呪いのシニビト
「ニック……!」
その言葉に老人の目は、オレが知る大きさになった。
「キミは……。キミはひょっとして!?」
「そうだニック!」
オレはニックの腕をつかみ、急がせるようにイスに座らせた。オレはニックに顔を近づけて、声を押し殺して言った。
「ニック、オレだよオレ! 女になっているけど、あのチケットの!」
「名前を書かなかったひとだね? よく無事だったね」
「なんだい。侯爵さんと知り合いかい?」
女将が口をはさんだ。
「ここではまずい。場所を変えよう。そうだな……。女将、部屋は空いているかね?」
「侯爵さん! お客と寝るのはよしてよ!」
「あ……いや、ちがうんだ。そうじゃない。ちょっとこのひとと大事な話があって。このチケットについてだよ」
「なら、いつものVIP席を使っておくれ」
女将は給仕の者にVIP席の使用の合図を送った。一階の奥にあるようだ。
ニックのあとについて行く。やっかみが聴こえる。
「よ! リリカラン侯爵! ナンパ成功か!?」
オレはそのやっかみに目をまるくした。
「ニック、あんたはここではリリカラン侯爵なのか!? 大富豪の!?」
VIP席に入り、扉が閉められる。豪華に設えられた内装で、いかにもVIPという感じだ。ニックは慣れた感じだ。よく利用するのだろう。
「半券をなくさなかったんだな」
ニックはテーブルにつくなり手を組んで言った。
「これはどういうことなんだ? このチケットはいったいなんなんだ?」
「言ったはずだよ。あなたを進化させるものだと」
「これが進化か? この世界がか?」
「そう。この世界で生きていくことが、あなたを進化させる」
「いったいなんの話?」
「あなたがいた真逆のこの世界で、あなたは生きる意味を見いだす。あなたは絶望していたはすだ。絶望している者にだけ、あの店が見える」
「……」
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「この世界で生をまっとうしたあと、あなたは元の世界にもどり、意義のある人生を送ることができる」
「オレは元の世界にもどるつもりはない。ここの世界で美女の人生を謳歌する」
「……しかし、そうはいかんのだ。あなたのその体は……呪われている体だ」
「?」
「やがて死神に気づかれるだろう」
「呪われてるとか死神とかなんの話だよ? わかるように説明してくれ!」
「あなたはあのとき、無理やり戸を開けてしまった。あの戸は、あなたの世界とこことをつなぐバックドア。正しい順序をふまないと、正しくこの世界に渡れない。そして間違うと……間違った“こと”になる」
「……」
「あなたの体は、首締められて殺された死人なのだ」
「……」
そう断言されると、すべてのつじつまが合う。
川のほとりで衣類をはぎとり、顔を殴って黙らせて……。もしかしたら、殺したあとにレイプしたのかもしれない。屍姦ってやつだ。あのとき、膣から流れ出ていたものは、殺した犯人のものだろう。
この体はそのとき、どういう気持ちだったのだろうか。恐怖と絶望の最中、どういう思いがあったのだろう。やりきれない感情が、全身をかけめぐる。
「……名前を持たないからこそ、死体に転生してしまった……」
「名前があれば?」
「名前を書いていれば、この世界を救う勇者に生まれ変わっていただろう」
「勇者?」
「魔王を倒す勇者だ」
はて、オルファによると、魔王は悪ではないはずだが。一瞬そう思ったが、それについてはニックに問わなかった。
「ニック、その死神が迎えにきたら、オレはどうなるんだ?」
「死神はあの世の番人だ。“不法に生きている者”がいないか、つねに動きまわっている。見つかれば即刻、醜い魔物に転生させられる。そうなると、人間のときの記憶は完全に失われ、本能のまま生きることになる。二度と人間に生まれ変わることはなくなる。永遠に魔物のままだ」
「……」
「死神から逃げることはできるが、せいぜい50日間が限界とされている。その日にちが、体からの死臭が極度に達する。そうなると、もうどこにも逃げられない。すぐに見つかってしまう。もっとも、その臭いは死神にしかわからないらしいが……」
「……」
「だが、可能性はある」
「?」
「元の世界には帰れなくなるが、その体で生き抜くことはできる」
このまま死神とやらにつかまり、魔物に転生させられるということは、この体からすれば、レイプで殺された挙句、魔物にさせられるってことだ。最悪最低じゃないか……!
「……オレはあの世界に未練はない。ここで……この体で生きていたい……!」
魔物にだけは、させやしない……!
「かぎりなく可能性は低いが……」
「それは?」
「あなたを殺した者を殺すこと」