第75話 驚愕の知らせ
「まぁ、とても美味しいわね」
フェルの対面に座り、優雅にケーキを口に運ぶ妙齢の美女。
魔国の王妃であり、フェルの母親であるレヴィアだ。王妃であるはずが、護衛一人つけずにこんな辺鄙な場所まで足を運ぶ。
アッサム王国であれば、あり得ない光景だろう。
いや、ジョンの驚き方からしてレヴィアが特別であって、他の王妃はこれほどまでにフットワークは軽くないはずだ。
流石はフェルの母親とでも言うべきなのか……。王妃の身に何かあったらと考えると、胃がキリキリと痛む。
そんなソフィアの内心を知らないレヴィアは、ソフィアが作ったケーキに舌鼓を打っていた。
「うん……」
一方で、いつもであれば野良猫のように自由奔放なフェルは、まるで借りて来た猫のように大人しくなっている。
作法をかなぐり捨てて、まるでリスのようにケーキを食べていたフェルだが、母親の前だからだろう。フォークで小さく切りながら、細々と口に運んでいた。
「ハーブティーのお代わりはいかがでしょうか?」
あいさつの後、この場をアニータに任されたソフィア。
大した事情の説明もなく、本人はジョンを連れて仕事に戻ってしまった。親子水入らずの場に取り残されてしまったソフィアは、やることなく背景として給仕に徹している。
「ええ、よろしくお願いするわ」
お堅いイメージだと思ったが、意外とフランクな態度だ。
尤も、フェルの母親だと思えば不思議ではない。空になったカップに、ソフィアはハーブティーを注ぐ。
ソフィアが厳選した茶葉だ。
紅茶に煩いと評判のアッサム王国……それもアールグレイ公爵家の出身であるソフィアが選んだものだ。
カップに注がれたことで立ち上る湯気から香る極上の香りは、どこか心が休まるのを感じた。レヴィアも同様だろう。ケーキの甘味と茶葉の芳醇な香りに、相好を崩しているのが分かる。
「……聞いてないんだけど」
レヴィアが、優雅にハーブティーを啜っていると、フェルがポツリと呟く。
何がとは聞かない。
きっと、どうして王妃であるレヴィアが……しかも護衛をつけずに一人でいるのか疑問だったのだろう。
ソフィアもまた同様の疑問を抱いている。
「言っていないんだから、当然よ」
(確かにその通りですけど……)
それで納得できるかは別問題だ。
ソフィアは思わず、内心でツッコミを入れる。しかし、当の本人はというと……
「あっ、そうか」
レヴィアの返答に、ポンと手を叩くフェル。
確かに、言ってないのなら聞いてないのも当然だ。
一方で、簡単に丸め込められそうになっている娘を面白そうに見ている母親の姿。それを見たソフィアは、二人は親子なんだなとしみじみと理解してしまう。
「それはそうと、ソフィア。良ければ同席してもらえないかしら」
「私が、ですか?」
正直言って、遠慮したい話だ。
堕天使族の特徴なのか、母娘そろってこの世の者とは思えない美貌を持っている。それ故に、まるで絵画のような光景だ。
そんな中に、自分が……
考えただけで、背筋がゾッとする思いである。
ほら早くとでも言わんばかりに手招きするレヴィア。さりげなく、自分の隣を勧めて来るのだ。
助けを求めるようにフェルに視線を向けるが、本人はソフィアの救難信号に気づいていない様子である。
ソフィアは、諦めてレヴィアの隣に座った。
「……え、えっと、何でしょうか?」
ソファに腰を掛けると、隣から視線を向けられているのに気づく。
頭からつま先まで確認されているような感覚に、居心地の悪さを覚えるソフィア。しばらくして、レヴィアが声を上げた。
「あなた、本当に貴族なの?」
心底不思議そうな表情で、変なことを言ってくるレヴィア。
「い、一応?」
首を傾げるソフィア。
なにせ、自分でも今の立場がよく分からないのだ。アッサム王国のアールグレイ公爵家元令嬢。しかし、すでにアールグレイの名は捨てている。
亡命貴族という扱いにもなるのだろうが、そもそも魔国には名家こそあっても特権階級は存在しない。
王妃という立場であれば、分かりそうなものだ。
では何故……
(っ……!? もしかして、貴族としての威厳が感じられないという意味なのでしょうか!?)
