかった。ただ唖然として、返す言葉が見つからなかった。赤木は尚も喋り続けた。

「僕は、こんな国に生まれたくはなかった。どんなに貧しくても両親の祖国、韓国で韓国人として生きたかった。幼児期より、物心ついてからの日本人の僕への白い眼は、僕を敵意と憎悪に満ちた人間に僕を育て上げた。外観は日本人と変わらなくても、弱小民族の血を受け継いでいる為に、僕は事あるごとに蔑視されなければならなかった。僕は、この不当な日本における劣等感を、個人の能力を高めることによって

克服しようと、努力した。代数の公式を覚え、歴史を学び、化学の実験に取り組みんだ。ピタゴラスの定理をはじめとする幾何学を解き、生物の観察をし、日本やヨーロッパの古典文学を追った。昼も夜もなく、時を勉学の為に費やした。浸食を忘れ、学んで学んで学んだ。そして偉人と呼ばれる人になり、日本人の僕ら韓国人に対する偏見を打破して、両民族の真の和解と友好を確実にする為に一生を捧げたいと願って来た。いや、そればかりではない。全世界に生息する人類に、人類の平等を認識させ、世界各地で起こっている醜い戦争を壊滅し、この地球に恒久平和を招来するのだと考えた。前にも話したが、僕は世界一統を夢見た。そして、その考えは世界同時革命にまで発展してしまった。今回、僕の作品『世界同時革命論』が『あすなろ』3号に掲載されることになって、来年になり、それが発表された時、どうなるだろうか。韓国人の僕が、こんな思想を持っていると知ったら、日本人は僕のことを、どう思うだろうか。君のお母さまや敏夫君は、どう思うだろうか。多分、虐げられて来た韓国人青年の僻みと捉え、僕の思想を決して信用しないだろう。否、君や君のお母さまは、僕が韓国人であると知って、僕から遠ざかろうとするだろう」

「そ、そんな事ないわ」

「それは嘘だ。何時か、その偏見は露呈する。僕はそれを悪いとは思わない。それは当然のことだ。しかし僕は、同様の不幸をこれからの人類に残してはならないと思う。地球人、すなわち人類は、皆、平等であるべきである。だから僕は世界同時革命によって、人類をごちゃまぜにしたいのだ・・」

 赤木はそれから私の耳にタコが出来るほど、世界同時革命を論じた。この日に彼が言った〈こんな国には生まれたくなかった〉という言葉が、私にはショックだった。赤木の一方的な弁舌は、私に考える余裕を与えなかった。ただ彼が韓国人であるという事だけが強烈に私の胸に刺さった。私は赤木が韓国人であると母が知ったら、どんなにショックを受けるだろうかと想像した。そして、このことは母には当分、いや永遠に秘密にしておこうと思った。勿論、弟の敏夫にも・・・。


         〇

 私のは母は夜警のアルバイトをしている赤木の為にセーターを編んでいた。私は最初、母は弟、敏夫の為にセーターを編んでいるのかと思っていた。だがそれは違っていた。或る日、母が敏夫の肩幅に編みかけのセーターを合わせながら、敏夫にこう言ったと、敏夫から聞いた。

「敏夫のは、この次に編みますからね」

 私は弟から、そのことを聞いた時から、母が赤木の為に、セーターを編んでいるのだと気づいた。赤木が韓国人だということも知らず、母はせっせと赤木の為にセーターを編んだ。私は自分の家族でも、親戚でもない赤の他人に、夜なべまでしてセーターを編んでいる母の姿を見ると、急に嫉妬を覚えた。母な赤木に好感を抱き、何時の間にか、その思いが愛情に変化したようだ。有名な『W大学』のクラス委員をしている赤木。成績優秀な苦学生の赤木。素晴らしい小説を書く赤木。礼儀正しく誠実な赤木。母には、そんな赤木が、より美しい存在だったのでしょう。セーターが編み上がると、母は私に言った。

「夕子。赤木さんのセーターを編んで上げたので、着てもらいなさい。夜警のアルバイトで、寒くて大変でしょうから。大切なお身体を壊されたら、それこそ大変ですから・・」

 私はこの時になって、母が私の喜ぶ顔を見たかったのだと気づいた。私は素直に感謝した。

「ありがとう、お母さん。赤木さん、きっと喜んでくれるわ」

 母は私と赤木との交際が上手く進展するのを願っているに相違なかった。私は翌日の夕方、『W大学』に出かけ、夜間授業に出席する為、登校して来た赤木に正門の所で会い、セーターを渡した。私は、その後、御茶ノ水の『M大学』の授業に出る予定でいたが、赤木に引き留められた。

「ありがとう。セーターをいただくなんて、感謝、感謝だよ。今夜は授業をさぼって、君と話をしよう」

「でも、大事な授業なのでしょう。さぼっちゃあ駄目よ」

「いいんだ。後で、杉下に、どんな内容だったか聞くから・・」

 赤木は、そう言って、私を高田馬場の喫茶店『ブーベ』に案内した。彼は『ブーベ』でコーヒーを飲みながら、私に再確認した。

「本当に、こんなに立派なセーターいただいて良いのかな」

「母が、貴方の為にと編んだのだから、有難く受け取ってよ」

「それは感謝、感謝だよ。涙が出そうに嬉しいよ。お母さまによろしく伝えて下さい。君のお母さまは心の温かい素晴らしい人だ」

 赤木は、そう言って、『ブーベ』のスパゲッティとモンブランケーキを私に御馳走してくれた。母が赤木の為にセーターを編んでくれたことは、私にとっても良い結果だった。普通では赤の他人にセーターを編んでやる事など考えられません。苦学生への支援といっても、何かそれによって得られるものが無ければ出来ることではありません。もしかして母は私が赤木に惚れていて、赤木と私を結び付けようと考えているのでは。私には、そんな気がした。赤木と私の結婚。それが母の夢なのか。母にとって、父親のいない娘の結婚は、嫁ぐ娘にとって不利な条件かもしれないが、娘の考えも聞かないで、勝手に相手を決めるのは早計すぎる。それに母は最近、赤木が私たちから遠のこうとしている現実を知っていない。むしろ彼が播磨家に接近して来ていると誤解している。私は母の先行に対し、困惑して彼に言った。

「お節介な母親よね」

「いえ。優しいお母さまです。でも、このようなこと金輪際しないよう、伝えて下さい」

「はい、はい」

 私たちは、喫茶店『ブーベ』で、そんな母の話をしてから高田馬場駅前で別れた。赤木と別れてから、私は悩んだ。自分は母の希望すると通りに行動すれば良いのか。それとも赤木の言う通りに、赤木の一切を忘却し、彼と別れるべきか。それとも母に彼が韓国人であることを伝え、母の判断に委ねるか。私は悩んだ。でも私には赤木が韓国人であることを母に伝える勇気が無かった。私は自分の胸の内でのみ懊悩せざるを得なかった。異質の民族と親戚関係になるという事。それは大変なことだ。もし私たちが結婚したいと希望したら、親兄弟は勿論のこと、親戚縁者は猛反対するでしょう。また2人の間に生まれた子供が成長して、父親が韓国人だと知ったら、ショックを受けるでしょう。私は帰りの電車に乗りながら、何時の間にか、赤木との結婚を考えていた。知らず知らずのうちに、赤木に心を魅了されている自分に気づき、ハッとした。


         〇

 私が接近しようとすればするほど、赤木は私を遠ざけた。それが赤木の本心だとは思えなかった。追いかければ捕まえられる。私は自信いっぱいだった。だが彼は異民族、宗教、国境というものを、人類の大きな壁と理解していて、私を遠ざけた。接近しない方が、互いの為だと考えていた。民族、宗教、国境によって、戦争が勃発することが、しばしばあるのだから。だが私は彼の夢を願った。赤木の夢見る世界一統が実現し、地球上の国境の一切が、皆無壊滅されれば、世界に紛争は起らなくなり、人類は幸せになれる。そんな考えを持つ赤木が、些細な私との関係を、すっきる出来ないということが、私には不満だった。大志を抱くなら、もっと勇気を持てと思った。私は彼を勇気づけようと詩を書いた。

 山椒魚は外に出るのが怖くて

 毎日、毎日、宿命に泣いています

 可哀想に ああ可哀想に


 山椒魚は黒い身体をして

 冷たい水の中

 石の下や枯葉の陰に隠れて

 おどおどしています

 今日も 一匹で


 山椒魚よ

 あなたの宿命は悲しい

 でも あなたを愛するものがいる

 あなたは それを知っていますか


 山椒魚には それは分からない

 いつも石の下や枯葉の下に

 隠れているから


 山椒魚よ 勇気を出しなさい

 物陰から飛び出しなさい

 あなたが現れるのを

 清流が待っています

 私が、その詩を彼に示すと、彼は憤慨した。赤木は、私の詩の中に、朝鮮人に対する差別を感じたみたいだった。彼は私の目を真っ直ぐに見ながら言った。

「僕に同情は要らないよ。君と僕は永遠に結ばれないのだから。慰めや励ましは止めてくれ」

 赤木は半ば自棄っぱちになって怒った。でも私は赤木に何と言われても、彼について行く決心をした。私は思い切って言った。

「私は赤木さんと結婚出来なくても構いません。貴方の夢を追いかけて、何処何処までも就いて行きます」

「甘い感情は止めてくれ。君と僕とは生まれも生きる世界も異なるのだ。君は純粋な日本人。僕は帰化人だ。かってアラビアの王女が平民の青年と恋仲になり、密出国を企て逮捕され、群衆の面前で射殺されるという悲劇があった。王女は青年の命だけは助けて欲しいと嘆願したが、それは受け入れられず、彼女の恋人の青年も、その場で首を刎ねられた。この刑罰は砂漠という過酷な自然に耐えて来たアラビア人のイスラム法に基づく戒律なのだ。日本でも同様な家族や親戚や一族の絶対的結束が存在している。同国人同士でも、身分差別があるものを、ましてや韓国人の僕と君との結婚など許される筈が無い。お互い不幸になるだけだ。それが見え見えだからこそ、今の僕と君は離れていなければならないのだ。物事には諦めが肝心だ。僕のことなど放っておいてくれ」

 赤木は私を遠ざけようと、私の要望を拒否した。ああ、民族や国境とは、そんなに大きな障壁なのか、私には納得することが出来なかった。


         〇

 昭和45年(1970年)の正月の休みが終わり、初出勤してからの私の毎日は目が回るように忙しかった。受付の仕事は、新年の挨拶に来る人たちとの対応で、20日過ぎまで慌ただしかった。そんな忙しい1月の休日なのに、私には同人誌『あすなろ』3号の校正もあり、休む暇なしだった。仲間と協力し合って頑張った甲斐あって、『あすなろ』3号は2月8日の月例会に配布することが出来た。掲載作品の中で評判が良かったのは『C大学』の西本和己の戯曲『薔薇の椅子』だった。異質だったのは赤木政明の『世界同時革命論』だった。私は赤木の作品に魅了された。まるで小説を読ませるように読者をぐんぐん引っ張って行く彼の不思議な筆力に引き込まれた。この不思議な作品は『あすなろ』の同人以外の読者の心にも衝撃を与えた。なかでも学生運動に明け暮れし、学業をさぼって来た連中の精神に深いくさびを打ち込んだ。赤木政明とはどんな男かという問い合わせが、事務局のある『あすなろ』に殺到した。竹内晴美も彼女の母の瑞江も、杉下栄も困惑した。どう説明したら良いか分からなかった。質問して来た人たちは学生、教師、浪人生、勤め人、警察官、政治家の秘書、看護婦、高校生など種々雑多だった。何が目的でやって来るのかも分からず、対応の仕様が無かった。彼らは『あすなろ』3号に発表された『世界同時革命論』を読み、そこに記述されている人類みな平等、八紘一宇思想に感銘して問い合わせして来たいるのだった。赤木の理論ついて賛否両論あるようだが、私たちは、その問い合わせに対し、何も答えなかった。人それぞれによって、理解方法が違うからだ。赤木政明の考えは、かって日本人の誰もが夢想していた時代の考えだった。日本人にはかって、この八紘一宇、全世界を一つの家にする精神に心酔していた時代があった。大日本帝国は、この夢を実現する為に、世界各国との愚かな戦争をしてしまった。世界の人々を一つにする為に、各地に人を派遣し、満州国のような理想国家を建国したが、欧米人に潰されてしまった。もし日本人の中に他民族より優位に立とうとせず、統治の手段、方法、処理などを上手に差配出来る人物がいたなら、世界の歴史は変わっていたかもしれない。だが残念なことに、日本人の中に日本人以外の他民族を弱小劣等民族扱いにした者がいた為、反発反抗が多発したのだ。そして日本は世界平和を掴む筈だったのに、自らの失敗により倒れてしまった。今回、赤木政明が発表した『世界同時革命論』は、まずは人類の平等を謳い、それから世界各地で、この平等論に賛同した者たちを結集させ、同時革命を実行し、唯一つの政府で世界を公平に統治しようという改革論だった。黒人も白人も黄色人種も皆、平等。赤木は自分のこの理論に多くの反発者が現れても平気なよう、細部にわたって配慮を加え、革命論文を記述していた。でもいざ実践となると、多くの苦難にぶつかるに違いないなかった。私は革命といって闘争するのは好まないが、八紘一宇の考えもありだなと思った。理解方法によっては危険な思想だが、生まれてからずっと日本人に虐げられてきた韓国人だからこそ、赤木はこのような論文を執筆したのだと推測した。いずれにしても、赤木の作品『世界同時革命論』は刺激的だった。


