里香ちゃんは登場人物を教えたい
「こほん。こちらは、えざきゆういちくん。木に夏に山に大きいに可能の可。片仮名のねに、ちょん。谷を書いて数字のいちで、榎崎裕一です。前回、華麗な因数分解を魅せた榎崎選手。今回のプレーにも期待が持てるでしょう。さあ、間もなく運命のキックオフです!」
「……サッカーかな?」
小学生のときはサッカー少女でした。えへへ。
「って、そんなことはいいんです。榎崎くん、私の紹介もしてください」
どうして? と言いたげな榎崎くんの顔。
「読んでくれる人が、私の名前すらまだ知らないからです」
ますます訝しげになる榎崎くんでしたが、お願いだーと手を合わせてみます。
「ふふ……まあいいか」
なぜか笑われました。いや、紹介してもらえるなら安いものです。
「えーと、あきのりかさん。春夏秋冬の秋に野原。里芋の香り」
実は名前も知らない、なんてことにならなくて良かったです。里芋のところは他の表現にしてほしいな。
「まともに話すのは二回目だから、よくわからないけど……小柄ながらも元気いっぱいなプレーを、秋野選手には期待したいです」
席替えして隣の席になったの昨日ですからね。
ん? サッカー解説を真似してくれた嬉しさの中に、聞き捨てならない言葉がありました。
「……小さいって言いましたか?」
「……小柄とは言った」
同じです!
「榎崎くんは、男の子で背が高いので、小さく見えるのかもしれません」
しかも榎崎くんは平均よりちょっと高いような気がします。ちくしょー。
「でも、このぐらいが女の子の普通なんです。平均なんです」
榎崎くんに教えてやりました。勉強不足だったみたいですね。
「ふーん……このぐらい?」
榎崎くんは座ったまま、すっと手を伸ばしました。座ってる榎崎くんの頭のちょっと上ぐらい。
「なんですか。そのぐらいあるに決まってます」
挑戦されたなら受けるしかありません。ずいっと立ち上がり、榎崎くんの手の下に移動します。あ、届かない。私の頭の上に何かがある気配はするのに。
「……こっそり手の位置を上げましたか?」
「いや、はじめに伸ばしたままだよ」
無言。ジトッと見る。きょとん顔を返される。かっこいいのが逆に腹立たしい。
「……うおー!」
榎崎くんの手にヘディングしてやりました。ぴょんぴょんぴょん。三回も。ハットトリック。
「謝罪の代わりに、また教えてもらいますから!」
「ふふ……いいよ、どこがわからない?」
丁寧に教えてくれないと、許さないです。怒った顔のまま私の机からノートを取り出し、怒った顔のまま榎崎くんの前で開きます。怒った顔のまま昨日と同じ、数学のノートです。
怒った顔のまままずは前回の答え合わせをしましょう。
「榎崎くんが書いてくれた式、違うのはここですか?」
怒った顔のままたくさんの数式の中のひとつを指します。怒った顔疲れてきました。止めます。
「……うん、そこが違うね」
やった! 正解でした。
「ちゃんと頭の中で計算した?」
「はい! 因数分解を展開、展開から因数分解、二回ずつ繰り返しました」
榎崎くんは頷きながら、ノートの続きのページをペラペラッとめくります。
「ちゃんと演習してるね」
えへへ。ひとりでできるもん、か確認するために問題集を解きました。
「……基本はできるようになったけど、複雑な因数分解につまづいた。教科書を見ながら解こうとはしたけど、いまいち手応えを感じない」
頭の前で手を交差させて、榎崎くんの視線をブロックします。心の声が読まれています。エスパーです。
「……明日榎崎くんに教えてもらおうかな」
え? 本当に読まれてる!
私があわあわしていると、榎崎くんはクスッと笑います。
「とりあえず座ったら?」
「……心読まないでくれますか?」
榎崎くんが頷いてくれたので、私の椅子を寄せて座ります。
私が座ったのを見て、榎崎くんはノートに書こうとして、ピタッと静止。
「書いてもいい?」
「はい! 先生に提出するノートですが、存分に」
「ふふ……今度からノート用意しといてね」
昨日と同じことを言ったら、今度の機会も許可されました。嬉しい。
「さて、私はこのあと因数分解の深淵をのぞくことになります。どこかの哲学者さんが言いました。因数分解を解くとき、因数分解もまたこちらを解いているのだ、と。その勇気がある読者さんだけが、次へを押すといいでしょう」
「……急にどうした?」
「あんまり長いと集中して読めなくなっちゃうんです。ここ因数分解の解説してないから、分割して次から因数分解ぱーとつー、にしようかな」
「……隣の席の子が、たまによくわからないこと言ってる。誰か教えて」
「次で榎崎くんがさらに因数分解を教えてくれます! こーごきたい!」