16話 ドッペルゲンガー
「……何だったんだ今の?」
タケルは今、目の前で起こった事が信じられないでいる。
13階段のその鋭い爪が確かに空間を切り裂き、世界はそこからめくれるように表と裏を入れ替えていった。
タケルにとってその光景は、今まで見た映画全てを足しても足りないくらいの大スペクタクルロマンだった。
……だったのだ!しかし、その後の世界は上下が逆さまになっているわけでも、鏡のように左右が逆になっているわけでも、ましてや写真のネガのように白黒が逆転しているわけでもなかった。
反転した世界は元の世界と変わらず、見た目的には全く反転などしていなかったのである。
「……なんか納得出来ねーな。」
さっきの大スペクタクルロマンは夢だったかのように……普通。
今、タケルを支配しているものはコレジャナイ感。
例えるならRPGのラスボスのパワーアップした後の画像が、パワーアップ前の画像の使い回しだったような感じ……。
冒頭の“……何だったんだ今の?”は、どこぞのテーマパークの売り文句のような驚きと興奮から出た言葉ではなく、コレジャナイ感と少しの怒り、そしてかなりの喪失感をもって使われた言葉だった……。
「ギュー!ギュー!」
ガリガリガリ……。
静寂を堪能していたタケルの足元から、何かの鳴き声と何かを引っ掻くような音が聞こえてくる。
タケルが下を向くと、その右足はまだ13階段の尻尾を踏んだままだった。
身動きの取れない13階段が、鳴きながらタケルの靴をガリガリしている。
「あっ!ごめん!」
慌てて足を上げるタケル。というか浮かぶ。
13階段は尻尾を取り戻すと、猫のように毛を逆立ててフーッとタケルを威嚇する。
「珍しいわね。13階段は世界を反転させた後、すぐ姿を隠すはずなんだけど……。タケルが尻尾を踏んづけたまま呆然としてたからかしら?」
その時、渡り廊下の扉が開き、誰かが入って来る。
「タケルッ!隠れてっ!一年前のタケルがきたわっ。」
キーホルダーから花子が叫ぶ。
「大丈夫だろ?向こうから俺は見えてないんだから。ま、こっちからもぼやけて顔は見えなかったけど。」
タケルは笑いながら言う。
「さっきまではね。でも今のあなたは、彼が一年前の自分だって認識してしまった。ねぇ、ドッペルゲンガーって知ってる?」
「ドッペルゲンガー?」
タケルはその言葉に聞き覚えはあったが、すぐには思い出せない。
こんな時に都市伝説事典があれば……。
と考えて、タケルは都市伝説事典が付いてきていない事に気付く。
「そうか。鏡のキーホルダーを持って来たから……。」
タケルは、幽体離脱中は身に付けていた物のうち1つだけ持って来ることが出来るという花子の言葉を思い出していた。
「聞いてる!?あなたにとって大切なことを話してるのよっ!」
かなり分かりやすく別の事を考えていたタケルに、花子は注意する。
「聞いて!ドッペルゲンガーはね、自分自身に出会った者は死ぬっていう都市伝説よ……。今の状況なら、もしかしたらって事もあるかも知れないわ。」
花子は真剣な声で言った。
「え?え?じゃあ急いで隠れなきゃいけねーじゃんっ!!」
かなり分かりやすく慌てるタケル。もう都市伝説事典の事は頭にない。
「だからさっきから言ってるでしょ!急いで!天井付近で息を潜めてれば少なくとも鉢合わせることはないはずよ。後はタケル、くれぐれも顔だけは見ないでよね!」
花子は釘をさす。
「でも、アイツはどうすんだよ?」
アイツとは、先程までタケルを威嚇していた13階段の事だ。今は再び定位置に戻り、階下を見下ろしている。
「ほっときなさいよ!自分で何とかするでしょ。それより今は隠れることの方が先決よ!」
タケルは花子に言われた通り、一度天井を仰ぎ、そちらに向かおうという仕草に移る。しかし…。
「……!」
その直後、タケルは考えるよりも先に動いていた。
一年前のタケルはもう目と鼻の先まで迫っている。
タケルは壁を蹴り、踵を返す。
ギシッとラップ音が響く。
一年前のタケルはビクッと肩を震わせ、音の鳴った壁を怖々と眺めている。
タケルはその隙に階段へ向かうと、おもむろに13階段を抱え上げる。13階段は嫌がり、タケルに爪を立てた。
「痛てっ!痛てて……。」
少し声が出てしまった。タケルは慌てて一年前の自分自身に気付かれていないか確認する。
……どうやら彼には聞こえなかったようだ。
しかし、タケルが確認のために一年前のタケルを見たのと同じタイミングで、壁を見ていた一年前のタケルの首は、ゆっくりと階段の方を向いた……
ガジッ!!
