溶け合う時間(1)
西条花実は控え室のパイプ椅子に座って頭を落としていた。ぶらぶらさせている足元のタキシードのすそはもうひきずっていない。
さっきまで高揚していた気分は、また風船がしぼむように花実から抜け出てしまっていた。
逃げ出したい。ここから。すべてから。
男ぶりが評判の叶江の従弟は、来なくてもいいのにこんな衣装あわせの場にまで押しかけてきて言う。
「おじさん、叶江ちゃんが可哀想だよ」
体に合わせて仕立てたスーツはぴったりといかにもスマートに映る。
ちょこんと座ったまま、花実は哀れっぽいよこ目で美しい婚約者を伺った。
まぶたをふちどる長いまつげに覆われた黒目が壁の上の一点を見つめている。心配そうに見守る彼の心とは裏腹に、特に物憂げというわけでもなく、何かを心配している気配もなく、ただ単に疲れたので休んでいる風情だ。
花実はその目が好きだった。
「はっきり言っていたよ。恋愛結婚なんて興味ございませんとね」
「しかしいくら美人でもあの性格はちょっと無理だ。でも君は悔しがっているんだろ」
「気分はもう、勝手にしやがれですよ」
そんなささやき声も、叶江という目の前にあるその一つの視線の前で雪のようにとけて消えて行く。
花実にとって叶江は美術館の額縁の中、雑誌の紙面、またはスクリーンの向こうにあるようなよそよそしい、手の届かない存在では決してなく、もっと親しく近く、よく見知った一人の人間だった。何しろ幼稚園から一緒なのだ。
「叶江ちゃんはきっといやがらないと思うわ」
結婚を言い出したのは彼の母で、父親は及び腰だった。叶江がまさか承諾するなど周囲の誰一人思わなかった。
花実は考える。叶江はどんな生活を望んで恋愛結婚を否定したのだろう?お嬢さん育ちにふさわしい奥様生活か?この見るからにでこぼこな二人、だれが見ても笑う滑稽さに見合うだけの何が彼にあるだろう?
実家の懐具合ならば知っている。いい縁談とはとても言えない。
母親から借りたというふんわり広がったスカートがソファ一面を覆っている。部屋のソファに靴を脱いだ片足を上げ、半ば横座りになって頬杖をついていた。
言わなければならないと決めていた心がしおれる。
勇気を出して花実はおずおず呼びかけた。
「ねえ、叶江ちゃん」
「なによ」
叶江は壁に向かって答えた。
「そのう…」
「なーに」
「ええと…」