まるで電撃が走ったかのような衝撃を受けるソフィア。
レヴィアが言いたいのは、現状ではなく過去のこと。貴族として育てられたのかと、気品を疑われているのだと察したソフィア。
それに気づいてしまったが故に……
「ははっ……そうですよね。侍女服を着ていれば、誰からも気づいてもらえないんですから。貴族としての気品があるわけありませんよね」
脳裏に浮かぶのは、会談の時の光景。
誰かが気づいてくれると信じていたのに、違和感さえ抱いてもらえない光景は、今思い出してもショックだった。
「え……」
突然卑屈になったソフィアに、困惑した様子のレヴィア。
一方で、フェルは何の事を言っているのか気づいたのだろう。なにせ、最初に気づいてくれたのがフェルなのだから当然だ。
慌てたように声を張り上げた。
「お姉さん、誤解だよ! ママが言いたいのは……」
「貴族らしくないと言うことですよね。分かってますよ、ドレスを着ていなければ侍女と間違えられることなんてよくあることですから」
だからこそ、ソフィアは開き直った。
ある意味、ソフィアの一番の長所はそのポジティブ思考なのかもしれない。楽観主義とも言えるが、すぐに思考を切り替えられるのは長所だ。
とは言え、誤解を生んだまま話を進められるのは、ソフィアが良くても他の者には良くない。
レヴィアは、慌てたように声を上げる。
「私が言いたいのはそう言うことではなくて……あ、いえ、そう言うことなのだけれども……」
「ママ!? えっと、お姉さん。ママが言いたいのは、お姉さんが貴族らしくないという意味で……」
二人とも完全にテンパっている。
大人しそうな印象のレヴィアと活発な印象のフェル。対照的に見えるが、その本質は同じと言うことだろう。
二人とも突然の事態に弱いということだ。
完全にテンパっており、思考がまとまらないレヴィア。
そして伝染したように失言を重ねるフェル。
十代半ばと二十代半ばで、母娘というよりも年の離れた姉妹のように見える。そのことに、慈しむような優しい視線を向ける。
「はい、分かっていますよ」
とても晴れやかな気分だと言わんばかりのソフィアの声色。
どこまでも澄んでいて、「言いたいことは分かってます」とまるで母親が幼子に言うようなそんな静謐という言葉さえ連想してしまいそうな声だった。
だが、そんなソフィアの態度にさらに危機感を覚える二人。
早く誤解を解かなければと思いつつも、上手く言葉が出てこない様子だ。すると……
「ただいま」
ホールの扉が開く。
現れたのはロレッタだ。両手に買い物袋を抱えており、気だるそうな視線で部屋の中を見渡す。
おそらく、アニータでも探しているのだろう。
しかし、部屋にはアニータが存在しない。そして、混沌と化したソフィアたちのテーブルに視線を向けてしまった。
「……お邪魔しました」
「ロレッタ、待って!?」
さりげなく退出しようとしたロレッタに、フェルは切実な声を上げるのだった。
◇
それから、ロレッタを交えて四人で会話をする。
「つまり、ママが言いたいのは、傲慢さが感じられないっていう話だったの」
「そ、そういう意味でしたか……」
フェル曰く、レヴィアは三百年以上生きているそうだ。
それ故に、人間の貴族という存在を知っていた。当時を生きていた者として、ソフィアに似たような雰囲気を感じず困惑しての一言だったらしい。
つまり、良い意味で貴族らしくないという意味だったのだ。
誤解をしていたことに気づいたソフィアは、赤面しつつ視線を伏せた。
「ねぇ。気になったんだけど、どうしてここに王妃様がいるの?」
誤解が解けたことで、巻き込まれたロレッタが口を挟む。
かれこれ三十分以上経つが、ソフィアの誤解を解くことに集中して聞き出せていなかったのだ。
どこか疲れを滲ませたレヴィアは、「そういえば話していなかったわね」と苦笑を浮かべて話し始める。
「うちの放蕩娘が、迷惑をかけているから一度貴方にあってみたいと思ったのよ。ちょうどマンデリンによる予定があったからついでにね」
「普通、迷惑をかけているんじゃないかって聞くと思うんだけど」
すかさず、フェルが口を挟んだ。
本人としては、不服なのだろう。しかし、三人からしてみれば当たり前のことで「何を言っているんだろう」と不思議そうな視線を向ける。
異議ありという言葉でさえ、虚しく響くだけだ。
「そう言うことでしたか……」
娘の友人に会ってみたい、母親の心境ということか。
シルヴィアからも聞いていたが、魔王様も王妃様もフェルに対して親馬鹿だったということらしい。
少しだけ羨ましく思いつつも、ソフィアは苦笑する。
「アニータも人が悪いわね。教えておいてあげても良かったのに」
「アニータの性格上、無理な話」
「そうだったわね」
ロレッタの付ける薬なしという言葉に、レヴィアは苦笑する。
「それにしても、本格的ね」
店内を見渡したレヴィアが、ふとそんなことを呟いた。
この言葉に、ソフィアとロレッタは口をそろえて「えっ?」と呆然とした声を上げる。レヴィアが訪れるから、これほど力をいれたのではと考えていたのだ。
しかし、レヴィアは何も知らない様子。
「すみません、レヴィア様はなにか聞いていないのですか?」
「特に聞いていないわ。喫茶店を開くみたいな話をしていたけど、一時的な店舗みたいだから気にもしていなかったわ」
サプライズのつもりだったのかと、怪訝に思うがそれ以外の理由がありそうに思えてしまう。
いったい、アニータはここで何をやるつもりなのか。
疑念が深まる一方。だが、その疑念は続く言葉に吹き飛んでしまった。
「魔王祭まで、しばらくの間こちらに滞在するつもりよ。一応軍の方でホテルの手配をしてくれたけど、少し窮屈なのよね。フラットホワイト家に許可を頂いたから、一緒に滞在させてもらうわ」
一瞬、何を言われたのか分からなかった。
滞在する……誰が。しかし、続く言葉はさらにソフィアを困惑の渦に突き落とした。
「それと、旦那が顔を出すって言っていたわ。ソフィアに会えることを楽しみにしていたわよ」
――ちょっと嫉妬しちゃうわ。
という声が聞こえたような気がした。
きっと気のせいだろう。ソフィアは、深く考えることを放棄したのだった。




