橋の上で
ロレッタ視点です。
石で作られた橋の下。
人間の擬態を解いたロレッタは、その薄羽で森の中を飛び回る。いつもであれば乏しい表情をしているが、額に汗を浮かべ焦燥した表情をしていた。
「やっぱり、いない」
ロレッタが探しているのは、ソフィアとシルヴィアだ。
ソフィアは、ロレッタにとって初めての後輩だ。後輩と呼べる存在は他にもいるのだが、可愛くないどころか、可愛げもない者たちばかりでとてもではないが後輩とは思えなかったからだ。
だが、ソフィアは人間だった。
ロレッタの祖父は、三百年前の戦争を生きており、かつて一度だけ人間という種族についてロレッタに語ってくれたのだ。
そのため、アニータにソフィアの事を聞いたとき、正直不安な気持ちがあった。
だが、ソフィアを見た時警戒心など忘れて、引き込まれたのを覚えている。
それからすぐに、ソフィアとは打ち解けることが出来た。
先輩だと敬ってお弁当まで分けてくれたのはソフィアが初めてだ。しかも、ソフィアの料理スキルは料理長のシュナイダーに匹敵するかそれ以上。
アンドリューに謀られたことを今でも恨んでいるが、これだけは感謝しても良いと思ってしまう。
ただ、ソフィアはとても弱かった。
身体能力は、エルフとそう変わらない。魔力に関しては、ロレッタの百分の一もないだろう。
人間が弱いことは知っていたが、ソフィアはその中でも特に弱い人間だ。
魔道具で身を固めても、ブラウンバードの亜種相手に逃げることしかできないほどに。
だからこそ、ソフィアが橋から落ちた時血の気が引いた。
ソフィアの脆弱さを最も知っているロレッタだからこそ、命が助からないと悟ったからだ。
シルヴィアもまた同様の考えに至ったようで、すぐさまソフィアを追いかけるように橋から落ちて行った。
獣人の中でも最高峰の身体能力を誇る銀狼族であれば、この程度の高さから落ちたところで怪我をする心配はない。
だが、あまりにも帰りが遅いのだ。
心配になって降りて来たのだが、二人の行方の手がかりが掴めぬ状況である。
時計を見ると、捜索を始めて三十分が経つ。
アルフォンスと予定していた時刻であり、もしかしたら入れ違いになったのかもしれないと橋の上に戻った。
「ソフィアたちは?」
橋の上では、護衛たちが操られた人たちの拘束をしていた。
その中に、何度か会話をしたことがあるヨアンがいたため、ソフィアたちが戻ってきていないか尋ねてみた。
「戻ってきていませんが……」
おそらく、「なにか手がかりでもありましたか」とでも聞こうとしたのだろう。
だが、ロレッタの焦燥した表情が答えになっており、尋ねるのは酷だと判断したようだ。ロレッタは落胆したように視線を落とすと、再び森へ戻ろうとする。
「待って下さい、アルフォンス様がお呼びです。先に、そちらへの報告をお願いいたします」
「……分かった」
闇雲に探しても意味がないことはこの三十分でよく分かった。
ロレッタは、不承不承とアルフォンスたちのもとへと歩き始める。
「お姉ちゃんたちは?」
開口一番に尋ねて来たのは、フェルだ。
いつもの飄々とした態度とは一転して、感情の抜け落ちた表情で尋ねて来る。
ロレッタは、ふと昔のフェルのようだと思う。
感情を押し殺した人形……おそらく、そうでもしなければ周囲へ甚大な被害を与えてしまうからだろう。
事実、フェルによって編纂されたことで、周囲の自然環境が歪に修正されていた。
フェルの放つ剣呑とした空気に当てられ、ロレッタは緊張したように結論を伝える。
「何も見つけられなかった……」
「そう」
ロレッタの言葉にフェルは短く返事をすると、目を閉じて何かを考え始める。その立ち姿一つとっても威圧感があり、クルーズたちは魔王の娘という意味を今さらながら思い知っているようだ。
緊迫した空気の中でも、アルフォンスは動じた様子もなくロレッタに尋ねて来た。
「もしかしたら、川に流されたのかもしれませんね。シルヴィアさんであっても、二人分の落下エネルギーを減速なしでは厳しく、川へ飛び込んだのでは?」
「その可能性は高い。……けど、雨の影響で流れが早くてどこまで流されたのか分からなかった。それに、途中で流れも分かれていた」
「厄介ですね」
アルフォンスはそう言って、腕を組んで空を見上げる。
