第8話 ソフィアの決意
文章を読みやすいように少し変えてみました。
スーパーと言う名の戦場から帰宅したソフィアは、真っ先に冷蔵庫のある厨房へと向かう。獲得した戦利品を冷蔵するためだ。
――随分とここでの生活に慣れましたね
無意識の行動に思わず苦笑してしまう。
以前の自分であれば、すぐに冷蔵するなど考えられなかったからだ。アッサム王国は、魔国に比べるとかなり不衛生な環境だった。
比較対象が、数百年近いレベルの差がある魔国のため仕方がないかもしれない。以前は気にしなかったが、今思うとアッサム王国の衛生管理は杜撰だった。
「それにしても、卵のこの価格……本当に信じられません」
冷蔵庫に食材をしまっていると、ふと思う。
命がけで獲得してしまった激安食材からは目を逸らしながら、普通に買った卵を見る。そして、誰に向かってでもなく声をあげる。
「タマゴには非常に栄養があって何よりも美味しいんですよ。お菓子には欠かせない食材ですし、この前食べたタマゴサンド……とても美味しかったですね」
数日前に、シルヴィアにごちそうになったタマゴサンドを思い出して、ソフィアは恍惚とした表情を浮かべる。
卵は当然だが、マヨネーズと牛乳に塩と胡椒で味を調整したシンプルな物をパンに挟んで食べる……非常に簡単な調理法だと言うのに、非常に洗練された味だった。
「タマゴサンドは、魔国の知的遺産です!あのふわふわのパンとマイルドな卵が生み出すハーモニー!体重が増えると承知しながらも、いくらでも食べられそうな悪魔的な魅力!」
嬉しいのだろうか。悔しいのだろうか。
厨房の真ん中で、ソフィアはタマゴサンドの魅力を熱弁していると、矛先を卵に向ける。
「そして、それらに欠かせない食材が、驚きの低価格!しかも、十個入り!?
今買わなければ、損に決まっているではないですか!」
「お前の卵への執着が私には理解出来ない……養鶏業界の回し者か?」
ソフィアが一人盛り上がっていると、厨房にシルヴィアが現れる。
先ほどのソフィアの一人演説を聞いていたのだろう。僅かに口元が引きつっていた。聞かれていたことを恥ずかしく感じるが、ソフィアは何事もなかったかのように振舞う。
「シルヴィア、今日はもう帰って来ていたのですね」
平然と振舞うことで、ソフィアは先ほどの醜態を隠そうとしている。
本人は上手く隠せているのだと思っているようだが、シルヴィアから見れば頬が紅潮し声が僅かに上ずっているため隠せていなかった。
その様子を見て、苦笑してしまうと敢えて話を逸らす。
「ああ、少し早めに終わってな……それよりも、随分と多いな」
「これは、その……戦利品です」
意外だと言う様子でシルヴィアが言うと、ソフィアは先ほどの様子から一転して遠い目をしてしまう。
「何だ?スーパーに行って戦争にでも巻き込まれたかのような反応だな」
シルヴィアはもちろん冗談で言った。
だが、それを聞いたソフィアは神妙な口調で返す。
「はい、もうこの世の戦いとは思えない壮絶な戦いでした……私、どうして生きているんでしょうね?」
ソフィアの返答にシルヴィアは本気で言っているのだと悟ったのだろう。
頬を僅かに引きつらせてしまう。
「……お前、買い物に行っていたんだよな?」
「はい、御覧の通り買い物ですよ……魔法が飛び交い、剣戟が鳴り響く場所でしたが」
「どこの世界にそんな人外魔境なスーパーがあると言うのだ!?」
いつも突拍子もないことをする奴。
それが、シルヴィアのソフィアに対する評価だ。だが、ここはシルヴィアにとってホームグラウンドで、そんな人外魔境な場所があるとは思えなかった。
「バスで一つ隣ですけど……」
シルヴィアの様子に、ソフィアは尻込みした様子で答える。
「意外と近いな!」
どこか遠い世界の話だと思っていた。
隣のバス停と言うことは、二キロ離れているかどうかだろう。そんな近くに人外魔境なスーパーがあるとは、信じられない。そんな思いでシルヴィアは叫ぶ。
「それはそうと、今日はどうしたのですか?」
一転して、ソフィアが明るい声でシルヴィアに尋ねる。
もう少し話を深堀して聞きたいと思うが、理解が追いつくか分からないため本題に移った。
「いや、料理をするところを見せてもらおうとな」
「そうですか。あまり面白くないと思いますよ?」
「いや、そんなことはない」
