第69話 ミッドナイト横丁(5)
1日遅れて申し訳ありません。
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「料理魔法! なんて、素敵な響きですの!」
戸惑いながらも口を滑らせてしまったソフィア。
固有スキルであることを知ったエリザベートは、目を輝かせて詰め寄って来た。普段とは違うベクトルの驚き方に、ソフィアは困惑する。
「私の理想とする、魔法のカフェ……それが実現できるではありませんの!」
「いや、この外観だと無理でしょ。魔法じゃなくてポルターガイストの方が似合ってるよ。そもそもブラッドカフェって。吸血鬼しか寄って来ないでしょ」
「姫様、煩いですわよ!」
フェルの言葉を、エリザベートはぴしゃりと黙らせる。
「え、えっと……一先ず、落ち着いて下さい!」
エリザベートとの距離の近さから、椅子の上に仰け反りながら、制止の声を掛けるソフィア。
「いいえ! これが落ち着いていられますか!? 貴方の力、私が思い描いていた力そのものではありませんの!」
「ち、近いですって!」
獲物を逃すまいと、ひじ掛けに手を乗せてソフィアに覆いかぶさるように詰め寄るエリザベート。
両手で制止を掛けるが、二人の身体能力の差は天と地ほど離れている。ソフィアが八方ふさがりになっていると……
「はいはい、そこまで」
フェルが割って入った。
細い腕のように見えても、やはり魔族なのだろう。ソフィアに覆いかぶさっていたエリザベートを易々と引き剥がしてしまう。
ソフィアが安堵の息を吐く一方で、エリザベートは不満そうに唇を尖らせていた。
「いったい、何をするのですの?」
「それはこっちのセリフだよ。まったく、お姉さんは人間なんだから、力の加減を考えてよ」
やれやれと言って、腰に手を当てるフェル。
ソフィアは、ほっと安堵の息を吐くが……
「人間ですの?」
続くエリザベートの言葉に、ソフィアははっとなる。
「フェルちゃん!?」
「あっ」
ソフィアの声に、フェルは自身の失態を悟って間の抜けた声をあげる。
魔国において、人間は微妙な立ち位置だ。南部は、比較的人間に対して恨みを持っている者は少ない。
魔国は多種族国家であり、見た目だけで人間だと断言することはない。
そのため無暗に言いふらさないようにしていたのだが……
「そうですか、あなた人間でしたの……」
エリザベートは、すっと目を細める。
ガーネットのような美しい瞳は、まるで光っているようにも見える。幼さを感じる顔立ちではあるが、人形のように整った顔立ちが帰って恐ろしく感じてしまう。
自分でも気づかぬ間に、エリザベートから距離を取っていた。
「え、えっと。お姉さんは人間じゃなくて……そう、人魚なんだよ!」
と、慌てたようにフェルは声を上げる。
(人魚って……私に尻尾はないのですが)
内心ツッコミを入れてしまうソフィア。
いくら何でも、フェルの言い訳は苦しすぎるのだ。エリザベートも、流石に騙されることはなく、一歩ずつソフィアに近づいて来た。
「あ、あの……」
いったい何をするつもりなのか。
ソフィアは困惑気味に声を上げるが、エリザベートは何も答えない。そして、ソフィアに手が届く位置までたどり着くと……
「えっ」
突如、エリザベートの姿がソフィアの目の前から消える。
呆然とするソフィアだが、すぐにエリザベートの居場所が分かった。背後だ。一瞬で背後に回り、ソフィアの首にはひんやりとした手が添えられていた。