         〇

 3月8日、日曜日の『あすなろ』の月例会で、渡辺英二と赤木政明が3月5日に発効された『核拡散防止条約』のことで論争になり、私たちの作品合評会は中断された。渡辺英二は軍縮を目的としたアメリカ、イギリス、フランス、ロシア、中国の核所有5ケ国以外の核兵器の保有禁止の発効を良い事だとしたが、赤木がそれに反対した。赤木は人類にとって大量破壊兵器である核兵器を、5ケ国に廃棄させなければ、世界平和の実現は難しいと反論した。そんな議論で、合評会が中断され、杉下栄が激昂した。

「渡辺君、赤木君。ここは文学を論ずる場所だ。合評会の邪魔をするのは止めてくれ。直ちに、この場所から外に出て行ってくれ。外に行って気が済むまで激論してくれ。さあ、外へ行ってくれ。外へ」

「分かったよ。渡辺君、外で話そう」

 赤木は怒る司会の杉下に、捨て台詞を吐いて、渡辺と『あすなろ』から出て行った。そんな気まずい雰囲気の合評会を終わらせ家に帰ると、母が着替えをしている私の部屋にやって来た。何時もの母と違って顔が赤らみ、厳しい目をしていた。

「夕子。そこにお座りなさい。お前は私を騙して、平気で暮らしているのね」

「何よ、突然、私がお母さんを騙しているなんて」

「見たのよ。お前の日記。赤木さん、韓国人だっていうじゃないの」

「まあっ、お母さん、酷い。私の日記帳を見たのね」

 私は自分の部屋の引出しの奥にしまっておいた日記帳を、母に見られたと知って顔が蒼白になった。娘の日記帳を盗み見するなんて、とんでもないことをする母に怒りを覚えた。だが、その母も怒っていた。

「お前は何故、こんな大事な事を今まで私に隠しておいたのです。もっと早く、このことを知っていたら、お母さんは、お母さんは・・」

 私を叱責しながら母は涙を流し泣き崩れた。しかし私は母に責められても平気だった。赤木が韓国人だからといって、何がいけないの。私が叱責される理由など何処にもない。私は何も悪い事をしていない。私はいたたまれなくなり家を飛び出した。飛び出したものの行く当てが無かった。私は経堂から小田急線に乗り、新宿に出て、中央線に乗り換え、東中野にある赤木の住むアパート『松原荘』に直行した。赤木は私の突然の訪問にびっくりした。私は母との口論の一部始終を赤木に説明した。すると赤木は私に言った。

「僕の両親は苦心の末、日本における市民権を取得した。僕は日本国籍を取得し、法的に日本人です。しかし、本質的平等は法によって保障されていません。それ故、両親や妹は、自分たちの素性を、極力、隠しておくことが賢明な生き方だと思っています。けれど僕は、必要と考えた時、自らの素性を公言します。その為、楽しい語らいの場がしらけたり、友を失うこともあります。でも僕は真実は真実、隠すべきでないと思っています。だから君にも真実を伝えました。日本における僕ら帰化人は法的に平等となっていても、本質的に平等ではないのです。朝鮮人はずるい、荒っぽくて汚いなどという日本人の言葉を耳にするたび、僕は愕然とします。多分、君のお母さまも、世間体や親戚との付合い上、涙を堪え、僕を差別する態度をとらざるを得なかったのだと思います。僕には朝鮮人の血が流れています。そんな僕に、君のお母さまは同情しながらも、娘の将来を思い、君を叱ったのだと思います。ですから僕は、君のお母さまを怨むことなど出来ません。君のお母さまは、僕にセーターを編んでくれた優しい人です」

 赤木は私の母の彼に対する偏見理由を、冷静に理解してくれた。そして私に、直ぐ家に帰るべきだと言った。赤木は無情にも行く宛のない無い私を『松原荘』から追い出した。私は宛てもなく、東中野の街を冷たい風に吹かれながらさ迷い歩いた。何処へ行ったら良いのか。今更、経堂の家には帰れない。新井洋子の所にしようか。江口れい子の所にしようか。それとも丸山節子の所にしようか。私はまず洋子に電話した。洋子はまだ帰っていないということだった。れい子も外出して不在だった。私は電話ボックスから商店街のネオンを見ながら、つぶやいた。

「これで節子がいなかったらどうしよう。赤木のアパートに戻るしかないか」

 私は恐る恐る丸山節子の家に電話した。節子が電話口に直ぐ出たので、助かったと思った。彼女と話しながら、ありもしない胸に手を当てて、撫で下ろす自分に気づいた。節子は、母と喧嘩して飛び出して来た私の話を聞いて、直ぐに来なさいよと言ってくれた。私は行き先が決まると、駅前のラーメン屋に入り、豚骨ラーメンを食べ、節子の家に向かった。節子の家は駒込千駄木町にあり、私が尋ねて行くと、彼女の両親と兄弟が明るい笑顔で私を迎えてくれた。私は御茶をいただいてから、彼女の部屋に行き、今日の母との喧嘩の経緯を説明した。節子は私が『W大学』の学生と付き合っていることを、江口れい子から聞いていて、とても真剣に相談に乗ってくれた。

「それで夕子は、これからどうしようと思っているの?」

「どうしようと思っているのと訊かれても、答えられないわ。でも彼の後を、何処何処までも付いて行こうと思っているの」

 私の言葉に節子は顔を曇らせた。私が、その顔は何よと言い返そうとした時、節子は、はっきりと私に忠告した。

「夕子。それは危険だわ。注意した方が良いわよ。彼の革命論に感動し、燃えているうちは良いけれど、いざ結婚するとなると、随分、苦労することになるわよ。よしんば周囲に反対されながらも、結婚出来たとしても、後で苦しむわ。特に貴方たちの間に生まれて来る子供は、必ず、いろんな障害にぶつかるわ。幼稚園の入学、小中学校に進んでからの友人関係、大学の入試、就職問題、結婚問題などなど。それは生まれて来る子供に茨の道を歩かせることになるわ。生まれて来る子供が不幸になることが分かっていながら、自分の恋情で結婚する事は、罪悪ではないかしら」

「罪悪?」

「私の考えは古いと言われるかも知れないけど、私は異国人との結婚には反対よ。夕子の為にも、彼の為にも、2人は結婚しない方が良いと思うわ」

 節子は、赤木を嫌って、彼に私がついて行く事に反対しているのでは無かった。もし私たちが結婚したら、2人の間に生まれて来る子供の身の上と苦労を案じての反対だった。でも私は、赤木をひとりぽっちにする訳には行かないと思った。彼の望む革命の並木道を、手を取り合って進んで行きたいと思った。


         〇

 数日後、母は赤木に手紙を送った。私は、その手紙を赤木に見せてもらった。母から赤木への手紙には、こう書かれていた。

〈前略

 赤木さん。私は貴方に裏切られた気持ちでいっぱいです。

夕子を返して下さい。

夕子は1週間前、家出したまま、家に帰って来ません。

敏夫に元気でいるから、心配しないようにと電話があったようですが、私には大事な娘です。心配で心配でなりません。もしもの事があったら、亡き夫に申し訳が立ちません。私は正直に言って、貴方を信頼していました。夕子と貴方が親しくなって行くのを、とても嬉しく思っていました。でも貴方の出自を知った時、私は目の前が真っ暗になりました。残酷な考えですが、亡き夫や親戚に申し訳ない事なので、2人を即刻、別れさせなければと思いました。そこで夕子に厳しい事を言ってしまったのです。2人の将来の為に、別れることが最良だと・・。

 私の貴男に対する冒瀆や偏見は、決して褒められるものではありません。しかし、母親として、不幸が分かっている異国人との結婚を、私は娘にさせたくないのです。互いの幸せの為に、是が非でも阻止せねばならないのです。

 哀れな母親の我侭と思い、どうか夕子を私に返して下さい。夕子は貴方が説得して下さらなければ、絶対、私の所に戻って来ないと思います。

 これ以上、私どもを苦しませるのは止めて下さい。

どうか、どうかお願いします。

                かしこ  〉

 私は母の手紙を読んで逆上した。何て酷い事を書くのか。だが赤木はかって朝鮮を植民地として来た日本人の一部の人が、未だに朝鮮人を下等だと差別をもって対処する事を認知していた。彼は怒ることも無く私に言った。

「僕には君のお母さまの気持ちが良く分かる。これは我々、朝鮮民族の宿命なんだ。このことは如何に優しい君のお母さまでも、如何とも成し難いことなのだ。僕には君のお母さまを責める事は出来ない。僕と君とは別世界の人間なのだ。僕はみすぼらしい苦学生。それも朝鮮人というおまけつきだ。それに比べ、君は何不自由の無い家庭のお嬢さん。その上、目立つほどに美しい才媛。僕と君とは、同人誌『虹』で出会わなければ良かったのだ」

「そ、そんな」

「僕は呪われて生を受けた男なのだ。君を仕合せにしてあげる事の出来ない男なのだ。君のお母さまの考えは間違っていない。どう考えたって、僕は君を幸せにしてあげられない男なのだ。僕は君のお母さまの考えに賛成だ。お母さまや敏夫君が心配している。友達の所を渡り歩いていないで、早く家に帰り給え」

 赤木は冷徹な口調で私を説得した。私はそう説得されても播磨家に戻る気持ちになれなかった。誰が何と言おうと、赤木のことを理解してくれない母の所へは戻りたくなかった。1人暮らしの江口れい子にお願いして、彼女の下北沢のアパートに転がり込み、そこから会社と大学に通うことになった。


         〇

  江口れい子が部屋を借りている下北沢の『みどり荘』に弟、敏夫が訪ねて来たのは土曜日の午後だった。私とれい子が開幕した『大阪万国博覧会』の状況をテレビで観ている最中だった。部屋のドアがノックされ、れい子がドアを開けると、敏夫が、そこに立っていた。私は慌てて叫んだ。

「敏夫。どうして、ここが分かったの?」

「赤木さんに、教えて貰いました」

「まあっ、余計な事を・・・」

「お姉ちゃん、家に帰って下さい。お母さんが心配しています」

「私はもう経堂の家に戻りません。親元を離れ、自分の生活を始めたのですから・・」

 私が、そう言って反発すると、敏夫は男なのに目にいっぱい涙を浮かべて、私に言った。

「お姉ちゃんが家に帰らないで、このまま月日が長引いたら、お母さんが病気になってしまうよ。お母さんは、お姉ちゃんの事を、とても心配して、食事が喉に通らず、痩せちまったよ。毎日、お姉ちゃんのことばかり考えて、ぼんやりしているよ」