ソフィアは、料理をしている光景を見ても面白くないのではないかと感じる。だが、シルヴィアからすれば違うのだろう。
ソフィアの言葉に首を緩く振ると、言葉を続ける。
「それで、今日の夕食は何にするのだ?」
「今日はサバの味噌煮にしようかと、あとはサラダとみそ汁。それから卵焼きでも作りましょうか」
「では、さっそく鯖を三枚に下ろしましょうか。昔漁師さんに教えてもらいましたが、まだできるはずです」
ソフィアが買って来たのは、切り身ではなかった。鯖は特に珍しい魚ではなく、シアニン自治領ではマリネとして食べるのが一般的だ。ソフィアも鯖のマリネを作った経験があり、そのとき漁師から捌き方を教えてもらった。
鯖をまな板の上に乗せ、ソフィアが包丁を片手に持つと……
「はっ?」
と、隣から間の抜けた声が上がる。
シルヴィアらしくない声に、ソフィアは鯖を三枚に捌くとシルヴィアに視線を合わせる。
「どうかしましたか?」
「いや、ちょっと待て。何故、もう三枚に捌いてある!?」
まな板で三枚に下ろされた鯖を見て、シルヴィアが驚愕の声を上げた。
「普通に捌いただけですけど、何かおかしいのでしょうか?」
だが、ソフィアにはシルヴィアの反応が理解できないのだろう。首を傾げてしまう。その様子を見たシルヴィアは思う。
(これが、レベル十の力か……一瞬で捌かれたぞ。と言うより、何故この異常性に本人は気が付かない!?)
内心、ソフィアに言いたいことがあるが、意味がないと考えため息を吐いてしまう。その様子を見て、ソフィアはさらに不思議そうな表情をするが、気を取り直すと料理に戻った。
「あっ!そう言えば、鍋の準備を忘れていましたね!【鍋さんよろしく】!」
諦めの極致に入ろうとしたシルヴィアだが、あり得ない光景を前に強制的に現実へと戻されてしまう。
ソフィアの言葉と共に、仕舞われていた鍋が飛んできたのだ。
そして、ソフィアは何の疑問も持たずにその鍋を受け取ると火にかけ始め、サバの味噌煮の調理にかかった。
「まずは、霜降りからですね」
先ほど捌いた鯖を入れたボールの中に、九十度ほどのお湯を入れる。全体がお湯につかるように箸で混ぜ、鯖の皮が反り返るのを確認して今度は水にさらす。
この一連の作業を霜降りと言い、こうすることで魚の汚れや血合いを落とし臭みを取ることができる。
「下ごしらえはこれで終わりです……あとは、ねぎと生姜で臭みを取りましょう」
霜降りで鯖の臭み抜きを行っても、鯖の持つ独特の臭みは若干残ってしまう。そこで薬味となるねぎや生姜の出番だ。
ソフィアの読んだ本のレシピでは、薬味はねぎと生姜の両方を使う。そうすることで、より味に深みを出すことができるそうだ。
まずは、ねぎと生姜を刻む。その後、鯖に味が染みやすくなるように皮に十字の切れ目を入れ、酒にみりん、それから先ほど刻んだ薬味と一緒に鍋に入れる。
このとき、酒を多く入れるのがポイントだ。酒を入れるのは鯖の臭みを取るだけでなく、鯖がふんわりと柔らかくなる効果がある。
「皮の部分を上にして入れて煮込みます」
皮を下にすると、鍋の底に皮がくっついてしまう。そうなると、完成した時の見た目が悪くなってしまうらしい。
本に書かれた情報のため実感はないが、それに気をつけて料理を続ける。
「鍋が沸騰したので、味噌を投入ですね。
後は落し蓋をして、と……次はみそ汁に移りましょうか」
ソフィアが声を掛けると意思を持っているかのように動き始める調理器具。食材や調理器具が空を舞い、まるで意思を持ったかのように動く。
「卵をかき混ぜて下さい」
ソフィアが声を上げる。
すると、ボールが現れて、卵が自分から殻を割り中へ落ちる。そして、お箸が飛んでくると器用にかき混ぜ始めた。
そんなメルヘンチックな光景を見て、先ほどまで呆然としていたシルヴィアだがふと思い出す。
「これが、料理魔法なのか?……おいっ、これはお前が動かしているのか?」
「ああ、これですか?初めて見られる方は、本当に驚かれるんですよね」
初めて見る人は、大抵シルヴィアと同様に驚く。
クールなシルヴィアらしくない動揺した表情を見て、微笑むと言葉を続ける。
「いいえ、私はお願いしているだけです。そうすると、勝手に動いてくれるんですよ……不思議ですね」
