6ノ夜【透ける】
梅雨らしからぬ晴天が連日続いていた。
ショッピングモール館内のエアコンは急ピッチで備え付けが完了し、配管が剥きだしとは言え、きちんと可動していた。
ただ、全館にいきわたっているわけではなく、いやエアコン自体は全館備え付けが完了しているものの、それらを全て可動させる事は禁じられているのだ。
もちろん工事費予算の関係だろう。
その為、メイン作業場以外はエアコンが作動しておらず、蒸し風呂のような状態になる。
そんな作業箇所があちこちにあった。
外は陽差が降り注いでいるものの、周辺に残る水田の風が流れ込むのか、心地よい風が吹いて何時も清々しかった。
下手に事務所で扇風機にあたるよりずっとましなのだ。
東北の夏は都心に比べれば天国だった。
明日から七月だと言うのに、異常な湿度もなく、夜は未だにエアコンは要らない。
将也はその日の仕事を終えて業務日誌を書き終えると、不意に玲美の事を思いだした。
今朝まで、いや昨日の夜ずっと一緒にいたのに、もう会いたくなった。
優しい笑みを浮かべる涼しげな玲美の瞳は、遠い単身の地で将也にささやかな安らぎを与えてくれた。
それは、彼が今まで知り合った女性たちとはやはり何処か違っていた。
関東の娘は気さくで明るい女性が多い。
打ち解けるのも早いが飽きられるのも早い。もちろん、飽きられるのは将也の方だ。
玲美は涼しげな眼差しとは裏腹に、何処か暖かさがある。
一緒にいると静かな安らぎを感じるのだ。
「将也、今日みんなで呑みに行くけどどう?」
ロッカーから荷物を取り出しながら信二が言った。
彼も他で班長をしている身だが、信二の場合、夕方の小休憩の時等に日誌をほとんど書いてしまう。
何かあれば付け加えるようだが、帰りがけはほとんど提出するだけになっているのだ。
「ああ、少しなら付き合うぜ」
断るわけにもいかなかった。
週末はみんな、飲み屋かカラオケに行く事が多い。
それ以外にたいした娯楽もない。
少し離れた街には繁華街があって風俗もあるが、わざわざそこまで遠征するのはよほどの好きモノ連中だけだ。
そんな週末の憩いを断れば、何かあるのではと勘ぐられるような気がした。
本当はそんな事はないのだろうが、玲美との事は出来るだけ伏せておきたい気持ちが強かった。
将也は鞄を持つと、事務所の片隅でタバコを吸っていた信二に声をかけて一緒に外へ出た。
* * *
日曜の昼ごろ、将也は小学校へ来ていた。自分が四年生まで通った学校だ。
彼がいた時は濃い灰色の、いかにも古びれた二階建ての鉄筋コンクリート校舎で、あちこちにひび割れが出来ていた。
しかし現在の建て替えられた校舎は、真っ白な4階建てになっていた。
校庭に足を踏み入れても、そこは確かに自分が走り回った場所のはずなのに懐かしさは込み上げて来なかった。
校庭と校舎の間には赤松の木が何本か植えられて職員室の窓を隠していた。
校庭のふちに沿う形で鉄棒やうんていが並んでいる。
一番低い鉄棒はもはや将也の腰ほどの高さしかなかった。
閑散とした校庭の真ん中を歩いて校舎に近づいた。ひと気のない真新しい建物が彼を見下ろしているだけで、将也の想い出はそこには無かった。
校庭の周辺を見渡して景色を再確認するが、四方共に記憶の中の景色とは違っていた。
上空には晴れ渡る青空が続いている。
それだけは、何時か見たものと同じ気がした。
「アパートは向こうだな」
呟きながら校庭の東側を見つめた。
見知らぬ家並みが続いている。
「やっぱり俺の住んでいた方角だ」
将也はそう言いながら、一八〇度向きを変えると、プールの向こうの墓地に視線を移した。
この学校プールの横には古い墓地が在るのだ。
「さすがに墓地は動かせなかったんだな」
そろそろ帰ろうと校門を振り向いた時、そこに人影が見えた。
白いブラウスに紺色のスカート。
それが玲美だと言う事は直ぐに判った。
彼は校門に近づきながら片手を上げると微笑んで見せた。
一昨日の記憶が蘇えって、年甲斐も無く思わずはにかんだ。
「よくここが判ったね」
「うん。今、たまたま通りかかったの」
玲美はそう言って微笑んだ。
陽差を浴びて、顔の白さが際立っていた。
「制服で何処かへ?」
「部活の帰りよ」
部活という言葉は、妙に懐かしい響きだった。
「でも、歩いて?」
自転車は何処にも見当たらない。
「家の遠い友達が自転車壊れちゃって、貸してあげたの」
「そう」
将也はそう言って一息間を置くと「乗ってく? 送るよ。暇だから」
「じゃあ、何処か遊びに行きたい」
「いいけど、制服のまま?」
「ダメ? 援交みたい?」
彼女は目を細めて笑う。
「いや、別にいいけど」
そう言って将也も笑いながら、彼女を車に促した。
車の中は地獄のように暑くなっていて、エンジンをかけた将也は急いでエアコンのクーラーを最強にした。
「熱いなあ」
そう言って玲美を見た時、将也は思わず瞬きを繰り返した。
暑さに目を閉じた玲美の身体が、ほんの一瞬透けて見えたのだ。
洋服が透けて見えたわけではない。身体の全てが透き通って、助手席のドアやシート地が見えた気がしたのだ。
しかし彼が数回目の瞬きをした時に、それは収まっていた。
少し顎を上げて瞼を閉じた玲美は、将也の視線に気付いたのか
「なに?」
そう言って、目を開けて振り返った。
「い、いや。何処行きたい?」
遠くから、汐風の香りがした。