 敏夫の話を聞いて、れい子が言った。

「可愛い弟さんが迎えに来たのだから、これを機会に帰ってあげなさいよ」

「駄目。私、帰らない。このまま、私をここにいさせて」

「私は構わないけど、でもね」

 れい子はそう言って溜息をついた。敏夫が尚も続けた。

「お姉ちゃん。僕だって困るんだ。お母さんがお姉ちゃんのことで、頭がいっぱいで、僕の勉強のことなど、そっちのけだよ。僕はお母さんの事やお姉ちゃんの事が気になって、大学進学の勉強に身が入らないんだ。お願いだ。家に帰って来てよ」

 私は弟の泣き落としに乗るまいと思った。弟の泣き言を聞いて、じっと我慢した。弟は尚も続けた。

「お姉ちゃん、お願いだ。家に帰って来てよ。僕を助けると思って、帰って来てよ。僕は大学入試の勉強に専念しなければならないんだよ。これからの1年が一等大事な追い込みの期間なんだ。お母さんの面倒など見ていられないよ」

「そんなに入試のことが大事なら私の事など放っといてよ。お母さんは、私を叱り飛ばすほど元気なんだから、そのうち私の事など忘れるわ。お母さんのことなど放っといて、一生懸命、勉強しなさい」

「でも、お母さんが可哀想だよ」

「大丈夫よ。お母さんは、私がいなくなって清々してる筈よ。お前は、私の所に来ないで、さっさと家に帰りなさい。そして私が元気でいると伝えなさい。私も独立出来て嬉しいわ。お前はお母さんの事も私の事も気にせず、一生懸命、勉強しなさい。来春になって、お姉ちゃんの所為で大学入試に不合格になったなんて言わないでね」

「そんな事、言うもんか。しかしね、お姉ちゃん。赤木さんは僕に言ったよ」

「何て?」

「僕は君のお姉さんに興味など無いって。だからお姉ちゃん、僕と一緒に家に帰ろう」

 私は敏夫の発した赤木の言葉を聞いて唖然とした。赤木の〈僕は君のお姉さんに興味など無い〉という言葉が本心なのか、信じ難かった。だが、それが赤木の本心なのだ思うと、何故か自分と母の行動が馬鹿馬鹿しく思えて来て、急に家に帰りたくなった。私は弟の説得に負けて一旦、家に帰ることにした。江口れい子はしばらくの間、私と生活しようと思っていたらしく、敏夫の言葉を聞いて頷いた。

「残念ね。そういうことなら、お母さんの所へ帰って上げるのが一番ね」

 れい子は私と赤木とのロマンチックな逃避行を夢に描いていたみたいだった。ここ数日間、彼女と生活してみて、私は彼女が学生運動の次の段階を模索していることに気づいた。そして女なのに赤木と似ている所があると思った。そんなれい子と別れて家に帰ると、母は私を優しく迎えてくれた。私が詫びる先に母が私に詫びた。その後、母親の気持ちも分かって欲しいと付け足した。私は母の言葉を素直に受け止めた。だが赤木の事を忘れることは出来なかった。ひとりぽっちの赤木のことを思い出し、夜に布団の中で彼のことを思い涙を流した。私は彼について行きたかった。


         〇

 母親や世間の束縛は、かえって赤木への恋慕の炎を燃え上がらせた。彼との付き合いを止めようと思ったが、思えば思う程、諦めることが出来なかった。周囲に反対されれば反対される程、赤木の事が愛しくて仕方なかった。そして赤木が提唱する『世界同時革命論』にのっとり、一時も早く世界一統、民族協和、人類平等を実現せねばならないと思った。世界が統一され、ヨーロッパ人も、アフリカ人も、中国人も、インド人も、アメリカ人も、ロシア人も、朝鮮人も、日本人も、アイヌ人も、エスキモーも、何人であろうが差別が無くなってしまえば、まさに人類は皆、平等になり、皆が自由になれると思った。私は沈思黙考すればする程、赤木の理論が理路整然としていて、自分の身に浸透して来る不思議を感じた。赤木の理論に感銘したのは私だけでは無かった。この世の混乱と腐敗を嘆き、維新を夢見て、数多くの若者たちが赤木の所属する『あすなろ』に集まって来た。彼らは赤木の『世界同時革命論』を読んで、不条理なこの世の中での決起を期待して集まって来た連中だった。しかし、ご本尊である赤木政明は、今直ぐの決起など全く考えていなかった。赤木は自分の革命論をぶちまけてしまえば、それでもう、満足、世界の誰かが、その理論に魅せられ決起してくれるだろうと考えていた。彼にとって、『あすなろ』3号に『世界同時革命論』を掲載したところで、もう終わりだった。ところが学園のバリストに参加し、赤木に改心させられて集まって来た連中には、赤木が決起してくれない事には、次の行き場が無かった。彼らは赤木に行動を求めた。だが赤木は動かなかった。私はそこに再び、あの弱々しい赤木を見た。結果は分かっている。赤木は理論家があっても、結局は実行力が無いのだ。学園でのバリストにあんなに反対しながら、最終的にバリストを解体出来なかった赤木の姿は実に惨めだった。〈ペンは剣より強し〉などと強がりを言っていたが、何も出来ず、結局は大学側が手配した機動隊によってバリストは解体された。しかし、今度という今度は、赤木の理論に感銘を受け、熱気を持つて集まって来た若者たちの為に、赤木に立ち上がってもらわなければならないと、私は思った。自分が蒔いた夢を赤木が実行することを願った。女だてらに革命に賛同するなど、恐ろしい事を考えると思われるかもしれないが、赤木の存在価値を立証する為に、今度こそ頑張ってもらわなければならないと思った。有言実行。男には、このことが大切。痩せ犬の遠吠えは、男にあってはならないことだ。私は『あすなろ』を頼って全国から集まって来る連中たちに、何時の間にか赤木の理論を説明するようになっていた。革命を夢見る若者たちは、赤木に代わって、私や杉下栄が語る『世界同時革命論』に陶酔した。そして、その実興を夢想した。私は熱中する同年配の人たちの目の輝きを見て、段々、怖くなって来た。赤木政明が発表した『世界同時革命論』が、雪だるま式に、どんどん肥大して爆発しそうになって行くからだった。私は恐ろしくなって赤木にどうしたら良いのか相談した。すると彼は驚いた様子もなく、答えた。

「僕の狙いは、こういった若者の力が世界各地で生まれる事だ。しかし、それは難しい事だ。何故なら僕自身、現在、こういった民族問題に苦悩し解決出来ないでいる小さな存在だからだ。僕は正直言って悩んでいる。そして現在、自分は日本に帰化しないで、韓国人として生きるべきだったと後悔している。両親によって日本国籍にされてしまったが、もし、あの時、僕が9歳の少年でなかったなら、父母が願った国籍変更は、断固として拒んだであろう。両親は僕ら子供の進学、就職、結婚等、将来、不利にならぬよう、帰化したと言っているが、ただそれだけの理由で、先祖代々引き継がれてきた祖国を捨てることが、よくもまあ出来たものだ。両親は祖国における貧困に苦しむ惨めな国民生活を引合いに出して、僕の抗議を今でもあしらうが、僕はどんなに惨めでも良いから祖国に戻り、祖国興隆の為に活躍し、真の韓国人として生きたかった。それ故、僕は両親を尊敬出来ないでいる」

「まっ、そんな」

「両親の言う通り、確かに日本人の朝鮮人に対する偏見はある。しかし、如何なる偏見や労苦があろうとも、僕は中途半端な日本人で無く、韓国人として生きたい。君や君のお母さまに蔑視されようとも、僕は韓国人でありたい。こう思う僕が何故、世界一統、八紘一宇を実現出来よう。僕はこういった国籍問題にいまだ拘泥している。つまり僕は狭い殻から抜け出せないちっぽけな男なのだ。自分が偉そうに論じている地球人になりきれないでいるのだ。僕自身がこんなふうであるから、地球人としての意識を持った連中が結集するには、まだまだ時間を要する。慌ててはならない。じっくり腰を据えて、世界中に地球人としての意識を芽生えさせることが重要だ。僕はゆっくり、その革命の並木道を前進して行く」

「でも集まって来ている人たちは、バリストが解体された今だと思っています」

「革命の幕を開けるにはまだ早すぎる。時を熟成させなければならない。彼らのことは僕が抑制する。君は兎に角、杉下たちと誠実な仲間を増やしてくれ。僕は秘密集会を企画し、そこで講義を行い、会員になってくれた人たちを万全な地球人に教育する・・・」

 赤木は私の煽動により、幾分、革命への自信を取り戻した。しかし彼は私や杉下のように燃え上がるというところが無く、至極冷静だった。赤木の『世界同時革命論』に夢中になった私たちは、仲間を集める為に、尚、赤木に要請した。

「赤木さんの同胞にも参加を呼び掛けて下さい」

「それは無理だ。僕はかって彼らに民族の平等を訴えた。日本にいる同胞に団結し、民族の誇りを守り抜こうと呼びかけたが、同胞学生たちは、僕の呼びかけに手を差し伸べてくれなかった。それは彼ら自身、韓国人であることを公表することを恐れてのことではなかった。呼びかけた僕が帰化人になっていたからだ。彼らにとって僕は祖国を捨てた裏切り者の息子だった。日本人でもなければ韓国人でもない、祖国喪失者だった。その僕の呼びかけで、彼らが集まってくれる筈がない。だから日本人の君たちが彼らに呼びかけをしてくれ。今や僕の思想は民族問題を超越した遥か彼方にある」

「遥か彼方?」

「うん、そうだな。出来るならベイルートの青い空を見てみたい」

 赤木は身近な韓国や中国、台湾などではなく、遠い世界を見詰めていた。そんな時、『赤軍派』の数人は、『よど号』のハイジャックを決行して、北朝鮮に逃亡した。


         〇

 4月5日、日曜日、喫茶室『あすなろ』での同人会は、店に若者が入りきれないほどだった。その会合の後、赤木政明と杉下栄は、月例会に出席したうちの5人ほどに声をかけ、神田のバー『黒猫』に移動した。『黒猫』の店長、金田洋次は赤木の知り合いで、この日の店を貸し切りにしていた。私は新井洋子と参加して、集まっている男性の顔ぶれを見て、赤木と杉下が何を考えているか予想出来た。2人に集められた男性、西本正巳、小林史郎、宇野慎介の3人は、文学というより政治思想に興味を抱いている連中だったからだ。その薄暗いバーのボックス席に皆を座らせ、赤木は『世界同時革命特別青年隊』という団体の結成を呼び掛けた。すると西本、小林、宇野の3名は、待ってましたとばかり、その結成に賛成した。私も洋子も賛成せざるを得なかった。それを皮切りに、私たちは隊員集めに奔走し、隊員を沢山、集め、隊員名簿を作り、隊員証も発行した。左翼運動に行き詰った学生たちと新時代を切り開こうとする情熱に溢れた若者たちが集まって来た。彼らは溌溂として、赤木と杉下が中心になって企画する隊員の任務を遂行した。『世界同時革命特別青年隊』、略称『特青隊』の若者たちの任務は種々雑多だった。『あすなろ』3号の赤木政明の論文と杉下栄の『世界統一心』を一冊の本にまとめる者もいれば、衣服や食料品、菓子などの販売を行い、団体の為の資金調達に活躍する者もいた。その他、日本国内だけなく諸外国での隊員集め、国連の実体研究、暗号辞典の作成、支部設置計画、政財界の裏面調査、武器の必要性、世界共通語の考案など、赤木と杉下の構想に従って行動する者がいた。赤木と杉下の構想には突飛な考えもあったが、隊員たちは苦痛多難にめげず懸命に頑張った。東奔西走、彼らは努力した。私は革命に燃える隊員たちの結集力の強大さに驚嘆した。私も新井洋子も女性隊員として頑張った。渋谷、新宿、池袋に出かけて行って隊員集めをした。杉下は西本、宇野らと国会議員会館に出かけ、先輩議員に資金援助を要請した。私たち『特青隊』の革命を成功させるには理論武装だけでなく軍事訓練や武器弾薬製造技術も必要だった。赤木は『救世軍』のように、布教で革命が出来ないものかと考えていたが、それは無理な考えだと、杉下たちに笑われた。そのことはバリストに立ち向かった赤木の説得力より、機動隊の力の方が勝っていたことで、実証済みだった。私も機動隊に蹴散らされた学生たちを目にして、力こそ正義であると感じはしたが、赤木の唱える無血主義が理想だった。ある時、杉下が私にこぼした。