だが、ソフィアとしては特別なことをしているわけではない。ただ、料理中に頼むと自分の意思を汲んで動いてくれる……いつもの光景でしかなかった。
「どうして、この状況を不思議ですねで片づけられるんだ!?」
「……いつもこうなるので、今さら気にしませんよ」
と、穏やかな表情をするソフィアに、シルヴィアは先ほどの興奮が急速に冷めて行くのを感じる。そして、疲れたように言った。
「これは、間違いなくお前の固有魔法だ……」
「えっ?……ああ、料理魔法!」
今まで不思議な力としか認識していなかったが、つい先日スキルを確認した時の事を思い出す。
シルヴィアの言葉で、自分の持っていた料理魔法の存在を思い出したのだろう。
「そう言えば、これって厨房でしか使えませんでしたね。なるほど、そう言うことですか」
「……気が付くのが遅い」
納得したソフィアに、気だるげな表情でシルヴィアは言った。
色々と言いたいことがあるのだろうが、立ち込める空腹を誘う匂いにどうでも良くなってしまったようだ。
視線は、鍋の方へ向いていた。
「さぁ、完成です」
最後にサバの味噌煮の上に千切り生姜を乗せると、料理の終了を告げる。
「美味しい……」
ソフィアは、生まれて初めて鯖の味噌煮を食べた。
鯖自体は、アッサム王国でも食べたことはある。だが、味噌が存在しなかったため、マリネとして食べたくらいだ。
――これが、サバのミソニなんですね。
ソフィアがこの料理を最初に知ったのは、魔国ではない。それよりも前、アッサム王国でのことだ。
既に亡くなっているが、ソフィアには母がいた。その母から随分と昔に聞いていたことがあったのだ。
「……美味しかった」
ソフィアが思い出に耽っていると、シルヴィアが口を開く。食事中はほとんど話さないのに珍しいと思いつつ、言葉に違和感を覚える。
視線を上げて、シルヴィアの方を見ると……
「って、もう食べ終わったのですか!?」
シルヴィアの前には、空になった食器が置かれていた。
茶碗には米粒一つ残っておらず、サバは皮まで綺麗に平らげられていた。本当に、同じスタートで食べ始めたのか。そう疑いたくなるレベルの速さだ。
「お代わりがありますけど……「是非頼む!」……了解です」
いつもの事とは言え、シルヴィアの食欲にはソフィアは苦笑するしかなかった。新しく、ご飯を盛りつけ、余分に用意しておいたおかずを持って、シルヴィアの下へ持って行く。
「そう言えば、味の感想はどうでした?」
「ああ、さっきも言ったが美味しかった。
鯖は丁寧に臭みが取らていて、私の嗅覚でも臭みを感じさせない。煮崩れしていない身はふわふわとしていて、噛めば噛むほどうまみが溢れ出る……絶品だとしか言いようがない」
「あ、ありがとうございます」
シルヴィアの評価に、嬉しい気持ちと恥ずかしい気持ちが半々なのだろう。ソフィアは素直に喜べず、照れたように微笑をする。
「お前は料理が好きなのだな」
食事を再開しようとすると、不意にシルヴィアが声を掛けて来た。
「はい、とても好きです……ですが、突然なんですか?」
「いや、ふと思っただけだ。お前はどうしてそこまで料理が好きなのか気になった」
シルヴィアがそう言うと、ソフィアはにこりと笑う。
「私は、作った料理が食べた人を幸せな表情にする。美味しいと言ってもらえる。
それが、嬉しくて料理が好きなのだと思います。もう母には美味しいと言ってもらえませんが、それでも私は料理で笑顔を作りたいと思っています」
その笑顔を見て、シルヴィアはふとアッサム王国での出来事を思い出したのだろう。真剣な声色でソフィアに尋ねる。
「お前は、故郷を恨んでいるのか?」
「なんですか、急に?」
「いや、お前が遭った目を思えば、仕返しをしたいのかと思ってな」
妹には濡れ衣を着せられ、婚約者に捨てられて、護衛には裏切られる。
その挙句に、死刑宣告に近い処罰をされたのだ。頭部に石を投げられたとのことも考えると、かなり恨んでいても可笑しくない。
「そうですね。恨んでいるかと聞かれると……正直、分かりません」
「分からない?」
ソフィアは人の良い性格だ。怒りや憎しみを顕わにしている姿など想像もできない。
だが、これとは話は別だ。
あれだけの仕打ちをされて、恨まないなど聖人位なものだろう。
シルヴィアの考えが伝わったのか、ソフィアは何かを堪えるような表情をして言葉を続ける。
