第77話 魔王祭(1)
そして、迎えた魔王祭。
喫茶店の開店は明日からということもあって、ソフィアは大通りで祭りの様子を見て回っていた。
「凄い賑わいですね」
思わず感心した声が出てしまう。
ソフィアの知る中で最も賑やかな祭りと言えば、真っ先に思い浮かぶのはシアニン自治領の収穫祭だ。
貿易で栄えてきた都市であり、他国の行商人もこれ幸いとばかりに加わって、盛大な祭りとなる。
マンデリンという魔国の一都市でさえ、シアニン自治領の収穫祭に劣らない。
魔国全体で考えると、その規模はソフィアの想像を絶するものとなるだろう。
そして、何よりソフィアが微笑ましかったのは……
(本当に魔国では種族問題など、感じさせませんね)
ゴブリンやオークなど魔物と分類されていた者たちが、獣人やエルフと言った亜人族とともに歌って踊る。
それを見る観客も笑顔を浮かべていた。
魔国ではありふれた光景。
同じ種族でありながら民族問題を抱える人間だからこそ、ソフィアにはその尊さがよく分かる。
だからこそ、この光景を見ると、自然と笑みがこぼれてしまうのだ。
(これを見たら、どう思うのでしょうか?)
ソフィアが思い浮かべたのは、かつて関わりを持った人間たちだ。
宰相であるセドリックも帝国の皇子であるアレンも聖女と呼ばれるフローラも、魔国のこの光景を話しても信じてくれるのだろうか。
そう思うと、ソフィアは自然と自身の頬が緩むのが分かる。
「どうかしたの?」
隣を歩くロレッタが、ソフィアに話しかける。
今は、ソフィアとロレッタの二人で街を見て回っている最中だ。シルヴィアは警備の仕事に出ており、フェルは早朝レヴィアに引きずられてどこかへと連れていかれた。
どうにも、フェルには王族としての仕事があるようだ。
柱に張り付いて「仕事をしたら負けだよ!」と主張している姿に、レヴィアでなくともため息をついてしまった。
ロレッタと一緒なのは、アニータの計らいだ。
ロレッタは三年もマンデリンに滞在しているため、せっかくだから案内をしてもらうようにと。
ソフィアとしては気を使わせているようで気が進まなかったが、ロレッタは日ごろのお礼と言って、快く引き受けてくれた。
「いえ、何か……魔国は凄いなと思っていました」
「凄い?……確かに今日は賑わってるけど、いつもと変わらなくない?」
(それが、凄いことなんです)
ソフィアは、そう伝えようと思ったが、口を閉ざす。
ロレッタにとっては、目の前の幸せな光景は当たり前の光景でしかないのだ。誰もが幸せな笑みを浮かべる世界。表面だけかもしれないが、目の前で笑い合っている彼らには差別がない。心の底から、楽しんでいるのだ。
「良いなぁ……」
ソフィアは意識せず言葉を出す。
戦争もなく三百年積み重ねられた文明。いつか崩れ去ってしまうかもしれないが、今は目の前の光景こそが事実だ。
人間の国では、今なお交戦状態の国は多い。
それを考えると、魔国はソフィアの望んだ理想郷に最も近いと考えられるのだ。
「ソフィア、ちょっと待ってて」
ソフィアが、街のお祭りを眺めているとロレッタは何を思ったのか、ソフィアに待っているように伝えると人混みの中に消えて行った。
その後ろ姿を見送ったソフィアは近くにあった椅子に座る。
「あら、ソフィアちゃん?」
「えっ……イザナさん、お久しぶりです!」
ロレッタを待っていると、スーパーで出会った最強の主婦イザナがソフィアに声を掛ける。
どうやら得物を持っていない様子から、戦場へこれから向かう訳ではないのだろう。そのことに胸を撫で下ろすと、イザナが尋ねる。
「ソフィアちゃんもお祭りを見に来たの?」
「はい。私もと言うことは、イザナさんもですか?」
「ええ、孫と一緒に来ているわ……隣座っても良いかしら?」
「はい、構いません。それよりも、お孫さんですか?」
イザナの周囲を見るが、孫らしき人物は見当たらず、首を傾げる。すると、イザナが苦笑して言った。
「私も大分歳ですからね。孫は、旦那と一緒にあの中で大道芸を見ていますよ」
「……そ、そうなんですか」
確かに、イザナの言っている意味は分かる。
六十を越えているイザナにとって、お祭りの人混みはとても疲れるのだろう。だが、ソフィアとしては、戦場で無双するイザナの姿を自分の目で見ているのだ。
その光景が脳裏によぎって、素直に頷くことができなかった。
「そういえば、あなた。料理人を目指していたのよね」
突然何を思ったのか、イザナは尋ねてきた。
「はい。魔王軍に勤めているのですが、まだ研修中でして」
いつになったら働けるのだろう。
常々疑問に思っているが、料理以外にも研修は多いのだ。早く働きたいものだと苦笑を浮かべて答える。
