第63話 秋の始まり
遅くなって、申し訳ありません。
新章スタートです!
忙しかった夏が終わり、迎えた秋。
木々の新緑は紅に染まり、マンデリンを美しく彩り始めた。ソフィアが魔国を訪れてから、早いものでもう六か月が経つ。
そのうち二か月近くは、アッサム王国の関係でマンデリンを離れたが、それでももう四か月近くマンデリンで生活しているのだ。
見慣れた道を歩いて、ソフィアは研修所へと向かった。
「おはようございます、アニータさん」
研修所に訪れると、すでにアニータが出勤していた。
「おはようね! あれっ、ロレッタはどうしたのね?」
「常に一緒という訳ではありませんよ……。昨日は何か用事があるとのことで、ご飯を食べた後は家に泊まらず、帰宅しました」
「……夕食はしっかりと食べて行くのね」
ソフィアが説明すると、アニータは呆れた様子だ。
ぺろりと四人前を食べたロレッタを思い出して、ソフィアは苦笑してしまう。
「ところで、アニータさん。今日は早いですけど、何かあったのですか?」
「まぁ、ちょっとね。他の二人が来てから説明するね」
「分かりました。では、着替えてきますね」
そう言い残して、ソフィアは更衣室へと向かった。
既に着慣れた衣装となったコック・コート。最初は着替えに手間取ったものの、今では目をつぶってでも着替えられるほどだ。
衣服の乱れがないことを鏡で確認をすると、キッチンへと向かう。そこには、書類を手に持って唸っているアニータの姿があった。
「うぅ~、忙しいね……やるべきことが多すぎるね」
そう言って、アニータはチラリとこちらに視線を向ける。
――手伝えって、ことでしょうか?
声を掛けようか悩むソフィア。そのあからさまな態度に、声を掛けることに躊躇しているのだ。
だが、その間にもアニータからも視線が飛んでくる。
「……何か手伝いましょうか?」
「流石、ソフィア! 他の二人とは一味違うね! あの二人なら、無視するか、そもそも気づいてくれないからね!」
「あはははは……」
あり得る光景に、ソフィアは思わず乾いた笑い声を上げる。
「それで、何を手伝えばいいのでしょうか?」
「取りあえずは、就職関係の資料ね。プレゼン用の資料の確認をして欲しいね。後は、こっちの事務に出す書類と報告書もお願いするね」
「分かりました。……資料を貸してもらえますか?」
資料を速読スキルで流し読みするソフィア。
傍目には、ページをめくっているだけにしか見えない速度で目を通して行く。レベル七は伊達ではなかった。
アニータが苦労している資料の山も、見る見るうちに処理されていく。
「私、思うね。ソフィア、一人いれば十分じゃない……」
呆れたような表情で、消化されていく資料を見るアニータ。
上司として情けない話だが、作業スピードの次元が違うのだ。アニータの抱える仕事の大半をソフィアが担っているにもかかわらず、十分程度で終わってしまった。
「確認、終わりました。修正を入れておきましたよ」
「あ、うん……助かるね」
心ここにあらずという様子で、ソフィアが訂正した資料を確認するアニータ。
どうかしたのかと思うものの、何故だかこの話題に触れてはいけないような気がした。
「それにしても、人事も大変ですね。この前、一区切りが付いたようなことを言っていませんでしたか?」
ソフィアが確認した資料の中には就活関係のものが多かった。
それを思い出して、アニータに尋ねる。
「それは、来年の卒業生についての話ね。三月から本格的に就活が始まって、説明会に面接などなど……。それが終わったと思ったら、今度は再来年の卒業生。夏休みのインターンシップや説明会。そうこうしている内に年が明ければ、もう再来年の就活が始まってるからね……」
「一年中忙しいんですね」
予想以上にハードな内容である。
就活は、学生も大変だが、採用担当者も大変のようだ。二人でしばらくの間取り留めのない話をしていると、扉が開く。
「ふぁあ……おはよう」
ロレッタだ。
何をしていたのかは分からないが、酷く眠そうであった。よく見ると、目元に薄っすらと隈が出来ており、一睡もしていないのではないだろうか。
「おはようございます」
「おはようね」
二人はロレッタに挨拶を返すと、そのまま仕事に戻る。
ちらりとこちらに視線を向けるロレッタだが、すぐに見ないふりをした。アニータは何か言いたそうな表情をしたが、隅で机に伏せたロレッタを見てため息を吐く。
「まったく、先輩の威厳が何もないね……」
アニータの小さな呟きに、ソフィアは乾いた笑い声を出す。
