第62話 エピローグ
エリックとディックの襲撃から数日。
アルフォンスを除く、ソフィアたち四人は帰りの馬車に乗っていた。
「本当に良かったの?」
そう尋ねて来たのは、ロレッタだ。
何がとは問わなくとも、この場にいる者たちはそれを正確に理解した。そのため、いまだ納得していない様子のシルヴィアが、不承不承と言い放つ。
「それを決めるのは私たちではない。……とは言え、何故あのまま見捨てなかったのだ? あの二人が改心するとは到底思えないぞ」
ソフィアが救った二人。
エリックとディックのことだ。ソフィアは固有スキル【慈愛】によって、風前の灯だった二人の命を救った。
後悔はしていないのか、そう尋ねられてソフィアはにっこりと笑う。
「二人があのまま死んでしまったら、グーパンチできないじゃないですか。それをするまで、勝手に死なれては困ります」
一瞬、何を言われたのか理解できず呆然とする三人。
ソフィアの発言を理解すると、一斉に笑いを堪えられずに噴き出した。きょとんとするソフィアに、シルヴィアが笑いながら言った。
「今のお前には無理だ。きっと、手の方が痛いぞ」
「なっ!?」
愕然とするソフィア。
それに追い打ちを掛けるように……
「料理できなくなると困る。手の保護をした方が良い」
「それなら、ご先祖様のメリケンサックがあるよ! 物凄く厳ついから、威力は保証するよ……うぷっ!」
真剣な表情で言うロレッタ。
フェルは朗らかなものだが、内容はバイオレンスだ。ただ、相も変わらず乗り物酔いが酷いのだろう。
勢いよく起き上がって来たが、すぐに顔色を悪くして寝てしまった。
愕然としていたソフィアだったが、そんな三人の姿に思わず苦笑してしまう。
「何かおかしかったのか?」
「いいえ、何でもありません」
ソフィアの脳裏に浮かぶのは、会談後の光景。
誰からも必要とされないと思っていたソフィアであるが、アレン、フローラ、マルクスから熱心な勧誘を受けた。
魔国ではなく、自分たちの国に亡命してくれと。
セドリックもまた、アッサム王国に戻ってきて欲しいと暗に仄めかしていた。しかし、襲撃に深く関わっていると考えられるアイナ=アールグレイやその父親であるガマリエル=アールグレイの存在に、直接言うことはなかった。
四カ国から、是非来てほしいという申し出があったが、ソフィアは魔国でしか料理の勉強ができないからと断った。
それについては、すこしだけ後悔している。
しかし、目の前の光景を見るとその選択は正しかったと思えるのだ。身分も立場も関係ないこの関係が、ソフィアにとって掛け替えのないものとなっていた。
そう思って……
「……ただ、あの時の選択は正しかったと思っただけです。魔国を選んでよかったです」
そう伝えると、対面に座るシルヴィアとロレッタは顔を見合わせる。そして、互いに深いため息を吐いた。
「あれだけ殺気が満ちていた空間を思い出して、ほのぼのしていられるのか……時折、ソフィアが怖くなって来る」
「鈍感ってある意味最強の防具だから。それに、ソフィアのメンタルも意外と強そうだし」
「なるほどな。……だが、あの聖女の目。まるで親の敵のような目で見て来たぞ。滞在中は、いつ襲撃が来るか気が気ではなかった」
小声で会話をする二人。
ソフィアには、その話が良く聞こえなかったが、フローラと言う単語を聞き、満面の笑みを浮かべる。
「フローラちゃんと言えば、今度魔国に遊びに来たいそうです! 国家間の連携が必要ですが、お忍びで魔国調査としてなるべく早く来ると言っていました」
上目遣いで別れを惜しむフローラを思い出して、ソフィアの表情が緩む。
