榎崎くんは相対速度を教えてくれる
榎崎くんに、髪をかわいく結んでもらったので、がんばって勉強できます。
さあ、どんとこい物理現象です。
「物理を一緒にやるのはじめてだから、有効数字の考え方から勉強しよう」
「んー……ゆーこーすーじ?」
聞き覚えはあります。四月、最初の授業の時に説明されてたと思います。何だったかな。
私が首をかしげているのを見て、榎崎くんは続けてくれます。
「物理とか化学は、実験によって値を求めることが多いよね?」
はい。高校生になってからひと月半ぐらいしか経っていませんが、それぞれ二回ずつ、実験の授業をしています。
「実験の測定値には誤差が生じるから、信頼できる桁がどこまでかを考える必要がある」
ふむふむ。信頼できるっていうのはどういうことだろう。
「例えば、この前の健康診断で、体重いくつだった?」
「よんじゅうごーてんさんろく……あっ!」
女の子の体重を聞くなんて! あまりにも自然だったから答えてしまいました。
隣に立っている榎崎くんの、腰のあたりを叩きます。けっこういい音がしました。
「……身長の方がよかったかな?」
腰をさすりながら、すっとんきょうなデリカシーぜろぜろくん。
お腹のあたりをグーでパンチしました。
「で、どうして体重を聞いたんですか?」
まったくもう、榎崎くんは。髪を結んでもらってなかったら、あと三発ぐらい叩いていましたよ。
「先週ぐらいに家ではかったときは、ろくじゅうななてんよんだった」
自分の胸に手を当てながら言う榎崎くん。ああ、榎崎くんが、という話ですね。
「よんじゅうごーてんさんろくは、小数第二位までの四桁が信頼できる。ろくじゅうななてんよんは、小数第一位までの三桁」
「なるほど、それが有効数字ですか?」
榎崎くんは頷きます。
「もうひとつ、ふたりの体重を足したら、いくつになるかな?」
私がよんじゅうごーてんさんろくで、榎崎くんはろくじゅうななてんよん?
「……ひゃくじゅうにーてん、ななろくです」
「うん、ふつうの計算ならそれで正解。でも実際は、ろくじゅうななてんよんよんなのか、ろくじゅうななてんよんはちなのかは、わからない」
確かにそうですね。榎崎くんの体重によっては、小数点以下のななろくが変わってしまいます。
「だから、信頼できる桁のところまでを考えると、ふたりの体重の合計は、ひゃくじゅうさん、になる」
「えーと……四捨五入したんですか?」
「そう。もし、うちの体重計がもっと正確な体重をはかることができたら、もう一桁求められたんだけど」
残念そうに言う榎崎くん。私は、正確な体重なんて知りたくないですけど。
「ということは、榎崎くんの体重が有効数字三桁だったから、答えも三桁までしか求められなかった?」
「うん、正解。たし算ひき算、かけ算わり算したときに、より正確でない方に合わせないといけないからね」
ほー、なるほど。わかりました! ばっちぐーのすけです!
「じゃあ、相対速度にいこう」
「おけまるのすけ」
私も一応じぇいけーなので、流行りの言葉を使っていかないといけません。やれやれです。
「……おけまるのすけが、東に向かって時速よんじゅっキロメートルで走ってる」
おけまるのすけは、人間? 動物?
「だめまるのすけが、同じく東に向かって時速ごじゅっキロメートルで走ってる」
もう一匹現れました! おけまるは白くて、だめまるは黒そう。いや、イメージですけどね。
「おけまるのすけから見て、だめまるのすけは、どの方角に、どのくらいの速さで走っているように、見える?」
榎崎くんは、私が頭の中で考えられるように、ゆっくりと話してくれます。
うーん、おけまるよりだめまるが速いので、おけまるからだと、だめまるは少しずつ先に進んでいくように見えるのかな。
「東に時速じゅっキロメートル?」
「うん、いいね。実際の速さだと、だめまるのすけはすごい速いけど、おけまるのすけから見たら、そこまで速くはない」
おけまるとだめまるは、いったい何者なのでしょうか。人間のスピードではないですけど。
「じゃあ、もう一問。おけまるのすけは、東に向かって時速よんじゅっキロメートル」
おけまるちゃんは、さっきと同じ速度ですね。
「だめまるのすけは、東に向かって時速にじゅっキロメートル」
だめまるちゃんは、さっきより遅いです。疲れちゃったのかな。
「おけまるのすけから見て、だめまるのすけは、どうかな?」
今度は、おけまるが速いので、だめまるは後ろに遠ざかっていくように見えるはずです。
「西に時速にじゅっキロメートルですか?」
榎崎くんはパチパチと拍手。わーい、正解みたいです。
「最後、おけまるのすけは同じで、だめまるのすけが西に向かって時速ごじゅっキロメートル」
うーん、進む向きが逆なんですね。どうなるんだろう。
「けっこうないきおいですれ違うんじゃない?」
確かに、すれ違う時なんかは一瞬だと思います。
「……おけまるちゃんから見ると、だめまるちゃんは、西に向かって時速きゅうじゅっキロメートルで、進んでいるように見えます」
「ふふ……正解」
えへへ、なんかなでてもらいました。左手でくしゃくしゃっと。くすぐったい気持ちです。
「加速度の勉強もやっちゃおうか」
いいですね、ちゃいましょー。たくさんほめられるために、がんばりましょー。なでなでしてもらいましょー。
「あ、なんか嬉しさでおかしくなってました」
加速度は次回に教えてもらいます。いま、ちょうどいい長さなので。
「次回、『榎崎くんは教えてくれる』第十一話、加速度でお会いしましょう」
「ばいばーい?」
私が窓の外に向かって手をふったら、榎崎くんも手をふりふりしてくれました。かわいい。
「……榎崎くん、私のこと妹みたいに思ってません?」
「ああ、頭なでたりとか?」
「はい。嬉しいんですけど、よく考えたら少し複雑かもです」
「んー……どうなんだろうね。たぶん何も考えてないよ、あの男」
「何も考えてない?」
「勉強のこと以外はね。抱きついて押し倒すぐらいしないと気づかないんじゃないかな」
「くう、やっかいなやつですね、榎崎くんは。ラブコメの主人公ですかってんですよ」
「あはは、ごめんね」
「いえ、榎崎くんは悪くないです。悪いのは榎崎くんです。ん?」




