フェルの我慢
遅れて申し訳ありません。
セバスチャンに案内されて執務室へ入室すると、そこには銀髪碧眼のナイスミドルな男性が立っていた。
――この人が、セドリック=ダージリン宰相か
入室したフェルは、その男性セドリックを見て内心感嘆の声を上げる。
間違いなく、将……いや王の器だろう。ただ立っているだけで、その場を支配するような圧倒的な覇気を醸し出していた。
アルフォンスよりも一回り以上年上だろうが、果たして同じ年になった時セドリック同様の覇気を身に纏っているのかと考えると、厳しいだろう。
間違いなく、時代の生み出した傑物であるとフェルはセドリックを評価していた。
「私は、宰相を任されているセドリック=ダージリンと申します。魔国の方々、遠路はるばるよくぞ参られた」
セドリックの発した言葉は魔国語だった。
ソフィアほど流暢ではないが、違和感を覚えさせない程度に扱えることに僅かに驚く。
「お招きいただき、ありがとうございます。此度の交渉団の交渉役に任命されたアルフォンス=リンと申します。よろしくお願いします」
よそよそしいやり取りだ。
まるで初対面のように振舞う二人に、じれったくなったのかセバスチャンがゴホンと咳払いをする。
ロレッタもまた表情には乏しいが、同じような思いなのだろう。
あまりに頭の固い二人に若干嫌そうな表情を浮かべていた。
少なくとも久闊を叙する兄弟の会話ではない。ただ、私的な感情を優先することに躊躇いを覚えているのか、フェルに許可を取るように一瞥して来た。フェルが構わないと頷くと、表情を緩めて再度セドリックに挨拶をする。
「お久しぶりです、兄上」
セドリックは、一度代表であるフェルに黙礼すると相好を崩す。
「久しぶりだな、アル。無事な姿を見ることができて、嬉しく思う」
「ええ、兄上こそ思っていた以上に壮健そうで安心しました」
「この日のために、大方の仕事は片付けたからな。ここ最近は、しっかりと睡眠を取ることが出来ている」
――嘘だ!?
フェルは内心叫ぶ。
もはや室内を彩るオブジェクトと化した書類の束。あまりに自然過ぎて、もはや背景と一体化しているようにも見える。
おそらくこの部屋には常に書類が山積みにされているのだろう。
ただ、学校の机を六つ並べたほどの大きさの机。それに収まりきらず、二つの机にまで山積みになっている書類を見ると、片付いたと言う言葉の意味が分からなくなってしまう。
少なくとも、風呂場を改造する余裕のある王様と比べるのも烏滸がましいほど忙しいのは確かだ。
「……ワーカーホリックってレベルじゃない」
ロレッタも同様に思ったのだろう。
ただ、なるべく見ないようにしていたが屋敷内には末期のワーカーホリック集団が死屍累々と巡回している。
痩せこけながらも書類を持って廊下を走る姿は、ホラーだった。
誰もが平然としていることからここでは当たり前の光景なのかもしれない。
だが、おそらく他国の人間だろう。フェルの見た光景と同じ光景を見て、表情を引きつらせていたことから人間世界でも奇異な光景なのだろう。
――感染、しないよね……
心底不安に思う。
ここは地元では不夜城とも呼ばれているらしい。実際そうなのだろうが、人をワーカーホリックに変えてしまうような凶悪なウイルスが発生しているように見えてならない。
フェルがそんなことを考えていると軽く挨拶を済ませたのだろう。
後で時間を取ると約束すると、アルフォンスがフェルたちに自己紹介を促す。
「ロレッタ=フェリー、です。お目にかかれて光栄です」
ロレッタはセドリックに対して緊張している様子だ。
場に慣れていないと言う訳ではないが、これほどの人物と直接会話をする機会がなかったからだろう。
ロレッタの額には薄っすらと汗がにじんでいた。
「彼女は、翻訳魔法と呼ばれる珍しい魔法を扱うことができます。魔国でも稀少な使い手ですので、今回の会談に同行して頂きました」
「クルーズからの報告で聞いている。会談の際には、よろしく頼みます」
「はい……」
次にフェルの番だ。
アルフォンスは、一瞬ためらいを見せた後、不安そうな表情でフェルを見る。その視線の意味に気が付きながら、フェルは一歩前に出て挨拶をした。
「お初にお目にかかります、宰相閣下。四代目魔王アルベルト=サタン=マオウが一子、フェル=ルシファ=マオウと申します。此度の会談にて魔国の代表を務めさせて頂きます。若輩の身ではありますが、よろしくお願いいたします」
スカートの端をつまんでカーテシーをする。
セドリックもフェルの挨拶に感嘆の声を上げるが、視線をアルフォンスとロレッタに向けると狐に抓まれたような顔をする姿が……
――失礼な!? 作法の成績は最優なんだけど!
