女神像の憂鬱
ナーベミヤという世界には各地に大小様々な教会が存在していました。
数年前に勃発した人間軍と魔王軍との間で大規模な戦争の裏、魔王軍の頂点に立つ魔王コレイトチョ暗殺に人間軍が送り出した聖剣に選ばれし勇者四人が、他より頑丈に造られている事の多い教会を一晩の寝床にすることは珍しくはありません。
もっとも、魔王コレイトチョに近付くほどに教会は廃れ、居るべきはずの神官もとうに避難していますから、かつては教会だった、と呼んでも差し支えないでしょう。
そんな教会ですが、教会と名乗るにはたった1つの決まりがありました。
創造主とされる女神の石像を置くこと。
たったこれだけです。
世界共通の形の女神像は今宵も勇者達を無言で受け入れます。
もちろん喋るなんてことはありません、石像ですから。
ですが何も言わない相手だからこそ、人間というものは心を開いてしまうのかもしれません。
王城のある都から旅立ってから数日後のことです。
何があったか、見張りに起きていた勇者の内が1人、背中に剣を収める長剣の勇者が女神像の足元で蹲りすすり泣いております。
「………うっ…。ぐすっ。かあちゃん…とおちゃん…女神ざま、お許しください。まさかこんな事になるなんて、俺は、俺は、そんなつもりで剣を盗んだ訳じゃないんでず…。
知らなかったんですよぉ…!そんなヤバい剣だなんて…!
ちょっと女にモテるからってイイ気になってる野郎をちょこっと懲らしめるだけのつもりだったのに、俺が聖剣に選ばれし勇者なんて…。
うぐ、ずびっ…。
あの野郎きっと分かってて身を引いたんですよ!
変だったんだ、野郎っ、いつも大事に持ち歩いてたのにあんなあっさり盗めるなんて!
なにが、聖剣は君を選んだんだね。だよ!下手くそな演技しやがって…!
…あれよあれよと話は進んじまって…俺もう盗んだなんて言えなくて…。
毎日毎日命がけで気の休む暇もない、こんなの牢屋の方がまだましだったよぉ、帰りたいよぉ。
おかーちゃぁん、おとーちぁゃん…。
う゛わぁあんっ…!!」
翌朝、いつもと変わらない緊張した面持ちの長剣の勇者の背を見送ってから数週間。
今宵の見張りはパーティーの紅一点、腰に細い剣を収めた細剣の勇者でありました。
彼女は女神像の足元にちょこんと腰かけ、手の平に顎を乗せて空を見上げております。
「……はぁ…。見張りとか超ダルいわ。
男共はいいわよね、お肌に気を使う事もないし。
はぁ…、あんたならわかってくれるでしょ?女神さま。
…………ふわぁ~ぁ…。っといけないいけない。
あ~あ、しっかし聖剣もなんで私なんか選んだのかしらねー。
だいたい、パパが嫁入り道具だとか言って、どっかから買ってきたせいでこんな面倒な事になったのよ。
やってらんない。
はぁっ…。
ははっ、聞いてよ女神さま。おまけにその彼にも捨てられたのよ、私。
生きて帰れないかもしれない私の帰りを待つのは辛いんだってさ、もっともらしいこと言いやがって、お手て繋いだ横の女は誰なんだっつーの。
はぁ…。もし魔王倒せたら、私が魔王軍乗っ取っちゃおうかな…。
…………なんてね、ふふ。」
翌朝、なにも変わらぬ様に見える笑顔で出ていった細剣の勇者を見送って数ヶ月後。
今宵は肩に大きな剣を担いだ大剣の勇者が女神像の元で見張りをするようです。
鈍器に近い大剣を肩から降ろすと、女神像に背をあずけ、腕を組んで寄り掛かりました。
「………っち。
くだらねぇ。
ガキ共連れて魔王暗殺だ?
こそこそと、らしくもねぇ。
聖剣の勇者なんぞ余計な枷つけやがって…、こんな大剣無くたって俺は魔王なんざぶっ殺してやるってのに。
くそっ、軍の奴ら…。
オレが魔獣を一匹殺れば何百人が助かる?巻き込まれて十人くらい死んだって些細なことだろ?
ドイツもコイツも分かっちゃいねぇ。
ちっ。
創造主やら聖剣なんてもんが本当にあるんならとっとと魔王軍を消してるだろうさ。
御立派な女神像なんて、ただの石ころだ。
オレが信じるのはオレだけさ…。
……必ず、オレが魔王を殺して奴らに認めさせてやる。
…何が犠牲になっても。」
朝もいつも通り不機嫌な顔で教会を出ていく大剣の勇者を見送って更に時が経ちました。
優勢の魔王軍に気をよくし、まるで危機感の無い魔王コレイトチョの根城はもう目の前です。
壊された教会の隠し地下室で雨をしのぐは勇者一行でした。
今宵地上で1人見張りをするのは、太腿の両脇に小振りの双剣を収める短剣の勇者です。
女神像に向かい膝を地に着け頭を垂れた彼は、ぶつぶつと何か言っています。
「…女神よ、嘘が誠になるやもしれない明日を控え、愚かなわたしはこの胸に閉じ込めておけぬ真実をここに捨てて行くと決めました。
―――あの日、しがない武器職人だったわたしは、迫る魔王軍に追い詰められた軍務大臣に4つの剣の作成を依頼されました。
まさかあの大臣が王まで謀って、方々に売られていったわたしの武器を聖剣などと言うなんて思いもしませんでした。
怯える王を安心させるためとはいえ、神のお告げとは…。
短絡的で浅はかだと、大臣が一番分かっていたのでしょう。
1つは私に持っているように命じたのは、わたしが敵地で死ねば真実を知るのは大臣だけになるのだから。
巻き込んでしまった罪のない3人へのせめてもの贖罪になるならと、身内のいないわたしが魔王と刺し違える覚悟でおりました。
…ですが、今は死ぬのが恐ろしい。
後方で脅えるばかりだった長剣の勇者は経験を積んだことで度胸と確かな力をつけました、逞しく成長した彼は率先して魔獣に斬り込んで行きます。
文句ばかりの細剣の勇者は言葉とはうらはらによく動き、魔獣の隙を付くのが本当に上手い、彼女の飾らない言葉と繊細な戦闘はいつだって窮地を覆してくれます。
傲慢で協調を知らなかった大剣の勇者は誰かを囮にするような真似はしなくなりました、二人の絶対に生きて帰るという気持ちに心を動かされたのでしょう、彼が冷静に放つ強烈な一撃はなんと頼りになることか。
旅立った頃はあんなにバラバラだったのに、今では1人も欠かせない大切な仲間です。
楽しかった…本当に。
終わらせたくないと思ってしまうほどに…。
我らが創造主よ。これまで一度も祈りなど捧げなかった癖に何を今更と思うでしょう、ですがわたしはもう神に祈るしか無いのです。
神よ、どうか我々に神の加護をお与え下さい…!」
朝露の煌めく晴れ渡った世界を歩み行く頼もしい四人の背中を女神像は静かに見守ります。
もちろん女神像に神の加護なんて分かりません、石像ですから。
仮に魔王コレイトチョを討ち倒し彼らが英雄となろうとも
仮に敗北して歴史にも語られず朽ちようと
仮に長剣の勇者が土壇場で逃げ出そうとも
仮に細剣の勇者が本気で魔王の座を狙っていたとしても
仮に大剣の勇者が最後には自分の利益を優先したとしても
仮に短剣の勇者が仲間との旅を続けたいがために魔王軍と内通していたとしても
女神像に出来ることは彼らを、そして世界の行く末を、ただただ見守るだけです。