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第61話 ソフィアの決意

 シルヴィアがディックと交戦を始めた頃。

 会議室内は突然の襲撃者に騒然としていた。彼らの視線は、中央に立つ護衛兵姿の銀髪の少年エリックに集中している。


――雰囲気が違う……


 エリックの容姿は、銀髪に碧眼。

 しかし、目の前に立つエリックは銀髪は同じだが、目の色が血のように赤い。それに、雰囲気もどこか刺々しいのだ。


――それに、あの人形はいったい……


 ソフィアが注目するのは、エリックの背後に浮かぶ人形だ。

 まるで母を求める幼子のように泣いている人形。ボロボロでいつ崩れ去ってもおかしくない。


下級吸血鬼レッサーヴァンパイアか……」


 不意にフェルの呟きが、室内に響く。


下級吸血鬼レッサーヴァンパイアだと……馬鹿な、エリックが何故?」


 真っ先に反応したのはセドリックだ。

 すると、エリックは狂ったような笑い声を上げる。


「はははは! 俺が吸血鬼? 何を言っているんだ、小娘……まったく父上は陛下に内緒でコソコソと何かをやっていると思えば、宗教でも始めたか?」


「なんだと?」


「……何を言っても無駄だよ。吸血鬼化してまだ間もないみたいだから、きっと自覚がないんだよ」


 フェルは普段の口調でセドリックを止める。

 それは、今のエリックに何を言っても無駄だと悟っているからだ。ソフィアも、エリックがとてもではないが人の話を聞くような状態ではないのは分かっている。

 すると、静かに事の成り行きを見ていたフローラがフェルに質問してきた。


「教会で、吸血鬼が血を吸うことによって人が吸血鬼となるという文献を見ました。まさか、魔国の吸血鬼が関与しているのですか?」


 吸血鬼に血を吸われた人間は吸血鬼になる。

 アッサム王国でも有名な話だが、それは御伽噺であって現実で信じる人は少ない。しかし、教会の文献となれば話は別だ。

 魔国の関与を疑って、代表たちの視線がフェルに集中する。


「いいえ、それはありません。吸血鬼は北部……人間の国と最も離れた地域に住んでおり、基本的にそこから動きません」


 代表たちの質問に答えたのはアルフォンスだ。

 そして、隣で警戒しているロレッタが推測を伝える。


「おそらく……【ヴァンパイアブラッド】を持っている」


「【ヴァンパイアブラッド】……つまりは、吸血鬼の血と言うことですか。それはいったいどのようなものなのですか?」


 魔国の人間はその魔道具を知っている様子だ。

 ソフィアは、三人に尋ねると……


「ヴァンパイアの力を一時的に強化する魔道具だよ。けど、人間が使うと御覧の通り」


「吸血鬼化……ということですか」


 エリックの状態を見れば一目瞭然だ。

 つまり、彼らの前に立っているのは人間社会では絶滅したとされる伝説の種族というわけだ。……下級だが。

 すると、ソフィアがエリックから視線を逸らした一瞬の事だった。


「させません!」


――キンッ!


 甲高い音が室内に響く。

 発生場所は、ちょうどソフィアの手前。エリックが持つ剣とアルフォンスの持つ剣が交差する音だった。

 兵士たちはエリックから目を離していなかった。

 しかし、初めて見る人間離れした速度に体が追いつかなかったのだ。

 数センチという距離にまで迫った刃。そして、憎悪の炎を宿した深紅の瞳にソフィアは思わず後退ってしまう。


「ちっ、邪魔をして……」


「当然です、貴方にソフィアを殺させはしませんよ」


 忌々しそうに言い放つエリックに、アルフォンスは鋭く答える。


「なら、守ってみれば良い!」


 そう言って、エリックはアルフォンスへ切りかかる。

 正統派の剣だ。人外の身体能力も合わさって、並みの兵士では歯が立たないだろう。しかし、アルフォンスも魔国で鍛えているのだ。


 幾度も剣戟が響き渡る。


 互いに一進一退の攻防だ。

 身体能力では、下級とは言え吸血鬼のエリック。対するアルフォンスは、魔法で肉体のスペックを補いつつ技で応戦する。

 人間と言う種族で限れば、間違いなく最高峰の戦いだろう。


 とは言え、この状況において数の利を使わない手はないだろう。

 アルフォンスはエリックに注意を向けつつ、後ろに声を張り上げた。


「相手は吸血鬼もどきです! 弱点こそありませんが、身体能力以外の能力は有していません。包囲を!」


 この声にはっとなる一同。


「何をしている! その狼藉者を抑えろ!」


 真っ先に声が飛んだのはセドリックだ。

 それに続くようにして、マルクス、フローラ、アレンの声が飛ぶ。ソフィアは、ロレッタとフェルに守られるように後退すると……


「消えろ、ソフィア=アールグレイ!!!」


 そんな叫び声と共に、エリックはビー玉のような物をソフィアに投げつける。

 それが何なのか、ソフィアには分からない。

 しかし、続く怒声に気を取り直す。


「爆発する! 全員、すぐに伏せろ!!」


 しかし、それは遅い。

 爆発すると言われても、どのようなものなのか理解できないのだ。伏せろと言われて反応できる人は極僅か。

 ソフィアもワンテンポ遅れると、ロレッタが徐に手を伸ばす。


 風の障壁。


 とっさの判断で、ビー玉サイズの魔石を囲うように展開する。


――ドゴーン!


