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聖女の手紙



*****




 魔王祭が始まる一週間前のこと。

 アッサム王国にあるダージリン家所有の邸宅。王城ほどではないが、二大公爵家に相応しい威容を兼ね備えた邸宅だ。


「厄介なことになったな」


 そう呟くのはこの屋敷の主であるセドリック=ダージリン。

 国内のみならず周辺国家から警戒されるほどの人物である彼が、頭を悩ませているのは一通の手紙。

 差出人は、フローラ=レチノール。カテキン神聖王国の聖女だ。

 聖女から直接の手紙となれば、喜ばないものは少ないだろう。フローラは周辺国家に聖女としてだけでなく、絶世の美姫としても有名だからだ。

 男性であれば喜ばないはずもないのだが……


「なんなんだ、この厚さは……」


 もはや、それは手紙ではなかった。

 本と呼んだほうが正しいのではないかというほどの厚さ。敏腕と恐れられるセドリックでも思わず口元が引きつってしまう。


「なんとも、熱烈なラブレターですね」


 と揶揄うように言ってきたのは、執事長のセバスチャン。


「ほう。裏帳簿まで同封されているラブレターか……これを受け取れば、首を縦に振らざるを得ないだろうな」


 手紙の内容は、アッサム王国貴族の不正の数々。

 主に国王派の貴族のものだ。しかも言い逃れができないように裏帳簿まで同封されているのだから、質が悪い。

 不正の証拠を握られた貴族が、こんな手紙を受け取った日にはフローラ=レチノールの従僕になってしまいそうだ。


「どこから水漏れしているのやら……神聖王国の諜報能力は素晴らしいものだな」


 疲れたように深いため息を吐くセドリック。

 確かにアッサム王国貴族……とりわけ、国王派の貴族は脇が甘い。だからと言って、これほど簡単に尻尾が掴まれるものなのか。

 諜報員が紛れ込んでいることは確かだが、貴族の屋敷の半数が諜報員だと言われても信じてしまいそうだ。


「セバス、お前はどう思う?」


「そうですね……。諜報員が紛れているのは確かだとして、もしかすると貴族も飼いならされていると考えるのが妥当かと」


 セバスチャンの意見に、セドリックは頷く。


「だろうな。以前のやり方を見ると、こちらに情報を流しておきながら、向こうにも似たような手紙を送っているだろうからな」


「レチノール嬢にとってはどちらに転んでも良いということなのでしょうね」


「ああ。追及から逃れられなければ、没落。仮に与えられた情報から追及を逃れられたとすれば、従属……聖女あくまからの手紙はどっちに転んでも地獄行きだな」


 この手紙は、不幸の手紙だ。

 おどろおどろしい文体で書かれた文章は、新人では発狂してもおかしくない。無能であれば没落、少しでも有能であれば従属……この文章を見た貴族は、きっと本能的に破滅の道を理解してしまうだろう。