この場所は、ただでさえ木々の影響で日照が悪い。おそらく一時間もしないうちに、暗くなってしまうだろう。
捜索できるのは、翼を持つ二人だけ。
時間内で見つけられる可能性は限りなく低い。このまま二人を向かわせて、二次遭難が起きてしまえばそれこそ問題だ。
「ところで、そっちは何か分かったの?」
「いいえ、話を聞けるような状況にありません。操られていることは確かなのですが、どのような魔法なのか見当もつきません。ただ……」
「ただ?」
アルフォンスの歯切れの悪い言葉に、ロレッタは首を傾げて訊き直す。
「……魔国の関与は間違いないですが、術者はもしかすると固有スキルを持っている可能性があります」
「固有スキル!?」
アルフォンスの言葉に、ロレッタは珍しく大声を上げてしまう。
固有スキルとは、例外なく強大なスキルだ。現状、魔国で公に確認されているのは三人。寿命から考えると、百年に一人生まれる計算だ。
フェルのスキルも現魔王のスキルも、国さえも傾けるほどの力を持つ。それが、固有スキルである。
その事実を思い出して、ロレッタは冷静になり尋ねた。
「……確証はあるの?」
「うん。あの人形は、きっとそう」
ロレッタの質問に、アルフォンスではなくフェルが静かに答える。
――人形?
その単語の意味が分からず、ロレッタは首を傾げる。
戦闘中も人形を見てはいない。アルフォンスたちも同様だろうが、フェルは何かを見たのだろう。
既に報告を受けているアルフォンスが、説明をする。
「ええ、何でも襲撃者の背後に人形が浮いているようです。詳しい能力は分かりませんが、それが洗脳の原因……」
「洗脳なんて生易しいものじゃない。あれは、文字通り生きた人形。魂を無理やり剥奪するような外法」
「どういうこと?」
ロレッタだけでなく、アルフォンスもまた意味が理解できないのだろう。
だが、フェルはこれ以上語るつもりはない様子で、目を伏せた。これ以上の追求は不可能だと判断し、ロレッタはアルフォンスに尋ねる。
「それで、襲撃者は?」
「拘束しておきましたが、糸切れた人形のように動かなくなってしまいました」
「そう……それで、この後はどうするの?」
「……この辺りはまだ何があるか分かりません。ですから、移動を始めるつもりです」
「っ!?」
アルフォンスの薄情な一言に、ロレッタは激昂しそうになる。
だが、強く握りしめた手を見れば、その怒りも見当違いなのだと理解した。ロレッタは行き場のない怒りをどうにか飲み込む。
フェルもまた、表情は読み取れないが不満はあるのだろう。
だが、シルヴィアを信頼しているのか、特に何も言わずに沈黙していた。
「……分かった」
どの道、日が落ちれば捜索は不可能だ。
この広い自然のなか、二人を探すのは無謀だと分かっている。だからこそ、ロレッタは静かに頷くのであった。
*****
「あら、襲撃に失敗したようね」
豪華な家具が並べられる一室に一人の少女の声が響く。
紅茶を優雅に啜り、寛いでいた時の出来事だ。目の前に置かれた複数の人形が、色を失い崩れ始めた。
「簡易人形だと、拘束力が弱いわね」
無感情に、壊れた人形を詰めたく見据える。
少女にとって、それはただの人形でしかない。壊れたのであれば、もう一度作り直せば良い。
ただ、それだけの事だった。
とは言え、失敗したというのは面白くない。不意に視線をバルコニーへと向ける。バルコニーへ続くガラス製のドアは開かれており、そこに漆黒の衣に身を包んだ男性が立っていた。
「……」
男性に表情はない。
そして、その背後にもまた人形が浮かんでいた。その男性を見て、少女は淡々と語り始めた。
「どうやら、あなたの部下がやられたようよ。人間にしては、かなりの実力者だったみたいだから、色々と道具を融通したのに……残念ね」
残念だとは全く思っていないのだろう。
男性を前に、優雅に紅茶を啜る。良質な柑橘系の香りが立つ茶葉は、少女にとっても満足するものだ。
「一先ず、これ以上の接触は控えるわ。お父さまも放置みたいだから、それにこちらの人形も最期の働きをしてくれるかもしれないしね。それで良いわね、レイブン」
「……」
少女の言葉を最後に、男性は何も答えることなく、バルコニーへと消えて行ったのだった。