 大きな爆撃音が鳴り響いた。

 ロレッタの障壁が威力を軽減するものの、完全ではない。

 爆発の衝撃によって、窓ガラスが割れる。


「……ちっ」


 ロレッタの障壁のおかげで、死傷者はゼロ。

 目的のソフィアにも手傷を負わせられなかったからか、忌々しそうに舌打ちをする。しかし、衝撃によって多くの者が動けない今こそがチャンスだ。

 動けずにいるソフィアへ、エリックの凶刃が迫る。


「そうはさせないよ」


 フェルだ。

 警戒を怠ったエリックは、フェルに腕を掴まれるとそのまま投げ飛ばされる。地面に強く打ちつけられたその一瞬に、フェルは更なる追撃を仕掛ける。


「沈め」


 フェルがそう言い放つと、床がまるで泥沼のように変化する。

 そして、一時的に怯んだエリックの体を取り込もうとするが……


「舐めるな!」


「……あぁ、やっぱり駄目か」


 ヴァンパイアとしての身体能力か、床を蹴り飛ばすと拘束が解かれる。

 しかし、フェルは予想通りだったようで、落胆の色は見られない。ソフィアは立ち上がると、すぐにフェルにお礼を言った。


「フェルちゃん、ありがとうございます」


「気にしなくていいよ。建物さえ気にしなければ、捕まえられるんだけどね」


 そう言って笑みをこぼすフェル。

 しかし、本人は気づいていないのだろうか。

 先ほどの力で、床の一部が陥没していることに……。もしかすると、エリックが派手に壊したからノーカンとでも考えているのかもしれない。

 既に、体勢を立て直したアルフォンスやロレッタ、各国の護衛たちがエリックを囲み始める。


「大人しく投降しろ」


 セドリックが、冷たい声でエリックに告げる。

 この状況、例えヴァンパイアであっても逃げ出せる状況にない。普通であれば、この状況で諦めるだろう。

 しかし、エリックは余裕の表情を浮かべている。


「あり得ない……そいつを殺すまであり得ないんだよ!」


 エリックから向けられる殺気は、ソフィアに集中する。


――何故……


 ソフィアは、ふと思った。

 そして、その疑問がポツリと口に出てしまう。


「……何故、貴方は私をそこまで憎むのですか?」


「何故、何故だと……」


 ソフィアの疑問に呆然となるエリック。

 まるで呪詛のように「分からないだと」と繰り返している。そして、沸々と込み上げる怒りにエリックは声を荒らげた。


「お前が、俺の人生を台無しにしたんだよ!」


「え?」


 ソフィアは言われもない理由に驚く。


「次期宰相の肩書も! ダージリン公爵家嫡男の肩書も!」


 そう言って、セドリックに視線を向ける。


「陰口を叩かれ、笑われて!」


 そう言って、ダージリン家の従者を見る。


「何故俺が頭を下げなければならない!」


 そう言って、マルクスたち代表者を見る。


「それに、アイナも!」


 ここにはいない女性を思って、手を伸ばす。


「……アイナさえ、アイナさえ近くにいてくれれば。きっと……」


――全てが上手く行く。


 そんな思いが込められているように感じる。

 しかし、それはありもしない幻想だろう。手が届かない光景に、手を伸ばして。

 もがき、あがき、苦しんだ。

 だが、現実はエリックにとって残酷だった。

 そんな思いを込めて、キッと鋭く睨んで来た。


「お前が……お前がいるからだ! ソフィア=アールグレイ!」


 心からの叫びだ。

 その話を聞いていた者たちが、内心では同じことを思ったに違いない。


 「何故そうなる?」と。


 あまりにも自分勝手な理由に、ソフィアも理解に苦しむ。

 すると、隣から小さく舌打ちするのが聞こえた。


「……やっぱり、もう手遅れかな。支配は解けているのに、心がすり減ってる」


「え?」


 フェルの呟きに、ソフィアは声を上げる。

 しかし、フェルを追求する暇もなく、


 すると、その時だった。


――ドタン!


