第56話 不穏な動き
早朝の暖かな日差しが窓から差し込む。
ソフィアは、優しい刺激に目を覚ますと、ぐっと体を伸ばす。スキルの恩恵で眠気がほとんどない体質だが、十分に眠ったためか体が軽かった。
「シルヴィアはまだ寝ていますね」
隣のベッドを覗くと、健やかな寝息を立てるシルヴィアの姿がある。
まだ時刻も早い。ここ数日の野宿と昨夜の夜更かしが原因で疲れていたのかもしれない。
「それにしても、シルヴィアの意外な一面を知れましたね」
昨夜のことを思い出して、ソフィアはふふっと笑う。
考えてみると、年ごろの少女らしい話をシルヴィアとしたことがなかったのを思い出したからだ。
結論から言うと、どちらもその手の話には疎い。
色気よりも食い気のようで、結局はいつも通りの話になってしまったが、それでも新鮮だった。
――フローラちゃんとは、不思議とこのような話をしたことはありませんでしたね
ふと思う。
カテキン神聖王国の聖女フローラ=レチノールは、ソフィアと歳が近い。であれば、自然と年ごろの少女らしい話が出来ていてもおかしくはない。
だが、今までそのような話をしたことはなかった。
むしろ、ソフィア自身の話ばかりをしていたようにも思う。
――どうやら、気を遣わせてしまっていたようですね
ホストとゲストの関係。
ゲストであったソフィアに気を遣ってくれていたのだろう。年下とは言え、流石は大国の聖女だ。
プライベートな話でも細かな配慮ができると思うと、フローラと自分との格の違いを感じて、軽く落ち込んでしまう。
尤も、フローラにそんな意思はなかっただろうが……
「……ふぁあ。なんだ、もう朝なのか」
「おはようございます」
ソフィアが着替えていると、シルヴィアが目覚める。
就寝時、シルヴィアは髪を下ろしている。そのため、癖のない美しい銀髪が腰のあたりまで伸びている。
寝起きだと言うのに、寝癖一つついていない。
太らない体質と言い、髪と言い、シルヴィアは同性にとって羨ましい存在だ。
天は二物を与えずという諺はウソで、自分の寝癖のついた髪を見てソフィアはこの世は残酷だと嘆く。
「どうかしたのか?」
「……いいえ、何でもありません」
シルヴィアに非はないのだが、こればかりは納得がいかない。
ソフィアがそっぽを向くと、シルヴィアはソフィアの態度の原因が分からず首を傾げる。
「何を怒っているのだ? まさか、昨夜デザートをもらったことか? だが、あれはちゃんと許可を貰って……」
原因が分からず、困惑した様子のシルヴィア。
おそらく一生気づくことはないだろう。だが、必死にソフィアが不機嫌な理由を「ああでもない、こうでもない」と悩む姿を見ていると、嫉妬している自分が馬鹿らしくなって来る。
ソフィアは着替え終わると、シルヴィアの方に振り返りクスッと笑う。
「シルヴィアは、シルヴィアですね」
「は?」
ソフィアの笑みに、困惑を通り越して呆然とするシルヴィア。
珍しい表情だ。ソフィアは、上機嫌に笑みを浮かべると、そのまま部屋を後にする。中に残されたシルヴィアはしばらくの間、訳が分からないと答えのない考えに思考を巡らせるのであった。
朝食後。
ゴドウィンたちは昨日の内に馬車の手配を済ませていたようで、早速ベンガルへと向かう。
公爵家が用意した物と比べると幾分か質が落ちる。
だが、並みの商人では用意できない程度には豪華なものだ。
馬車の中には、ソフィアとシルヴィアしか乗っていない。
ゴドウィンは外で周囲の警戒。ただでさえ人が少ない状況だ。ゴドウィン抜きでは、緊急時に対応できないだろう。
そのため、馬車の中にはソフィアとシルヴィアしかいなかった。
「二人だけで使うとなると、いささか広いな」
「ええ、一応八人乗りですから。前に乗っていたものよりは少し狭いので」
「あぁ。それに、フェルが寝転んでいたから余計に狭く感じたのだったな」
「ふふっ、そうでしたね」
馬車の中では四六時中膝の上にあった頭を思い出して、ソフィアは可笑しそうに笑う。
