第六話 陸軍航空隊
「左翼に海軍航空隊。」大島上等飛行兵がそう言った。岩田上等飛行兵曹はその方面へ敬礼した。他の乗員もこれにならった。
海軍からの情報により敵空母群は二つと分かっていたため、事前に編隊をどのように分けるのか決めることができた。しかし、幾ら海軍が穴をあけたとはいえ、隊を二分して上手くいくのかどうか自信がなかった。直援隊に不安は無い。隼―― 一式戦――だけではなく疾風――四式戦――や五式戦もいるのだから。
疾風は噂によると米艦載機と互角以上に戦えるらしい。更に、敵空母は護衛空母という搭載機数が少ないものだという。そのため、敵機に関しては、楽観的かもしれないが何とかなると考えていた。しかし問題なのは敵艦隊の対空砲火だ。台湾沖でも爆撃隊に所属していたが、敵のそれは本当に激しく、艦隊も上空に辿り着く前に十分の一程まで激減していた。何とか生き延びた機で爆撃を敢行するが、命中弾は一発も出ず、その間にも被弾、撃墜される機が続出した。結果は、軍にいる人間なら誰もが知る通りだ。現状、鍛え上げたとはいえこれが初陣という者もいる中、果たせるのだろうか。そんな事を考えていると、宮一等飛行兵が叫んだ。
「十時に敵編隊!」
来たな、予想より早いな。そう思いながら無線機の回線を「全機」へ変え直援機、爆撃機全機へ迎撃命令を下そうとした時、宮から続報が入った。
「敵編隊、すれ違います!」
この報告を受けて岩田は操縦を野々宮上等飛行兵に一旦任せ双眼鏡でその方向を見た。確かに、こちらを攻撃せずすれ違っていく。一体何なのだろうか。もし海軍の奴らを追いかけているのなら絶対に追いつけない。距離が離れているし追いつく頃にはとうに発見されて迎撃を受けているだろう。そうではないとしたら何だ。そう考えたときある事に気付いた。敵編隊の機種が一つではないのだ。遠目に見ると同じ様に見えたが、少しだけ形状が違った。恐らく片方は戦闘機でもう片方は爆撃機だろう。これらの情報から岩田は敵が送り狼を寄越してきたのだろうと考えた。それなら全ての辻褄が合う。追いつく必要も無い。寧ろ少し離れていた方が着陸中を狙えるためより多くの戦果が望めるのだから。
「各機へ、左翼の敵編隊への攻撃を禁ずる。繰り返す、左翼の敵編隊への攻撃を禁ずる。」そう岩田は無線機へ言った。互いに緊張の瞬間である。どうか堪えてくれ。そう敵にも味方にも願った。若い兵は耐え切れず攻撃してしまうかもしれない。そうなったら攻撃は失敗だ。
何事も無くそれの編隊はそれの目標へと向かっていった。岩田は直ぐに「宮、司令部へ連絡。『敵編隊飛行場ヘ向カウ。機数四十。攻撃隊ノ公算大也。』」と命じた。
「了解、司令部へ連絡。『敵編隊飛行場ヘ向カウ。機数四十。攻撃隊ノ公算大也。』」宮もそう返事をし、電鍵を叩き始めた。
暫くした後、大矢が叫んだ。「敵機!十一時方向!」
直援隊も気付いたのか一機の疾風がその方向へ向かっていった。しかしそれに続く機は八機。三個小隊で事足りると隊長は考えたのだ。それもその筈敵機は六機しかいないのだ。別方向から別動隊が襲ってくるでもなし、海軍の迎撃と先程の攻撃隊で戦闘機を粗使い果たしてしまったのだろうか。攻撃隊各機の旋回銃がその方向を向くが発砲する機は無い。戦う前から勝敗は決しつつあったからだ。九機はすれ違いざまに二機を撃墜、反転して残った四機も撃墜してしまった。こちらの損失は無く、完勝であった。当然といえば当然だが。