「許せない。できるならば、仕返しをしたいです。私は、聖人ではありません。けど、それをしないのは、母の言葉を思い出したからかもしれません」
そう言うと、ふと過去のことを思い出す。
もう八年も昔の……まだアイナと出会う前のことだ。
「お母さま、また私を使ってパーティーから抜け出して!?」
「私には、あの空気が性に合わないんだよ」
「もう!」
ソフィアの母は、貴族としては異端の存在だった。
アールグレイ公爵家の一人娘として生まれたにも関わらず、型には囚われず自由奔放な性格だった。
今もまた、八歳のソフィアを人身御供にしてパーティーから抜け出して来たばかりだ。その時の事を思い出して、ソフィアは頬を風船のように膨らましてしまう。
「そんなに怒らないでくれ……そうだ、ホットケーキを焼こうと思っていたんだ。一緒に作るかい?」
「ホットケーキ!私も手伝って良いの!?」
一転したソフィアの反応を見て、ソフィアの母は頬を緩ませる。
ソフィアは、母親の作った料理が好きだった。本人が言うには、どこか遠くの国で勉強した料理だと言う。その国の話をするとき、母がどこか悲しそうな表情をするため、詳しく聞くことはなかった。
幼いソフィアには、分からなかったが考え事をするときなどに母が魔国語を呟いていたのを思い出す。
時折、語ってくれる「ワショク」と呼ばれる料理を本当は作りたいようだが、アッサム王国では材料がそろわないため、作ることはできなかった。
「ああ、構わないとも。そろそろおふくろの味を仕込んでおこうかと思っていたところだからね。……米も醤油もないから、ホットケーキくらいしか作れないんだけどね。はぁ」
「オフロノ味?」
「お風呂じゃなくて、おふくろだ。母親の味ってことだよ。流石にお風呂味は食べたくないね」
と、言ってソフィアの母は笑う。それにつられてソフィアもまた笑みを浮かべる。
「さぁ、料理を始めようか」
それは母の口癖だった。
「さぁ、料理を始めましょう!」
それを真似して、ソフィアも言う。娘が真似をしているのが面白いのか、母はにっこりと笑って頭を撫でる。
それが、ソフィアにとって初めての料理だ。
「本当に初めて作ったのかい?」
「うん!美味しい?」
「ああ、もちろん美味しいとも」
今でも覚えている。
母が初めて自分の手料理を食べて驚いた表情をしていたことを。美味しいと言ってくれた時のことを。そして、そのとき感じた胸の高鳴りも。
これから先も、きっとソフィアは忘れることはできない。
そして、伝えられた一言もまた……
「私のこの人生は、辛いことはあったが満足だった。ソフィア、あんたも本当にやりたい後悔のない道を選びな」
「じゃあ、オフクロノ味をもっと教えて!」
「ああ、良いとも」
だが、それが叶うことはなかった。
ソフィアの母は、あの日から一か月後に不慮の事故で亡くなってしまう。
結局、ホットケーキくらいしかオフクロノ味を教えてもらうことができなかった。
話してくれた「ワショク」の数々。それらは、決して届かない思い出としてソフィアの中に残った。
その日以降、父親であるガマリエルは段々と変わってしまい、アイナたち母子が現れる頃には完全に別人のようになってしまった。
忙しくなった日々に、母が何故あのようなことを言ったのか。それを考えることなく、最近になってようやく理解できたのだ。
――私も自由に生きて良いと伝えたかったのですよね
自由奔放に生きた母親。そして、料理から離れて自分を殺し続け貴族として生きて来た自分。義務だと思っていた人生だが、自分の人生は自分で決めることができるのだと。
「私が魔国で料理をする理由……教えてもらえなかったオフクロノ味を覚えたいと思ったからです。一度きりの人生、自由に生きようと思ったからです」
魔国の料理は、ソフィアにとって奇跡の出会いだった。いつか母が語ってくれた「ワショク」と同じ料理がここにはあった。
母がいなくなり、今となっては再現できない料理の数々。母が語った料理と同じものかは分からないが、ソフィアはそれを知りたいと心の底から思った。
「そうか」
亡き母を偲ぶように表情を暗くしたソフィアだが、もう道を迷うことはないのだろう。シルヴィアには、ソフィアの目から強い熱意が感じられた。
次話は、アッサム王国に戻ります。