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第74話 黒翼の母娘

 そして迎えた魔王祭前日。

 三日後から始まる魔王祭を前に、ソフィアたちは研修所で準備をしていた。


 研修所のホールは無駄なと形容しても良いほど広い。

 それこそ、四人掛けのテーブルが三十組用意できるほどだ。とは言え、それほどの来客に恵まれる訳もないため、実際に設置したテーブルは十五組。

 もともと用意されたものではなく、すべて新品だ。おしゃれなデザインで、すべて揃えるとなると、かなりの金額になるだろう。

 いったいどこから用意したものなのか、疑問に思ったソフィアだが、アニータに尋ねたところで適当にはぐらかされてしまうだけ。

 釈然としない気持ちで、玄関口の飾りつけを行っていた。


「ソフィアさん、壁紙の張替が終わったっす! でも、ここまでやる必要があるっすか?」


 報告に来たジョンは仕事が終わったことに晴れやかな表情をしていた。

 因みに、アニータは中で事務をしており、ロレッタは追加の飾りつけの買い出しに出かけている。

 しかし、一方で壁紙の張替までやる必要があるのかと首を傾げている。一時的な店舗にしては、手が込み過ぎているのだ。


「分かりません。ただ……」


「ただ?」


「アニータさんが何か企んでいることは間違いないかと……」


 ソフィアが脳裏に浮かべるのは、あくどい表情をするアニータの姿。

 「ぐへへへ」などと気味の悪い表情をしていれば、よからぬことを考えているのは一目瞭然だった。

 ジョンもまた、ソフィアと同じような場面に出くわしたのだろう。「たしかに……」と言って、深々とため息を吐いた。


「こちらも終わりです。あとは……」


 ソフィアが次に何をするべきか考えていると、不意に聞き慣れた声が響き渡る。


「お姉さん、こんにちは!」


「えっ?」


 思わず呆然とした声を上げるソフィア。

 振り向かなくとも、ソフィアを「お姉さん」と呼ぶ人物は一人しかいないため、すぐに誰なのか分かる。

 フェルだ。

 漆黒の翼を羽ばたかせ、地上に降りる堕天使。

 まるで物語の一幕のような光景なのだが、ソフィアとしてはまったく歓迎できない光景である。


「フェ、フェルちゃん、どうしてここに!?」


「ひ、天災ひめさまが現れた!?」


 驚愕の声を漏らすソフィアとジョン。

 一方で、フェルは不満そうに唇を尖らせた。


「どうしてって、仕事を頼まれたからに決まってるじゃん」


「「へっ……?」」


 続くフェルの言葉に呆然とした声を上げてしまう。

 それも無理はないことだろう。なにせ、相手はフェルなのだから。常日頃から、家でゴロゴロする日々。

 どこかに出かけたなと思えば、どこかで胃を痛める人が生まれる。

 そんな歩く天災が、言うに事欠いて仕事と言った。

 いったい誰がフェルに仕事を頼むというのだろう……


「おっ。ようやく来たね!」


 すると、背後から暢気な声が聞こえて来る。

 アニータだ。彼女は、そのまま二人の間を抜けて、フェルと相対する。その光景を見て、ソフィアとジョンは理解してしまった。


((貴方が原因ですか……))


