8話 吉川先生
小さな人体模型が言うには、その日は、吉川が宿直だった。彼は宿直室には泊まらず、いつものように理科準備室に泊まっていたそうだ…。
校内には、彼一人しかいなかったはずだった…。
真夜中。準備室の外で物音がして、彼は原因を確かめるために、懐中電灯を手に廊下へ出た。
そして、校内に侵入した暴漢に遭遇してしまう。
暴漢はナイフを持っていた。吉川は、暴漢からナイフを奪うために近づき、もみ合いになった。そして、腹部を刺されてしまう…。
その後、彼は自力で警察に連絡し、犯人も捕まった。
しかし、吉川はその傷が元で、病院で息を引き取ったという…。
動く人体模型を見つめる桜田先生。彼が口を開く。
「やっぱり、先生だったんだね。…でも、どうしてあの優しかった先生が、人体模型に取り憑いて学校を破壊なんて…?」
「エ?ジンタイモケイ?」
動く人体模型は、驚いたように言って、自分の手を眺めている。右手は普通の手、左手は筋肉がむき出しになっている。次に顔を触る。中心線で触り心地が違うのを確かめているようだ。
「…ソウダ。オモイダシタ…。コレハ、ワタシノ イシ ジャナイ…。ワタシハ、アノオンナニ…。」
その時、その場の空気が変わった…。
タケルは、なにかどんよりとした気持ちの悪いものを感じる。同じものを感じたのか、小さな人体模型が叫ぶ。
「やばいぞこれはっ!校内の負のエネルギーが、全てここに集まって来てやがるっ!」
タケルの全身に鳥肌が立つ。膨大な量の何かが、動く人体模型に入り込んでいくのを感じる。
動く人体模型の瞳が赤黒く…鈍く輝く…。
悪意のこもった声がその口から発せられる。
「…オレヲ殺シタノハ………、オマエカーーッ!!」
突然、動く人体模型が桜田先生につかみかかる。
「うわぁぁっ!!」
叫ぶ桜田先生。動く人体模型の手のひらが、桜田先生の腕を掴む。腕が弾けるかというほどの握力。もう保たないと思った時、桜田先生はその痛みから解放された。
その時、彼の体は宙に浮いていた。動く人体模型が桜田先生を持ち上げ、体育館の壁に投げつけたのだ。
「危ないっ!!」
タケルは桜田先生と壁のあいだにすべり込み、激突を防ぐ。
「ぐっ!」
桜田先生を受け止めた事で、身体中が痛い。骨が2、3本は折れてるんじゃないかと思うほどに…。
「大丈夫か?人間!」
いつのまにかタケルから離れていた小さな人体模型が、タケルに声をかける。
「ハハッ…もう、ダメみたい…。」
タケルは頼りない声で言った。しかし、次に小さな人体模型がかけた言葉は、タケルの思い描いた優しい言葉ではなかった。
「ダメじゃないんだ!足が吹っ飛んでも、手が砕けても、意識があるなら早く都市伝説事典を開くんだよっ!!」
「…え?し、心配してくれてたんじゃないの?」
「誰が人間の心配なんかするかよっ!都市伝説事典を使えるのはお前だけなんだ!死ぬ気で調べるんだよっ!」
「調べるって何を⁉︎」
「決まってんだろ!ヤツの本当の名前は都市伝説・吉川先生だ!都市伝説事典に向かって念じれば良い!ページよ開けってなぁ!」
「そうか…。」
タケルは記憶を引っ張り出す。
都市伝説事典が開く時、俺はそのページにある都市伝説の事を考えていた。動く人体模型の時も、トイレの花子さんの時も!
都市伝説事典は、その場に都市伝説がいたから反応したんじゃない。俺の思考に反応していたんだ。
「わかった!やってみるよ!」
そう言うと、タケルは都市伝説事典に念を送る。
「都市伝説事典!吉川先生のページを開けぇっ!!」
バラバラバラバラッ!
都市伝説事典がひとりでに開き始める。そして、止まったそのページに書かれていたのは…。
「これだ…。吉川先生っ!」
タケルは言った。白紙だったページに、字が現れている。
「おい!アイツの弱点みたいなもんが書かれてないか?」
タケルはまだ都市伝説事典を読み始めてもいないというのに、小さな人体模型はタケルを急かす。
「ググ…」
動く人体模型…吉川先生は、タケルたちの目前に迫りつつある。
「早くしろ人間!」
「俺はタケルだっ!わかってるよっ!」
桜田先生は、さっきの衝撃で気絶している。タケルは、そのページを読み始める…。
「弱点…弱点…。」
しかし、慌てていて何が書いているのか理解出来ない。字がゲシュタルト崩壊をおこす。
「うわっ!内容がぜんっぜん入って来ねーっ!」
「落ちつけっ!都市伝説事典に任せろっ!念じれば良いんだよ!アイツの弱点を教えてくれってな!」
小さな人体模型が叫ぶ。タケルは目を閉じ、心で念じる。
教えてくれ!都市伝説事典っ!!
すると、タケルに情報が流れこんで来る。
「弱点は、わからない。…けど、アイツがこの世に残した未練はわかった!それは、初めて担任した6年生たちの卒業式に、出られなかったこと。そして、教え子らとの約束を果たせなかった事だって!もしその未練を断ち切る事が出来れば、吉川先生を成仏させられるかもしれないっ!!」
「…うぅ……、約…束。」
気絶していた桜田先生が呟く。どうやら目覚めたようだ。
「桜田先生っ!起きたのか?」
「すまん…、御堂。最近寝不足でな…。」
桜田先生はタケルに冗談を言うと、立ち上がり、再び吉川先生の方へと向かう。
「おい、小僧!ソイツを止めろ!」
小さな人体模型が叫ぶ。
「先生っ!危ない!もうソイツは…!」
タケルは桜田先生を止めようとするが、体中が痛くて動けない。
桜田先生はすでに吉川先生の目前…。
「先生っ!安心してくれっ!先生が卒業式にくれるはずだった俺たちへの贈る言葉、俺たちにちゃんと届いてるよっ!」
桜田先生は、そう言うと、胸ポケットから折りたたまれた大学ノートの1ページを取り出す。
「卒業式の後、吉川先生の奥さんが俺たちに渡してくれたんだ。先生の残したノートからこれを…。6年1組の卒業生1人1人に!」
そのノートの1ページには、吉川先生の桜田への想いが裏表にびっしりと書かれていた。
何度も消して書き直したあとも見られる。
吉川先生が、時間をかけて悩みながら桜田先生のためにその文章を書いた事がよくわかる。
その1ページには、吉川先生の愛情があふれていた…。
しかし、桜田先生の目前にいる都市伝説・吉川先生からは、愛情のかけらすら感じられない。
ソイツは、怒りに囚われた赤黒い目で、桜田先生をにらみつけていた…!
口からは、瘴気のようなものが立ち昇る。
「!!」
瘴気に当てられた桜田先生は、恐怖でその場に崩れ落ちる…。
「やっぱりダメだっ!桜田先生の声は、もう吉川先生には届いてないっ!」
タケルは絶望の乗った声で言った。吉川先生を成仏させるのは、もう無理なのか…?
一瞬の静寂…。
「はぁ…。」
誰かのため息が良く聞こえる。それは小さな人体模型から出たものだった…。
「…仕方ないか。本当は嫌だが、最後の手段だ。ワシが喰ろうてやろうか?アイツを狂わせている、この負のエネルギーを…。」
小さな人体模型はそう言って、ニヤリと不敵に笑った…。