「ちょっと!」
突然の事態に、フェルが慌ててエリザベートを羽交い絞めにする。
「何ですの?」
先ほどのこともあってか、不満そうな表情をするエリザベート。
しかし、フェルも黙ってはいない。
「何じゃないよ! お姉さんに何をするつもりだったの!?」
「美味しそうな匂いでしたので、味見をさせていただこうかと」
「美味しそうって……」
ソフィアは、未だかつて美味しそうなどと言われたことはなかった。
愕然としてしまうソフィアだったが、フェルに羽交い絞めにされるエリザベートから憎悪と言った感情がないことに気が付く。
「エリザは、人間が嫌いではないのですか?」
「私がですの? 何故?」
ソフィアの疑問にエリザベートは首を傾げる。
質問の意味自体に気づいていない様子だ。そのため、フェルが呆れたように言った。
「だって、ほらエリザのお爺ちゃんたち「人間、皆殺しじゃ!」とか「この恨み、孫の代まで忘れぬぞ……」とか言っていたみたいじゃん」
「ああ、そんなこと言っている人もいましたね。私には関係ありませんわね」
どうやら、エリザベートの中ではその程度の認識なのだろう。
まったく興味がなさそうだ。フェルも害なしと判断したのだろう。エリザベートを開放する。
「それにしても、人間ですか……道理で美味しそうな匂いがすると思いましたわ」
そう言って、エリザベートはぺろりと唇を舐める。
可愛らしい姿なのに、ソフィアには背筋が凍るような姿に見えてしまう。まるで肉食動物に狙われる草食動物にでもなった気分だ。
エリザベートから離れるように座り直すが、何故か近づいてくる。
「お姉さん、本題だけ話して早めに帰ろう」
「そ、そうですね……」
ここにいては危険だと感じたソフィアは、フェルの意見にすぐさま首を縦に振った。
「本題ですの?」
「はい。もうすぐ魔王祭がありますよね……そこで料理を出すのですが、メニューに悩んでいまして」
「それで、おばさんに聞いたらここを教えてもらったんだよ」
「アリッサさんに……そう言うことでしたの」
アリッサからの情報だと聞いて、エリザベートはどこか納得した様子だ。
そして、フェルからソフィアに視線を移した。
「それにしても、貴方は料理人でしたの? よろしければ、こちらに鞍替えしませんこと? 給料は要相談ということで」
「け、結構です!」
思わず声を翻して返答してしまうソフィア。
しかし、仕方がないことだろう。常に血を狙われる職場など、ブラック企業以上に生きた心地がしないのだから。
いや、ソフィアにとって忙しいことは歓迎すべきことなのだが……。
「残念ですわね……ところで、勤め先はどちらなのかしら?」
「魔王軍です。マンデリン支部の研修所にいます」
「あそこですか……」
エリザベートは、どこか遠い目をする。
「知っているのですか?」
あのシュナイダーが務めている場所だ。
ミッドナイト横丁でも噂になっているのだろうと思ったソフィアだが……
「もちろんですわ。なにせ、安月給の割にハードで有名な場所ですもの。あまりに人手不足なので、去年は説明会のブースでオークの男性が変な踊りまで踊っていましたわね」
「あっ、私も見たことがある! 皿回ししてたよね!」
「ええ、噂によると数年前から毎年行っているみたいですわね……芸人としてやっていけるような気がしましたわね」
(アンドリューさん!?)