フルチューンナップを施した鉄壁の猫の下、フェルは地団駄を踏む。
信じられないことに、フェルの作法の成績は最優。数々の淑女を育てて来たマダムが「口さえ開かなければ完璧ですのに……」と嘆くほどだ。
マダムから最優を付けられた作法。そこに、普段は野放しにしているが日々進化を遂げる最強の化け猫が加われば、この程度造作もない。
だと言うのに……
「フェ、フェル様……どこかお加減が悪いのですか?」
「毒キノコに当たった?」
……酷い取り乱し様だ。
どういう訳か、教室内に常備される風邪薬。普段は厳しいのに、この時ばかりは病人に対するような態度で優しくされる。
虚しくなる。
早くも最強の化け猫に罅が入ってしまい、その隙間から二人に尋ねる。
「うふふふ、私は至って健康ですよ。昨夜のロレッタさんの料理はとても美味しかったですよ」
「「……」」
二人は揃って気味悪がる。
「何で!?」と叫びたい。
問いただしたい。
そもそも、アルフォンスからすれば望み通りの展開だろう。小声で「まさか影武者……」などと無礼千万な言葉が聞こえて来る。
――もう化け猫のライフはゼロだよ……
先ほどから味方陣営からの攻撃に、メンタル最弱の猫はストライキしようかと思い始めている。
そしてさらに……
「アル、先ほどから王女殿下に対して失礼な態度ではないか? まるで、普段は破天荒な性格で猫を被っているとでも言いたげな」
グサッ!
「い、いえ。そのようなことは……。フェル様は、おてん……常に明るい性格でして……」
「猫をかぶ……じゃなくて、猫のように自由気ままです」
ブチ!
フェルの何かが切れた。
それと同時に、鉄壁の淑女のドレスを脱ぎ捨て、旅支度をしていた最強(メンタル以外)の化け猫を引き剥がして投げ捨てる。
「初めての外交ってことで我慢していたのに、何なのさ、その態度! もう良い、いつも通りおてんば娘らしく自由気ままにやらせてもらうから!」
ここは非公式の場だからと、ずかずかとソファに座り込む。
そして、既にセバスチャンが用意してあったお菓子を食べ始めた。自分の家のような振舞に、セドリックは呆気にとられたかと思ったが……
「それが、素と言う訳ですか?」
「そうだよ。というか、もしかして私を試していたの?」
セドリックの表情に驚きはなかった。
むしろ納得したような表情に、フェルはまんまと踊らされたと嫌そうな表情を浮かべる。
「クルーズたちの報告から殿下のことは聞いておりました故。先ほどの作法は見事でしたので、それだけを見ればきっと疑問を抱かなかったでしょう」
「天敵との戦いで接点があまりなかったはずなんだけどな……」
四六時中乗り物酔いに苦しんでいたのだ。
クルーズといえど、フェルの性格を知るような機会はなかったはず。確かに悪乗りはしたものの、だからと言って確証につながるのかというと……
「……聞いていた以上にやりにくい相手」
フェルはセドリックに対する評価を上方修正した。
「ははは、ご冗談を。殿下ほどではありませんよ。そちらこそ、私を試していたのでしょう?」
「……」
――えっ? 何の事?
咄嗟に言い返したくなったが、セドリックは何か確信した様子。
どこをどう間違えば、フェルがセドリックを試したと言えるのだろう。だが、セドリックはフェルの沈黙が肯定と取ったのか、一人納得した様子で頷いている。
アルフォンスも深く何かを考えている様子だが、結論は出ていないようだ。
ただ、ロレッタだけが、フェルの心を見透かしているようでジト目を向けている。
「コ、コホン。アルフォンス、そろそろ本題に入ろうか」
結局、フェルは話をずらして逃げることしかできなかった。
セドリックとの会談はアルフォンスに丸投げして、ロレッタと共にお菓子とお茶を楽しんでこの日は終了したのだった。
【お詫び】
感想の返信が遅れて申し訳ありません。
順次返信して行く予定です。
・五十一話からの矛盾についての返信
作者の手違いで感想を削除してしまいました。
活動報告にて、返信を書かかせて頂きます。
大変、申し訳ありません。




