第76話 護衛は必要
シルヴィア邸では、レヴィアを交えてソフィアとフェルの三人がリビングに集まっていた。
普段だらしのない姿勢で寛いでいるフェルだが、母親の前ということで普通にソファに腰かけている。
ソフィアは二人の前に紅茶を出すと、自分もまたソファに腰かけた。
――カチャ!
ティーカップがぶつかる音が、静かに響く。
(きれいな所作ですね……)
横目で見るレヴィアの所作は、まるでお手本のように洗練されている。
アッサム王国の王妃でも、これほど美しい所作の人物がいただろうか。思わず見とれてしまっていた。
「どうかしたのかしら?」
「すみません。凄く綺麗で見惚れてしまいました」
ソフィアの視線に気づいていたのだろう。
それが分かり、ソフィアは恥ずかしそうに告白する。素直な一言に、一瞬驚いた表情をするレヴィアだが、すぐに微笑みを浮かべる。
「ありがとう。 そういうソフィアもすごく可愛いわよ」
「私がですか!?」
突然容姿を褒められて、戸惑うソフィア。
お世辞だろうが、レヴィアに褒められるのは素直に嬉しく、そんなことはないと首を横に振るが、自然と口角が上がってしまう。
そんなソフィアの態度を見て……
「驚くことかしら? ソフィアなら、聞きなれた言葉だと思うのだけれど?」
レヴィアは首をかしげる。
「そんなことないですよ!? 小さい頃は、言われましたけど、最近は全然……」
ソフィアが否定の声を上げると、レヴィアは不思議そうに首をかしげる。
ソフィアの周囲の男性を思って、「見る目がないのね」と言った。レヴィアが本気でそう思ってくれているのだと分かったソフィアは照れながらも、仕方がないことだと言葉を続けた。
「私の周りには、私よりも綺麗な人が多いですから」
フェルやレヴィア、この場にいないシルヴィアとロレッタ、それからキャロ。
アッサム王国ではアイナがおり、カテキン神聖王国にはフローラがいる。その中で、ソフィアが埋もれてしまうのは無理のない話だ。
そのことを話すと、何故か二人から呆れられてしまう。
「ソフィア、フェル今帰ったが誰か来て……」
談笑しているとシルヴィアが帰ってきた。
見慣れない靴が玄関に置かれているのに気づいたのだろう。だが、この場にいるはずのない人物が寛いでいることに気づき、表情を凍らせる。
「王妃様!?」
しばらくして状況を飲み込むことができたシルヴィアは驚愕の声を上げる。
口をパクパクさせて、優雅にソファで寛ぐレヴィアに視線を向けていた。とはいえ、誰がシルヴィアのことを責められようか。
仕事を終えて帰宅したところ、王妃がいるなど想像できるはずがない。
ソフィアとフェルは、口には出さないが内心ではシルヴィアに同情してしまう。
「シルヴィア、久しぶりね。半年ぶりくらいかしら」
「は、はい! そのくらいになるかと思います」
がちがちに緊張した様子のシルヴィア。
相手はこの国の王妃だ。
緊張するなというほうがむりというものだ。
ソフィアは、フェルの母親と思うことで幾分か気が楽になった。しかし、真面目なシルヴィアにはそれはできない相談だろう。
かなり難儀な性格と言える。
「ふふふ、あまり緊張しないで。私はあくまでもお忍び……数日滞在するだけだから、あまり気にしないでほしいわ」
「それはさすがに……」
気にするなと言われて、気にならないほうがおかしい。
すると、何かに気付いたのかシルヴィアは、突然窓のほうへ視線を向けた。
「どうかしましたか?」
ソフィアは、シルヴィアの視線を追って窓を見る。
カーテンがあるため、外の光景を見ることはできない。シルヴィアは、カーテン越しに何かを見ているのだろう。
わずかに警戒したような表情だ。
「きっと、護衛ね。シルヴィアがいるから心配ないと言い含めておいたのだけど」
「やはりですか」
レヴィアの言葉に納得を示すシルヴィア。
「護衛、ですか……まったく気づきませんでした」
「ソフィアお姉さんに見つかったら、護衛失格だと思うよ」
ソフィアが、カーテンのほうへ視線を向けて驚いていると、心底あきれたような声でフェルが突っ込みを入れた。
「それもそうですね」と言って、ソフィアも笑って肯定する。
なにせ、ソフィアには戦う力がないのだ。索敵能力など、あるはずもない。
「レヴィアさんの立場を考えれば、護衛がいて当然だと思うのですが、意外なように感じてしまう」
どうしてでしょうと首を傾げると、シルヴィアが苦笑を浮かべる。
そして隣に座るフェルは、心当たりがあるのか視線を逸らす。それぞれ別の表情を浮かべる娘たちが面白いのか、レヴィアは微笑みながら指摘した。
「それはもしかして、フェルの母親だからかしら?」
「えっ……?」
ソフィアは一瞬何を言われているのか、わからなかった。