魔族の姫で、強大な力を持つ少女。だが、乗り物酔いで弱り果てた少女を思い出すととてもそうだとは思えなかった。
「……それにしても、二人だとあまり会話が持たないな」
ゆっくりと変わりゆく景色を眺めていると、シルヴィアが声を上げる。
「そう、ですね。ですが、たまにはこうして、のんびりと景色を眺めるのも風情があって良いと思いますけど」
「なんか、私の師匠のようなことを言っているぞ。あれだろう、休日に縁側で日向ぼっこしたくなるのと同じなのだろう?」
「縁側って……東部の住宅にあるのでしたよね。東部と言えば、鹿威しや風鈴というのも風情があって良いですよね。この前、『東部に隠居するなら ランキング』という本で見たんですよ」
ソフィアは魔国の東部へ行ったことはない。
だが、何故か非常にフィーリングが合うため、一度は行きたいと思っていたのだ。ソフィアの話を聞いて、シルヴィアは呆れたような声を出す。
「お前、まだ十六だろう……隠居するには早すぎる」
「隠居はしませんよ。生涯現役が目標です」
「そ、そうか……。ほどほどに頑張ってくれ」
意気込むソフィアに、シルヴィアは引いた様子だ。
「ほどほどに」を強調しているが、ソフィアは疑問に思いつつも話を元に戻す。
「それで、その本のタイトルは変でしたが、中身は普通の旅行案内でしたよ。料亭や旅館の紹介ばかりでしたから」
「ああ、それはあれだ。近年、『和』を感じさせる建物が減ってきているらしいからな。東方の住宅を見せて欲しいと言うと、料亭や旅館に案内されるんだ」
「実際に住んでいる家を知りたいとしてもですか?」
「その場合、やんわりと断られるらしいぞ」
シルヴィアの言葉に、ソフィアは「不思議ですね」と首を傾げる。
おそらく、その地の住民性なのだろう。東部と言えば、以前マンデリンとは比べ物にならない強者が蠢く人外魔境と聞いた。
スーパーの覇者イザナを思い出して嘘ではないと思うが、シルヴィアの話を聞くとどうにもイメージが湧かない。
それよりも気になったのは……
「シルヴィアは、東部について詳しいですね。行ったことがあるのですか?」
「言ったことがなかったか? 学生時代、武者修行として東部へ行っていたのだぞ」
初耳だった。
シルヴィアは当時を思い出したのか、「あれは地獄だった……」と遠い目をしてうわ言のように何かを呟く。
いったい何があったのか。
ソフィアと同じ経験をしたアンドリューが、当時の事を思い出したときのような顔をしている。
だが、好奇心が勝ったソフィアは死んだ目をしたシルヴィアに当時の事を語ってもらう。
「……ああ。あの人たちは普段は温厚だ。いや、滅多に怒るようなことはない。だが、怒らせると……うぅ……」
体を震わせる。
本当に何があったのだ。いや、何を見たのだろうか。まるでお化けでも見たかのように顔色が真っ白だった。
何か致命的なトラウマを抱えているのだろう。
時折、「般若が……」などと呟いているが、これ以上聞くのは無理そうだ。
二人が会話をしている間も馬車は進む。
そして、次の日に目的地ベンガルへと到着するのだった。
*****
ダージリン公爵領最大の都市ベンガル。
その裏路地には、領主の手さえも届かない無法地帯が存在する。衛兵も巡回することはないため、犯罪が起きることは当然。
ベンガルの闇と呼べる場所である。
「はぁっ、はぁっ、はぁっ……」
スラムの奥に位置する一際大きな建物。
その一室では、頭を抑えてもがき苦しむ青年の姿があった。
「大丈夫ですか、親分!」
体つきの良い男性が心配そうに声を掛け、水と錠剤の入った瓶を渡す。
青年は、男性の手から瓶をもぎ取ると乱暴に蓋を開け、数錠まとめて飲み干す。しばらくして、痛みが和らいだのかソファにもたれかかる。
「親分、やはりその道具は使わない方が良いんじゃ……」
男は心配そうに声を掛ける。