ソフィアは、不遜にも聖女であるフローラのことを妹のように思っている。そのため、「フローラちゃんが妹ならなぁ……」などと呟いてしまった。
「「「……」」」
その一言に、三人は表情を凍らせた。
「どうかしましたか?」
突然、彫刻のように動かなくなった三人に怪訝そうな視線を向けるソフィア。
停止していた時間が、ゆっくりと動き出すように鈍く体を動かす三人。その表情には、呆れと言うよりも諦観が浮かんでいた。
「……いいや、何でもない。本当に何でもないんだ」
まるで自分に言い聞かせるように言うシルヴィア。
他の二人も、似たような状態である。そんな三人の態度にソフィアが首を傾げていると、突然フェルが声を上げた。
「あっ! そう言えば、アルフォンスは!?」
「「あっ!?」」
フェルの一言に、声をあげた二人。
ロレッタとシルヴィアだ。一人足りていないはずなのに、今まで気づかなかったようだ。中性的な怜悧な美貌を持つ絶世の美男子と評価されるアルフォンス。街中でも女性中心に黄色い声援が送られるのだが、悲しいことにここでは影の薄い優秀な文官程度の認識のようだ。
唯一覚えていたソフィアが、苦笑交じりに説明した。
「アルフォンス様は、今回の会談について微調整をするために残りました。それと、二人は魔国で治療を受けることになりましたので、その護送を担当します」
「そう言えばそうだったな。お前のスキル【慈愛】だったか……それでも治らなかったんだろう?」
「はい、力及ばず……」
――固有スキル【慈愛】
ソフィアが、新たに目覚めたソフィア本来の固有スキルだ。
【慈愛】は、治癒系統の力ではあるが、傷を癒すことはできない。しかし、料理を通じて従来の治癒魔法では治療できないとされる魂や精神の治療ができるのだ。
ふと、ソフィアは自身のステータスカードを見る。
*****
氏名 ソフィア=アーレイ 年齢 16 性別 女
固有スキル 料理魔法【慈愛】
汎用スキル
料理Lv11(↑) 忍耐Lv9 交渉Lv5(↑) 速読Lv7 秘書Lv8 算術Lv5 指揮Lv6 水魔法Lv1 生活魔法Lv4(↑) 睡眠耐性Lv8 毒耐性Lv6 護身術Lv2(↑) 舞踏Lv2 作法Lv3 掃除Lv6 乗馬Lv2 農作業Lv6 土木Lv5 錬金術Lv6 調合Lv4(↑)
目利きLv4(↑)
*****
――何でしょう、このLv11って……
小さな村でミナと出会い、自身の道を決めたソフィア。
【慈愛】を手に入れたが、それと同時に【料理スキル】のレベルが上がった。十が上限ではなかったのか、シルヴィアたちに聞きたいが怖くて聞けないでいる。
ソフィアが悩んでいると、シルヴィアがため息を吐いて言った。
「フェルから聞いたが、極めれば寿命さえ回復できる料理が作れるのだろう。固有スキルはことごとく理不尽だな」
「うんうん」
二人の視線は、フェルとソフィアへ向けられる。
個人的に言えば、世界そのものを操れるフェルと一緒にして欲しくない。だが、傍目に見れば、寿命さえ伸ばすことができるソフィアの固有スキルも異常だ。
魔国では需要が少ないかもしれないが、他の国で知られればきっと拉致監禁され、日陰暮らしを余儀なくされるだろう。
「ですが、結局二人は意識を戻しませんでしたよ」
自身の不甲斐なさを後悔するソフィア。
咄嗟の判断で、微弱だが【慈愛】の影響を受けたプリンを口に流し込むソフィア。二人はまるで聖水を飲まされた吸血鬼のように苦しみ出した。
吐き出されては意味がないと、ソフィアは強化された身体能力で口の中に容器を押し付けた。
――それにしても、どうして皆さん引いていたのでしょうか?
