第57話 軽食の準備
時を遡ること二時間ほど前。
ソフィアは、フェルたちに遅れてベンガルに到着していた。ソフィアもシルヴィアも会議に出席する衣装を持っておらず、代わりと言うことでセバスチャンに侍女服を用意してもらったのである。
「本当に、私が着るのか?」
「ええ、もちろんです」
まるで「正気か?」とでも言いたそうなシルヴィア。
男勝りな性格ではあるものの、シルヴィアは深窓の令嬢と言われても可笑しくない美しい容姿をしている。
そのため、似合うと思うのだが……
「私に似合うはずがないだろう。コスプレなら、せめて執事服にしてくれ」
シルヴィアは、反対のようだ。
顔を赤くして、ソフィアから侍女服を受け取ろうとしない。
――確かに、執事服も似合いそうですが……
ソフィアとしても、執事服姿のシルヴィアを見てみたいと思う。
しかし、それ以上に侍女服姿のシルヴィアが見たいのだ。後ろに控えるセバスチャンに視線を向けた。
「申し訳ありません。執事服の予備はありますものの、シルヴィア様の背丈に合う物がございません」
「そうなんですよね。執事服は男性用ですから、サイズが合わないんですよ。残念なことに……」
「絶対に嘘だ!?」
目元にハンカチをあてて泣き真似をする二人の態度に、シルヴィアは声を上げた。
しかし、ソフィアは良い笑顔を浮かべて、首を横に振る。
「嘘ではありませんよ。確かに、シルヴィアの背丈に合う物はあります。しかし、それは執事見習いである子供用のものでして、会議室内に入ることはできないのです」
「それなら、他の衣装が……」
シルヴィアは、どうしても侍女服が嫌なのだろう。
だが、そんな態度も可愛らしい。シルヴィアの後ろでは、鼻を手で隠している侍女の姿があった。赤い液体がちらりと見える。
「ダージリン家に年ごろの女性はおりませんので、侍女服しか用意できません」
ソフィアは、満面の笑みでそう伝える。
そして、後退るシルヴィアに侍女服を差し出した。
「そうだ! 私は外で警戒をしていよう、それならばそれを着る必要がない!」
妙案が浮かんだとばかりに声を上げる。
しかし……
「すみませんが、それは俺らの仕事なんで。流石に、招待客の護衛に任せる訳にはいかないんですよ」
「なっ!?」
ゴドウィンが申し訳なさそうに言うと、ソフィアがそれを首肯して説明した。
「中には他国の重鎮たちと、文官、護衛がいます。シルヴィアは魔国で唯一の護衛と言う名目でいるのですから、是非参加してください」
「侍女服でか!?」
どこの世界に、侍女服で参加する護衛が居るのか。
そう訴えるシルヴィアであったが、ソフィアは首を傾げて言った。
「フェルちゃんから借りた小説には、普通に居ましたよ。それに魔国には戦闘メイドなる存在が居るそうで、一般的だと聞きましたが」
「フェル!?」
シルヴィアは、思わず叫んでしまった。
侍女服から逃げるため後退していたが、ついにシルヴィアは壁にぶつかる。そこまで嫌なのかとソフィアは思ったが、大丈夫だと笑みを浮かべた。
「それに安心してください、私も同じ服を着ますので」
仲間だと言って安心させようとしたが、シルヴィアがジト目でソフィアを見る。
「お前はそれが普段着のようなものだろう。着ていても、誰も不思議には思わないぞ」
「……え、そんなことはないですよね?」
シルヴィアの一言に、ソフィアは室内を見渡す。
しかし、誰も目を合わせようともしない。完璧執事であるセバスチャンでさえ、ソフィアの視線に肯定もできず表情を引きつらせていた。
「そういうことだ。おそらく、名乗り出なければ侍女の一人にしか思われず、誰も気づいてくれないだろうな」
「そ、そんなことは……」
――さすがにないですよね。
と、その時は思っていた。
嫌がるシルヴィアに侍女服を着せて、ソフィアは会議室へ入って行ったのである。
厨房の片隅で、どんよりとした空気を纏う侍女。
その侍女は、非常に美しい金色の髪をしており、端正な顔立ちをしている。身長も低くはなく、凹凸もしっかりとしていて抜群のスタイルだ。
ドレスさえ着ていれば、きっと大物貴族の令嬢だと思われるだろう。
――そう、侍女服でさえなければきっと……
そう思わずにはいられない。
金髪の少女ソフィアは、まるで呪詛のように誰にも気づかれなかったことを嘆いていた。まるで触れてはならないもののように、厨房の料理人たちは視界に入れないようにしている。
