5ノ夜【密着】
濁った景色の中で何かが動いていた。
どうして視界が濁っているのか、動いているそれが何なのか判らない。
気泡がぶくぶくと出ていた。
それを見て、夢の中の将也は(ああ、またあれか)そう思った。
水の中で何かがうごめいて、僅かな泡を出す。それ以外何もない。
水は濁っていて視界が悪い為、はっきりとした物は何も見えず、ただ自分も水中にいるのだと認識する。
それでも息は苦しくない。
不思議な浮遊感に身体は包まれて、重力を感じない。
やがて景色は水面に変わる。
自分が水から上がったというよりも、突然目の前が水面に変わるのだ。
そこが河なのか海なのかは判らない。
相変わらず自分の身体には重力を感じない。
もしかしたら今の自分は実体が無いのではないかと思う。何故なら自分の手足が見えないからだ。
視界一杯に広がる水面が見えるだけだ。
視線はなぜか動かせない。
水面に小波が立って、とても穏やかな情景だ。
しかし、それを見た将也の記憶の奥底は、ピンッと一瞬跳ね上がる。
それが何故なのか彼には判らなかった。
その水面から再び水中に潜るとそこには玲美がいた。
濁った水の中でも、彼女の白い肌が光っている。
出窓から月明かりが注いでいた。
その明かりに照らされながら将也は目を開けた。
カーテンを閉め忘れていた為、もちろんレースのカーテンは閉まっているが……明るい満月がベッドを煌々と照らしていたのだ。
将也は眩しかったわけでもないのに、妙にサッパリと目が覚めた。
今しがた見た夢は、彼が時折見る不思議な夢だ。
何時からかは判らないが、だいぶ昔から見ている気がする。
未だに意味不明の夢だが、何か心に変化が起きると見るような気もする。かと言って、その前に何時見たのかは覚えていないが……。
将也はいったい今が何時頃なのか検討がつかず、床に置いている目覚し時計を見ようとそれに手を伸ばす為に身体を伸ばして……軽く驚愕した。
……うわっ。
こころの中で悲鳴をあげる。
自分の身体の横にはもう一つ身体があったからだ。
しなやかで、白い。
それが誰なのか、将也は一瞬で思い出した。
……俺、高校生としちゃったのか。
夕食の後片付けは済んでいたが、テーブルには缶ビールが数本とカクテル缶チューハイが一本ある。
カクテルは仕事帰りに買い物へ寄ったスーパーで、玲美が飲んでみたいと言って買ったものだ。
酔った勢い? 将也は冴え渡る目とは裏腹に靄の掛かったような記憶を辿った。
夢うつつ…………玲美の身体は穂のかにリンゴのようなミントのような甘い香りがした。
成り行きはごく自然だった。
しかし高校生を……しかも制服を脱がして抱いてしまうとは……やっぱり自分は酔っていたのか。
いくら恋愛自由の会社でも、出張先で未成年と……これは完全な淫行になる。
それでも将也は安堵の吐息で眠る彼女を揺すり起こす事には気が引けた。
彼が自分の身体を少しずらすと、影が動いて彼女の白い寝顔の頬を月影が照らし出した。
その白い横顔は、やっぱり何処かで見覚えがあった。
しかし、その記憶を辿ろうとしても、頭の中は何かをすり抜けるように何の手ごたえも感じない。
将也は考えるのを直ぐに止めると思わず彼女の頬にキスをして、出窓のカーテンを閉めてから再び眠りに着いた。
目覚まし時計のけたたましい音で目が覚めた。
夜中にあんなにあっさりと目が覚めたのに、肝心の今は目が渋くて開けられない。
部屋の中には朝の陽差がしこたま降り注いで、その眩しさのせいもあるのだろう。将也は薄目を開けてとにかく起き上がって目覚ましを止める。
上半身は裸だった。トランクス一枚履いた状態で部屋の真ん中に立ち竦んでいた。
ベランダへ通じる窓が少しだけ開けられて、網戸を通り抜けた風がレースのカーテンをゆっくりと静かに揺らしていた。
夢現……まだ半分眠った頭で思考を巡らす。
そうだ、昨日は……将也は部屋の中に玲美の気配を探した。
小さな部屋である。
ざっと見れば直ぐに判る事だ。しかしバスにもトイレにも彼女の姿はいない。
……夢だったのか? 彼はそう思いながら床にペタリと腰掛けるが、湯沸ポットの横には長い黒髪がSの字を描いて落ちていた。
将也はそれを拾い上げるとマジマジと見つめる。
確かに彼女はここへ来た。
そして……
彼はベッドを振り返った。
シワの入ったシーツの上にも、長い黒髪が落ちている。
それは朝の陽差を浴びて、一筋の光を放っていた。
将也はそれ以外にも部屋の中に彼女のいた形跡を探す。
玲美と過ごした記憶が、それだけ半信半疑だったのだ。
記憶の中で夢と現実が交錯する。そんな目覚めの朝は初めてだった。
再びキッチンをよく見ると、洗いざらしの鍋が置いてあった。シンクの下の戸棚にはフライパンも入っている。
それらは確かに昨夜玲美と一緒にスーパーで買ったものだ。
……やっぱり彼女がここに来たのは間違いない。そして酒を飲んで高校生の彼女と身体を交えてしまった。
その記憶は朧気にしか無いものの、彼女の白く冷たい肌が彼の脳裏に蘇えった。
……学校があるから、朝早く帰ったのだろう。しかしこんなに朝早く?
いや、きっと仕度もあるし親が心配するといけないから、一度家に帰ったのだ。そうに違いない。
そう思いながら将也は電子レンジの上に視線を止めた。
紅いバンダナに包まれた四角い包み。
それが弁当だと直ぐに判った。
彼女はここで今日の分の弁当を作っていったのだ。
玲美がどうしてそんなに自分になつき、これほど尽くしてくれるのかは判らないが、独り身の将也にとってはありがたいことだ。
ただ、彼女の事は同僚には知られないようにしようと思った。
相手が未成年であるが為の危機感みたいなものは、どうしても拭えなかった。
そうしている内に時計は七時になろうとしていた為、彼は急いでシャワーを浴びてアパートを出た。
その時、クローゼットの中で微かに何かの気配がした事に、彼はまったく気づく事は無かった。