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榎崎くんは円順列を教えてくれる


「私、気づいたことがあるんです」

 朝、私の少し後に登校してきた榎崎くんに話しかけます。

 榎崎くんは黙ったまま首を傾げて、私に話の続きを促します。

「榎崎くん、テスト前だから省エネモードですか? 私への返事なんて頭を五度傾けるだけで十分ですか?」

 ――やれやれ、面倒な女だぜ。

 とは言わないんですよね、榎崎くんは。

「あはは、テスト前だから神経質になってる?」

 榎崎くんは私のところに寄ってきて、私の頭をくしゃくしゃに撫でながら笑います。


「ふふふ、ひっかかりましたね。わがまま妹を演じることで、榎崎くんの気を引く作戦です」

 私は、机の横に立っている榎崎くんを見上げて言います。

 一瞬きょとんとした榎崎くんは、無言で私の頭をぐしゃぐしゃのぼさぼさにしました。

「うわー、女の子が髪の毛セットするのに、どれだけの時間がかかると思ってるんですか」

 榎崎くんにされるがままの私が訊ねると、榎崎くんは少し考えるそぶりを見せます。

「んー……五分」

「今日は三十秒です」

 朝、家を出る前に軽く梳かしただけです。えへへ。


「で、何に気づいたって?」

 私の頭をコツンと軽く小突いたあと、榎崎くんが話を戻します。

「はい! えーと、一週間ぐらい前から、テスト勉強をはじめました」

 今日から一週間後に中間テストなので、ちょうど二週間。

「中学のときは、一週間のテスト勉強でなんとかなったので、これぐらいあればいいかなーって思ったんですが」

 榎崎くんは、頷きながら聞いてくれています。

「……時間が足りないんです」

 あと一週間でやっておかなければいけないことを考えると、このままでは間に合わなくなってしまいます。


「うーん、普段からどのくらい勉強できているか、人によって違うとは思うけど」

 榎崎くんは、あごに手を当てて考えながら話しているようです。

「一か月前ぐらいから意識しはじめないといけないかもね」

 高校のテスト勉強は、と榎崎くんは付け加える。

「……私、ゴールデンウィークは宿題以外、勉強していないです」

「ちゃんと宿題やるのは偉いと思うよ」

 肩を落とす私のぼさぼさの髪を手で梳きながら、榎崎くんは慰めてくれます。


「まあ、せっかく宿題やるなら、ただ終わらせるだけだともったいない」

「……というと?」

「教科書の宿題範囲を読み返すとか、問題集の類題を解くとか、とにかくひと手間加える」

 なるほど、宿題終わったー自由だー、って宿題の存在を忘れたらダメってことですね。

「時間がなければ、提出する前に見直しするだけでもいい」

「それなら、ぜったいできそうです!」

 榎崎くんは、ぼさぼさを直した私の頭をぽんぽんと二回たたきました。


「今日は何か聞きたいことはある?」

「いいんですか?」

 いつも榎崎くん、朝に登校してきてから予鈴の五分前までは本を読んでいます。

 分厚い難しそうな本だったり、カラフルな表紙のかわいい本だったり。

「うん、テスト前だから」

「わーい! ありがとうございます」

 榎崎くんにお礼を言って、昨日の夜に解いていてわからなかったものを鞄から取り出します。


「円順列の問題なんですけど……」

 問題を解いていたノートと問題集、榎崎くんに教えてもらうノートを机の上で開きます。

「んー……とりあえず、公式は使うことができてるね」

 はい、えぬ個のものを円形に並べるときの場合の数は、かっこえぬまいなすいちの階乗、というのは覚えました。

「どうしてまいなすいちするのかが、わかりません」

「おっけー。そこから一緒に勉強しよう」

 榎崎くんがおや指とひとさし指でおっけーを作って、微笑みながら言います。


「じゃあ、ろく人を円形に並べようか」

 榎崎くんは、中華テーブルとその周りに席をろっ個、まるまるまるーっと描きました。

「時計回りに、あ、い、う、え、お、か」

 時計でいうと一時ぐらいの席の上から、ひとつずつ文字を書いていく榎崎くん。

「その人たちの名前ですか?」

「うん。あ、い、う、え、おは五人兄弟。かは他人」

 どういう集まりの会なんだろう。


「この並び方と……」

 榎崎くんは、もうひとつ中華テーブルセットを描いて、今度はえ、お、か、あ、い、うの順で文字を書きました。

「こっちの並び方、違うものかな? それとも同じもの?」

「うーん、座る場所は違いますけど……」

 並び方っていうことなら、いーさんの右隣にあーさん、左隣にうーさんがいるのは変わっていないです。

「同じもの……ですか?」

 榎崎くんは、うん、と頷きます。


「円順列は、回転させて同じ並び方になるものが出てこないように、数え上げないといけない」