「そして、我々は何としても没落させなければならないと……」


「その通りだ」


 国王派がどうなろうと関係ない。

 だが、他国の傀儡かいらいとなる事態だけは避けなければならない。となると、没落をさせる必要があるのだが……


「これだけ手の込んだ仕掛けをしているにもかかわらず、間違いなく目的は嫌がらせだぞ」


 セドリックは、重いため息を吐いて、手紙を机の上に投げた。

 セバスチャンもまた、セドリックの言葉の意味を身に染みて理解しているため、苦い笑みを浮かべるだけだ。


「手紙には、ミスリードが混ぜられている。ギミックも仕掛けられていて、しっかり精査しないと逆にこっちが嵌められかねないか……」


「暗殺ではなく忙殺を仕向けてくるとは、なんとも恐ろしい聖女ですね」


「まったくだ。聞いた話だと一部の者たちからは国王よりも、恐れられているみたいだぞ」


 と、現実逃避気味に会話をする二人。

 聖女のことを笑顔で悪魔や化け物だと罵っている姿は、なんとも異様なものだった。控えている侍女は、何も聞いていないとばかりに遠い目をしていた。


「それで、聖女様のご要望は?」


「……はぁ」


 セバスチャンの突然の切り返しに、セドリックは深いため息を吐く。

 そして、同封された一枚のメモを取り出す。そこには、おどろおどろしい文体、しかも血のような赤い文字で綴られていた。


「要するに、ソフィア=アールグレイのところへ連れていけということだ」


「な、なるほど……」


 セバスチャンは引きつった表情で、呪いの手紙をセドリックに返す。

 本当に呪われているのか不安になる手紙だ。返却された手紙を嫌々ながらも受け取ると、封筒に入れる。


「それで、どうなさるのですか?」


「一応アルから魔王陛下には取り合ってもらえたそうだ。別に構わないという返答もいただけたようだから、問題はない」


「左様ですか……ですが、聖女様の方は?」


「そちらも問題ない」


「問題ない?」


 聖女とは、カテキン神聖王国において五指の指に入る重要人物だ。

 その人物がアッサム王国ならまだしも、魔国へ向かうなどできるはずがない。それに、公務があるため、そう簡単に国から出られないのだ。

 セバスチャンの疑問を理解しているセドリックは、渋い表情で事情を話し始めた。


「先日、聖女が襲撃をされた」


「なんと……!?」


 セバスチャンは、その情報を掴んでいなかったようで驚きに目を丸くする。

 すでに、セドリックが密偵から確かめた情報だ。それは事実なのだろう。だが、セバスチャンはより一層困惑を深めた。


「どうやら、毒を使われたようでな……命が危ぶまれたそうだ」


「であれば、なおさら……」


「それが事実ならばだ」


 セバスチャンの疑問をセドリックは一刀両断にする。


「確かに襲撃に遭ったのは事実だ。そして、毒を使われたのも事実……だが、悪魔であろうと聖女だ。しかも、回復魔法のエキスパートだぞ」


「それはつまり……」


 セバスチャンの言葉に、セドリックは頷く。


「療養地に行くのは、なんでも影武者だそうだ。毒で命の危機にある聖女殿は、悠々とこちらに向かっているみたいだぞ」


 セドリックの言葉に、天を仰ぐセバスチャン。

 同感だ。きっと、襲撃そのものをフローラが仕掛けたに違いない。そして、毒で苦しんでいるふりをして、実際はかすり傷だけ。

 ソフィアのもとへ行きたいがために、ここまでやるのか。

 セドリックは、背筋が凍る思いだ。


「まぁ、アッサム王国に来たあとは、アルに任せればいいだろう。あいつも、魔国が恋しくなっているようだからな」


「アルフォンス様もこちらでは苦労されているようですから」


 アルフォンスは、魔国とアッサム王国の懸け橋となっている。

 魔国から有能な人材も派遣されていることで、忙しいことに変わりないが、セドリック達ほどではない。

 だが、アルフォンスは別のことでかなり精神的負担を強いられているのだ。


「……また、アイナ=アールグレイか?」


「ええ。またです」


 どういうわけか、アイナが頻繁にアルフォンスを訪れている。

 アイナたちに、魔国との関係を知られるわけにはいかない。それに、アイナがアルフォンスを訪れることをローレンスは快く思っていないのだ。

 そのため、アルフォンスはアイナが現れるたびに苦労を強いられている。


「だが、なぜあの女狐はアルのことを……まさか、気づいているのか?」


 アイナの耳に届かないように、セドリックも細心の注意を払っているつもりだ。

 それこそ、魔国関連については、信頼できる一部の者にしか情報を公開していない。それに、国王派の貴族の情報収集能力では、まずバレることはないのだ。


「もしかするとアルフォンス様に一目ぼれという可能性もありますよ」


「……セバス、気は確かか?」


 思わず、セバスチャンの正気を疑ってしまった。


「可能性の話です……ですが、ありえる話でしょう。実際、侍女だけでなく、多くの令嬢が色めき立っているというのは事実ですから」


 身内びいきかもしれないが、アルフォンスの容姿は際立っている。

 女性でも羨むほどの美貌を持ち、セドリックと違って柔らかな物腰。そして何よりも、仕事ができるのだから、惚れてしまうのも当然と言えば当然だ。


(だが、あの女狐だぞ……)


 とはいえ、あのアイナがアルフォンスに惚れているなど、考えられなかった。


「まぁ、そういうことなら、良い機会だろう。あの聖女の相手は大変だろうが、まぁ頑張ってもらうか」


「我々は、この国のためいつも通り仕事をすれば良いだけのことですね」


「焼け石に水だろうがな」


 二人はそう言って、いつも通り仕事をするのであった。

 それから三日後、フローラがアッサム王国に到着し、アルフォンスとともに魔国へと向かった。

 何も知らされていないアルフォンスはフローラの狂気を知り、オーギュストとともに胃の痛い日々を馬車で過ごすのであった。




******






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