ベンガルにて
ダージリン領の首都ベンガル。
アッサム王国の王都を除けば、国内で一、二を争う都市である。
帝国や神聖王国とも隣接した領地であるため、非常に交易が盛んだ。関所では、一日当たり十万人以上の人々が通過するなど国内においても要所とされている。
メインストリートではかなりの賑わいを見せている。
フラボノの町や、他の町ではあまり見なかった三階建て以上の建物がずらりと並び、その下には多くの商人たちが出店を開いている。
そして、先に見えるのがダージリン家の居城。
誰もが見惚れてしまう青の城塞だった。
帝国や神聖王国と隣接していると言うことは、戦火に巻き込まれる心配があると言うことだ。その時に、砦として使えるように設計されている。
芸術的だと思うが、元ダージリン家の者としてアルフォンスに言わせると、あれほど機能的な城はないのだと言う。壊すのさえ躊躇いそうな外装をしているが、それはカモフラージュであり生半可な火力では打ち崩すことは困難だそうだ。
フラボノの町でもそうだが、居住地は貴族と平民で分かれている。
ロレッタ達からすれば、身分制は古いと考えるだろう。だが、残念なことに身分制は魔国以外においては当たり前のものだった。
ベンガルでは、青の居城を中心に貴族街、そして平民街と広がっている。東西南北に伸びた大通りには、多くの商人が集まって巨大な市場を形成していた。
「ここが、ベンガル?」
ロレッタは馬車から見える景色に首を傾げる。
前情報として、ソフィアから色々とベンガルについて聞いていた。
とても活気のある都市だと。
確かに、メインストリートは商人たちによって活気があった。フラボノの町に比べても次元が違うと思えるほどに。
「確かに、活気がある。……けど、何か思ってたほどじゃない?」
どこからどう見ても、賑わっているように見える。
だが、ロレッタは何故か物足りなさを覚えてしまう。
すると、向かい合うように座っていたアルフォンスが窓の景色を覗くと顎に手を当てて「おそらくですが……」と前置いてから、言葉を続けた。
「空白が見られるからではないのですか?」
「あっ」
ロレッタは、アルフォンスの言葉に声を上げる。
これだけ賑わいを見せているのに、屋台の間が空いているのだ。フラボノ町でさえも、出店率は百パーセントを越えており、色々とトラブルが起きていた。
ベンガルでは容量そのものが違うとはいえ、それでもこれほどの人口を見れば空白が出るとは到底思えない。
「商人は国家情勢に敏感ですから。それに、シアニン自治領との関係悪化の影響もありまして」
「なるほど。しかし、市場規模が縮小するのは国家として一大事では?」
市場とは、人・モノ・サービスの売買がされる場を指す。
人つまり労働力の提供が減ってしまうと、自然と人口が減ってしまう。
アッサム王国では、サービスという第三次産業はまだ発展していないが、人やモノの流入が減ってしまうのは衰退へとつながってしまい、一大事だ。
アルフォンスの指摘に、クルーズは苦い表情を浮かべると首肯する。
「ええ。今回の一件で少しでも関係の回復ができれば、と。ベンガルは交易の中継地として魅力的ですから」
「確かに、そうですね」
アルフォンスは納得したように、頷くが内心では別の事を考えていた。
(きっと特需があると考えているのでしょうね)
帝国と神聖王国の戦争はいつ起きても可笑しくない。
というより、水面下ではすでに戦争が始まっているのだ。商人もそれに気づいているからこそ、アッサム王国で商品が売れると考えている。
クルーズが敢えて明言していないが、考えればすぐに気づくことだ。
「……それにしても、ソフィアたち遅い」
自分から話を振っていて面倒なことになったと思ったロレッタは、ここにはいない二人の話に転換した。
「連絡がありましたので、明日には到着すると思いますよ」
「もう一日待ってから出発すれば良かった」
「まさか、一日で追いつくとは思っていませんでしたから。一応、ゴドウィンを残してありますので、馬車の用意はすぐにできるかと」
ロレッタたちは、森を出た先で一日待ったのだ。
だが、ソフィアたちは現れなかった。そこで、連絡用の魔道具を持たせたゴドウィンたちを残して来たのだが、次の日には連絡があったのだ。
もう少し待っていれば良かったと指摘するロレッタだが、クルーズにも事情があるのだ。そして、ソフィアたちが遅れている理由が馬車の用意なのだが……
「シルヴィアの場合、走った方が速い」
ロレッタは真顔で指摘する。
「形式美ですので……」
馬よりも早く走れる人間。
クルーズの常識からすれば、そんな人間がいるはずもない。そんな常識外の存在を想定しているわけではないので、ロレッタの指摘に口元を引きつらせてしまう。