「まぁ、その……気にしない方が良いと思うぞ。きっと、話し合いに夢中で気づいてくれなかったんだろう」
「紅茶を淹れたんですけど」
「それは……」
ソフィアの一言に、シルヴィアは言葉に詰まってしまう。
出席者にかなり近づいていたのだ。対面に座る者であれば、間違いなく顔を見ているはず。それにも関わらずソフィアだと気づかなかった。
「いや、素直にすごいと思うぞ。知っている私でもまるで背景のようだった」
「ぐっ……」
シルヴィアの素直な称賛に、ソフィアは大ダメージを受ける。
あまりにも板につき過ぎて、誰もが一流の侍女だと思ったことだろう。その証拠に、侍女頭から「流石はソフィア様ですね。うちの侍女でもソフィア様ほど侍女を極めている方はおりません」と称賛されたのだ。
だが、嬉しくはなかった。
「これでも一応、元は公爵令嬢なんですよ。社交場の花なんですよ、もちろん壁側ですけど」
「……」
シルヴィアは何と言えば良いか分からなかった。
すると、料理長である男性がソフィアに声を掛けて来た。
「貴族らしくないのは今さらじゃねぇか。それに、もともとそんな肩書あってないようなものだろうに、気にする必要はないんじゃないか。なんなら、今日から一流の侍女って名乗ってみれば良いじゃないか?」
料理長は朗らかに「案外そっちの方がしっくりきそうだ」と笑う。
「料理長!?」
誰もが触れないようにしていた存在に話しかけたことに、誰もが驚きの声を上げる。そんな声を無視して、料理長はソフィアに声を掛けた。
「んなどうでも良い事より、早く料理を作ってくれ。魔国の料理ってのが気になるんだよ」
「「「「「……うわぁ」」」」」
ソフィアが一番気にしていることをどうでも良いと割り切った料理長に、部下である料理人たちが一斉に声を上げる。
そして、ソフィアの様子を窺うように視線を向けた。
シルヴィアも流石にこれは拙いかと思ってフォローを入れようとするが……
「……それもそうですね。料理人を目指すのであるならば、例え目の前にいても気づかれないことなど気にする必要はないですね! ええ、気づかれなくても生きては行けますから」
ソフィアは開き直ると、明るい表情を浮かべる。
しかし、やはり目の前にいて気づかれないことは、ダメージが大きいのだろう。「気づかれない」と言う部分を強調していた。
とは言え、調子を取り戻して来たソフィアを見て、シルヴィアはため息を吐いた。
「単純すぎるだろう、いや思いきりが良いのか?」
「ソフィア様の御母君は、ソフィア様以上に思いきりが良かったですね。それに、嫌なこともすぐに忘れてしまいますので」
「ひゃっ!?」
突然背後から聞こえた声に、シルヴィアは甲高い声を上げる。
振り返ると、そこにはセバスチャンが立っていた。あまりにも気配が希薄で、敵意がなかったためかシルヴィアは気づかなかったのだ。
「おや、これは失礼いたしました」
「いや、私の気が緩んでいただけだ……気が引き締まった。感謝する」
シルヴィアは素直に感謝する。
ディックの件がある以上、気を緩めるわけにはいかないのだ。気を取り直すと、ソフィアが意外そうな表情でシルヴィアを見る。
「何だ?」
先ほどの悲鳴を聞かれていたことに気づいたのか、シルヴィアが憮然と尋ねて来た。だが、表情は依然として赤いままだ。
それに、シルヴィアの侍女服のデザインは可愛らしい物だ。
動きやすさを重視しているため、スカートの丈はソフィアよりも短く、代わりにタイツを履いている。
普段以上に幼さを感じさせる衣装であるため、久々に年下と言うことを実感してしまった。自然と笑みが漏れる。
「いえ、何でもありませんよ。侍女服が似合っているなと思っただけです」
「……っ!?」
衣装を指摘されたシルヴィアは顔を赤くする。
ソフィアの耳に、「私の趣味ではないのに……」と言う言葉が届いてくる。しかし、ソフィアから見ると口では嫌と言っていても満更ではなさそうだ。
ソフィアと入れ替わるように厨房の隅に行ってしまったシルヴィアを横目に、早速料理を作り始める。
「んで、何を作るんだ?」
「軽食ですから、サンドイッチといいたいところですが……」
それでは面白くないと首を振る。
それに、料理長もサンドイッチで満足するはずがなく、不満そうな表情を浮かべている。ソフィアは、軽食を何にするか考えているとふと思いつくものがあった。