ここで岩田は敵艦隊の戦闘機は完全にいなくなったと判断し、「各機へ、突撃隊形作れ。」と命じた。直援隊と攻撃隊の半数が十時方向に向かっていく。と同時に飛龍――四式重爆――の多くが低空へ降下した。岩田小隊は少し減速、呑龍―― 一〇〇式重爆――の後方についた。
高高度にいるせいか思っていたより早く敵艦隊が見えてきた。辺りは少し明るくなってきたがそれでも急降下時に未熟な兵が海面に激突しないか不安である。流石に有り得ないとは思っているが、訓練と実戦は違うもので、何らかの原因で引き起こしが遅れるとそういうことも起こりうる。そんな事にならないよう鍛えられたし自分達でも鍛えてきたつもりだが、果たしてどうなるか。
そう考えていると呑龍隊の前方で炸裂が起こった。大分近づいてきたが未だ少し距離があるため、主砲しか撃てないのだろう。その数は少なく散発的である。
呑龍隊が敵艦隊上空に差し掛かった。爆弾層が開き、電波攪乱紙が敵艦隊上空を舞う。対空砲も混じり始めた対空砲火は攪乱紙の辺りで炸裂する。しかし、一部ではあるが、航空隊付近で炸裂するものもあった。 そして、遂に一機の呑龍が左翼の発動機に被弾、高度を下げていった。
岩田は炸裂の様子を見、あの時と比べるとその密度が桁違いに低いように感じた。また、見える範疇では護衛艦艇の数も少ない――そもそもの数が少なかったのもあるが――。海軍がやったのだろうか。
その後、岩田小隊が艦隊上空へ侵入し、急降下を開始した。狙うは敵空母ただ一隻。呑龍隊が爆撃をするものと考えたのか、回避行動を取っていて陣形が乱れ、只でさえ薄い対空砲火が更に薄くなった。
「二千三百、二千二百、二千百、」大矢が読み上げる高度計の値がみるみる小さくなっていく。その時、左翼翼端で炸裂が起こった。
「左、翼端被弾!損傷認められず!」大島が叫んだ。僅かに操縦桿を動かしてみるが操作性に違和感は無い。
高度計の値が千を過ぎたとき、投下桿を押す。ガタン、と音がして機体が軽くなる。一気に操縦桿を引き機首を上げる。更に其運動に左捻りを加える。直線的に飛行すると進行方向を読まれ、撃墜されやすくなってしまうのだ。
二番機は右旋回で、三番機は左旋回で離脱した。
「二発命中!」藤見一等飛行兵が言う。これで万一艦載機が残っていても発艦できないだろう。そう思ったその時「二時に敵機!」と宮が叫んだ。
二時上空から機銃を撃ちながら突っ込んできたのは何と水上機だった。銃弾が機体を叩く音がする。宮は応戦するも撃墜できずそのまま敵機は下方へ抜ける。尾部の一式十二・七粍固定機関銃が唸る。しかし敵機はひらりとそれをかわした。それもその筈此敵機――SCシーホーク――はかなりの戦闘力を持っている機なのだから。敵機は反転、再攻撃を仕掛けてきた。今度は三番機が狙われ応戦の甲斐なく被弾、左発動機から煙が出始めた。
「三番機、発動機に被弾!飛行は可能!」そう無線が告げた。了解、と返す。高々水上機如きに、そう思った時、突如反転しかけていた敵機が多数の銃弾を受け、火を吹き墜ちていった。何が起こったのかと思っていると後方から一機の疾風が岩田機を追い越していった。助かった、感謝の意を込め軽く翼を振り離脱した。不図敵艦隊を見ると敵空母に三本魚雷が命中していた。又、先程の水上機は他に二機いたが、一機は既に火を吹き、残る一機も直援隊に追い回されていた。
これで一時的にでも制空権が取れるといいのだが。そう思いながら、岩田は基地への針路を取った。