第64話 シルヴィア邸の日常
仕事を終えて、帰宅したソフィア。
その隣には、当たり前のようにロレッタの姿があった。二人は、買い物袋を両手に持ってキッチンへと向かう。
「どこに置けば良い?」
「机の上に置いておいてください。そのまま夕食の準備をしますから」
ソフィアはそう言って、手を洗うとエプロンをつける。
お米を研ぐと、炊飯器の電源を入れた。
「それにしても、良い秋刀魚が手に入った……美味しそう」
途中、魚屋で手に入れた秋刀魚。
袋から出すと、ロレッタが無表情ながら涎を拭く動作を見せる。
「そうなのですか? どれも同じように思えますが?」
内陸国出身のソフィアには、どの秋刀魚も同じように見えてしまう。
食材の目利きには、スキルではどうにもならない。目利きスキルは、あくまで結果に作用するのであって、選び方には作用しないのだ。
ソフィアが尋ねると、ロレッタは先輩として胸を張ると、秋刀魚を手に持った。
「秋刀魚は、まずここを見る」
「背中?」
「そう! 頭から背中、ここの盛り上がりが厚ければ脂が乗っている証拠。後は、この腹。腹が柔らかいと腹が腐ってる。硬い方が、内臓が新鮮」
「なるほど」
ロレッタの力説する姿に、尊敬の視線を向けるソフィア。
尊敬の念が伝わったのか、ロレッタは得意げな表情で更に目利きのポイントを話し始めた。
「それに見ると良い、この濁りのない目を。……『私を食べて!』って言っているように見える」
「え?」
ソフィアは、ロレッタの持つ秋刀魚の目を見る。
普通の黒目。そして、その周囲は濁っておらず透明だ。だが、「私を食べて」などと言っているようには思えない。
一転して困惑するソフィア。
しかし、それに気づかないロレッタは秋刀魚の尻尾を持った。
「こうやって持つと、切れ味の良い刀みたいに一直線に立つ秋刀魚は新鮮な証拠」
「おお……?」
ロレッタが、秋刀魚の尻尾を持って垂直に立てる。
だが、それが鮮度とどのような関係にあるか分からなかった。それに、魚に切れ味と言われても、全く理解できない。
すると、ソフィアの困惑が伝わったのか、ロレッタは慌てた様子だ。
「もう一つ、ポイントがある! 口の先、ここが黄色いと美味し……「それは違うぞ」……えっ?」
ロレッタが自信満々に言い放った言葉であるが、途中で扉の向こうから否定する声が掛かる。振り向くと、そこにはシルヴィアの姿があった。
「おかえりなさい」
「ただいま。ところで、今日の夕飯は秋刀魚か?」
「ちょうど、秋刀魚が旬なようで安く手に入りましたから」
肉よりも魚が好きなシルヴィアだ。
クールな表情であるが、その尻尾は嬉しそうにフリフリしている。表情よりも尻尾に感情が出ていた。
シルヴィアの尻尾を見て、ソフィアは思わず苦笑してしまう。
すると……
「何が違うの?」
不機嫌そうな様子のロレッタが、シルヴィアに尋ねた。
「確かに、口先が黄色いと新鮮なことに違いはない。だが、この時期だと生の物は基本的に新鮮だ。大して差がない。見るとすれば、やはり頭から背だな」
「そんな……」
シルヴィアの指摘に、ひざを折るロレッタ。
完全に違っているわけではないが、自信満々に言い放ったことが恥ずかしいのだろう。ほんのりと紅潮しているのが分かる。
キッチンへ入って来たシルヴィアは、秋刀魚を眺める。
「……じゅるり」
「シルヴィア、生はだめですよ! ちゃんと調理するので、待っててください!」
猫のようにこのまま魚を咥えて行ってしまうのではないか。
……シルヴィアは狼だが。不安に思ったソフィアが、制止の声を掛けると、シルヴィアははっと我に返る。
「生でも、刺身にして食べれば美味しいぞ!」
「……できれば、咥えるという部分を否定してほしいのですが」
不安そうに尋ねると、シルヴィアは視線を逸らす。
心なしか、尻尾が秋刀魚の方に向いている気もするが、気のせいだろう。そう思うことにした。
「取りあえず、二人は出て行ってください。料理の邪魔です」
「うぐっ」
「はぅっ」
ソフィアから戦力外通告を受けた二人。
シルヴィアはともかく、先輩であるロレッタは深刻なダメージを受けた様子だ。尤も、いつも通り手伝うことはしないだろうが。
シルヴィアは、いまだショックから立ち直れない様子のロレッタを連れてキッチンを去って行く。
「あっ。ところで、調理法のリクエストはありますか? 普通に塩焼きでしょうか?」
「それと、かば焼き」 「刺身も追加で」
「……」
一品じゃないのか、そう思ったソフィアだが既に二人の姿はない。
本当によく食べるなと思いつつ、料理を始めることにした。
「【さぁ、料理を始めましょう】」
料理魔法にみそ汁の支度を頼むと、ソフィアは秋刀魚の調理を始める。