「赤木は人が好過ぎる。現実は、もっと厳しくなる。三島由紀夫の『盾の会』と我々は違うのだ。『特青隊』は近いうちに、多くの人たちから敵視される日が来る。この世の不公平を是正し、国連を解体し、世界の色を塗り替えない限り、我々は悪党呼ばわりされる。勝てば官軍という言葉があるが、まさに、その通りだ。『特青隊』は、世界同時革命の日に合わせ、充分な備えをしておかなければならない。大量の武器弾薬や輸送対策を構築するには時間が必要だ」

「時間が必要なのは分かるけど、赤木さんのいう理論武装だけでは駄目なの?」

「理論武装だけでは駄目だ。それでは創価学会の金集めと同じになってしまう。この間、ある隊員から米軍基地の弾薬庫に侵入し、大量の銃砲類を強奪しようと進言があった。その意見に俺は賛成だったが、赤木は反対した。赤木はあくまでも無銃主義を唱える。だが丸腰のままで、どう戦えるのか。赤木は甘すぎる。人が好過ぎる。軍備を怠ったら、『特青隊』は革命はおろか町のチンピラにも手こずるだろう。君からも赤木に言ってくれ。一時も早く、俺たちの提唱する軍備運動に賛同して欲しいと・・・」

 私は杉下栄の言う通りかもしれないと思った。赤木の『世界同時革命論』が、これからの人類の平和の為の地球改革として、的を得た理論であっても、もし、それを実行する為の強烈な力がなかったら、それは机上の空論に過ぎない。私は杉下の要請を受けて、赤木に軍備すべきだと話した。そして逸る隊員たちが密かに武器弾薬を調達し始めていることも伝えた。私から話を聞いて、赤木は憤慨した。私を怒鳴りつけた。私も怒って言い返した。

「貴方と杉下さんが立ち上げた『特青隊』は、貴方一人のものではありません。私は杉下さんたちの考えに賛成です。私も女性陣に武器調達の協力命令を出しております」

 私の言葉を聞いて、赤木は唖然とした。一歩、後退して言った。

「君は何んて闘争的なんだ」

 私は赤木に軽蔑されても、彼の希求する革命を成功させる為には、自分が進もうとしている仲間との行動は正しいと信じた。赤木の夢を絵空事で無く実現させる為には、自分が憎まれ役になれば良いと思った。


         〇

 無血主義の赤木は『W大学』でノンセクト連合を結成しようとしていた時から、自治会執行部の連中や『日共同』の連中に睨まれていた。彼らは学園正常化を目指していた赤木に対し、激しい敵意を抱いていた。彼らは機動隊が突入したことを大学側が赤木に相談して実行したと誤解していた。赤木が彼らと敵対していたことは確かだが、赤木には、大学側や機動隊を動かすまでの力は無かった。なのに赤木の理路整然とした弁説は、目の上のタンコブだった。彼らは赤木の油断を見つけて、何時の日にか、赤木を滅多打ちにしてやろうと、その機会を虎視眈々と狙っていた。時はまさにアメリカと南ベトナム軍が、北ベトナム軍からのカンボジアへの支援ルートを遮断する為、カンボジアに侵攻した4月30日の事だった。赤木は『特青隊』のメンバーを増やそうと、『あすなろ』の同人、山田昭彦や松宮健二や私が通う『M大学』近くの喫茶店で、山田と打合せした後、待ち構えていた『日共同』の8人に絡まれ、ニコライ堂の脇で暴打された。その事件を赤木は私に話さなかったが、連休後、その事件があった事を松宮健二から聞いて、私はびっくりした。

「奴らは、前々から赤木を狙っていた。奴らは御茶ノ水駅近くで、網を張っていて、『白樺』から出て来る赤木を待っていたんだ。奴らは初めからニコライ堂の暗がりで、赤木を叩きのめす計画をしていたんだ。赤木と山田は彼らに脇腹を蹴られたり、顔面を殴られたが、相手が大勢いて、抵抗することが出来なかったらしい。赤木が暴力は止めろと叫んだが、それもいけなかったようだ。彼らは、その叫びに一段とヒステリックになって攻撃したという、鉄パイプを使った者もいたという。山田は恐ろしくなり、助けを求めて、御茶ノ水駅に走り、交番まで行こうとしたが遠かった。そんな時、麻雀帰りの俺たち4人と出会ったんだ」

「まあっ」

「山田、何をそんなに慌てているんだと、俺が訊くと、赤木が暴行されていると言うんだ。俺たち4人がニコライ堂に駆け付けつけると、奴らは一目散に小川町の方に逃走した。赤木は気を失っていた。俺は赤木を抱き起した。彼は身体中、傷だらけで、ひどいものだった。近くに『N大病院』があったが、俺は赤木と山田をタクシーに乗せ、宇野と一緒に、麻布の『倉田病院』に連れて行った。『倉田病院』は俺の親戚と親しい倉田先生が経営していて、倉田先生に真実を話すと、倉田先生は〈警察には内緒にしておこう〉と言ってくれた」

「それで、どうなの。赤木さんの状態は?」

「赤木の負傷はひどいものだった。腕や頭を3か所ほど縫った。あっという間にミイラのように包帯されてしまったよ。山田は腕と足に負傷したが、それほどでも無かった」

 松宮健二は赤木と山田が隠そうとしていた事件を明確に教えてくれた。私は赤木と山田が事件に遭遇した事を知り、慌てた。そして直ぐに『倉田病院』に駆け付けた。麻布十番の花屋でカーネーションとガーベラの花を買って『倉田病院』の赤木の病室に行った。赤木は四人部屋の片隅で、如何にも痛々し気な包帯姿で、ベットで仰向けに寝て本を読んでいた。窓辺に置かれたポリアンサの花が気になった。誰が見舞いに来たのか気になった。赤木は私に気づくと、ベットの上に起き上がり、パジャマの上にカーディガンを羽織って、微笑んだ。

「ああ、播磨さん、見舞いに来てくれて有難う。気づかれちゃったのか」

「松宮さんから聞いたわ。山田さんと2人で、大変だったみたいね」

「うん」

 私は買って行った花をベットの横にあるボックスの上に飾りながら話した。赤木は松宮健二が話してくれたのと同じ当時の状況を話してくれた。

「全くひどい目に遭ったよ」

 暴漢に襲われた赤木の言葉は、慙愧に耐えられない風だった。私は何を話したら良いのか、思い当たらなかった。他の入院患者がいる部屋で『特青隊』の事についての報告は禁物だった。だから同人誌『あすなろ』の話題中心の会話をした。退院時期について赤木に質問すると、5月末には退院出来そうだと答えた。私はそれを聞いて安心した。

「元気そうな顔をしているので、安心したわ。じゃあ、失礼するわ。お大事に」

「ありがとう。皆によろしく」

 彼は、まだ歩行が出来ない状態だった。少し恨めしそうに私を睨んで手を振った。私は寂しい気持ちになって、病室から出ると、『倉田病院』の2階の病室を振り返り見ながら、都電の駅に向かった。


         〇

 5月26日、火曜日、赤木は杉下たちに手伝ってもらい、退院し、東中野の『松原荘』に戻った。しかし彼の負傷した身体はまだ完全ではなく、彼は病院に通いながら、夜の学校に通った。その為、アルバイトが出来ず、困窮の生活に追い込まれた。私が食べ物を持って『松原荘』を訪ねると、赤木は私を部屋に入れなかった。女人禁制だと言って、入室を断った。誰か部屋にいるのか?私が『あすなろ』の事、『特青隊』の事などを話したいと言っても、彼は一切、聞き入れなかった。ただ私が持参した物を、有難うと言って受け取るだけで、私と会話することを嫌った。私の事を嫌いになったのか。それとも彼女が出来たのか。あるいは私の母親の事を気にしているのか。私はいろんな事を考えたが、彼が私を避ける理由が分からなかった。それでも私は赤木のアパートに通った。すると彼は私を叱った。

「君はしつこいな。他にやることがあるだろう」

「何を言っているの。私、赤木さんに中間テスト頑張って欲しいと思っているから」

「中間テスト。そんなもの、今の僕にはそれ程、重要ではない。テストで良い成績を取ったからといって、何になるのか。優秀な成績を取れば、韓国人の血を日本人の血に変えてくれるのか。官庁に務められるようになるのか。今の僕は中間テストなど気にしていない。僕の事はほっといてくれ」

「でも学生なんだから、テストで良い成績を取らないと・・」

「僕は、昼間、収入を得る為に仕事をして、人が酒を飲んだり、眠っている夜中、高い授業料を払って勉学に努める自分や仲間のことを思うと、不憫でならない。平等であるべき人間が、貧富の差により、かくも居場所を左右されなければならないという現実は許し難い。僕が韓国人だから言っているのではない。日本人の中でも貧富や家柄による差別があるのだ。この産別を無くすにはどうすれば良いのか。それは矢張り、人類の恒久平和を求め、世界を一つにすることだ」

 赤木の話は今日もまた思想的話に変化した。

「僕は『世界同時革命』を真剣に考えている。だから君は僕に近づかない方が良い。二度と、ここには来ないでくれ。僕は革命の正義を極める為、世間と隔絶し、沈思黙考しているのだ。だから君は僕のことなど忘れて、自分の事を考えなさい。僕と君とは一緒にいてはならないのだ」

 私には赤木の怒りが、痛い程、分かった。異邦人、貧窮、偏見、疎外、負傷、非力、などなど、総ての事が彼にとって不満だった。私は彼と一緒に大声を出して泣きたい気持ちになったが、我慢した。ここで泣いては駄目だと思った。彼が、一時も早く、健康を取り戻し、会合に参加することを願った。彼と彼のアパートに近づかない事を約束し、私は涙をこらえて家に帰った。


         〇

 6月初めの同人誌『あすなろ』の月例会に赤木が出席すると期待して、飯田橋の喫茶店『あすなろ』に出かけたが、彼はまだ怪我が回復していないという理由で、欠席だった。この日、山田も欠席した。杉下の報告によれば、赤木はまだ足の状態が回復しておらず、歩行が不自由だという。私は、2度と『松原荘』に訪問しないと約束していたのに、堪えきれずに、赤木のいる『松原荘』に行った。すると彼は不思議な事に私の入室を拒否しなかった。私は彼の部屋に入り、女性の気配がないか確認したが、女性が一緒に暮らしている雰囲気は無かった。彼はちゃぶ台の前に座り、私と向き合うと言った。

「君は自殺について考えたことなどないだろうね」

「あるわよ。誰にだって、1度や2度、あると思うわ」

「そう。僕は1度や2度では無いんだ。何百回だ。そして過去、3度、企てたが果たせなかった。自殺には狂気に近い勇気が要る。それは武士の切腹とは違う。それは自らが自分を審判し、自らを断罪に処する行為だ。それは自らを惨めな敗北者と認める呪われた道だ。決して美しいとは言えない。死後の世界、霊魂不滅、苦悩虚無、天国か地獄かなど、次に遭遇することを想像すると、たまらなく怖い。死が眠りの世界ではなく、地獄が本当に存在し、裁きの場であるとするなら、死を選ぶことは愚行ではないのか。僕は何時も、そんなことを考え、決断すべき時になって迷ってしまう。生きる事も死ぬ事も僕には過酷であるようだ。従って現在の僕は生きる道を選んでいる。この苦しい生の道の現実が、本当に自分に相応しい道なのだろうか。僕は何度も考える。暗くて惨めな、醜い人生。その苦しみから逃れようとする自らの断罪。この行為は尤も許され難い罪であるが、僕は時々、その呪われた道を行こうとする。そんな話をすると、知人が笑う。自殺する者は弱者であり、敗北者であると・・」

