4ノ夜【夕食】
「実は今日、両親がいなくて……」
大通りから国道へ出た所で玲美が言った。
「ひとり。て事?」
将也は訊いた。
「ええ。何だか心細くて」
「兄妹はいないの?」
「あたし、一人です」
玲美は窓の外を見つめたまま言った。
ぽつぽつと街路灯の明かりが通り過ぎてゆく。
大通りは街路灯も連立しているが、旧道にも思える国道は淋しい光が時折見える程度だった。
将也は運転する視線を、チラリと彼女へ向ける。
小さな街灯の光に微かに映る彼女の寂しげな瞳が気になった。
「一緒に飯でも食べる?」
「いいんですか?」
その言葉を待っていたかのように素早い返事が返った。
ほの暗い車内でも、彼女の笑顔は感じ取れた。
「えっ、あ、ああ。キミさえよければ」
将也は少し戸惑いながら笑みを返す。
「じゃあ、あたし何か作るわ」
「えっ?」
思いもかけない言葉だった。
今時の高校生が、一昔前のドラマか漫画のような事を言うとは思わなかったからだ。
普通なら、『じゃあ中華がいい』とか、『ファミレスでいい』とか、そんな答が普通だろう。
「いや、そんな面倒な事」
「あたし料理好きだから、平気」
その言葉を聞いて、将也はあの弁当の美味さを思い出した。
「じゃあそうしてもらうか」
将也はしばらく国道を走った所で、何時も入る通りとは逆向きにハンドルを切った。
二人は遅くまで開いているスーパーへ買出しに寄った。鍋もフライパンも無い為、それらも一緒に買う。
買うものは玲美に全て任せて、将也は買い物カゴを乗せたカートを押しているだけだった。
野菜や肉を選ぶ彼女の横顔は何だかとても嬉しそうだった。そしてそれは、女子高生を越えた一人の女の横顔でもあった。
その玲美のシルエットを見て、彼は何故か懐かしい思いに駆られた。それが何故なのかは判らない。
彼女が自分好みの容姿だからなのか……その程度にしか認識しなかった。
将也の住むアパートは別に女性禁制などの決まりは無かったが、同じ階は皆同僚だ。
彼の部屋は206号室で角部屋だが、もちろん隣にも同僚がいるわけで、女性を、しかも制 服姿の高校生を連れ込む所など見られるわけにはいかない。
そう思うと、自然に階段を上がる足音は忍ぶようになる。
幸いアパートの階段は左右に設置してある為、近いほうを上れば直ぐに部屋がある。
将也はそっと部屋の鍵を開けると、静かにドアを開けて玲美を招きいれる。そして、音を立てないようにドアを閉めた。
何時もの癖で直ぐに鍵を閉めようとしたが、何だか如何わしい事を目論んでいるように思われるのが嫌で、将也は鍵を閉めずに玄関を上がった。
「鍵締めないの?」
先に靴を脱いでいた玲美が声をかける。
さすがにしっかり者のようだ。
「えっ、ああ。今締めるよ」
彼は靴を脱いでから、上体を伸ばしてドアロックの摘みに手を伸ばした。
部屋に入る将也を横目に、玲美は台所で買って来た食材や鍋を出し始める。
四畳半ほどのキッチンには小さな冷蔵庫と電子レンジ、そして洗濯機がある。
流しもコンパクトで電気コンロが二つとシンク。その間に少しだけ、三十センチほどの調理スペースが在る。
テーブルが無いので、冷蔵庫に入れるものはそのまま入れ、床に置いても大丈夫な物は足元に並べていた。
彼女は何だかやけに慣れた手つきで鼻歌混じりに身体を動かしていた。
「何か飲む?」
途中で玲美が将也に声をかけた。
「あ、ああ。お茶あったよね」
玲美はグラスとペットボトルのウーロン茶を部屋へ運んでテーブルに置いた。
「何にもないのね」
初めてリビング兼寝室を見た彼女が、辺りを見回して言った。
右側の出窓の脇に備え付けのベッド、その反対側には同じく備え付けのテレビ台と液晶テレビ。
テレビ台の中には衛星チューナーとDVDデッキが収まっていた。
そして部屋の中央にローテーブル。ざっと見えるのはこれだけだった。
もちろん、クローゼットの中には着替えやその他の荷物が押し込んであるが。
「長期と言っても出張だからね」
「ふうん。そうかぁ」
彼女は、ある意味そっけない口調で応えると再びキッチンへ戻った。
将也はそれを目で追った。
まるで、夢の中の風景でも見ているようだった。
時折うなされる悪夢の変わりに、現実でいい夢を見させてくれているんだろう……。
制服姿で台所に立つ女性の後姿を眺めながら、将也はタバコに火をつけた。