机に伏せて耳を塞いでいるロレッタを見ると、否定できないところが何とも悲しいことである。
それからも、黙々と作業を進める二人。
就業時間、五分前になると扉の向こうから慌ただしい足音が聞こえて来る。ドン!という大きな音を立てて、扉が開かれた。
「ぎ、ギリギリ間にあったっす!」
入って来たのは、ソフィアと同い年の黒髪の男性。
身長は、ソフィアよりも少し高く、男性にしては背が低めだ。ただ、特徴的なのはその耳だろう。犬の獣人の証である犬耳がそこにはあった。
男性の名前は、ジョン=ドーベル。
ちょうど、ソフィアたちが魔国から離れてアッサム王国へ出ていた頃、研修所に来た人物である。
「おお、今日は本当に間にあったみたいね」
時計を確認した後、「感心、感心」と頷くアニータ。
どうにも、ジョンは俗に言うトラブルメーカーのようだ。出勤途中に、目の前でお婆さんが倒れていたり、魔物に襲撃されたり、時には交通事故に遭ったりしている。
時間内にたどり着くことは稀である。
――そう言えば、ロレッタさんが苦手意識を持っているのでしたね
ふと、そんなことを思うソフィア。
健全なスポーツマンのような印象を持つジョンは、休日は部屋にこもってゲーム三昧のロレッタにとって眩しい存在のようだ。
因みに、ガールフレンドもいるということで、ロレッタが影で「リア充」と呼んでいる。尤も、就活後に倒産した身として、充実しているかと聞かれると首を傾げるほかないが。
「おはようございます、ジョンさん」
ソフィアは、コック・コートを身に纏ったジョンに挨拶をする。
入社時期はソフィアの方が早いが、研修期間という意味ではマンデリンから離れていたソフィアよりも長い。
――本当に、私はいつになったら働けるのでしょうか……
ふと、そんなことを思うソフィア。
働くにあたり、最低でも六か月の研修が必要である。しかし、ソフィアはアッサム王国の関係で研修が大分遅れている。
料理はともかく、ホールの仕事など顕著である。
がっつりと働くことが少なく、心が落ち着かない様子だ……ワーカーホリック、ここに極めり。
そんなことを考えていると、ジョンがソフィアたちに挨拶をして来た。
「おはようっす。ソフィアさん、アニータさん……あれっ、ロレッタ先輩は?」
「そこで寝たふりしているね」
アニータが指さす方向、そこには寝たふりを続けるロレッタの姿があった。ピクリとも動かないが、きっと起きているのだろう。
ただ、アニータの言葉が面白くて、ソフィアはクスリと笑う。
「アニータさんが寝たふりと言うと、違和感がありますね」
ロレッタから視線を外すと、アニータを見て「狸の獣人であるだけに、狸寝入りですか」とおかしそうに笑うと……
「「「……」」」
その瞬間、部屋がピシリと音を立てて凍った。
(あ、アニータさん、寒いっす! こういうとき、どう反応すればいいっすか!?)
(私に聞くなね……盛大に滑ってるけど、指摘しないのも優しさね!)
(了解っす! 聞かなかったことにするっす!)
「あ、あれ……皆さん、どうかしましたか? 私、変なことを言ったのでしょうか?」
ロレッタの反応は分からないものの、二人の反応を見て動揺するソフィア。
こそこそと小声で会話をしていたアニータとジョンは、一瞬言葉に詰まる。だが、まるで示し合わせたかのように、生暖かい目でソフィアを見る。
「気にしなくて良いね……ソフィアは、ソフィアね」
「そうっす。ソフィアさんは尊敬できる先輩です。強く生きて下さいね」
「……あの。何故か貶されているような気がするのですが?」
「褒めてるね」 「褒めてるっす」
褒められているように感じられないが、素直に受け取るソフィア。
やはり、貶されているように感じているのは気のせいなのか。そんな風に思っていると……。
「さて、揃ったことだし。そろそろ始めるとしましょうか」
アニータが話題を逸らし、仕事へと移る。
時刻は、八時半。
少人数ということで、少々緩いが勤務時間だ。ソフィアがロレッタを起こすと、アニータを囲うように三人は座った。
「さっき、少しだけソフィアに話したけど、今日は重大な報告があるね」
「重大ってことは、面倒事?」
アニータの言葉に、すかさず反応するロレッタ。
「違うね! まぁ、ある意味では違わないね。皆も知っての通り、十月は魔王祭があるね」
「……魔王祭?」
聞きなれない言葉に、ソフィアは首を傾げる。
「あっ、ソフィアは知らないのね……ジョン、説明してあげて」
事情を知っているアニータははっとなる。