「そう言われるでしょうね」

「僕は時々、自殺の世界へ誘引される。小説家になる夢も『特青隊』の計画も捨てて、虚無になりたい。仲間や君や肉親を捨てて、虚無になりたい。医者は1ケ月もすれば、傷は治りますよというが、僕の左足と顔面の傷は致命的だ。僕の心も変化した。僕はバリストを行い、暴力を振るっていた学生や、『特青隊』の連中に、暴力はいけない、武器を使用してはならないと説得して来るが、今や、それが自分を聖者に見せようとする虚飾であったのではないかと疑問に思っている。杉下たちの考えが正しいのかもしれない。だが過激な活動に僕は参加出来ない。僕は弱虫だ」

 赤木の言葉に私は愕然とした。彼が『世界同時革命論』で論じていた美しい世界の景色はどうなってしまうのか。彼の思想に心酔し集まって来た若者たちの情熱はどうなってしまうのか。どんな妨害があっても、彼の思想に向かって革命は実行せねばならないのではないか。私は赤木の精神的支えになってやらねばと思った。

「何を言っているのです。貴方は『世界同時革命特別青年隊』の隊長ではありませんか。『日共同』の連中からリンチを受けた程度で、引き下がるのですか。自殺を考えるのですか。情けないです。『世界同時革命論』を世に発表し、三島由紀夫の『盾の会』と比肩する程、若者の支持を受け、嘱望されている『特青隊』を辞めるような話を聞く為に、ここに来たのではありません。一日も早く体調を整え、会を牽引して下さい。自殺なんて考えないで下さい。私たちの気持ちを分かって下さい」

「ごめん。ごめん」

 赤木は興奮している私を鎮めようと、申し訳なさそうに頭を下げた。そんな会話をしてから私は、彼の汚れたシャツや下着を布袋に詰めて、コインランドリーに行き、衣類の洗濯をした。洗濯が終わるまで、一人で泣いた。


         〇

 私は身体の不自由な赤木の傍で過ごしたいと願っていた。彼と一緒の屋根の下で眠り、夫婦になり、革命の散歩道を一緒に歩きたかった。彼と一緒にベイルートの青い空を見たかった。そんな私に気づかない母ではなかった。母は私の将来を心配し、私を説得した。

「お前はまだ赤木さんのことを諦めず、結婚したいと思っているようだけど、私は反対よ。2人の間に生まれて来る子供の事を考えてみなさい。生まれて来る子供が可哀想です。子供が世間の事を何も分からないうちは良いです。しかし子供が成長し、物心がついて来て、自分の父親が日本人で無く、韓国人であると知ったら、どんなにショックを受けることでしょう。多分、子供は異民族の血が流れているという烙印を背負って、一生涯、苦しむことになるでしょう。進学、就職、結婚など、何かにつけて厚い壁にぶつかり、苦悩することでしょう。赤木さんとの結婚は不幸な人間を増やすことになります。私はお前たちの結婚に絶対反対ですからね」

 私は反論した。

「お母さんの考えは古いです。人類、皆、平等です。今、国際結婚をする人が増えています。私は赤木さんと結婚したいです」

 すると母は顔面を引きつらせて言った。

「夕子も分かっていると思うけど、日本人は島国根性で、狭い範囲でしか物事を見ることの出来ない人でいっぱいです。だから、お前が韓国人の赤木さんと結婚することになったら、長野の御祖父ちゃんは勿論の事、親戚中から、私たち家族は除け者扱いされるでしょう。そうなった時の私や敏夫の事を、どうでも良いと思うなら、赤木さんと結婚しなさい。私は、お前のことを良心と常識に従って生きる娘であることを願っています」

 母は私たちが、結婚しない事だけを願っていた。私は、そんな母に同情し、自分の人生を諦めてはならないと思った。

「すると、お母さんは娘の幸福より、親戚や自分が大切なのですね。母親って、そんなものなのでしょうか。自分がどうなろうと、子供の幸福を優先するのが親と言うものではないのでしょうか?」

 私の言葉に母の涙の顔が、怒りの顔に変じた。

「私だって、お前の仕合せを願っているからこそ、赤木さんとの結婚に反対しているのです。娘の仕合せを願わない親が、何処にいますか。仕合せを願っているからこそ、不適切な結婚に反対しているのです。結婚は一時の燃え上がりでするものではありません。自分たちが長い間、無難にうまくやって行けるか、真剣に考えるべきです。いろんな条件が整い、周囲の人に祝福されてこそ、本当に素晴らしい結婚が出来るのです。周囲から反対される異質の結婚は、先が見えています。1年か2年で離婚することになるでしょう。私は赤木さんが憎くて反対しているのではありません。彼は誠実で良い人です。でも私には受け入れられません。2人が結ばれないことが、お前たちにとって一等の仕合せだと思っているから・・」

 母は最期の最後まで、私たちの結婚に反対した。私は、そんなことばかりを考えている母と一緒に暮らしているのが苦痛で苦痛で仕方なかった。私は母との確執に耐えきれず、再び、江口れい子のアパートに同居させてもらう決心をした。れい子はいずれ戻って来るだろうと思っていたと、優しく私を迎えてくれた。


         〇

  紫陽花とウツギの花が美しさを競っている6月21日の日曜日、『日共同』の連中が、飯田橋の喫茶店『あすなろ』を急襲した。同人誌『あすなろ』の月例会の日だと予想しての襲撃だった。ところが、その日、『あすなろ』の同人も『特青隊』の隊員も、喫茶店にいなかった。店にいたのは『あすなろ』のママ、竹内瑞江と娘の晴美、マスターの谷口貞夫の3人と客が5人いただけだった。それなのに『日共同』の連中は、喫茶店の窓ガラスを割り、店にいた客に暴力を振るって、叫んだ。

「赤木、出て来い。何処にいる。赤木は何処に」

 ヘルメットをかぶり、鉄パイプを持って叫ぶ連中にママの瑞江が怯えることなく対峙した。

「あんたたち、何するのよ。自分たちが何をしてるのか分かっているの。ここは喫茶店よ。赤木なんて人、いないわよ。出て行って。出て行ってよ!」

「赤木がいるという情報が入っているんだ。赤木は何処だ。出て来い赤木!出て来い赤木!」

 『日共同』の連中は谷口マスターの首を絞め、赤木の名前を連呼し、灰皿を床に叩きつけたり、テーブルの上の物を倒したりして暴れ回った。店から飛び出した客が警察に通報し、警官が駆け付けて来るサイレンが鳴ると、彼らは一斉に逃亡した。私たちは晴美から連絡を受け、『あすなろ』に駆け付けた。私たちは竹内ママたちに迷惑をかけ、申し訳ないと思った。私は顔色を変えて店に現れた杉下栄に言った。

「杉下さん。残念ですが、ここでの同人誌活動は休止しましょう。このような状況では、竹内さん家族にも危険が及びます。『特青隊』の本部を別の所に移して下さい」

「うん。そうだな」

 杉下は、私にそう答えてから竹内瑞江に深く頭を下げ、店の修復代を、自分たち『特青隊』が全額負担すると約束した。その2日後、『日米安全保障条約』が延長されることとなった。そして『特青隊』は西本和己名義で神楽坂のアパートの2部屋を借り、そこを『特青隊』の本部と決めた。部屋に電話も引いた。机も書棚も、茶飲み道具も準備した。アパートの所有者は、結構、適当な資産家で、月に一度、家賃を受け取りに来るだけだった。私たちは壁に大きな世界地図を張り、隊員証を持った者のみの入室を許し、日々の行動について議論した。こうして『特青隊』は以前に増して組織らしくなった。私は赤木の理論が現実化しつつあることに喜びを感じた。初めて『特青隊』本部に顔を出した赤木も、杉下たち隊員の目の輝きを見て、自信を得たみたいだった。

「自分たちが描いている世界が、近づいて来る足音が聞こえて来るような気がする」

 彼は、そう言ってから、本番に入るこれからが大変だと語った。『特青隊』が世界平和を目指し、世界にその思想の翼を広げて行く事は、今まで以上に多事多難に見舞われるが、命がけで立ち向かって欲しいと、皆に要望した。すると杉下が答えた。

「御意。我等一同、命を賭して頑張ります」

 赤木政明は杉下栄によって祭り上げられた。こうして『特性隊』は益々、肥大化するに至った。


         〇

 大学の中間テストが7月3日に終了するや、『特青隊』の幹部10人で、秩父にある新井洋子の家の別荘に出かけた。別荘といっても、洋子の祖父の時代の古い廃屋で、相当にくたびれていた。誰も住んでおらず、中に入ると、蜘蛛の巣だらけだった。洋子が父親に友達と使用することの許可を得たということで、私たちは、ここを『特青隊』の第2本部と決めた。3人程で交代管理し、書庫や武器庫として利用することにした。殺風景な部屋が5つあったので、1部屋は洋子のアトリエにした。画材や絵画を持ち込み、山荘らしい偽装をする為だった。隊員たちが集めて来た武器は床下に格納した。天井裏にも隠そうと考えたが建物が老朽化しているので、武器が重くて天井が落ちると困るので、それは止めにした。一通り恰好がつくと杉下栄が言った。

「ここ秩父はその昔、自由に燃える若者たちが明治新政府に対し、自由民権運動を叫び、反旗を掲げ、革命を起こそうとした場所だ。私はここに不思議な縁と魂が宿っているのを感じる。我々はここで世界に羽ばたく準備をしよう。そしてやがては各人、『特青隊』の部隊長として世界各地に分散し、世界同時革命を起こそう。時は急がれている。皆で頑張ろう」

「オーッ!」

 西本克己の掛け声に合わせ、私たちは右腕の拳を天に向けて突き上げた。私は赤木政明の思想を根源として『特青隊』の同志が強い絆で結ばれていると確信した。このように私たち『特青隊』が世界同時革命を計画している間、三島由紀夫の『盾の会』にあやかり、たの革命組織が活発に動き出した。愛国心を掲げる『盾の会』と争うように誕生した共産主義者同盟グループの『赤軍派』の動きは特に活発だった。彼らは昨年、天城山中や大菩薩峠で銃撃訓練をしたりしており、今年になるや、『特青隊』に先行して、世界各地にメンバーを派遣し、具体的活動を開始していた。『盾の会』は自衛隊富士駐屯地で、野戦演習、飛行訓練などを始めていた。そんな他の政治結社の動きを知る杉下栄は、数人のメンバーの前で言った。

「奴らのように我々『特青隊』も派手にやりたいね」

 その言葉を聞くや赤木が杉下を叱責した。

「杉下。副隊長のお前が、そんな発言をしては駄目だ。冗談を言ったつもりかもしれぬが、お前は『特青隊』の副隊長だ。軽はずみな発言はしないでくれ。確かに『盾の会』や『赤軍派』は、テレビ出演などして派手だが、そんな状態では革命など出来ない。『特青隊』の夢は共産主義者の反米活動や『盾の会』の天皇制復活ではない。世界同時革命なのだ。それ故、我等『特青隊』は、地下活動をひた隠しに隠し通さねばならない。播磨君の知っている女流詩人から、『赤軍派』への協力を求められたが、我々は宗教仲間であり、革命グループではないと、はっきり断った。彼女は『特青隊』を宗教団体とは見てくれぬだろうが、我々の機密を他に漏洩することはないだろう。しかし我々が彼女たちのように山野を駆け巡って派手な訓練でもしてみろ、それは命取りになる。直ぐに警察に知られてしまい、総てが水泡に帰す。熱気に逸る若者たちは派手な銃撃訓練や格闘訓練を好むが、それは『特青隊』の幹部諸君が常日頃、目配りして抑制せねばならない。この静かなる軍隊を不満に思う連中も出て来るだろうが、静かなる軍隊がどれだけ大事であるか、彼らを教導して欲しい」

 以上の赤木の言葉に、杉下な黙って頷き、何の返答もしなかった。その姿は隊長である赤木に対する忠誠心の見本のような態度だった。私は杉下栄の姿に感動した。


         〇

 同人誌『虹』の仲間だった重村小百合が水木道子を通じ、また会いたいと言って来た。彼女の魂胆は分かっていた。赤木に協力を呼び掛けて欲しいという再度の依頼と分かっていたが、私は待ち合わせ場所の赤坂のプリンスホテルのプールに行った。私が水色の水着姿でプールサイドに行くと、重村小百合は、長い黒髪を風になびかせ、私に言った。