包丁で優しく鱗をこそげ取り、水・塩・片栗粉を混ぜ合わせた中で表面を優しく洗う。
キッチンペーパーで水気を取り、塩を振る。
振り塩には、味付けだけでなく臭みを取る効果がある。身に弾力を与え、旨みも増すので、欠かせない調理工程だ。
六尾……ロレッタとシルヴィアが二尾ずつのため……を用意すると、グリルを調理前に予熱しておく。
「確か、熱源の真下におくと良いんでしたよね。……両端についていますね」
熱源の位置を確認し、秋刀魚を網の両端に並べ、中火で焼き始める。
「次は、かば焼きと刺身ですね」
そう言って、まずは秋刀魚の下ごしらえを始めた。
「まずは、内臓を抜きますか」
研修所で、一通りの魚の捌き方は覚えている。
ソフィアは迷うことなく胸ビレの後ろに包丁を入れ、頭を切り落とした。 肛門まで包丁を入れ、内臓をかき出す。
「次は、おろすのですが・・・お刺身用は一口サイズで、かば焼き用はお腹から開いて半分に切りましょう」
しっかりと秋刀魚を水洗いしたあと、背中側、腹側と包丁を入れ、最後にしっぽの先を切り離す。
そのあと、おろした身の尻尾側から包丁を立てて皮を引いていく。
「やはり、旬の魚は違いますね」
以前とは違い、脂が乗っているためか皮がスムーズに引ける。
思わず感心した声が出てしまった。
お刺身用の切り身は腹骨を薄くすき、飛び回るピンセットで血合い骨を完璧にとる。
最後に残った四尾をかば焼き用に開いていく。かば焼きでは内臓をとった後、三枚おろしにせずに背中側を少し残して広げるのだ。
そして、料理スキルによって、瞬く間に刺身は盛りつけられ、かば焼きの下準備も完成した。
かば焼きに移ろうとした瞬間、ふと思う。
――四人で十二尾ですか……
秋刀魚はロレッタが買って来たものだ。
何故、十二尾も……。そう思っていたが、おそらくあの二人の様子では、ぺろりと平らげてしまうことだろう。
二人のスタイルを思い出して、遠い目をしてしまうソフィア。
だが、すぐ気を取り直して調理を始めた。
「後はかば焼きですね。久しぶりに作りますね」
研修所で作ったのは、秋刀魚のかば焼きだ。
ウナギは高いので、秋刀魚で代用する形となった。そんなことを思い出しつつも、ソフィアは調理を続ける。
秋刀魚を切り分けると、小麦粉をしっかりとつける。
その片手間に、濃い口しょうゆとみりんでかば焼きのたれを作っておく。たっぷりの油をフライパンで熱して秋刀魚を皮から焼く。
こうすることで、皮がパリパリになるそうだ。表面もしっかりと焼けたら、お酒、たれ、砂糖、しょうがの順に入れて行く。沸騰したところで火を止めると、器に盛りつけてかば焼きは完成だ。
「これで、完成ですね……ひゃっ!?」
リクエスト通り、塩焼き、かば焼き、刺身を用意したソフィア。
視線を感じて、扉の方へ振り返るとそこには顔だけ覗かせるシルヴィアとロレッタの姿が。正直言って、ホラーだ。
まだか、まだかと待っている二人に、ドン引きしつつもソフィアは夕食の支度を終えるのであった。
欠食児のような様子の二人は、「いただきます」の合図と共に、目にも留まらぬスピードで料理へと手を伸ばした。
「「……」」
いつも通りの無言。
だが、恍惚とした表情が、言葉よりもその味を物語っていた。そして、示し合わせたように……
「美味い!!!!」 「美味しい!!!!」
二人は、立ち上がりそうになるくらいの勢いで声を上げる。
――最近、リアクションが大きいですね……
ふと、そんなことを思うソフィア。
昔であれば、食べ終わるまで口を開かないのだ。最近は、余裕が出来て来たのか途中でも口を開くようになった。
「やはり、秋刀魚はかば焼きが一番だな。ふっくらとした身に、このたれが堪らん! 何杯でも御飯が食べられそうだ!」
「ふっ、秋刀魚本来の味こそ至高。刺身が一番美味しい」
険悪そうな様子を見せる二人。
だが、それも一瞬の事。シルヴィアは、刺身を。ロレッタはかば焼きを口にする。すると、先ほどの空気はどこへやら。幸せそうな空気が周囲を漂い始める。
「やっぱり刺身が一番だ。この脂が乗った身、白身魚でくどさが感じられん」
「かば焼きこそが至高……皮がパリッとしていて、身を割けば透明な脂が出て来る。美味しい……」
恍惚とした表情を浮かべる二人。
蕩け切った二人の表情は、まるでスライムのように溶けてしまうのではないのか。そんな風に思ってしまう。
みそ汁を飲んで、「癒される」などと言っている。
固有スキルの影響で、ソフィアの料理には疲労回復効果があるようだ。今まで気づかなかったが、ソフィアの作るポーションが料理魔法とリンクして精神的な疲労も癒していた。
――やはり、固有スキルの力は凄いものですね