「あら、そうだったの。魔王軍ね……あそこはシュナイダー君が有名よね」
「シュナイダーさんを知っているのですか?」
「ええ。それなりにね」
よくよく考えると、イザナは副料理長のアンドリューと知り合いだ。
その関係でシュナイダーと知己であっても不思議ではないと納得していると……
「彼が新米だったころからの付き合いで、スーパーでのマナーを教えてあげたわ」
「まさか、シュナイダーさんも!?」
驚愕の事実。
あのスマートゴブリンのシュナイダーが、イザナに誘われて戦場へ向かったとは。どういう因果か、ソフィアは何度か戦争に巻き込まれている。
籠を頭にかぶるという防衛手段を手に入れたのも懐かしいことだ。
(きっと、シュナイダーさんも苦労をなさったのでしょうね)
今では想像できないが、ソフィアとアンドリューのようにシュナイダーも籠をかぶっていたに違いない。
そんな想像をしていたのだが……
「彼はとても優秀だったわ。五回くらいで、一人前の太鼓判を押してあげたわ」
「スーパーでもエリートだったのですか!?」
シュナイダーは、主婦ならぬ主夫だったのだ。
いわれてみれば、確かにシュナイダーに籠は似合わない。アンドリューやソフィアにこそふさわしいものだ。
イザナから「あなたほどではなかったけどね」と笑われてしまったが、ソフィアは運が良かっただけだ。
正直に頷けず、乾いた笑いを響かせる。
それからしばらくの間、ソフィアはイザナと言葉を交わす。
互いの近況や、イザナの故郷についての話。お祭りの見どころなど。すると、ロレッタが帰って来るよりも先にイザナの家族の方が見終えたのだろう。イザナが人込みの方へ手を振っていた。
「お婆ちゃん!」
イザナを見て満面の笑みを浮かべる十歳にも満たない少年。
鬼族の特徴である角を持っていることから、すぐにイザナの孫と言うことは分かった。孫の姿を見たイザナは、ベンチから立ち上がるとソフィアに言った。
「ソフィアちゃん、お話が出来て楽しかったわ。私はこの辺りに住んでいるから、見かけたら声を掛けてちょうだい。一緒にスーパー巡りでもしましょう」
「……穏やかな買い物なら喜んで」
そう言うと、イザナは苦笑して家族の元へ戻って行く。
(家族、ですか)
祖父母と手をつなぐ少年の姿。
ソフィアは、その姿を見て今は亡き母を思い出す。記憶に残る手を握った感覚、それを思い出して手を胸の前で握った。
「ソフィア、お待たせ」
すると、イザナと入れ替わりでロレッタが戻って来た。
その両手には黒いものが棒で突き刺さった未知の物体が握られている。
「それは何ですか?」
「チョコバナナ。棒で刺したバナナをチョコレートでコーティングした食べ物。リンゴ飴か冷やしキュウリも考えたけど、一番近かったからチョコバナナにした」
「リンゴ飴ですか? それならこの前、フェルちゃんからいただきましたよ」
「姫様から?」
ソフィアの発言に怪訝そうな表情のロレッタ。
そういえば、ミッドナイト横丁の話は、詳しくしていないと思い出して苦笑を浮かべる。
「はい。ミッドナイト横丁で食べたんですよ。ブラッドアップルを使ったものらしく、見た目はともかくとても美味しかったです」
「ブラッドアップル……なんて、贅沢な」
ソフィアのカミングアウトに愕然とした表情を浮かべるロレッタ。
おそらくフェル以下だと思っているのだろう。ソフィアに差し出そうとしたチョコバナナが途中で止まる。
「えっと、ロレッタさん?」
ソフィアが困惑気味に名前を呼ぶと、ロレッタははっとなる。
「けど、チョコバナナにはチョコバナナの良さがある。このチープな味がたまらない」
「ありがとうございます」
ロレッタは隣に腰かけると、「さぁ、食べて」とチョコバナナを渡してきた。ソフィアは受け取ると、横目にロレッタを見た。
「この雑な味付けが良い。ソフィアも食べて」
ソフィアもロレッタに促されて、チョコバナナを口に運ぶ。
スキルも技術も関係ない、極めて普通な味だ。ロレッタの言う雑な味付けと言うのも納得できる。
ただ、ロレッタにとっては、味以上の価値があるのだろう。とても美味しそうに食べていた。
「ご馳走様でした」
「どうだった?味付け、雑だったでしょ」
「ええ、まあ……けど、美味しかったですよ」
ソフィアがそう伝えると、ロレッタは嬉しそうに笑う。
その姿を見て、ソフィアもまた笑みを浮かべる。
「じゃあ、取りあえず次行ってみよう」
「明日の準備は良いんですか?」
「そんなの、後回し。今はお祭りをエンジョイ」
ソフィアは、ロレッタに連れられてお祭りの人混みの中へと入って行った。