「忙しいのに申し訳ないわね」

「休日ですから、大丈夫です。素敵な先輩の水着姿を見られると思い、喜んで来ました」

「何言ってるの。貴方こそ魅力的よ」

 そんな言葉を交わしてから、彼女は再度、赤木に『赤軍派』への協力を呼び掛けて欲しいと依頼して来た。私は直ぐに断った。

「赤木さんは暴力が嫌いな人です。彼は人間が持つ善悪の意識のさらに上の高みへの信仰を基にして、世界平和を考えておられます。信仰の力によって世界平和を実現しようとする彼の思想に共感して、多くの信者が集まって来ています。ですから、頼んでも断られるだけです」

「赤木さんの考えは分かります。でも私たちの思想も、赤木さんが受け取っているような狭い領分の思想ではありません。私たちも世界平和を目指しているのです。申し訳ないけど、もう一度、貴方から相談してみて頂戴。『赤軍派』は若者が欲しいの」

「はい。もう一度、話してみます。でも期待しないで下さい」

「私は何時の日にか、『特青隊』と私たちのグループが連合合体すると信じているの」

 私は彼女の言葉に対して何の返答の仕様が無かった。でも私の気持ちは重松小百合先輩に惹かれていた。彼女が言うように、彼女のグループと合体する日が来るのではないかと思ったりした。そんな所へ突然、見知らぬ少年が、私たちの会話の中に割り込んで来た。

「お姉さん。打ち合わせ終わりましたか?」

 瞳の美しい少年だった。私はこの少年が、以前に重村小百合が同人誌に発表した詩『年下の恋人』に相違ないと思った。彼女の詩の一節が私の脳裏をかすめた。

  君は私に熱い息を吹きかけた

  ほの暗いベットの中で

  私を「お姉さん」と呼んだ

 私たちは今までの会話を終わりにした。彼は重村小百合が所属する革命組織の隊員で真田光晴と名乗った。彼は美人の小百合に感化され、革命というロマンを純粋に希求している少年だった。私たちは、それから一泳ぎして、30分後にプールサイドでさよならした。


         〇

 敵対する『日共同』への報復の準備は『特青隊』幹部の知らないところで、着々と進められていた。赤木政明や杉下栄は、『赤軍派』の連中のように、国外逃亡せざるを得なくなるような無益な闘争をしてはならぬと、常日頃から厳しく注意していた。

「我々、『特青隊』は機動隊との抗争ゴッコを楽しんでいるザコを相手にしている時ではない。もっと高度な理想に燃えた重要な課題、無辺なものを目指している。今や『全学連』は四散分散し、壊滅しようとしている。我々は、そんな連中の相手をしてはならない。機が熟するまで、じっとしているのだ」

 しかし赤木政明を信奉して入隊した『特青隊』の一部の隊員は、赤木がリンチに遭ったことを黙認することが出来なかった。血気盛んな黒田修一や沢村国夫たちは、『盾の会』や『赤軍派』の連中のように、『特青隊』が過激的であることを熱望していた。黒田たちは『日共同』の連中をリストアップし、相手の日常を調査し、『日共同』のアジトが五反田にあることを突き止めた。そして『大阪万国博覧会』が終了する9月13日、『日共同』のアジトに押し入った。青のヘルメットを被り、角材を持った『特青隊』の襲撃に、『日共同』の連中は驚いた。黒田の指示に従い、荒垣高行が部屋の中に火炎ビンを投げ入れると、『日共同』の連中が、アジトから逃げ出して来た。その連中を、『特青隊』の襲撃者が角材で滅多打ちにした。抵抗する者がいれば容赦なく殴打した。この『特青隊』の姿はさながら鬼神のようだったという。私たちが、この若者たちの決起を知り、現場に急行した時には、もう乱闘は終わりかけていた。しかし、まだ4,5人がもつれ合っていた。その中に杉下栄と西本和己が割り込み、杉下が両方に指示した。

「警察が来るから逃げろ。捕まったら終わりだ!」

 そう叫ぶ杉下の顔を見て、『日共同』の若者が言った。

「有難う御座います。恩にきます」

 まだ中学生のような若者だった。杉下に助けてもらったと思ったようだ。彼は深々と頭を下げると、脱兎のように逃げて行った。『日共同』のアジトでグズグズしている余裕はなかった。私たちは隊員から武器を取り上げ、小型トラックに積み込ませた。そして杉下栄が『特青隊』の第二本部に行って隠れていろと指示した。その後、私は杉下たちと目蒲線の武蔵小山駅まで歩き、そこから神楽坂に戻った。翌日、「特青隊』の事務所に警察官がやって来たが、そこにいた数人は、ここは文学青年の編集部であり、騒動に関係なく、知らぬ存ぜぬと答えて難を逃れた。


         〇

 9月16日、秩父の第二本部に避難していた黒田修一たちが、都内に戻って来た。全員無事だった。後になって杉下から報告を受けた赤木は、片方不自由な足を引きずり事務所にやって来ると、黒田や沢村たちを集め説教した。

「君らが『日共同』のアジトを襲撃した事を聞いた。君らは、まだ分からんのか。愚かな大学生のようなチャンバラごっこをしてはならぬ。抗争は厳禁だ。革命はチャンバラごっこで達成出来るものではない。誰も彼もが戦死するかも知れない生死を賭けた闘いなのだ。『日共同』に殴り込みをかけ勝利して何になるというのだ。『特青隊』の使命は、そんなちっぽけな戦いではない。世界同時革命なのだ。あの『忠臣蔵』の浪士のように、各人が日頃、秘密裏に活動して、我らの考えを世界に伝播し、その後、世界各地で同時決起するのだ。君らの気持ちが分からぬではないが、我らは我慢に我慢を重ね、底深く潜行して行くのだ。今回のような軽率な行動は、九仞の功を一簣にかくことになる。上層部の命令無しに二度と、このような行動を起こしてはならぬ・・」

 血相を変えて怒り説教する赤木を見詰めながらも、赤木の仇を討とうとした黒田修一たちの方が、『忠臣蔵』の志士たちのように、赤木より雄々しく私には思えた。私は『特青隊』の若者たちが世界同時革命に身命を賭して情熱を燃やしていることに、恐ろしさを感じた。『特青隊』の若者たちは、隊長の意見も聞かずに、益々、過激的になって行くような気がした。そして、重村小百合の詩を思い出した。

 お前に前足を合わせて そんな恰好をされると

 私は お祈りされているようで

 お前が哀れでなりません


 逃げて下さい

 逃げて下さい

 私は どうしても

 お前を殺すことが出来ません


 知っていますか

 私が お前を殺そうとしているのを


 私には、じっとして

 私の目を見詰めている お前が

 怖いのです


 だから逃げて下さい

 私は彼女の詩を呟き、自分も彼女のように反戦歌を唄いながらも、機関銃を手にする日が、訪れるのかもしれないと思った。


         〇

 それから数日後の日曜日、『日共同』の連中が、『特青隊』のアジトでもないのに、再び『あすなろ』を襲撃した。『日共同』の連中は同人誌のメンバーが集まる月例会の場所を、『特青隊』のアジトだと決めつけていたのだ。神楽坂の本部にいた私たちは、竹内晴美からの連絡を受け、飯田橋の喫茶店『あすなろ』に向かって、外堀通りを夢中になって走った。水道橋寄りの喫茶店『あすなろ』に辿り着くと、まだ『日共同』の連中が『あすなろ』に残っていた。その『日共同』の連中を相手に、私たちは戦った。彼らは『日共同』と印字されたヘルメットを被り、鉄パイプを持って、1週間前の仕返しにやって来たのだった。火炎ビンが投げられ、店の中は真っ黒になり、この騒ぎは直ぐに知れ渡り、警察が即時にやって来た。だがその時には『日共同』の連中も『特青隊』の仲間も、皆、逃走していた。店にいたのは店主の竹内瑞江ママと娘の晴美、マスターの谷口貞夫と私の四人だけだった。私は、この時、逮捕されると覚悟した。警察の事情聴取に対して、瑞江ママが答えた。

「あの『日共同』のヘルメットを被った学生たちは、この店で毎月開かれている同人誌仲間の会合を分裂した学生たちの組織と誤解して襲撃して来たのです。これで2回目です」

 それを聞いた警察官4人は1人にメモを取らせながら、瑞江ママに質問した。

「その同人誌の会員の中に分裂した学生運動の旗振りがいるのではないですか?」

「そんな人がいるとは思えませんが」

「では、こちらの方は?」

 1人の警察官が谷口貞夫を睨みつけて質問した。

「彼は、この店のマスターの谷口です。コーヒーの仕込みから、軽食の調理をしてもらっています」

「そうですか。下の名前は?」

「貞夫です」

「こちらの2人は?」

 警察は更に晴美と私について質問した。どうしたら良いのか、迷っていると、瑞江ママが答えてくれた。

「こちらは私の娘、晴美です。こちらは晴美の友達の播磨さんです。2人には、ここで給仕のアルバイトをしてもらっています。その他、店にお客さんがいたのですが、皆さん、逃げてしまいました」

「そうですか」

「今の学生たちには困ったものです。学業より内ゲバを楽しんでいるのですから・・」

 瑞江ママは冷静に警察の調査に対処した。『特青隊』の本部からやって来た私の事を秘密にしてくれたので私は救われた。警察の質問にテキパキと答え、同人誌『あすなろ』のメンバーに対する不信感を、何一つ警察に与えなかった。本部に戻って、私がこの結果を話すと、そこにいた赤木政明が、突然、私に近づき右手で私の頬を打った。

「何故、現場に居残った。あれ程、注意しておいたのに、警察を甘く見てはならんぞ!」

 私が頬を打たれたのを見て『特青隊』の仲間は驚愕した。赤木が女性に暴力を振るうなどとは、誰も思っていなかった事だった。当の赤木も私の頬を打ってから、自分の右手を見詰めた。それから杉下栄に言った。

「また竹内さん親子に被害を与えてしまった。すまないが『あすなろ』の損害の総てを、『特青隊』の費用で支払ってやってくれ」

「勿論、そうする」

 杉下は赤木の指示に賛同した。それにしても、赤木が私の頬を打つなんて予想外のことだった。全く初めての事で信じ難い事だった。


         〇

 赤木は『特青隊』の若者たちが、『日共同』と抗争を始めるようになり、喫茶店『あすなろ』に被害を与えたことなどを、自分の責任であると深く反省した。自分の身体の不自由さを嘆き、日夜、『特青隊』の在り方について考えた。『特青隊』を誕生させた苦悩と反省は、赤木を苦しめ、赤木を病人のように瘦せ細らせた。彼の態度はちょっとノイローゼ気味であると感じられた。そんな赤木をからかうように杉下栄が赤木に言った。

「赤木。お前は考え過ぎだよ。『日共同』と『特青隊』の事件は、世界を見てない愚かな『日共同』の連中を、地球人を自負する俺たち『特青隊』が処罰しただけのことだ。『日共同』の連中は地球人としての資格の無い連中だ。『特青隊』の若者たちは、そんな愚劣な連中を処罰しようとしたんだ。『日共同』の連中のような不良人間は淘汰されなければならない。お前が寝食出来ない程、悩むことではない。世界一統を企んでいる賢者が、愚劣な奴らの暴力や負傷に、頭をかかえてるようじゃあ、我らの理想郷を造ることなど出来んぞ」

 すると赤木は厳しい目つきで、杉下を睨みつけて言い返した。

「お前は、そう言うが、地球人としての人格を持たぬ連中でも、人類に相違ない。人類すべての為の平和を考究している僕には、今回の『日共同』との乱闘事件は、全く僕の思想と相反する出来事だ。『特青隊』は人類を救済する為に誕生したというのに、今回、大勢の若者に危害を与えてしまった。人類は互いの信頼を高めることが重要だ。だから相反する者とは、暴力で無く、話し合いで、自分たちの世界に誘導せねばならない。暴力で物事の決着を付けようとする考えを一笑に伏すことは出来ない」

