ディフェリア・グレイ〜雨と共に世界に溶けてゆく君と〜
ある日、雨上がりに僕はとても美しい花を見つけた。
透明に透き通っていて、まるでガラス細工のようだったんだ。
***
僕はセドリック。普段は王都の学校に通っているけれど、長期休みを使って田舎の祖母のところへ帰って来ているんだ。
そんな僕だけど田舎はとにかくやることがなくて暇なんだ。友だちと遊ぶことも出来ないしね。
雨上がりの山道を、足元に気をつけながら散歩してみる。
雨の後だと緑色が鮮やかな気がして、少しだけ嬉しくなった。
「ん?」
足元に生えているほんの小さな花に気づいた。
大きな葉っぱに小さい花がついている、普通なら僕が気づくこともなかったような花。
だけど、
「うわぁ、すごいなぁ!」
一人で歓声を上げてしまう。
その花は透き通った花びらをしていたんだ。
指を添えてみたら向こう側の肌色が見えるくらいに透明で、こんなに綺麗な花は見たこともなかった。
濡れた地面に膝をついて同じ高さから見てみると、陽射しを反射してきらきらと輝いていて、一層美しく見えるんだ。
家に帰ると服を汚したと祖母に文句を言われたけれど気にしないことにして、見つけた花のことは誰にも言わなかった。
だって、僕だけの宝ものなんだから!
***
次の日は雨が降っていなかったから朝一番で山へ向かった。
昨日と全く同じところへ来たはずなのに、今日は何故か透明じゃなかった。
葉っぱの形も花の形も変わってないから、たぶんこの花だと思うのにな。
そう思って眺めていると、ふと影が差した。
誰もいないような山の上だから動物かと思って慌てて顔を上げると、銀髪の女の子がいたんだ。
あんまり綺麗な女の子だったものだから、見た瞬間に固まってしまった。
朝日を反射してきらきらと光る銀髪。
吸い込まれそうなほどに大きな銀色の瞳。
生きているのか不思議に思えるほどに白い肌。
薄い布をたくさん重ねて作ったようなワンピース。
朝日の妖精だと言われたらそのまま信じるくらいに美しい女の子だった。
「どしたの?」
見蕩れている僕に、ニコッと笑いかけてくれた彼女は、この世のものとは思えないような美しさから一転、無邪気なただの女の子みたいな笑顔だった。
「あの、えと……」
慌ててしまって上手く話せない自分がもどかしい。
彼女の前でみっともない姿は見せたくないのに。
「遊びに来てるんだ。僕、セドリック。君は?」
「……?さぁ、ねぇ……」
精一杯の勇気を出して自己紹介した僕だったけど、彼女は名前を言いたくないみたいだった。
「どの辺りから来てるの?」
「……?さぁ……?」
これも、言いたくないのかな?
どこか、良い家の生まれで逃げて来てるのかもしれないね。
「別に言いたくないなら言わなくていいよ!
一緒に遊ばないかい?」
名前を聞いた時にはどうしようかと戸惑って少し陰っていた笑顔が、また戻ってきた。
「遊ぶわ!」
こうして、きらきらと透き通るような美しさと、可愛い無邪気な笑顔が同居する、不思議な女の子と出会ったんだ。
***
彼女が連れてきてくれたのは、一面、じゅうたんみたいに黄色い花が咲き乱れる草原だった。
「とってもきれいでしょう?」
どこか得意げな彼女がかわいいな。
「ほんとに、とても綺麗だよ!」
仰向けに寝転がってみるとふわふわの草原が僕を包み込んでくれてるみたいで、とっても気持ちがいい。
彼女も隣に並んで寝転んでくれて、2人で目が合うだけで意味もなく笑いあって。
なんでもない時間が、ふたりだとこんなに楽しいんだ。
「君は、花かんむり作れる?」
「はな、かんむり?」
彼女は花かんむりの作り方を知らないみたいだった。
「作ってあげるよ!絶対、君に似合うと思うんだ!」
1本ずつ花を摘んで編んでゆく僕の手元を興味深げに眺める彼女。
覗き込んでくるから、もっと見やすいようにと彼女の方へ寄ったら、ほとんど頬が触れるんじゃないかと思うほどに顔が近くて、僕の心臓はドキドキしっぱなしだった。
それでも、なるべく意識しないように一心に手を動かす。
「できたよ!」
彼女に被せてみると、神秘的な美しさはちょっと減ってしまったけれど、代わりに太陽みたいな可愛らしさになったと思う。
「とっても可愛いよ!似合ってる!」
でも、彼女は花かんむりが見たいようでずっと自分の頭の方を見ようとしている。
「んー、見えないの。見たいの!」
ちょっと残念だけど、外して手に乗せてあげる。
「お花は一個ずつなのに、輪っかになってるのよね〜すごいわ!」
「気に入って貰えてよかった」
しばらく手元で眺めていた彼女が、ちょいちょいと手招きした。
誘われるように近づくと、
「えい」
花かんむりを僕に被せられた。
「うん、セドリックにも、似合ってるよ!」
「僕に被せたってかわいくないだろ」
「そんなことないわ!それに、私に被せたら私は見えないんだもの。セドリックにつけてもらったほうがいいのよ」
「君のために作ったんだから、きみがいいのならいいけどね」
「ええ、とってもすてきよ!ありがとう!」
無邪気な笑顔を見せて貰えて、ちょっとくすぐったくなっていた。
また、草原に寝転びなおす。
さっきよりもずっと距離が近くて、腕が少し触れ合っている。
僕よりも低い彼女の体温さえも心地いいんだから不思議だな。
「明日も、来たら会えるかい?」
「そうね、明日は会えるんじゃないかしら。