ソフィアの錯覚かもしれないが、ピクリピクリと動く二人を見て憐れむような視線を向けていた。
フェルに至っては、『もう二人のライフはゼロだよ……』などと言っていたが、いったいどう言う意味だったのだろう。
まるで窒息でもしたように、二人はピクリとも動かなくなったのだ。
――きっと、スキルの効果ですよね
気を失ったのは、スキルの影響だ。
そう結論付けたソフィア。ただ、気になるのは二人の意識が戻らないことだ。プリンとは違い、【慈愛】による回復効果をつけた重湯を作り、二人に食べさせたが、起きる気配がないのだ。
「あれは仕方がない。二人とも、魔道具の負荷を無視して使っていた。【ドッペルゲンガー】も【ヴァンパイアブラッド】も体への負担が大きい」
「そう、ですか……」
人形の影は既に消え、二人は一命を取り留めた。
ソフィアに出来るのはここまでだった。二人を蝕む魔道具の副作用は、ソフィアでは取り除くことも和らげることもできない。
分かってはいるが、不甲斐なく思ってしまう。
そんなソフィアに、シルヴィアとロレッタは「大丈夫だ」と笑みを浮かべる。
「あいつらの行く先は、地獄……ではなく奇天烈教授の下だ。きっと物理的に真人間になって帰って来るだろう」
「一応、真人間になるように注文しておいた。教授の仕事は正確」
「ちょっと待って下さい! 二人は病院に連れて行かれるのですよね!?」
不穏な発言に声を上げるソフィア。
だが、二人は首を傾げる。
「何を言っている。二人が行くのは病院ではなく、研究室か工場だぞ」
「……せっかくの実験体。研究室で調べた後、工場でかい……治療する。きっと、ボランティア精神に溢れた青年として生まれ変わる」
「治療ではなく改造と言いそうになりましたよね!? 工場でいったい何が行われるのですか!?」
いったい二人の身に何が起こるのか。
次に会った時に、爽やかな笑顔で「やぁ、久しぶりだね。早速だけど、殴ってくれないか?」などと言われたら、逃げる自信がある。
奇天烈教授なる人物を知らないために、ソフィアの不安が一気に高まる。
すると、フェルがポンとソフィアの肩に手を乗せた。
「大丈夫、キメラになるような失敗はないから。一応、人型だと思うよ」
三人の言葉を聞いて、ソフィアは静かに二人の冥福を祈るのであった。
******
ソフィアたちが帰路を歩んでいる頃。
各国の重鎮が一同に会し、ディックとエリック率いるアウトローの襲撃など、色々と騒がしかったダージリン邸は、静まり返っていた。
「お疲れさまです、兄上」
今日までの苦労、今後の苦労を思って、アルフォンスから労いの言葉が掛けられる。
「そう思うのなら帰って来い。愚息の件もあって、後始末が大変なんだ」
「申し訳ありませんが、今は魔王陛下の秘書です。仕事を放り投げる訳にはいきませんから」
仕事を盾にされると弱いセドリック。
自分もまた仕事を放りだすことはできず、「薄情者め」と言いたいが言えなかった。ジト目でこちらを見るセバスチャンの視線が痛い。
――コン! コン! コン!