 赤木の言葉に杉下も黙っていなかった。

「そう言うが、お前の『世界同時革命論』に従って行動するには、闘争はつきものだ。闘争無くして革命は出来ない。人類皆平等の情操教育だけで、革命など出来っこない。理論は行動と一致して、はじめて成功と呼べるのだ。言行一致。それが革命を成功させる秘訣だ。俺はお前の『世界同時革命論』に感銘したが、それは闘争という行動付きの感銘だ。もし、お前の理論に闘争が無いとしたら、それは、実現不可能な失敗見え見えの理論だ。今回の『日共同』との乱闘事件も、それ故、起こるべくして起こった『特青隊』の通リ道だったと考えるべきだ」

「だが、暴力はいかん」

「赤木。俺はここではっきり言う。革命とは反対者と真っ向から衝突し、敵が被っている古臭い頭の皮を強引に引っ剥がすことだ。相手が痛い、苦しいと言っているから、面の皮を剥がせない。そんなことを言っていたら何にも出来ないぞ。目的を遂行する為には分からぬ奴らの面の皮を正々堂々と剥がしてやることだ」

「そ、そんな」

「赤木。『特青隊』は今や世界同時革命のもとにスタートしてしまったのだ。最早、引き返すことも自滅することも出来ないのだ。ただ目的に向かって前進するのみだ。我々の行動は、これから増々、過激になる。最期には地球を二分する世界大戦になるかもしれない。この恐ろしい革命の考案者のお前が、我らの行動に尻込みするのが俺には理解出来ない。『特青隊』は血まみれになって戦うことを、少しも恐れぬ勇者の集まりだ。それについて来られないのなら、お前は自分が作った『特青隊』から引退すべきだ」

 杉下栄は、世界同時革命を論じ、『特青隊』を結成した赤木の責任を追及した。言動と行動が一致しない赤木を徹底的に追及した。赤木は杉下栄や西本和己、黒田修一たちに返す言葉が無く、自分の理論が机上の空論であると認識した。赤木は杉下以外の者にも追及され、挫折感に打ちのめされた。赤木は震えて言った。

「僕は闘争を許容することが出来ない。杉下が言うように僕は似非革命家だ。本当の革命家ではない。『特青隊』のリーダーに相応しくない。よって『特青隊』は杉下に任せる」

 赤木は『特青隊』の隊長を杉下に委任すると発言した。私は、そんな赤木を救う気になれなかった。赤木に強くなっていただく為には、彼自身が、三島由紀夫のように、日本刀を握りしめ武装する必要があった。私は赤木の奮起を願った。男らしく心から革命の為の闘志を燃やし、立ち上がるのを期待した。


         〇

 ところが赤木政明は10月6日、早朝、『W大学』近くの八幡神社の境内で、ガソリンを被って焼身自殺した。杉下栄から連絡が入り、私たちが現場に駆け付けた時、赤木はもうこの世の人では無かった。現場では警察官たちが黒焦げの死体と灯油缶を片付けていた。私は現場で泣き崩れた。赤木は過激な『特青隊』の過失の責任をとって自殺したに相違なかった。悠久の大義を持ちながら、自らを断罪することによって、自分の罪の総てから、救われようとしたのか。私たちは警察官に種々、訊かれたが、私は精神的に取り乱して、何も喋れない状態になっていた。杉下栄は警察との対応に答え、赤木の焼身自殺の状況を語った。

「彼はノイローゼ気味でした。何時も死を考えていたようです。それも壮大な死を」

「壮大な死」

「はい。それは世界中の人たちに人類の尊厳を訴える焼身自殺です。フランスではフランシーヌが、チェコではヤン・パラフが、日本ではベトナム戦争反対を叫んで焼身自殺した油比之進がいるではありませんか。赤木は、それにあやかって自殺したのです」

 警察官には世界の動きは分からず、ただ杉下に質問するだけだった。赤木政明の焼身自殺は、新聞に取り上げられたが、『特青隊』や『日共同』との乱闘責任をもって自殺したとは報道されなかった。新聞は『大学生の焼身自殺』という見出しで、赤木政明の絶望と悲愴についての記事を書いた。有名な『W大学』の苦学生が、貧窮と民族問題等、さまざまな苦悩を抱え、死を決意した経緯を、あたかも真実を知っているかのように記事にした。その記事を読んで、私も私の母も泣いた。その2日後、私は杉下栄から呼び出され、江口れい子と高田馬場の喫茶店『ブーベ』に行き、赤木の遺書を見せてもらった。赤木の遺書には、こう書かれていた。

〈 友よ。

 僕の死を敗北と思うが良い。

僕の死を愚劣と思うが良い。それは君たちの勝手だ。しかし僕には何の悔いも無い。文学、政治、宗教、民族問題など、青春の総てをぶつけて来た。幾つかの小説と『世界同時革命論』を発表した。淡い恋もした。もう、この世に思い残すことは無い。皆にお世話になった。煙となって消える僕の事は忘れて欲しい。杉下君をはじめ皆、素晴らしい友を得られて僕の人生は嬉しかった。君たちには矢張り文学がお似合いだ。僕の思想なんて、机上の空論であり、何の役にも立ちはしない。君たちは一時も早く『特青隊』を解散し、君たちが地球人から普通人に復帰することを勧める。血気盛んな隊員が、『日共同』との事件を起こしたが、これらを生起させた原因は総て僕にあり、僕の責任だ。僕に統率力が無かったが為に、僕の計画が打ち上げ前に空中分解してしまったことは誠に遺憾だ。竹内晴美さんや『あすなろ』のママに、これ以上、迷惑をかけてはいけない。僕は『特青隊』を誕生させた責任を、死をもってお詫びする。自分如き弱小者の死をもって償いきれるものではないが、どうか許して欲しい。僕が考えて来たことの総ては夢だったのだ。僕は疲れ切ってしまった。君たちと一緒に革命の並木道を歩いて行きたかった。だが付いて行けない。僕は、ここで哀れな自分を消す。今まで付き合って来てくれて本当に有難う。さようなら 〉

 赤木の遺書を読み終え、私は自殺しなければならなかった赤木の無念さを泣いた。そんな私を杉下栄と江口れい子は優しくしてくれた。

「彼が亡くなったことは残念だが、彼の思想は生きている。今は沈黙し、彼の冥福を祈ろう」

「そうよ。それが良いわ。沈黙して、じっとしていれば悲しみも薄れるわ」

 私は2人の言葉に従った。私は赤木の事を心底から愛していながら、彼に寄り添って上げることが出来なかった自分を悔いた。


         〇

 10月15日、木曜日の夜、『W大学』構内で赤木の学生葬『赤木政明君を送る会』が開かれた。私は『W大学』の学生でも無いのに、そこに顔を出した。沢山の花束が置かれた校庭の片隅で杉下栄は焼身自殺をした赤木政明を追悼しようと集まって来た学生たちに向かって弁説した。

「お忙しい中、皆さん、集まっていただき誠に有難う御座います。先週、焼身自殺して亡くなった赤木政明の冥福を祈る為に、かくも多くの皆さんに、この学生葬に参加していただき、心から感謝してます。自らの身を煙にして他界した友、赤木政明もさぞ喜んでいることでしょう。ご存じの方もいるかと思いますが、彼は文学好きで、小説『ビーチパラソル』や『世界同時革命論』などの作品を残し、この世から去って行きました。彼は最後の最後まで人類が信頼し合う平等の世界と世界の恒久平和を念願していました。そして彼はその思想を私たちに植え付けました。私たちは彼の遺志を継いで、積極的にその活動を進めて参りたいと思っております。私は今夜の皆さんの集まりを見て、彼の思想に共鳴している人たちが沢山いるのことを身をもって感じています。彼は私たちに『特青隊』という団体を残して亡くなりました。私たちは焼身自殺までして、自分の思想を訴えた彼の情熱の火を消してはならないと思っております。そこでもし故人の思想に共鳴する人がおられましたら、『特青隊』への入隊をお勧めします。私の隣のテーブルで受付しておりますので、記帳していただければ幸いです。最期に赤木政明の遺影に向かって、1分間の合掌します。では合掌!」

 杉下の合図に従い、集まっている学生たちは、一斉に合掌した。その後、私たちは赤木の祭壇の脇のテーブルで、入隊希望者にサインをしてもらった。私は杉下栄の挨拶を追悼式からぬ挨拶だと感じた。悲しみが無く、赤木の久遠の夢を実現させてやろうという挨拶だった。新聞記事の『焼身自殺した苦学生の絶望と悲愴について』を読んで、花束を持って駆け付けたセンチメンタルな少女たちにとって、しめやかな筈の学生葬は、予想と違い、何処かへ雲散霧消してしまい、彼女たちには気の毒な学生葬で終わった。そして10日後の25日の日曜日、『早稲田公園』で新人隊員の入隊式が行われた。そこで杉下栄は『特青隊』の名称変更を提案した。

「新人が加わり、これから我々の活動を大々的に世界に広めて行こうと思うので、『特青隊』の名称を変えようと思う。亡くなった赤木政明の苗字にちなんで、『レッド・ウッド』に改名したいがどうだろう。如何かな?」」

 この集会前に『特青隊』のメンバーと杉下が下打ち合わせしていたので、『特青隊』の西本克己や小林史郎たちが一斉に賛同の拍手をした。私も江口れい子たちと一緒になって拍手した。すると杉下栄は頷き、全員を見渡して、話を続けた。

「沢山の賛成の拍手をいただき有難うございます。ここに世界同時革命隊『レッド・ウッド』のスタートを宣言致します。天国にいる赤木政明が喜んでいると思います。私たち『レッド・ウッド』の隊員は、これから、この名を汚さぬよう世界平和を目指して頑張って行かねばなりません。私は諸君にお願いします。赤木政明が弁明した『世界同時革命論』は八紘一宇、世界一統の真理に貫かれています。この真理を徹底的に吸収し、世界各国に理解者を増やし、世界同時革命を成功させるのが、諸君の使命であり、正義です。諸君の中には革命を危険思想と考えている人がいるかも知れませんが、それは誤解です。革命がなければ、新しいものは生まれません。革命がなければ現状のまま何の進展もありません。私は人類の恒久平和の為に、赤木政明が訴え続けた世界同時革命、すなわち地球革命を実行する必要があると信じています。ルターの宗教改革が、沢山の人たちを救済したように、『レッド・ウッド』の地球改革も人類救済のの為のものです。ですから『レッド・ウッド』の隊員は、世界に跳梁し、世界各地の人々に、革命の正義を伝播し、地球革命を成功させるよう頑張って下さい。私は人類の未来を思う諸君が『レッド・ウッド』に入隊することを呼びかけます。これから入隊手続きを致しますので、入隊を希望される方は、係の者が準備している書類に氏名等を記入して下さい。追って次の集まりの沙汰を致します。本日はお集まりいただき誠にありがとう御座いました」

 『特青隊』の入隊式は『レッド・ウッド』の入隊式に変わっていた。杉下栄は亡くなった赤木政明に完全に洗脳されていた。


         〇

 私の母、和子は赤木政明の焼身自殺を知り、その原因が自分にあるのではないかと、悩んでいた。月末になると弟の敏夫が、私のアパート『みどり荘』に来たが、私は母が泣こうが、喚こうが、絶対、家には帰らないと弟に言った。弟は『W大学』の政治経済学部を受験するので、頑張っているが、母がノイローゼ気味になっているので困っているとぼやいた。だが我慢して、受験勉強に頑張るよう励まして追い返した。赤木の自殺の原因の中に赤木に対する母の偏見と蔑視が少なからず含まれていたと思う事から、私は母を許すことが出来なかった。悲しみのうちに11月になった。私たち学生は『レッド・ウッド』の活動の他、期末試験の勉強をしなければならず多忙な日々となった。そんな11月25日、水曜日、作家、三島由紀夫が、『盾の会』の若者を帯同して、自衛隊市ヶ谷駐屯所になだれ込んだ。私たちは、この三島由紀夫の行動が、赤木が世界同時革命を世に訴えて焼身自殺したことが、彼の行動に拍車をかけたと推測した。『盾の会』と『レッド・ウッド』は、ある時期から、日本での革命時期を競っていたのかもしれない。『レッド・ウッド』の隊員は、決起するのは今だと叫んだが、杉下栄は、『盾の会』は『盾の会』、『レッド・ウッド』は『レッド・ウッド』だと言って、若い隊員の意見を全く受け入れなかった。