いったい何をやっているのだろう。
一発芸で人を寄せ集めようとしたのは予想が付くが、却って芸の方に人が集まったということなのだろう。
そして、何故アニータが止めないのか……
(アニータさんなら笑っていそうですね。止めるようなことはしませんか)
と内心息を吐く。
「それはそうと、シュナイダーさんに関しては最近噂がありますね」
「噂、ですか?」
「ええ、何でも魔王軍総料理長に推薦されたという話です」
「えっ!?」
初めて聞く話に、ソフィアは驚愕の声を漏らす。
一方で、フェルは納得したようにしきりに首を縦に振った。
「そう言えば、今の総料理長って高齢だからね。そろそろ引退を考えていても可笑しくないか」
「ええ。その後釜としてシュナイダーさんが最有力候補として名前が挙げられていますから。不思議ではありませんよ」
「そう、なんですか……」
ソフィアとしては目標となる人物が、マンデリンから立ち去ってしまうという事実に落ち込まずにはいられなかった。
しかし、何度か料理を食べたことがある。
知識、経験……スキルを除いたすべてにおいてソフィアはシュナイダーに負けている。
できれば残って欲しいと思うが、その栄誉な場所に立ってほしいと思ってしまう自分がいた。
「さて、世間話はこのくらいにして……先ほどの質問ですわね。因みに、どのような店にするか決まっているの?」
「喫茶店を開くつもりで、デザートと軽食それぞれ五品ずつくらいです」
「そうですわね……やはり秋の味覚をふんだんに使った料理の方が良いと思いますわ」
「なるほど。秋の味覚ですか……」
「ええ、先ほどのモンブランのように、産地にこだわってみるのもいいと思いますわよ」
ソフィアは、手早くメモ帳を取り出すとメモを取る。
魔国では交通機関が発達しているため、大抵のものはマンデリンでも手に入る。だが、ブラッドアップルのようなものは入って来ないのだ。
各地で名産となる物を扱うのも客引きの手になる。
(問題は、伝手ですよね……どこからか入手できればいいのですが)
そう、ソフィアには伝手がない。
そのため、この案は実際のところ採用は厳しいだろう。そんなことを思っていると、ふとソフィアは思った。
「そう言えば、マンデリンの名産品って何でしょうか?」
「マンデリンの? さぁ、知らない」
「私も知りませんわ」
ソフィアが尋ねると、二人も知らないようだ。
どうせならば、マンデリンの名産品を使おうとメモを取る。
「あとは、見た目を重視するのも良いかもしれませんわね」
「見た目、ですか」
「ええ。最近は料理の写真を撮る人が増えていますから」
「あっ、確かによく見かけるよね!」
エリザベートの言葉に、フェルはポンと手を打つ。
ソフィアもまた飲食店でそう言った光景をよく見かけるので、納得の声を上げた。
「分かります、やはり見た目は大事ですよね。いっそのこと、カラフルなデザートでも作りますか?」
「どんな感じ?」
「そうですねぇ……」
ソフィアは、どんな色の料理が良いのかと悩む。
魔国はアッサム王国とは違って、食材が豊富だ。食紅など色を付ける食材もあるのを考えて……
「いっそのこと、虹色の料理とかはどうですか?」
咄嗟の思い付きだが、「カラフルですね」と笑うソフィア。
「いや、なにその危ない色!? ショートケーキ味よりも嫌な予感しかしないんだけど!」
「あら、カップ麺のお話ですの? ショートケーキ味、意外と美味しかったですのに」
「「えっ……?」」
驚愕の事実に、ソフィアとフェルが揃って声を上げる。
「どうかしましたの?」
「いや、え……本当に美味しかったの?」
「ええ、私の友人も美味しいと言って食べていましたわ。ヘンゼルやグレーテルも普通に食べていましたのに」
不思議そうにするエリザベートだが、味覚が大丈夫なのか不安になる。
いや、人間の味覚だからそう思うのだろう。とは言え、堕天使族のフェルや銀狼族のシルヴィア、妖精族のロレッタが口をそろえて不味いと言っている以上、大多数の意見は同じだと思いたいが。
「そ、そうなんですね……」
ソフィアは乾いた笑い声を上げるしかできなかった。
そうしているうちに、徐々に時間が経過していく。
「じゃあ、そろそろ次の店行こうよ……と言っても、流石に全部回れないと思うけど」
「そうですね、では次行きましょうか」
ソフィアも、フェルの意見に賛成だ。
エリザベートからすれば、せっかく来た客が帰ってしまうためだろう。少し悲しそうな表情を浮かべていた。
そして、ソフィアが「また来ますよ」と声を掛けようとした瞬間だった。
「私も、お腹がすきましたわ……」
と言って、ソフィアを見るエリザベート。
その言葉を聞いてソフィアは表情を凍らせる。喉まで出かけた言葉を飲み込むと、早々に会計を済ませる。
ブラッドカフェを出るとき、ここに一人で来るのだけはやめようと心に誓うのだった。