1977 昭和52年のホテルの一室(2)
「キャー!!!は、は、」
「破廉恥ー!!!」
周囲は蜂の巣をつついたような騒ぎになり、ホテルマンが何人も飛んできた。
「何事?」
控え室から叶江が飛び出してきた。すっきりしたストレートの、ドレスというよりワンピースを着ていて、ミニ丈なため生地に負けないほど白い足がすらっと伸びている。真っ白な光がさしてきたように、誰もがすがるように叶江の方に寄る。
「花実ちゃん!」
叶江は呼び掛けた。どうやら、小太りの男の名前らしい。
しかしあっちにぶつかり、こっちに走りと小男は右往左往していて気付かない。
叶江は眉を片方吊り上げ、声を上げた。
「ちょっと!そこのブタ!」
パニックに陥って何も耳に入らなくなっており、青くなって走り回っていた小男はブタの一言に敏感に反応した。
恐るべきすばやさでおどおどしながら小男は叶江の方に駆け寄ってくる。皆が後ろに下がって道を開けた。
叶江は持っていた服を差し出した。
「出来たわよ!早く履きなさい」
相手はよっこらしょとタオルを巻いたままズボンを履こうとする。
「ばか、中でだわよ」
叶江はコーヒーを口にあてて熱さに顔をしかめまた離した。
「あのブタ、サイズが合わないのに隠してたのよ」
尖った声が控室に使われている紫の間に響き渡っていた。
「何それ!なんでこんなゆるゆるなの?西城花実よ、あってるの?別人じゃない?」
ズボンのすそが床に落ちて白くなっている。
「いいよいいよ。大丈夫だよ」
「どこに頼んだの?担当は誰?ちょっと花実ちゃん、どこに行くの!?」
叶江は婚約者の襟首を捕まえた。
「お直しいたしますか?」
笑いをこらえながら聞いてくる仕立て屋の使いに、叶江はつんとして答える。
「結構です。頼みません」
命令した。
「花実ちゃん、脱ぎなさい」
「えーーー!?」
「ここで縫うわ」
「かなえちゃんが?」
「お前、縫い物できるの?」
この騒ぎを興味深げに観察していた叶江の兄がたずねる。
「ばかにしないで。何のために裁縫学校に通ったと思ってるの」
座って糸を口で切りながら叶江は兄をにらみ上げた。
「ほんとはねお兄ちゃんよりもあたしの方が成績良かったの。パパが女は学校なんて行かなくていいって。お金の無駄だって言うから、仕方なくあきらめたの」
小男が口をはさむ。
「それは悲しかったよね」
「恨んだわよ!当たり前じゃない。何言ってんの」
やっとすべてが落ち着いて仕立て直しも綺麗に終わり、物陰から見守っていた叶江の友人二人は相変わらず囁き交わしていた。
「やだ嬉しそう」
「目尻がたれ下がってるからなおさらいやらしく見えるわね」
叶江が見守る前で小男は足元を見て数歩、北へ南へと歩いてみている。
「かなえちゃんありがと」
だらっと垂れ下がって、ブルドックかパグそっくりの頬が揺れている。
「ぶよぶよしてる」
「汗かいてる」
「拭いてる」
「やだぁぜったい無理!」