もし、馬車を用意せずシルヴィアがソフィアを抱えて走ってくれば昨日の内には合流していたことだろう。
ただ、ロレッタが不機嫌なのには別の理由がある。
「ソフィアが居れば、私が作る必要がなかった」
昨夜の料理番はロレッタだった。
フェルにせがまれて仕方がなく作ったのだが、あの時のクルーズたちの表情と来たら「えっ、料理できるの」と言ったものだった。
食べる方にはプライドがあるが、作る方にはプライドがない。
とは言え、一応先輩なのだ。
威厳を見せるために少し本気で作ったが、その時の彼らの表情と来たら、まるでハトが豆鉄砲を食らったような、それに……
――しかも、二人も驚いていた
アルフォンスとフェル。
二人もまた明らかに驚いていた。アルフォンスの厚い面の皮でも、意外だと言う表情は隠し切れていなかったのだ。
流石にそこまで驚かれれば、プライドのないロレッタでも不機嫌になると言うものだ。
尤も、自業自得なのだが。
それを感じ取ったのか、ロレッタのジト目からアルフォンスやクルーズは視線を逸らし、フェルに関しては相変わらずの乗り物酔いに苦しみながら視線を背けた。
居た堪れない雰囲気の中で、アルフォンス一行はセドリックの待つ居城へと到着したのだった。
案内されたのは、豪華な客間。
領主の性格を表わしているのか、高価な調度品が揃えられているが、煌びやかというよりも重厚な雰囲気だった。
既にクルーズたちは離れており、代わりに数人のメイドが部屋に残った。
今さらだが、アルフォンスはかなりの美形だ。ロレッタとしては、ただのワーカーホリックという印象しかないため忘れていたが、メイドたちの黄色い声に今さらながら思い出していた。
一方で、フェルもまた残念ながら美少女だ。
文字通り天使のような美貌を持ち、まだ成人前と言うこともあって庇護欲を誘う可愛らしい容姿をしている。
不愛想な自分だけが取り残されたような感覚を覚えつつ、ロレッタは出されたお菓子をもぐもぐと無心に食べ続けていた。
――意外と美味しい
本人は気づいていないが、ロレッタもまたメイドたちから人気が高い。
でなければ、わんこそばのように食べ終わった先からお菓子を補充していないだろう。フェルもアルフォンスも、無心で食べ続けるロレッタの神経の図太さに呆れていた。
トン! トン! トン!
しばらくして、扉が三度叩かれる。
中に入って来たのは初老の男性。ダージリン家の執事であり、セドリックやアルフォンスの教育係を務めたセバスチャン=マスカットだった。
柔和な笑みを浮かべると、一礼をして近づいて来た。
「お久しぶりです、アルフォンス様。そして、お初にお目に掛かります。ダージリン家で執事長を務めさせて頂いておりますセバスチャン=マスカットにございます」
アルフォンスにあいさつした後、フェルとロレッタにも一礼する。
フェルもロレッタも挨拶を返すと、アルフォンスが懐かしい顔に笑みを浮かべて口を開いた。
「セバスチャン、本当に久しぶりだな。死ぬまで現役と言っていたが、本当に元気そうだ」
「ええ、もちろんですとも。ダージリン家にお仕えしたときから、死ぬときは机の上でと決めております」
良い笑顔で言うが、笑い事ではない。
話を聞いていたメイドたちもまた、冗談では済まないと思ってか慌てた様子だ。ただ、会話相手が似たような感性を持つ者だからかさらに会話が続く。
「書類の上ではないのだな?」
「仕事は最後までやり遂げますから」
当然の事だと言わんばかりの態度。
昔から変わっていないのだろう。セバスチャンの言葉に、アルフォンスは懐かしく思ったのかふっと笑う。
それを傍から見ていたロレッタとフェルは小声で会話を始めた。
「机の上で死ぬとか、絶対に嫌なんだけど」
「クレイジーすぎるよ」
「しかも、ソフィア同様に自覚がない」
「人間の恐ろしさを知ったね」
互いに魔族で良かったと安堵しているが、世間一般の感性を持つ人たちにとっても彼らの言う死に方は御免被る。
二人の小声の会話を聞いてしまった者たちは、「お願いだから、この人たちと一緒にしないで!」と心の中で叫んでいたそうだ。
とは言え、二人にその声が届くはずもなく、互いにどれだけ仕事が好きかを話し合っている元主従を視界に入れないようにしてお菓子を食べ始めた。
「セバスチャン様、そろそろ……」
「おや、そうでしたね。アルフォンス様、そしてフェル様にロレッタ様、我が主がお待ちです。ご案内させて頂きます」
そうして、セバスチャンに先導される形でセドリックの下へと向かったのだった。
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