雨は、降らないと思うわ」
「よかった!雨が降ったら僕だって来れないから、降らなかったらいいね」
「本当にそう。ずっとずっと降らなかったらいいのにね」
「それじゃあみんな困っちゃうよ」
「それもそうね」
ふたりで他愛ない話をしているだけで楽しくて。
日が傾いてきたから名残惜しいけど家に帰った。
***
次の日。
昨日と同じところへ行くと、もう彼女はそこにいた。
「おはよう」
後ろから声をかけると少しびっくりしたように肩を震わせてからこちらを振り返った。
「おはよ。びっくりしたわ」
「ごめんごめん。今日も遊ぼう?」
「うん!遊びましょう!」
振り返った瞬間の、驚きに目を見開いた表情もかわいくって、知らない顔をたくさん知っていけてるのが嬉しくて仕方なかった。
「今日は、こっちへ行きましょうか」
そう言って僕の手をとって、連れて行ってくれる。
僕は彼女と手を繋いでいると言うことだけでいっぱいいっぱいで、景色なんてほとんど見れなかったけどね。
「ほら、ここよ!綺麗でしょ?」
珍しい花がたくさん咲いていた。
紫、赤、オレンジ、青、黄色……
昨日のところと違って、色んな種類の色んな花が咲いている。
「これ、なんて言う花?」
本当に色々な種類の花があるから気になって聞いてみると。
「あなた達が何と呼ぶかは知らないけれど、知らなくっても美しいでしょう?」
「確かに、それもそうだね」
特等席だという、花畑全部が見えるところにある岩の上へふたり並んで座る。
触れるほどに肩を寄せてくれるのが嬉しくって髪をなでてあげると、くすぐったそうに身をよじる姿が本当にかわいい。
「クッキー持ってきたんだ。一緒に食べよう?」
「あら、ごめんなさいね、貰えないわ。私はあなた達と同じにはなれないの。
私の存在がなくなってしまうから」
さっきまで無邪気に笑いあっている普通の女の子だったのに、急によく分からないことを言い出した。
「どういうこと?」
「こうしている私は、楽しいけれどあなた達と同じにはならないのよ」
本当に、どういうことか分からない。
でも、あまり聞きすぎると彼女と会えなくなってしまうのかもしれないとも思えた。
「それならせめて、明日も会える?」
「明日の私はいないでしょうね。雨が降るもの」
「どういうこと?」
「雨は、私を生まれ変わらせるのよ。
透明になって、一度世界に溶け込むの」
世界に、溶け込む?
自分の分かる範囲を軽々と飛び越えられて、困惑することしか出来ない。
「そうね、どうしても会いたければ、明日のその次になれば新しい私がいるでしょうね」
「新しい、君?」
「そう。同じ見た目よ?」
「でも君じゃないんだろう?」
「ええ、そうね」
「僕は、君とまた会いたいのに?」
ずっと澄ました顔をして、まるで女神さまみたいだった彼女の表情が、くしゃっと崩れた。
「私だって、あなたとまた会いたいのよ。
でも、私は一度溶けるの。大丈夫よ、また新しい私に会えるわ。大丈夫。」
泣きそうな顔で、まるで自分に言い聞かせるように大丈夫と繰り返す。
「それは、イヤだ。君じゃないと。
僕が好きなのは君なんだ。新しい人じゃないんだ」
僕は、僕の想いを伝えたつもりだったけど、ますます彼女の表情が崩れてしまった。
大きな瞳にはなみだがたくさん溜まってきて、決壊寸前だった。
「私も、あなたと同じよ、セドリック。あなたは、私が初めて覚えた名前なの。この記憶が消えてしまって欲しくないの」
ボロボロと泣き始めてしまったことにうろたえて、背中を撫でてあげることしか出来ない。
「私は世界のはずなのに、溶けたくないと思ってしまっているの」
「だったら、ずっと一緒にいよう?一緒に!」
「ダメよ。私は世界なの。そのことわりを曲げることは出来ないから、いつか私は溶けてしまうの。雨と共に」
それからしばらく、彼女はボロボロと泣き続けた。
僕も一緒に泣き続けていたのに、突然、彼女は吹っ切れたように笑った。
僕が大好きな無邪気な笑顔で。
「大好きよ、セドリック。出来れば私だけのものにしてしまいたいくらい」
「君だけのものに、できないの?」
「それはあなたのためにならないわ。ただ、私から一つだけ、我儘を言ってもいいかしら」
「もちろんだよ、なんだって聞くよ!」
「雨が降った日はここへ来てもいいけれど、次の日からはもう来ないで欲しいの。私はいなくなるけれど、次の私は生まれるのよ。
次の私と、あなたが、仲良くなるのは、ちょっと嫌なの。同じ私のはずなのにね。」
後半はまた泣き出しながらそう言った。
「分かった。僕にとっても、君は、君だけだから。明後日には、もう来ない」
「ありがとう」
お互い泣き腫らした顔で、そう約束した。
その顔はただの女の子みたいで、彼女が明日消えてしまうなんて信じられないくらいだった。
「さあ、帰りなさい。いつでも、私は見守っているから」
そう言って笑いかけてくれる彼女の笑顔を、ずっとずっと覚えているだろう。
***
翌日。
朝の雨があがるのが待ち遠しかった。
早くに起きて、窓に張り付くようにして外を見ていて、雨があがるとすぐに山へ向かう。
いつものところへ行ってもやっぱり彼女は居なくて。
でも、とても美しく透き通った、ガラス細工のような花だけが、そこに咲いていた。
ディフェリアグレイ
日本語名はサンカヨウ
雨があたると透明になる珍しい高山植物。