しかし、すぐに言葉の意味を理解するとはっとなってフェルに視線を向けた。
「そこの放蕩娘は、護衛をつけたがらないから。付けると、絶対に振り切って逃げちゃうのよ」
レヴィアはそう言って嘆息する。
「邪魔だから仕方がないよ」
唇を尖らせるフェルだが、ソフィアはフェルよりも護衛に同情してしまう。
無駄にスペックが高いせいで、追いかけることは不可能なのだろう。護衛対象がフェルであるためフォローされるだろうが、護衛失敗の事実には変わらない。
シルヴィアも、何かを思い出したのかフェルに責めるような視線を向けた。
「まったく、この娘は……」
反省の色が見えないフェルに、ため息をつくレヴィア。
そして、ソフィアに視線を向けた。
「本来なら、王族は護衛が必要なのだけれどね……。この娘の場合、まず死ぬようなことはないし。それにどこにいるのかすぐ分かる。問題があるとすれば、どこかで問題を起こしてくることだけなの」
頭が痛いと手を額に当てるレヴィア。
そして、「護衛担当者が、私にまで護衛は必要なのかって真剣に聞いてきたのよ」と語る。王妃なのに、娘のせいで護衛が消えてしまったのだろう。
「……同情します」
「……ご心労、痛み入ります」
ソフィアとシルヴィアは同情してしまう。
きっと、後始末に奔走しているのだろう。最近はおとなしいとはいえ、比較的にだ。気分がよくなると、固有スキルを使って景色そのものを変えてしまうのだ。
まさに歩く天災。
魔国の名物であることに違いないが、「地震、雷、火事、姫様」と列挙されるほどだ。一方で、話題の渦中の人物はというと……
「えへへへ」
なぜか照れていた。
「「「ほめてない!?」」」
「え!?」
「いったい、今の流れでどうやったら褒められていると思えるんだ!? 処置なしと、あきらめられているんだぞ!」
心底理解できていない様子のフェルに、シルヴィアが雷を落とす。
ソフィアに対してはそれほど問題を起こさないが、長年苦労させられているレヴィアは、シルヴィアの言葉にうんうんとしきりに頷いていた。
一方で、フェルがなぜ誇らしげなのかというと……
「護衛に護衛を諦められるって、偉業じゃないの?」
どこかキョトンとした様子でソフィアに視線を向けてきた。
「はっ?」と訳が分からないとばかりの声を上げるシルヴィアとレヴィア。「違うの?」と尋ねられたソフィアは、困惑しながらも頭を回す。
常人には理解できない理論だ。
確かに、貴族の中には護衛を必要だとわかっているものの、煩わしく思っているものが大半だ。
ソフィアも心当たりが……
(あれ、私の護衛って……)
ディックだ。
あのディックである。現在、奇天烈教授なる人物のもとに送られ、生死不明状態の人物だ。
フェルからは、一応生きているということを聞いたことがある。
ソフィアとしては、ディックに対して思うところはある。
魔国に来られた原因と考えれば感謝してもいいと思う。だが、ディックのことを許せるかと言われればそうでもない。
むしろ、醜いかもしれないが、心のどこかでは痛い目に遭えばいいのにと思っているほどだ。
とはいえ、フェルが「この世には聞かないほうが幸せなことはいっぱいあるんだよ……」と虚ろな目を浮かべれば、そんな気持ちもどこかへ行ってしまった。
アルフォンスの計らいでもう一度会わせてもらえるという話になっているが、次に会う時が別の意味で怖くなったのは仕方がないことだ。
(いえっ、ディック以外の護衛です!)
ディックは例外だ。
そう決めつけたソフィアは別の護衛を思い浮かべる。アールグレイ家以外の護衛となると……
『馬車に乗りたければ御者をやれ』
『釣りの餌とってきて』
『買い出し、よろしく』
などなど、護衛として雇った人物に言われたことがある。
考えただけで、なぜか涙が出てきた。彼らはいったい、護衛対象を何だと思っていたのだろう。
貴族としてのドレスを身にまとった時など、「変装?」とそろって首を傾げられたのだ。
普段着のほうが変装のはずなのに……
「お姉さん、なんで泣いているの?」
突然、ソフィアが泣き始めたからだろう。
心配そうな声をあげるフェル。
「いえ、私って今更ですが護衛対象ではなくパシリだと勘違いされていたんだなと思っただけです」
「あははは」と乾いた笑い声が響く。
先ほどまで困惑していた二人もまた、その虚しい声に何とも言えない表情だ。三人のやさしさが、心にしみる。
そして、ソフィア以外のこの場にいる三人は思った。
(……ソフィアに護衛関係の話は禁句だ)
明らかな地雷。
それに気づいた三人は、ソフィアの前で二度と護衛についての話をしないようにと心に誓ったのだった。
私的な理由でしばらく不定期更新になります。