 大きく会議室の扉が開く。


「ようやく来たか……」


 誰が来るのか知っているのだろう。

 不敵な笑みを浮かべるエリック。


「……ディック」


 その声に、一同は扉に注目する。

 しかし……


「そうそう何度も、出し抜けると思わないで欲しいものだな」


 扉から現れたのは、侍女服姿のシルヴィアだった。

 そして、その脇にはぐったりとした様子のディックが抱えられていた。それを見たエリックの表情は今度こそ驚愕に染まる。


「なっ、ディック!?」


 まさか、ディックがやられるとは思わなかったのだろう。

 彼らの誤算は、この場に魔国が参加していることだ。その情報がないからこそ、失敗するのは必然とも言える。


「どうやらお前たちの組織は一枚岩じゃないようだな。足止めするつもりかと思ったが、そのまま通してもらった」


 そう言って苦笑を浮かべるシルヴィア。

 外に視線を向けると、ディックがいなくなったことでいつの間にか前線が立て直されている。

 それを見たセドリックが冷めた視線でエリックを見た。


「憐れだな、エリック」


「っ……」


 心の底から憐れまれたことに、屈辱を感じたのか歯ぎしりをする。

 だが、もうエリックに勝ち目はない。逃走をしようにも、前にはアルフォンスやロレッタ。後ろにはシルヴィアがいるため、完全に挟み撃ちされている。

 そんなエリックに、セドリックは後悔するように言った。


「お前のことをしっかりと指導できなかったのは、間違いなく私の責任だろう。仕事にかまけて、息子のことをおろそかにしていた……」


 セドリックはそう言うと一息つく。

 そして、怒りを込めた声で言い放った。


「だが、これは何だ!? 小娘一人に誑かされて、自分が何をしたのか分かっているのか! それに、そもそもあの女はお前のことを利用していただけだと何故気づかない!」


 それは親としての一言だ。

 きっと、これが最後の一言になると思っての一言だ。


「……るい」


「お前……」


 セドリックの一言に答えたのは、エリックではない。

 シルヴィアに抱えられていたディックだ。意識を取り戻したディックは虚ろな表情でセドリックを見た。

 そして、今度ははっきりとした口調で言い切る。


「利用されていたとして何が悪い!」


 まるで利用されていることを自覚しているような一言に驚く。

 そして、エリックもそんなディックを一瞥してからセドリックを見据えた。


「ディックの言う通りだ。利用されている……そんなこと、捨てられたときに気づいたさ。アイナが必要としていたのは公爵家嫡男であるエリック=ダージリン。その肩書のない俺は必要ないんだよ」


「ならば、何故だ!?」


――何故、こんな馬鹿なことをした。

 

 そんな思いが込められた問いに、エリックは狂ったような笑いではなく、自虐の笑みを浮かべる。


「そいつが死ねば、きっとアイナは喜んでくれる。もう一度、振り向いてくれるかもしれない……そう思ったからだ」


「ディック、それにエリック様も……」


 ソフィアは何て言えばいいか分からなかった。

 恋は盲目……精神支配は関係なく、二人はアイナに好意を寄せていた。そして、諦めきれなかった二人は、地獄への道であろうと突き進むことを選んだのだろう。

 「馬鹿だ」と誰もが思ったはずだ。

 しかし、笑い声は上がらない。笑う気にもなれないのだろう。


 そして、それは唐突に起こった。


「「ぐ、ぐわぁああああああ!!!?」」


 突然、二人は胸をおさえてその場で膝を着く。


「なんだ、何が起こっている!」


 二人の苦しみ様に、慌てる一同。

 魔道具による体への負担が原因か、いや……


――人形が崩れて……


 ソフィアとフェルは、二人のすぐ後ろを飛ぶ人形が急速に崩壊していく光景を見る。

 まるで、彼らの命がその人形に連動しているようだ。


「ねぇ、お姉さん。お姉さんは、二人を助けたいの?」


 周囲が慌て始める中、フェルが神妙な声で尋ねて来た。


「え? それはどういう……」


「失われた命は戻らない。けど、お姉さんなら二人の命を延命することはできる。けど、あの二人が生きていればまた命を狙うかもしれないよ」


――二人を助ける、私が……?


 フェルの言う通り、生きている限り彼らはソフィアを狙い続けるだろう。

 だとすれば、このまま見捨てた方が良いだろう。

 しかし……


「お姉さんは、どうしたいの? 誰かの決めた自分ではなく、ソフィアと言う個人としての意見が聞きたい」


――私の意見……


 貴族としての自分であれば、見捨てることが正解だろう。

 だが、ソフィアの意見は……。相手は、ディックとエリックだ。救うだけの価値があるのか。

 ゆっくりと流れる時間の中で、ソフィアは考える。


『私のこの人生は、辛いことはあったが満足だった。ソフィア、あんたも本当にやりたい後悔のない道を選びな』


 ふと、母の言葉が思い出される。

 自分のやりたいこと……


 振り返るのは、婚約破棄されたあの日から今日まで。

 国外追放をされた自分は魔国へ行って何を思ったのか。

 魔国で料理人に何故なりたいと思ったのか。

 そして、クルーズたちと再会してどう思ったのか。

 ベンガルまでの道のりで見つけた漠然とした答えは……


――料理を食べてもらって、一人でも幸せにしたい


 それがソフィアの出した答えだった。


「なら、そうすればいいよ。お姉さんの料理は、人の心を癒せるんだから……」


 ソフィアは、ふと自分の脳裏に浮かんだスキルを思い出した。


ーー固有スキル【慈愛】










決意が書きたいため、随分と遠回りをした気がします。

5章から、魔国で本格的に活躍します!

お付き合いいただき、誠にありがとうございます!

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