その視線の先にあるのは、ドクロのマークが付いた双子のネックレスだ。ある筋から回って来た品物で、実態のある分身を創り出すという目を疑うような性能の魔道具だが、そのリスクはあまりにも大きかった。
「うるさい、黙れ! ようやく、ようやく見つけたんだ……」
青年は、壊れたように笑う。
男性は、それを不気味に感じてしまう。もともと、青年の様子はどこかおかしかった。だが、その魔道具に手を出してからは加速度的に変化して行ったのだ。
「で、ですが……」
男は、なおも食い下がる。
青年の事が心配だったからだ。
男は、青年と幼馴染の関係にあった。男の方が、運が良く、早い時期に救いの手が差し伸べられた。
そのため、青年がどのように暮らして来たかは知らない。
そして、再会したのはごく最近である。
男も不幸な事故により再びスラムをさまよっていた。そんなとき、ゴミ捨て場に捨てられた青年を見つけたのだ。
面影があり一目で分かったが、青年が男の事を覚えているのかは知らない。
青年は十年近くもどこで何をしていたのだろうか。
瞬く間にスラムを武力で制圧した姿を見ると、おそらく良い教育を受けたに違いない。だが、昔について語ろうとしないため、男は何も知らなかった。
ただ、手掛かりがあるとすれば……
「気になって様子を見に来たが、随分と消耗しているようだな」
大凡、スラムに似つかわしくない恰好をした銀髪の青年。
スラムでもその男の名前くらいは知っている。だが、その立場を知っているからこそ、このような場所に来るはずがないのだ。
だが、二人は何らかの目的がある。
そして、その目的を達成するためならば、例え悪魔にでも魂を売るのだろう。
「そちらも酷い有様じゃないか」
「ははっ、そう見えるか? 最初こそ抵抗があったが、今では体に馴染むようだ」
「くくっ、確かにな。この魔道具は確かにすごい。痛みはあるが、徐々に痛みは弱くなって来た。それだけ、体に馴染んだ証拠だろう」
確かに青年の痛み具合は以前よりはましになった。
だが、多用して平気なはずがない。それに、銀髪の青年の方は、瞳の色が赤く染まり始め、犬歯が伸びているように見える。
まるで言い伝えに残る、とある魔族のような特徴だ。
「それよりも、監視は振り切ったのだろうな」
「ああ。影から右往左往する馬鹿どもを見るのは、滑稽だったぞ」
「それは愉快だな。……それよりも、ようやく見つけた」
主語がない言葉だが、二人には分かるのだろう。
高まる緊張に男はごくりと唾をのむ。人外となってしまった二人の威圧に当てられたのか、中には怯えて失禁する者もいる。
誰も笑わない。
誰もがこの二人に恐怖しているからだ。
「そうか、おそらくこのまま城へ来るだろう。あそこには、現在三カ国の重鎮が集まっている。何をするつもりかは分からないが、どの道この国のためにはならないだろうな」
「国のことはどうでも良い。ならば、城へ着く前に襲うのか?」
青年の言葉に、銀髪の青年は悩むそぶりを見せる。
だが、それも一瞬の事だ。端正な顔立ちを醜悪に歪めて、信じられないことを言った。
「いいや、城を襲おう。そうすれば、あの憎きヤグルマギクの狸を殺せるだろう」
「国のためにならないのではなかったのか?」
「なに、まとめて帝国の皇子と神聖王国の聖女を殺せば良い。互いの仕業にして、潰し合わせればいいだろう」
「ははっ、それは名案だ!」
狂ったように笑い始める二人に、男は正気を疑う。
男は、それなりに教養がある。だからこそ、開戦をして一番被害を出すのがアッサム王国であることが理解できた。
ほぼ間違いなく、両国ともに開戦のきっかけを得たと大喜びしてアッサム王国へ挙兵するに違いない。
二人に具申したい。
だが、それをしてどうなる。間違いなく、殺されるだろう。銀髪の青年は分からないが、少なくとも青年は人殺しに忌避感はない。
男にできることは、二人の計画の失敗を祈ること。
そして、少しでも部下が死なないように手を回すことだけだった。
四章もようやくクライマックスです。
……想像よりも、長くなってしまいました。