「エッグベネディクトはいかがでしょうか?」
「どう言った料理なんだ?」
初めて聞く料理名に、料理長が興味を示す。
「イングリッシュ・マフィンの上に、ベーコンとポーチドエッグを乗せオランデーズソースを掛けたものです」
「……聞いたことがないな、もう少し分かりやすく言ってくれ」
「えっと、そうですね。丸いパンの上にベーコンとお酢を入れたお湯で火を通した卵を乗せて、レモンとバターを中心にしたソースをかけます」
「変わった料理だな……だが、面白そうだ」
「ええ、特にこのポーチドエッグと言うのが面白いんですよね。それと、デザートにカスタードプリンを作ろうかと、こちらも美味しいんですよ」
そう言うと、ソフィアはまるで歌うように、言葉を紡ぐ。
「【さぁ、料理を始めましょう】」
ソフィアの固有スキルのキーとなる言葉。
聞きなれた言葉に、料理人たちは緊張した面持ちでソフィアの指示を待つ。
「ほう。まず何からやれば良い?」
「そうですね、先にプリンから作りましょうか」
そう言うと、ソフィアはプリンの材料を用意する。
卵、砂糖、牛乳、バニラエッセンスを机に並べる。どれも魔国から持って来たもので、部屋に置かれたマジックテントから持って来たものだ。
初めて見る容器に、料理人たちが興味深そうな視線を向けて来る。
「それが、魔国のものか……何だよこの砂糖、真っ白じゃねぇか!」
「それは上白糖ですね。魔国では、子供のお小遣いでも買えますよ」
「なっ!?」
料理長は、ソフィアの言葉に驚愕する。
アッサム王国は茶葉の名産と言うことで、砂糖の輸入量が多い。そのため、頻繁に目にするのだが、これほど白い砂糖は貴族でも買うことが出来ないほど高価だ。
ダージリン公爵家の料理人だからこそ、この砂糖の価値を正確に理解しているためソフィアの言葉が信じられないのだろう。
「あっ、それよりも先に……【オート調理、イングリッシュ・マフィン】」
「うおっ!?」
ソフィアが紡いだ言葉によって、調理器具が意思を持って動き始める。以前とは違う光景に料理長は驚愕の声を上げ、そして尋ねる。
「もう驚かないつもりだったが、何か随分と変化しているな」
「グレードアップしました」
「ぐ、ぐれーど?」
「進化です。汎用スキルの【指揮】と組み合わせることで、この程度の作業なら主体的に動いてくれます」
「……何言っているのか、さっぱりわからん。が、取りあえず、パンを作るってことだな。おいっ、お前! パンの作り方をしっかりとメモしておけ!」
「はいっ!」
料理長の指示に、下働きの男性がメモを始める。
魔国の料理を何一つ見逃さないようにしているのだろう。手の空いている料理人も、作業の片手間に盗み見ていた。
「では、こちらもそろそろ始めますか」
ソフィアは、手早く卵を割る。
ボウルに割り入れた卵をよく溶きほぐしながら砂糖を混ぜ加え、牛乳を加えて再び混ぜ始めた。
「うん、それは何だ? 甘くて良い香りがするな」
「バニラエッセンスです。本当なら、バニラビーンズを使いたいところでしたが、持ち合わせがないため代用品ですね」
「へぇ、もし良ければ後で少しもらえないか? お菓子を作るときに入れてみたくなった」
「良いですよ、私が持って来た未使用の物もありますので、後でお渡しします」
かき混ぜる作業をスキルに任せると、次はカラメルソースづくりだ。
――こちらから先にやればよかったですね。
鍋に砂糖と水を入れ湯溶かしていると、ふとそんなことを思う。
こちらの方が、時間がかかるのだ。失敗したなと思いながらも、あめ色に色づくまで加熱する。
「このカラメルソースを容器の下に入れて、その上に先ほど混ぜたものを入れます。鍋に水を張って、蒸し焼きにします」
「蒸し焼き?」
初めて聞く調理法に料理長は怪訝そうな視線を向ける。
その視線を無視して、ソフィアは鍋に水を張ってから容器を並べ、お湯が沸騰したところで鍋に蓋をした。
「これが蒸し焼きです」
「なるほどな。直接鉄板で焼くわけではなく、水蒸気を使って蒸しているのか」
「その通りです。……まだ、マフィンが出来るまで時間がかかりそうですね。先にオランデーズソースを作りましょうか」
スキルで作業状況を確認すると、ソフィアはオランデーズソースを作り始める。
材料となる卵黄、バター、レモン汁、塩、こしょう、カイエンペッパーを並べた。すると……
「何か手伝うことがあるか?」