そして、ロレッタ……は眠そうなので、その隣にいるジョンに声を掛けた。ジョンは快活な返事をすると、立ち上がってソフィアの方へ視線を向ける。
「はいっす! 魔王祭とは、俗に言う建国祭のことっす。季節的に被ってるので、収穫祭として各地で華やかなお祭りが行われるっす」
「魔国にも、そんなお祭りがあるんですね」
ジョンの説明に、ソフィアは僅かに驚いた。
魔国では、大規模な祭りがあまりないからだ。それに、魔王祭は都市単位でのお祭りではなく、国単位の祭りである。
「えっと、それで魔王祭と何か関係があることなんですか?」
「そうね! 魔王軍は、毎年魔王祭で何か催し物をするね。それは、料理人も同じで特設レストランを開くね」
「自分も彼女と行ったことがあるっす。普段と違う豪華な料理が出るっすよ……まぁ、物凄く混雑していましたけど」
アニータの言葉に、ジョンが当時の事を思い出して笑顔を浮かべるものの、すぐに表情に影を落とした。
――いったいどれほど待つことになったんでしょうね
ふと、そんなことを思うソフィア。
ただでさえ、混雑するというのに、その日の混雑具合は想像するのが難しい。きっと、テーマパークの人気アトラクション並みの待ち時間だろう。
「……では、私たちもその手伝いということですか?」
「そう、言いたいところだけど……ソフィアはともかくジョンには酷ね。そこで、こっちの研修所を使って喫茶店を開くことになったね!」
「喫茶店、ですか……。こんな場所に?」
ここは、マンデリンから離れ、国境であるクリスタルマウンテンの麓に位置する場所だ。
アッサム王国へ向かう者もいないため、人通りは皆無である。こんな場所に喫茶店を開いたところで、客足が入るとは到底考えられない。
ソフィアが、首を傾げるとアニータが苦笑を浮かべる。
「色々と事情があるね」
「事情、ですか?」
「これについては、まだ確かなことが言えないね」
ソフィアは、ふと先ほどのロレッタとの会話を思い出す。
アニータは面倒事ということを否定しなかったのだ。何らかの事情があると言うことは間違いないはずだ。
そんなことを考えていると……
「ただ、そろそろ二人にも店舗の仕事を覚えてもらういい機会だと思ったね。客足が遠い方が、余裕を持てるからね」
「なるほど、それは助かるっす。いきなり、あっちで仕事するよりも、こっちで仕事が出来るのは有り難いっす」
「うん、ゆっくりと店番する……」
「……ロレッタさん」
急に口を挟んで来たロレッタに、ソフィアは呆れた表情をする。
フェルではないが、ロレッタはやればできる女性なのだ。ただ、やる気が著しく低いだけで。
すぐに楽をしようとする先輩に、何と声を掛けるべきか悩んでいると……
「ロレッタは、料理ね。ホールはジョンが担当するから、邪魔しないことね」
「そ、そんな……。私の天職……」
「そう。なら、マンデリンでホールやるね」
「……天職じゃなかった」
変わり身が早い。
マンデリンでホールを担当すると言うことは、まさに地獄のような忙しさだろう。ずっと動き続けるため、料理人よりも大変かもしれない。
「さて、話が脱線したね。本題に戻ると、皆には喫茶店のメニューを考えて欲しいね。軽食とデザート……最低でも、五品ずつは欲しいね」
「……因みに、どのくらいの価格設定ですか?」
「そうね……デザートなら五百円くらいを目安にして、軽食は八百円前後ね。ただ、利益がほとんどなくても問題ないね。こっちはあくまでも、新人育成ね」
「そうですか……」
そう呟くと、ソフィアは唇に指を当てて考える。
メニューを考えることは良くあるが、値段を考えてということはない。基本的に、新鮮な食材を手に入れて、そこから何を作るか考えるからだ。
突然メニューを考えるということは、難しい。だが……
――これは、夢がありますね
どんな店にするのか想像すると、胸が弾む。
まるで、自分の店を持った気分だ。修行を終えて、独り立ちしようとする者たちの気持ちが良く理解できる。
「ソフィア、試食なら任せて」
「何言ってるね、ロレッタも作るね」
ロレッタの言葉に、呆れたように言うアニータ。
「食べる専門なのに」などと呟いているロレッタを無視して、アニータはソフィアに声を掛けた。
「魔王祭はまだ先のことね。今週中に大まかなレシピを考えておいてくれればいいね」
「分かりました」
「なら、それで良いね。じゃあ、今日の会議はこれで終了ね」
アニータが締めくくると、ソフィアの一日が始まるのであった。