その時、13階段はタケルの左手薬指に噛み付く。痛みで目を瞑るタケル。
「上っ!そのまま上って!!」
キーホルダーから花子の声。
タケルは痛みを我慢しつつ13階段を抱え、天井付近へと上る。
髪の毛一本程の差。まさに間一髪だった。その下を何も知らない一年前のタケルが通り過ぎていく。
タケルは何故か頬を膨らませて息を止めていた。さらに左手人差し指の痛みで苦悶の表情を浮かべ、必死に声を押し殺す。そのまま、一年前の自分が階段を下りて行くのを見守った……。
「何やってんのよ!13階段なんかほっといて良かったのに!自分自身に出会って死んだ人って、タケルが思う以上にたくさんいるんだからねっ!!」
キーホルダーの中から花子が怒る。
「ブハーーッ!」
口から大量の息を吐き、ハァハァと新しい空気を吸うタケル。
「別に息を止めろなんて言ってないじゃない。バカみたい。……プフッ。」
花子は努めて怒りを持続させようと試みたが、13階段に噛まれながら息を止めていたタケルの滑稽さに我慢出来ず吹き出す。
「なーに笑ってんだよ?だって、コイツまた背中向けてんだもんよ。完全に踏まれてただろ?アレ。いくら何でも2回続けて踏まれるなんてあまりにもかわいそうだからさ。助けない選択肢は俺にはなかったんだよ。」
タケルは心配顔で言った。
「え?まさかそんな理由で13階段を助けたの?ドッペルゲンガーと顔が合っていれば自分が死んでいたかもしれないのに?威嚇されてたんだから、抱き上げれば爪やら牙やらで傷だらけにされるのは目に見えてたはずなのに?」
花子は信じられないといった風に早口で捲したてるようにタケルに言った。
「あ、ああ。」
タケルは悪いことをしたとは思っていない。花子はそれが嫌でイヤミの1つでも言いたくなる。
「タケル、あなたその傷から反転するわよ……。」
「!!!!」
花子の言葉に震え上がるタケル。
「そ、そうだった。さっき、こいつの爪は世界を反転させたんだった!俺の体だって簡単に反転させられるに違いねーっ!ど、ど、どうしよう?は、花子、助けてくれよっ!!」
「…………」
花子は何も言わない。
しかし、しばらくしてプフッと吹き出す。
「嘘よ。13階段は人を反転させたりはしないわ。それに今の13階段の爪には、さっきのように世界を反転させるほどの力はもう残っていない。あれを使えるのは3年に一度なのよ。」
花子は言った。
「はーっ。良かったーー。」
タケルは安心して肩の力を抜く。タケルがその話の間、13階段を放り出す事なくずっと抱いていたのは、彼の優しさの表れだった。
そして13階段は、さっきまで噛んでいた指をペロペロと舐めていた。
「あれ?さっきの態度と180度変わってんなぁ……。もしかして俺の優しさが通じた?」
タケルはそう言って頭を撫でようとする。すると13階段はフーッと牙をむき出しにしてきた。
「うわっ!」
タケルが慌てて抱く手を緩めると、13階段は体を揺すってそこから抜け出し、一回転して無事床に着地する。そして再び牙をむき出し、タケルを威嚇……。
「ごめんごめん。もう何もしねーって!」
タケルは両手を上げて降伏のポーズを取る。すると、13階段はそれがわかったかのように威嚇するのを止めた。穏やかな表情をしている。
「それと、もう一つごめんな。……尻尾踏んで。」
タケルが謝ると、13階段は許してやるよと言っているかのように、
「キューン」
と一声鳴いた。そして、13階段は定位置に戻り階下を見下ろす……。
「さぁ、行くわよタケル。」
花子が言う。
「行くってどこに?」
「もう一度旧校舎に戻るのよ。そして、奥にある女子トイレまで行って。」
「花子と会ったあのトイレだな。わかった!」
タケルは渡り廊下へ続く扉へと向かう。ノブに手をかけた時、思い出したように振り向くタケル。13階段の後ろ姿が見える。タケルは声をかける。
「おい!一緒に行くか?」
すると、13階段は振り向き、言葉がわかったかのように首を横に振った……ような気がした。そして、そのまま再び階下を見下ろす。
「アイツ、また定位置で下を見てらぁ。もしかしたら、ここで誰かを待ってんのかもな……。」
タケルは呟いた。
「そうかもね。表と裏の世界を行き来しながら誰かを待っているなんて、少しロマンチックな話じゃない。」
花子は少しの乙女心を覗かせた。
そしてタケルは扉を開け、渡り廊下へと踏み出して行く……。
13階段の話は、1年前の肝試し編 4話とリンクしてます。