先ほどから手持無沙汰で落ち着きがなかった料理長が、手伝いを申し出る。ソフィアは少し悩んだ後、そうだと言って手伝いを申し出た。
「澄ましバターを作ってもらっても良いですか?」
「はいよ」
料理長が澄ましバターを作っているのを横目に、ソフィアは再び卵を割り始めた。
手慣れた手つきで、卵黄だけをボウルに入れ、水を加えて湯煎する。泡だて器でしっかりと泡立てていると、料理長を見る。
「澄ましバターはできましたか?」
「はいよ」
「流石ですね、とても綺麗です」
料理長から渡された黄金色の澄ましバターを見て感嘆の声が出てしまう。丁寧な処理をされているため、一切の不純物がない。
ソフィアは、まだ温かい澄ましバターを少しずつ卵黄の入ったボウルに加え、混ぜ始める。
「仕上げに、塩とこしょう、レモンにカイエンペッパーで味を調えます」
「こしょうは分かるが、このカイエンペッパーは何だ?」
「熟した唐辛子の実を乾燥させた香辛料です。強い辛みがあるので、マイルドなソースのアクセントになるんですよ」
「なるほどな。卵黄のマイルドな味わいに、レモンの酸味、そしてその香辛料の辛みか。ぜいたくなソースだな」
「そうですね、これで完成です。マフィンの方もできそうですし、後はベーコンを焼いてポーチドエッグを作れば完成ですね」
ベーコンをカリカリに焼き上げると、本番のポーチドエッグだ。
鍋に卵が浸るくらいの沸騰した湯に酢を加えてからもう一度沸騰させる。お玉で渦を作り、その真ん中に割っておいた卵を流しいれ二分ほど待つ。
酢の臭いを消すため、水に浸した後水気を取れば完成だ。
「これで完成なのか?」
「はい、ナイフで割るとトロトロの黄身が溢れ出て来るんですよ。ベーコンやマフィンに染み込んでとても美味しいですよ」
その光景を想像したのか、料理人たちは涎を垂らしそうになる。
ソフィアは苦笑を浮かべて、完成したマフィンの上にベーコン、ポーチドエッグを乗せ、最後に黄金色のオランデーズソースを掛ける。
後は、ポテトや彩野菜を添えて完成だ。
「これで完成です。カスタードプリンも完成しましたので、試食してみて下さい」
「「「「「おう!」」」」」
待っていたとばかりにナイフとフォークを取り出す料理長たち。
早速とばかりにエッグベネディクトにナイフを入れた。すると、オレンジ色の黄身が溢れ出て来るのだ。
その美しい見た目に、だれかがゴクリと喉を鳴らす。
そして、震える手でフォークを刺し、口に運んだ。
「「「「「……」」」」」
誰からも言葉は出ない。
先ほどまで騒がしかった厨房に静寂が訪れる。何度も味を確かめるように口を動かし、しばらくして互いに視線を見合わせた。
『『『『『『美味い!!』』』』』』
まるで怒号のような男たちの叫び声に、ソフィアは驚きのあまり引いてしまう。
料理人の性か、品評会を始め互いにどこが良いのかを指摘し始めた。
プリンを絶賛する者。
エッグベネディクトを絶賛する者。
その両方で、オランデーズソースやカラメルソースを絶賛する者。
それらが、自分たちの料理にどのように活かせるか、まるで子供のような表情で語りあっているのだ。
ふとソフィアの視界に、料理人たちの間に侍女服を着る少女が目に入った。
「シルヴィア……」
いつの間に立ち直ったのか、見慣れた後ろ姿に思わずジト目で見てしまう。
「なんだ?」
視線に気づいたのか平然とした様子で振り返るが、その両手にはエッグベネディクトとプリンがあった。
「それは試食用で、シルヴィアの分ではないのですが?」
「冷めてしまっては勿体ないだろう。ならば、私の出番と言う訳だ」
と、堂々と語る。
すると、近くにセバスチャンが現れソフィアに言った。
「シルヴィア様は、料理を運びたいということなのでしょう」
「そういうことでしたら、仕方がありませんね」
「なっ!?」
二人の会話にシルヴィアは愕然とした声を上げる。
そんなシルヴィアの姿に、ソフィアはクスリと笑う。
「それはそうと、ソフィア様。私も試食させて頂きましたが、以前よりも更に腕前を上げたようで。精神的な疲労でさえも回復して、少し若返ったように感じます」
「未熟な身ではありますが、ありがとうございます」
セバスチャンの感想が嬉しく、頬を緩ませる。
「では、そろそろ軽食をお持ちしましょうか」
セバスチャンのその一言で、ソフィアたちは軽食を会議室へと運ぶのであった。




