10話 槇村サトリ
事の発端は、1か月ほど前。ヤマトの父親が経営する結城記念病院に、昏睡状態の1人の少女が搬送されて来たことからだった…。
ある日、ヤマトは、父親に病院に呼び出された。ヤマトは、父親と病院の廊下を2人で歩いている。
「珍しいね、父さん。僕を病院に呼び出すなんて…。」
ヤマトは言った。少し迷っているような表情で父親は口を開く。
「実はな、ある女の子が、原因不明の昏睡状態でうちの病院に運ばれて来た…。彼女の両親は、ここに来るまでに、あらゆるつてを使って、全国の名医と呼ばれる先生に看てもらったそうだ。が、結果、回復どころか、原因の一端すらつかめずにいた…。もちろん、私もあらゆる検査をしたんだが、彼女には、何一つ異常は見つけられなかった…。」
父親は、ある個室の前で立ち止まる。
「ここだ。その女の子は、この部屋にいる。ヤマト、お前にその女の子に会ってもらいたいんだ…。」
「え?僕が?」
ヤマトには、理由がわからない。
「話の続きは、部屋に入ってからだ、ヤマト。それに、彼女は、お前も良く知っている女の子だ…。」
父親は、そう言ってドアを開ける。
その部屋の中、真っ白なベッドに眠っていたのは…?
「も、もしかして、サトリ?」
ヤマトは驚く。彼女の名前は、槇村サトリ。タケルとヤマトの幼馴染の少女だった。ひまわりの秘密基地で遊んだ日々をヤマトは思い出す。彼女は小学校3年生の時、親の仕事の関係で、夕暮町を離れていた…。ヤマトは、それ以来彼女には会っていなかった。あれから2年が経つ。その2年のうちに、少女はその面影を残しつつ綺麗になっていた。
「私は、医師として彼女になにもしてやれなかった…。だから、ある人物に彼女をみてもらったんだ…。」
「ある人物?」
サトリに見とれていたヤマトは、その言葉が引っかかり、父親の顔を見た。ヤマトの父親は、脳医学の権威で、日本でも5本の指に入る程の人物だった。そのため、患者にとっての最後の砦になることも多く、自分を頼って来た患者を誰かに頼むなんて聞いたことがなかった。
「父さんが他の医師に頼むなんて、そんなことあるんだね?」
ヤマトはそのままを口に出した。
「いや、彼女の治療は医師には無理だと判断したんだ…。」
「え?」
「ヤマト、お前は知らないかも知れないが、この夕暮町には、ある筋ではとても高名な霊能師が住んでいるんだ。」
「霊能師…?」
「ああ。その方は、力をひけらかすこともなく、テレビに出演するようなこともない、本物の霊能師でな。見た目はただのおばさんなんだが、とても強い霊力を持っているんだ。」
「その霊能師に、サトリを見せたの?」
「ああ。もちろん、サトリちゃんの両親にも相談してな。」
「で、その霊能師は何て…?」
ヤマトは、その、霊能師といういかがわしい言葉に嫌悪感を抱きながらも、核心を求める。
「…ヤマト、その霊能師は、お前と話したいと言うんだ。理由はわからない。しかし、そのかたが言うには、サトリちゃんの意識を戻すためには、お前の助けが必要だと言うんだ。」
「…え?僕?父さんが何も出来ないのに、僕に何が出来るって言うのさ!」
「それは私にもわからない…。」
「それにさ、霊能師なんて本当に信じられるの?医師である父さんが、そんなオカルト的なものにすがっていたなんて…。信じられないよ…!」
「ヤマト、それは違う。医師だからこそ、生死を見届けて来たからこそ、わかることがあるんだよ。この世界には見えないものも存在する…。ほかの霊能者はしらないが、あの霊能師は本物だよ。私は、患者を救うためにあのかたに助けを求めた。それだけなんだ。」
ヤマトは、父親の目を見る。そこに偽りはない。
「…わかったよ。まだ信じられないけど、その霊能師さんって人に会ってみるよ。で、その人にはどうすれば会えるの?名前は…?」
「…あのかたに名前はない。会う方法もないんだ。ただ、必要な時にあのかたは現れる…。」
「…!!」
ヤマトは、父親のその言葉で気づく。それは、昔からこの地域で語られている都市伝説、名前のない霊能師の話に非常に酷似していた。この世で一番強い霊力を持つ霊能師がいる。そのかたは、力をひけらかすこともなく、テレビに出演するようなこともない。会う方法もなく、ただ、本当に必要な時にだけ現れるという。その霊能師の一族は、日本が誕生した頃から存在する強大な悪霊と対立していて、その悪霊に名前を知られないために、生まれた時から名前がないのだという…。
ヤマトは、その都市伝説を、ただの噂だと思っていた…。ヤマトの気持ちをその表情で感じ取ったのだろう。父親は、
「都市伝説や噂じゃないんだ。あのかたは本当にいる…。その証拠に、お前にこれを見せろと言われている。」
と言って、サトリの布団をめくる。
「ヤマト、お前には彼女の手に何が握られているように見える?」
サトリの両手は、ヘソの辺りに重ねて置かれている。右手が上側。その下に左手。そして、さらにその下には、黒く分厚い本が置かれている。
「…本。黒い…。」
ヤマトは答える。父親は、おもむろにスマートフォンを出し、サトリを撮影する。
「そうか、見えるか…。だが、その黒い本は、お前にしか見えていない。その証拠に…。」
父親は、ヤマトにその画像を見せる。
「ほら、ここにその黒い本は映ってはいない。しかし、ここに霊能師が撮った画像がある。」
父親は、画面をスライドさせる。次に現れた画像のサトリの手元にあったのは、今もヤマトに見えているその黒い本だった…。
「え?」
ヤマトは混乱する。状況を整理すると、考えられるのは2つ。1つ、これは父親の冗談だ。
初めに見せられた画像はフェイクで、サトリは、本当は黒い本を持っている。しかし、これはサトリもグルじゃなきゃ出来ないし、何よりこんなお茶目で大掛かりなドッキリを行うような父さんではない。もう1つは、この黒い本は、霊能師が撮った画像と僕の瞳にしか映らない…。
同時刻、別の場所…。有名な小料理屋や旅館のような、日本庭園のある純日本家屋。そこで、40代後半の優しそうなおばさんが、湯気と一緒に香りまで立ち上るような高級な茶葉で入れた日本茶を飲んでいる。
「…やっぱり、あなたには見えたみたいね。結城ヤマト…。」
ヤマトには、彼女のその声が、かすかに聞こえたような気がした…。
数日後、ヤマトは、彼女と会うこととなる。