「我々、『レッド・ウッド』は世界の事を考えているのだ。『盾の会』のように、日本国内の範疇で物事を考えているのではない。『レッド・ウッド』には世界各地での同時決起というタイミングが重要なのだ。『盾の会』のように焦ってはならない。急いては事を仕損じるという言場があるではないか。兎に角、世界各地で足場を固めてから、事を成すのだ。焦るな。焦るな。焦ってはならない・・」

 杉下栄にとって、赤木政明の革命を成功させる為には、冷静に世の中の動きを俯瞰し『レッド・ウッド』の連中を巧みにリードしなければならなかった。三島由紀夫の『盾の会』の決起は杉下が予想した通り、結局、失敗に終わった。三島が描いた『大日本帝国』復活の夢は、自衛隊員の賛同協力が無かったが為に、哀れにも崩れ去った。事を成功させられなかった三島は、その場で部下と共に割腹自殺した。彼の割腹自殺を三島美学という人もいたが、私は失敗は残酷な事だと思った。杉下栄の言うように、決起のタイミングを誤ったなら、世界各地で多くの隊員が命を失うことになるのだと痛感した。杉下栄という人物は赤木政明の親友だけあって、慎重な男だった。『世界同時革命論』を秘密裏に世界各地に流布させる為に、宇野慎介、沢村国夫、柴田志穂たちを、この時、既に海外に送り出していた。そして私も赤木の夢を抱いて、宇野たちのように、海外へ行く日が来るのではないかと予想した。


         〇

 星が降るかのように満天を飾った夜、私は赤木政明の『世界同時革命論』を再読してみた。その一部分の文章に心を強く惹かれた。

〈 11世紀、中東で生活していた人たちは、牧羊と気象変化の為、草や木といった燃料資源を全く失い、砂漠の中をさ迷い続け、次々と死んで行ったが全く哀れな話だ。当時の彼らは自分たちが生活している地下に石油という資源があり、それを汲み出して、精製すれば、燃料になるということを知らなかった。そして何とか生き延びた彼らの子孫が、石油を精製すれば燃料や照明に最適であることを知り、今や世界エネルギーの大半ともいえる石油を我が物にし、全世界の経済を左右する力を保有するという時代となった。何と皮肉なことだろう。しかし世界の人は、神が彼らに与えた石油という財宝によって、彼らが全世界を手中に治め様としていることに気づいていない。昔のままの貧しい砂漠の旅団としか理解していない。それは大きな間違いだ。僕は彼らの中にこそ、次の時代を運命づける豊かな人たちがいると確信する。だから私たちは彼らに人類の平等を諭し、地球人としての認識を持たせ、世界一統によって、地球を救済すべきであると訓導する必要がある。彼らはイスラム教を信奉するが、彼らにキリスト教、ユダヤ教、ヒンズー教、仏教などの人たちを差別することなく、平和な地球の未来を世界各国の人たちで一緒になってで作り上げるものだと教え込むのだ。その為に、まず私たちは中東の平和を実現させねばならない。中東に飛び、アラブの大富豪を説得し、アラブを中心に世界一統思想を植え込み、世界平和を招来する先鞭をつける必要がある。ごたついているパレスチナ問題を解決し、石油を武器に、世界同時革命を行い、一時も早く、世界一統を実現させるべきである云々 〉

 私は、この一部分を再読して、何故か、『赤軍派』の重村小百合が言っていた思想に通じるものがあると思った。

「私たち日本の学生たちは世界に目を向けなければならないの。竹槍や角材を持って、学生運動の主導権争いをしている時ではないの。また『盾の会』のように天皇中心の自衛隊にしようとする愚かな事は考えないの。人類皆平等なの。だから私たちに、赤木さんの『特青隊』の力を貸して欲しいの。まずはパレスチナ紛争を拡大させないように努力するの・・」

 私は、これからの『レッド・ウッド』が、どうなるのか考えた。そして、赤木の論ずる世界同時革命の出発点として、自分がアラブに向かうかもしれないと予感した。


         〇

 木枯らしの冷たい12月の『レッド・ウッド』の集まりの日、杉下栄が皆に言った。

「我々は赤木政明の死を無駄にしてはいけない。我々には赤木政明が残して行った思念を完遂させねばならぬ義務がある。赤木は言った。〈人類は何時、如何なる時でも平等でなければならぬ〉と。まさにその通りだ。人類は平等でなければならない。アメリカ人も日本人も、ロシア人も中国人も、インド人もユダヤ人も、朝鮮人もアフリカ人も、みんな平等でなければならぬ。この平等の為に赤木は『世界同時革命論』を執筆した。そして我々に、その実現の為の説教をした。なのに彼は彼の思想を信用しない人たちにより強烈に自分の訴えを理解してもらおうと、焼身自殺までしてしまった。彼の肉体はこの世から消えてしまったが、我々は彼の思想を死なせてはならない。彼は私にこう言った。〈今の世界は最悪である。改変せねばならない〉と。私は来年こそは本腰を入れて、彼の夢を実現させるべく、我々が立ち上がる年であると思っている。『レッド・ウッド』を世界に雄飛させ、八紘一宇を成すことは、世界平和を実現させる道だ。今や我々は多数の隊員をかかえ、革命の実現は遠謀では無くなった。私が赤木の化身になって命賭けで頑張るので、諸君には、より一層の協力をお願いしたい。杉下栄、衷心より諸君に、お願い申し上げる」

 杉下栄は情熱をこめて喋った。その集会の後、杉下は私たち幹部を集めて、計画の具体化を相談した。幹部の今後の活動について示唆した。

「今日の集会で隊員たちに話した『レッド・ウッド』の決起の目標を5年後の1975年とし、来年1月より、具体的活動に入りたい。現在、日本国内にいる『レッド・ウッド』の隊員数は二百五十名を超えている。これだけの人数がいれば、国内活動には十分だ。不足しているのは諸外国における『レッド・ウッド』の隊員だ。そこで俺たちは優秀な『レッド・ウッド』の隊員を、速やかに世界各国に送り込み、諸外国で、『レッド・ウッド』の隊員を増強する為の活動を始めなければならない。この間、西ドイツに宇野君を派遣したが、彼は現地の情勢を綿密に調査し、頑張ってくれている。宇野の翻訳による『世界同時革命論』はドイツの反体制派の連中に好評で、ミュンヘンでの『レッド・ウッド』の隊員が20人程になったという。ドイツの隊員たちは、宇野君と連携し、西ドイツでの隊員を増やしているという。同様にして俺たちは世界各国に『レッド・ウッド』の隊員増やさなければならない。そこで、諸君にはアメリカ、カナダ、ブラジル、フランス、ソ連、オーストラリア、インドネシア、中国などに支部を設ける活動をして欲しい。新年になったら、それぞれ、自分が行きたい好きな国を書面で提出して欲しい。日本を離れることは辛いかも知れないが、それは覚悟してくれ。それは赤木と共に我々が願う世界平和の為だ」

 杉下栄は『レッド・ウッド』の幹部に外国行きの募集をした。私は覚悟した。赤木政明の思いを実現させる為なら、地獄に落ちても悔いはないと思っていた。赤木がこの世にいなくなった今、私が赤木と結ばれる手立ては、赤木の思想の為に、死ぬことだ。私は革命の道を、また一歩、前進する決断をした。


         〇

 昭和46年(1971年)1月17日、『レッド・ウッド』の幹部集会で、私たちは、『レッド・ウッド』の伝道と隊員集めの為、それぞれ行きたい国を書面で提出した。私は新井洋子と相談し、赤木政明が行きたいと言っていた中東のレバノン共和国名を記入して提出した。すると杉下栄は、私に訊いた。

「何故、戦争中のレバノンに行くのか?男ならまだしも、女が戦地に行ってどうする。危険だぞ」

「分かっています。でも赤木さんがベイルートの青い空を見たいと言っていたから・・」

「君は戦地に行って、赤木の後を追うつもりか」

「いいえ。私は、あの人になりきって革命を恋人にして、『世界同時革命』に参戦するのです」

「そうか。では赤木の化身となって頑張ってくれ。オルレアンの少女、ジャンヌダルクのように、男に負けぬ強靭な心の持ち主になって活躍してくれ」

「はい、中東のパリ、ベイルートに行って頑張ります」

 こうして『レッド・ウッド』幹部の第一陣の派遣先が決まったのはフランス、カナダ、レバノン、インド、南アフリカ、オーストラリアの6ケ所だった。既に隊員を送り込んでいるアメリカ、西ドイツ、シンガポール、香港の4ケ所を含めると、支部数の合計は10ケ所になる。隊員幹部は、最終派遣先について異論は無かった。私と新井洋子、奥山弘行は希望通り、レバノンに行く事となった。私はレバノン行きが決まると、下北沢のアパート『みどり荘』の部屋で母への手紙を書いた。

〈お母さん。お久しぶりです。

 お母さんが、この手紙をご覧になった時、私は日本にいません。多分、レバノンにいることでしょう。地中海に臨む中東の青い海を見詰めて、遥かなる祖国、日本での日々を懐旧していることでしょう。

 お母さん。私は貴方を裏切ります。赤木さんのことを忘れると言っておきながら、結局、私は赤木さんのことが忘れられないのです。私は赤木さんの夢『世界同時革命』を実現させる為、レバノンに行きます。『レッド・ウッド』のコマンドとして、女だてらに機関銃を持ち、アラブの砂漠を駆け巡ります。私はお母さんが夢見たような一流企業の男性社員の妻になることなど、全く考えていません。考えているのは赤木さんの夢を実現させる為に、命を賭けることだけです。

 お母さん。許して下さい。貴方の苦労を顧みず、お父さんとお母さんが与えてくれた大事な命を、自分一人で、自由勝手に処遇してしまう夕子を許して下さい。私にとって赤木さんは、私以上に大切な人でした。

 以上のことから、夕子のことはお忘れください。この世にいないものと思って下さい。長い間、育てていただき、本当に有難う御座いました。私と違って弟の敏夫は優しい性格な子ですから、大いに頼りにして下さい。そして長生きして下さい。お元気で〉

 私は手紙を書きながら、涙が出て来て、仕方ありませんでした。母と弟と離れ、遠い国に行ってしまうのだと思うと、涙がとめどなく溢れ出た。


         〇

 私は新井洋子たちと、レバノン行きが決定すると、渡航の為の種々の手続きや旅行仕度に追われた。荷物は最小限にしぼり、出来るだけ現地で調達することにした。旅行会社の観光地調査を理由に、長期間滞在することになるので、アラビア語の勉強もした。また杉下栄と一緒に赤木政明の家に行き、巣鴨にある彼の墓地を教えてもらい、彼の墓を訪ねた。そしてレバノン行きの報告をした。彼の墓のあたりでは、早くも梅の花が咲いていた。そうこうしているうちに世界各地に向かう仲間とのお別れの日が来た。金沢洋次と江口れい子たちはフランス、進藤靖男と川上あき子たちはカナダ、小林史郎と青木弓子たちはインド、黒田修一と吉岡光恵たちはオ-ストラリア、荒垣高行と高津孝子たちは南アフリカ、奥山弘之と新井洋子と私はレバノンへ出発する。私はドイツの詩人、ハインリヒ・ハイネの言葉を胸に旅立ちの決心をした。

 〈死神を味方にした恋くらい強いものは無い〉

 この死を覚悟しての出発は、私にとって、決して恐ろしいものでは無かった。『レッド・ウッド』の隊員たちは皆、赤木政明の思想の為に、生死を賭けて出発するのだ。国内に残る杉下栄や西本克己、天野広継たちも日本国内で良き指導者として活躍してくれるに違いない。2月24日、水曜日、私たちレバノン組は赤木政明の夢を抱いて、レバノンに向かって飛び立った。私は飛び立った飛行機の窓から地上を見下ろし、日本にさよならを言った。

「さようなら日本。私は行きます。私の中に生きている赤木さんと、レバノンへ行きます。ベイルートの青い空を見に赤木さんと行きます。さようなら日本。さようなら、お母さん」

 私を乗せた飛行機は赤木が切望していた信仰と仲間たちを乗せて、ベイルトへと飛行した。


        『革命という並木道』終り

 



         


 

 


 




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