そんなことを思いつつ、ソフィアもまたそっと静かに秋刀魚の塩焼きへと箸を伸ばした。
「んっ!?」
パリパリに焼けた皮。旬特有の脂が乗った身に、思わず目を見開いてしまう。
――美味しい……
秋刀魚は、魚独特の臭みが少なく非常に食べやすい。
身もふっくらとしていて、とても美味しかった。一口、どころか二口目、三口目といくらでも食べられそうだ。
無心になって食べていると……
「「ごちそうさまでした」」
「はやっ!?」
ソフィアが、秋刀魚の塩焼きを食べ終えている頃には、二人は食事を終えていた。
いや、その視線はまだ食事を終えていない。ソフィアの夕飯を狙っている……のではなく、空席の前に置かれた料理に視線が注がれている。
「一人分、余っているな」
「これは一応フェルちゃんの分なんですけど」
そう、残っているのはフェルの分だ。
一週間ほど前から、フェルは出席が必要な授業があるとエスプレッソに戻っている。予定では今日帰って来るはずなのだが……。
「冷めたらもったいない。私たちが、丁重に処理する」
「そうだな。多分この時間だと、今日は帰って来ないだろう」
「いや、もう少しだけ待ってあげませんか」
「大丈夫、すぐに食べ終わる」
「いえ、そちらを心配しているのではなくて……」
「「いただきます」」
「あっ!?」
ソフィアの制止も虚しく、二人は残されたフェルの分を分け合うのであった。
――あれ、なんかデジャヴ
瞬く間に、消えていくフェルの夕食。
一方で、ソフィアもまた残りを平らげた頃、リビングの空間が歪む。
「ただいま! まったく、禿げ教頭の説教が長いよ。常識を持ちなさいって言われても、ママのお腹の中に置いて来たのに……っと、ソフィアお姉さん良い匂いがするけど今日の夕飯は何!?」
何とも間が悪い。
満面の笑みを浮かべて登場するフェルであったが、もうフェルの夕食は二人のお腹の中へ消えている。
「秋刀魚だったんですけど……」
「秋刀魚!?」
ソフィアの言葉に、目を輝かせるフェル。
黙っていれば傾国の美少女と評判のフェルであり、問題児であることを知っていても万人が見惚れずにはいられないその美しさ。
期待の籠った視線を向けられたソフィアは、空になった皿を見て、そっと視線を逸らした。
「えっ、何その反応……」
嫌な予感を覚えた様子のフェル。
――言えない、二人が食べちゃったなんて言えない……
ソフィアは内心冷や汗を流す。
そして、フェルは自分の席に視線を向けた。そこには……
「あれ私のお皿……空っぽ?」
フェルは気づいてしまった様子だ。
そして、シルヴィアとロレッタがフェルの肩にポンと手を置いた。
「フェルの分はあるぞ」
「うん、用意してある」
「「へ?」」
二人の言葉に、首を傾げるソフィア。
あるはずがないのだ。だが、そんなことを知らないフェルは期待の籠った視線を二人へと向けた。
そして、ロレッタから差し出されたのは……
「カップ焼きそば……って、これ激マズで有名なショートケーキ味じゃん!?」
「もしかしたら奇跡的に美味しいと思えるかもよ。夕飯にどうぞ」
「いや、要らないよ! というより、それ人に処理させようとしているよね!? 私の秋刀魚は!?」
「すまない、フェル。今日は帰って来ないと思って、代わりに私たちが食べてしまった」
「ごちそうさまでした」
二人の残酷な一言にポロリと涙を流すフェル。
消えた秋刀魚。手に持つは、激マズのカップやきそば。なんて、残酷な仕打ちだろうか……。いや、もしかしたら先ほど言っていた説教の報いがやって来たのかもしれない。
だが、フェルには関係ない。
「お姉ちゃんとロレッタの馬鹿!!!!!」
フェルの感情が、火山のように激しく噴火する。
それと同時に周囲の空間がぐにゃりと歪む。その中心には、シルヴィアとロレッタの姿が……。
「あっ、ちょっと待て!?」
「どこに飛ばす気!?」
フェルが何をしようとしているのか気づいた二人は、慌てたように声を上げる。
だが、フェルは止まらない。
「秋刀魚獲って来るまで帰って来ないで!」
フェルの言葉と共に、二人の姿はどこかへと消えて行った。
因果応報……。
ソフィアは、自業自得だと苦笑を浮かべるのであった。
それから二時間後。
海水に濡れた服を着て、ぐったりとした様子の二人が帰宅した。どうやら本当に秋刀魚を獲って来たようだ。
何だかんだと言って、罪悪感を覚えていたのだろう。
ただ、当の本人は秋刀魚のことなど忘れて、ソフィアが作ったハンバーグで機嫌を直していた。
リビングで寛いでいるフェルを見て、ずぶ濡れになった二人が怒ったのも語るまでもないだろう。
シルヴィア邸は、今日も平和であった。
四章の登場人物紹介は、五章とまとめます。
新規の登場人物が少なかったもので……