 右手をがおーって開いて、がくっがくっがくっとドアノブをひねるように回す榎崎くん。

「だから、ひとつを固定させて考える」

 榎崎くんは、あーさんの座っている席を赤ペンでぐるぐるっと囲みます。

「固定すれば、他のところを回転させたときに、違う並び方が出てくるよね」

 またがおーってして、手をひねります。

 確かに、ひとつの位置が決まっていたら、同じ並び方は出てきません。


「えーと、あーさんが固定されてると、いーさんの席の選び方はご通り、うーさんがよん通り、えーさんがさん通り、おーさんがに通り、残った席にかーさんでいっ通りだから……ごの階乗、ひゃくにじゅっ通りです」

「そう、正解」

 榎崎くんは、はじめに描いた中華テーブルセットの下に、答えを書きました。

「……いま、あーさんを固定して考えましたけど、他の人を固定して考えたりしなくてもいいんですか?」

 場合の数の問題って、いろいろな状況を分けて何通りかを求めていたような気がします。


「なるほど、いい質問だね」

 思ったことをパッと言っちゃったけど、ほめられちゃいました。えへへ。

「場合の数では、同じ場合を数えちゃったり、数え忘れちゃったりすることが間違いの原因」

 ふむふむ、なるなるほどほど。

「じゃあ、い、を固定したときの並べ方は、あ、を固定したときのひゃくにじゅっ通りとは違う並べ方かな?」

 うーん……頭の中でいくつか考えましたが、違う並べ方は思いつきません。

「どう考えても、あ、を固定したときと同じ並び方になるから、どれかひとつを固定したときだけを、考えればいいんだね」

「はい! わかりました」

 私は、元気よく手をあげて返事をしました。


「次の問題。さっきのろく人の中で、え、お、か、のさん人は女の子だった。女の子が隣り合わないように円形に並べるときの場合の数は何通りかな?」

 出ました、隣り合わないように問題です。よく見かけるやつですね。

「えーと……あーくんといーくん、うーくんのさん人の並び方は、あーくんを固定して考えます」

 円順列ですから。榎崎くんも頷いてくれています。

「だから……に通りですか?」

 時計回りであーくん、いーくん、うーくん。またはあーくん、うーくん、いーくんしかないですね。


「女の子のえーちゃん、おーちゃん、かーちゃん、さん人を男の子たちの間に並べるので……に通り」

 円順列で並べると、男の子のときと同じですからね。

「にかけるにで、よん通りです!」

「んー……残念」

 がびーん。何がダメだって言うんじゃい、われぇ。

「男の子たちはそれでいいけど、女の子たちの考え方が間違ってるかな」

 榎崎くんは、中華テーブルセットをもうひとつ描いて、あーくん、いーくん、うーくんを席に座らせました。


「円順列は、回転させたら同じっていう考えを利用しているから」

 榎崎くんは話しながら、えーちゃん、おーちゃん、かーちゃんを男の子たちの間に座らせます。

「男の子たちがすでに座っているから、女の子たちの並び方を回転させたときに、同じ並び方にはならない」

「ということは……女の子たちの並び方は、円順列ではないです」

 コクッと頷きながら、中華テーブルセットをたくさん描きはじめる榎崎くん。

「女の子たちの並び方は、何通りかな?」

 榎崎くんは、テーブルセットに、ろく人をどんどん座らせながら私に聞きます。


「女の子が座る席はみっつあるので……さんかけるにで、ろく通りです」

「うん、正解。だから、円順列の男の子たちで、に通り。円順列でない女の子たちで、ろく通り」

 あ、榎崎くんが描いた中華テーブルは、じゅうにセットあります。

「この、じゅうに通りの並び方が、答えになるんですね」

 どの中華テーブルにも、ろく人が窮屈そうに座っていますが、同じ並び方になっているのはひとつもありません。

 なるほど、女の子を並べるときは円順列ではない、納得です。


「場合の数の問題って、すべての場合を書き上げるのが難しいものが多い」

 確かに、いまの問題ぐらいだったらいいですけど、さん桁になったり、よん桁になったりします。

「それでも、どういう状況になるのかなーって、なるべく図とかを描いて考えてほしいかな」

「はーい、わかりました」

 榎崎くんは返事をする私を見て、微笑みます。子供に微笑みかけるお母さんみたい。慈愛に満ちてます。

「時間があるから、組分けの問題も確認しようか」

 教室の時計は、八時二十分。予鈴まで、まだ五分あります。

「ありがとうございます! 次で榎崎くんが組分けを教えてくれます! やったね!」


「勢いよく終わらせたね」

「お話のオチを考えるのって、難しいです」

「んー……爆発とかさせてみたらどうかな?」

「あー、様式美ですね。採用です」

「……採用されちゃった」

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