執務室の扉が三度ノックされる。
セバスチャンが扉を開けると、侍女が入って来た。その表情はどこか焦燥が浮かんでおり、挨拶を置いてセドリックは尋ねた。
「何があった?」
「王太子殿下御一行が、閣下に会いたいと申しております」
「何っ!?」
一難去ってまた一難。
王太子と言うことは、ローレンスだ。何故このタイミングでと言う思いが強いが、悩んでいる暇はなかった。
「困ります、殿下!」
「ええい、邪魔だ! アポを取るなど非効率だろう、私がそのまま行くと言っているだろう!」
聞き覚えのある声がすぐ近くにまで来ていた。
魔国の人間であるアルフォンスと顔を合わせるのは拙い。だが、執務室には隠れる場所がないのだ。
アルフォンスに視線を向けると……
「……」
見事としか言いようがない。
まるで従者のように壁際で立っているではないか。際立った容姿は隠せないが、いくらでも誤魔化しようはある。
そんなことを思っていると……
「毎度毎度、お前の部屋は汚いな。聞いたぞ、賊に襲撃されたそうだな」
開口一番、セドリックの失態を嘲笑うローレンス。
取次もなしに訪れたこともそうだが、いったいどういう教育がされているのか。ソフィアに成績買収の容疑が掛かっていたが、こちらの方がその疑惑が大きい。
込み上げて来る怒りを隠して、セドリックは口を開いた。
「殿下、お恥ずかしながら、未だどこに賊が潜んでいるか分からぬ状況。如何様にして、訪ねられたのでしょうか?」
「用だと? ああ、ちょうど湖の帰りに襲撃があったと言う話を聞いてな。まぁ、心配する必要はないと思ったが、アイナが心配してな」
口にこそ出さないが「アイナの優しさに感謝しろ」とでも言いたそうな目をしていた。
アイナは、エリックとディックを裏で操っていた可能性の高い人物だ。セドリックは、目を細めてアイナを見る。
「……」
しかし、アイナはセドリックに視線を向けない。
そのさらに後ろ、セドリックの左後ろに立つアルフォンスへと視線が向けられていた。まさか魔国の関係者だと気づかれたのではと、心臓が高鳴る。
――いいや。この女が裏で手を引いているのであれば、素知らぬ顔をするはずだ
アイナの意図が読めない。
二人の背後にいたのであれば、魔国の者たちが入国していることを知っている。無関係を装うのであれば、アルフォンスに気づかぬふりをするのが正しいはずだ。
いったい何故……。
「アイナ、どうかしたのか?」
心配そうな表情をするローレンス。
しかし、アイナの視線はアルフォンスへと向いていた。アイナの視線を追って、ローレンスも壁際に立つアルフォンスに気づいたのだろう。
「貴様っ! アイナに何をした!?」
激昂するローレンス。
相も変わらずこの国では王太子は大きな力を持つ。魔国の使者であるアルフォンスに対して強権を発動しかねない。
セドリックが諫めようとするが、それよりも先に……
「ローレンス様、お気になさらないで下さい。ただ、日差しが眩しかっただけですので」
「何だと? あの男が原因ではないのか?」
「あの男? ……光の反射で気が付きませんでしたわ」
そう言って上品に笑うアイナ。
だが、隣に立つローレンスが見えているのに、アイナが見えないということはあり得ないだろう。
相変わらず、何を考えているのか分からない。
ローレンスは、アイナの説明で納得したようだ。因縁をつけたと言うのに、一言も謝罪しようともしない。
「失礼しました……えっと、貴方のお名前は?」
「私は、ダージリン家でお世話になっている一文官に過ぎません。申し訳ありませんが、アールグレイ公爵令嬢に名乗れるような名前はありません」
「そうだぞ、こんな下郎の名前など……」
「いえ、私のせいで迷惑をかけてしまったようですので」
引き下がろうとしないアイナ。
いったいどう言うつもりだろう。真意を掴みかねていると、根負けしたアルフォンスが名乗りを上げる。
「アルスです」
さらりと偽名を名乗るアルフォンス。
とは言え、愛称として「アル」や「アルス」と呼ばれることが多いので、間違いではない。
「そうですか、アルス様ですね」
アルフォンスが名乗ったことで、喜色の笑みを浮かべるアイナ。
気のせいかもしれないが、普段の機械的な声とは違って、どこか熱の籠った声のようにも感じる。
おそらく困惑しているのはアルフォンスも同じだろう。
「アイナ! そろそろ行かないか? セドリックも無事みたいだ、後処理が大変だろうから迷惑になるだろう」
自分以外の男に興味を向けているのが面白くないのか、アイナの手を取るローレンス。
あまりこの部屋にいたくない様子だ。名残惜しそうな表情をするアイナを連れて、この場を立ち去って行った。
その後ろ姿を見て、セドリックは思う。
――お前らが来た時点で迷惑だ!
声高に言えれば、どれだけ気が楽なのだろうか。
嵐のような来訪は、唐突に幕を閉じたのであった。
第四章終了です。
お付き合いいただき、ありがとうございました!