 二人は心の中でそう思った。

 それと同時に、何をフェルに頼んだのか。フェルはニコニコとして、両手に持っていた大きめの額縁を渡した。


「おおっ! 流石は姫様ね! 仕事が早くてしかもクオリティが高いね!」


「ふっふっふ! 当然だよ!」


 褒められたことによって、フェルの機嫌は一気に最高潮に上る。

 いったい、その額縁は何なのか。ソフィアもジョンも気になって、アニータの後ろから額縁に飾られた絵を覗いた。


「……すごい」


 思わずこぼれたのは、感嘆の声。

 一面に描かれたのは、秋特有の黄金色の大地。

 おそらく、収穫を表現しているのだろう。黄金色の麦を収穫する、農夫たちの姿が描かれている。

 非常に繊細であり、鮮やか。

 リアリティのある絵だが、無機質な写真とは違う。フェルが、その溢れる感情のままに、描き切った感情的な絵画。

 見る者を惹きつける魅力がそこにはあった。

 ソフィアもジョンも、一枚の絵画にただ言葉を失って魅入っていた。


「じゃあ、これお駄賃ね!」


「やった!」


 そんなムードを台無しにする会話。

 そして、二人は見てしまった。アニータが自分の懐から、紙幣の中で最も価値が低いものを三枚渡している光景を……。


「安すぎませんか!?」


 思わず声を挟んでしまうソフィア。

 素人の絵画でも、その倍はするだろう。この絵画のクオリティを考えれば、フェルが素人と考えるものは皆無だ。

 事実、フェルの絵画は高値で取引をされているのだから、いくら何でも安すぎる。


「あっ、この絵なら問題ないよ。どうせ、暇つぶしで描いたようなものだし」


 一方で、フェルの認識はその程度だった。

 適当に書いた絵だからお小遣いを貰えてラッキーとしか思っていないのだろう。あまりにも純粋過ぎて、ソフィアはアニータにジト目を向ける。


「これは、使ったらそのまま軍に寄付する予定ね」


「使う?」


「そうね。流石に部屋が寂しいから絵画でも飾ろうと思ったね。けど、あまり予算に余裕がなくて、姫様に頼んだだけね」


 フェルには聞こえないように小声で「陛下には許可を取ったね」と耳打つ。

 もしかしたら、価格もそちらで決められていたのかもしれない。


「なるほど……?」


 アニータの言葉に、納得を示すソフィア。

 納得したのは、部屋が寂しいということ。テーブルセットの設置や壁紙の交換で、多少は喫茶店らしい雰囲気ができたが、それでも本物と比べると物足りない。

 とは言え、かなり高級そうなものばかりを揃えたため、予算が足りなくなったのも無理はない。

 だが、納得できないのは、どうしてそこまでお金をかけるのかだ。

 貴族や王族でも現れるのかと思えるほどのもので、到底一般客を想定したものとは思えない。

 いったい何を隠しているのかと、怪訝そうな視線をアニータに向ける。


「それよりも姫様。よければ、試作のケーキがあるね!」


 しかし、アニータは追求を避けるように話題を変える。

 より疑惑を深めるソフィアだが、口を開くよりも先にフェルが反応した。


「ケーキ!」


 大輪の花が咲き誇るように、ぱぁと満面の笑みを浮かべるフェル。

 毒気が抜かれてしまうような美しい笑みに、アニータは頬を緩める。


「そうね。ソフィアが大量にケーキを焼いたから、かなり残っているね!」


「……私が進んで焼いたわけではないのですが」


 というソフィアの苦言は、二人の耳に届くことはなかった。

 因みにデザートについてだが、七品ということになった。尤も、うち三品はケーキであり、日替わりということで十種類以上のケーキを焼くことになるのだが。

 他のデザートについても、結局決めることができず作ることになるのだが。

 例外はバームクーヘンだろう。

 特殊な機材が必要で、その機材が研修所にはなかったという理由だ。

 ホクホク顔のアニータとウキウキ顔のフェル。二人が仲良く中へ入って行くのを見守ることしかできなかった。





「うわぁ、本格的だね」


 ホールを見たフェルが、感嘆の声を上げる。

 クラシックな店内の雰囲気が、なんともカフェらしさを演出する。壁紙のみならず、カーテンも変えられ、窓から入ってくる日差しがホール内を照らす。

 窓際に並べられた席でコーヒーを片手に優雅に読書したら、さぞかし気分が良いだろう。

 そんなことを思うソフィア。

 一方でフェルは、早速とばかりに新品のソファに腰かけた。


「最初のお客様が王族ということは光栄っすけど、姫様だと複雑っす」


 隣に立つジョンが、複雑な表情を浮かべる。

 確かに、王族が店を訪れたとなれば、話題になる。しかし、相手はフェルだ。フットワークの軽さは折り紙付きで、どこにでも現れる。

 それ故に、プレミアム感がまったくないのだ。

 

(そう言えば、他の王族の方はどのような人物なのでしょうか?)


 ふと、そんなことを思うソフィア。

 よくよく考えると、ソフィアはフェル以外の王族と対面したことが一度もないのだ。メディアで取り上げられるのは、主に魔王様。

 時折、フェルが取り上げられるが、他の王族が取り上げられることはほとんどない。


「どうかしたっすか?」


「いえ。今さらですが、他の王族について知らないなと思っただけです。もしかして、他の人もフェルちゃんみたいな感じなのかなと」


 目の前では、美味しそうにケーキを口いっぱいに含んでいるフェルの姿がある。

 その姿は、王族というより無邪気な少女という方が正しい。ソフィアの知る王族という存在とは乖離していた。

 他の王族も似たような感じなのかと尋ねると、ジョンは苦笑する。


「流石に姫様は特別っすよ。自由という言葉がアイデンティティみたいな人っすから」


「ですよね……」


 ジョンの言い方に、思わず苦笑してしまうソフィア。

 流石にフェルほどフットワークが軽い王族はいない。そう思っていた矢先だった。


「ロレッタ先輩が帰って来たっすかね?」


 犬耳をぴくぴく動かしていたジョンが、突然そんなことを言う。


「そうなんですか? 私には聞こえませんけど」


 人間であるソフィアには、足音など聞こえない。

 便利だなと思いつつ、ジョンの表情がさえないことに気づいた。首を傾げて唸っているジョンに、ソフィアは尋ねる。


「どうかしましたか?」


「……足音は聞こえるっすけど、一人じゃなくて」


「一人じゃない?」


 今日は来客がなかったはずだ。

 そう思って、アニータへと視線を向ける。


「どうやら来たみたいね」


 どうやら、事情を知っているようだ。「思ってたよりも早い」という呟きがソフィアの耳に届く。

 その次の瞬間だった。

 扉が勢いよく開かれると、ホールへと一人の女性が現れた。


「お久しぶりです、アニータ。それからフェルも」


 二十代半ばほどの妙齢の美女。

 ウェーブのかかった黄金色の髪をたなびかせ、その瞳は深紅だった。

 その絶世のと評しても良い美しい顔立ちに既視感を覚えるソフィアだったが、その背中に生えているものを見て、既視感の理由が氷解した。


 黒翼の翼。


 ソフィアは思わず幸せそうな表情でケーキを口いっぱいに頬張っているフェルに視線を向けてしまう。


「……」


 当の本人は、その女性を見て幸せそうな表情から一転して幽霊でも見たような表情をしている。


「あなたが、娘が言っていたソフィアさんですね。初めまして、私はそこの放蕩娘の母でレヴィア=ルシファと申します」


 突然の王妃の登場に、ソフィアとジョンはまるで魚のようにパクパクと口を動かすのだった。







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