第39話 旅先で料理
その日の夜。
馬車から解放され、徐々に調子を取り戻して来た三人。ソフィアは、シルヴィアたち三人に加えてアルフォンスやクルーズたちの食事の支度を始める。
「さて、困りました。何を作ればいいのでしょうか?」
フラットホワイト邸よりもはるかに劣る厨房。
とは言え、一般家庭と同等の厨房がマジックテントには備え付けられている。だが、体調を崩す三人のことを思うと、メニューを考える必要があるだろう。流石のシルヴィアたちも、こってりとした料理を食べられないはずだ。
「お米は……炊くとなると時間がかかりますね。インスタントのものがありますが今後の事を考えるとやめておきましょう」
一人夕食のメニューを悩むソフィア。
しばらく瞑目していると、名案が思い付いたのだろう。「あっ!」と声を上げて、手をポンと叩く。
「お米からおかゆを作れば良いじゃないですか。乗り物酔いには、梅をおへそに貼ると聞きますし」
そう思ったのも束の間。
ソフィアは、重大なことに気が付く。
「梅干し……買い忘れました」
塩については、腐る物でもないためかなりの量を購入している。内陸国であるアッサム王国では塩が高価になるため、それを見越してのことだ。
買い過ぎではないかと思うほど買ってしまったのだが、梅干しを購入することを忘れていた。
失敗したなと思う反面、ふと思いつく。
「それなら、リゾットにでもしましょうか」
リゾットは一度だけ作ったことがあるため、レシピは知っている。
それに、長旅になるため保存の効く缶詰の類は大量に購入してある。その中には、トマトの缶詰もあった。
メニューをリゾットに決めると、早速必要な食材を用意する。
生米にニンニク、タマネギ、それからウインナー。そして、リゾットに欠かせないバターに牛乳、粉チーズ。調味料として市販のコンソメと塩コショウを並べる。
「キノコは流石に用意していませんでしたね……保存がそれほど効きませんから仕方がありませんか」
物足りない気もするが、仕方がないと諦めると料理に移る。
早速、まな板と包丁を用意するとニンニク、タマネギ、ウインナーを乱切りにする。
「やはり、もう少し買っておいた方が良かったでしょうか?」
見る見るうちに減って行く食材を見て、ソフィアは思う。
とは言え、家庭用ではなく業務用の冷蔵庫が一杯になるほどの量が詰められているのだから十分だろう。
それに、インスタントの類は成人男性が年単位で食べきれないほど異常な量が積まれている。それこそ、マジックテントの一室が段ボールで埋まる程度には。
だが、インスタントで済ませるというのも、流石に良くないだろう。ソフィアはメニューに思いを馳せながら料理を続ける。
人数も多いと言うこともあり用意したのは大鍋だ。
そこにバターを引いてからニンニクを炒める。バターに香りが付いたところで、先ほどの食材を炒め始めた。
「タマネギがしんなりとして来ましたね……そろそろ、お米を入れましょう」
そう言って、生米を鍋に入れる。
このとき、お米は洗わないことがポイントとなる。洗うことによって、粘り気が出てしまうからだ。
リゾットはおかゆとは違い、お米の硬さは歯ごたえを残すアルデンテがちょうど良いため、粘り気は出さない方が良い。
それから、だいたい生米が透明になるくらいを目安にして炒めると、ここでようやくトマト缶の出番だ。
トマト缶とともにコンソメと水を入れ、混ぜてから煮込み始める。
「硬さはこれくらいで良さそうですね……では、牛乳とチーズを入れましょうか」
いよいよ、仕上げだ。
牛乳とチーズを入れてからよく混ぜる。そして、味見をしながら塩コショウで味を調えるとリゾットは完成だ。
シルヴィアたちの待つリビングに半分届けると、残りをクルーズたちの下へ届ける。
「隊長、俺……今猛烈に生きていてよかったと思います」
「もう、いつ死んでも良いです」
「今なら、仕事に埋もれて死んでも後悔しません」
今生に悔いなし。
未知の食材に未知の調理法。そこから産み出された未知の料理。
言葉で表現しようにも、言葉が思い浮かばないのだろう。ただ、美味しい……言葉を飾ることなく、それだけの感情だった。
瞬く間に食べ終えてしまったクルーズたちの部下は余韻に浸りつつも、たき火の光がその満足そうな表情を照らしている。
それは、クルーズもゴドウィンも例外ではなかった。
「一応、お代わりは用意してありますよ」
『是非!』
因みにだが、ソフィアは令嬢だ。給仕ではない。
だが、恐縮するどころか疑問にすら思わないのは、ソフィアの性格や実績だろう。人手が足りないからと自分で御者をするのだから、それも仕方がない。
ただ、一番問題なのは、その現状に疑問を抱かない自分自身だと気づかないのが、ソフィアの貴族としての限界だろう。
促されるまま、プラスチック製の容器にお代わりを乗せるソフィア。
その姿を見て、ゴドウィンが疑問を呈する。
「ところで、食材は大丈夫なのか? もちろん分けてもらえるのは嬉しいが、そっちの方が心配だ」
「そうでした。こちらもある程度は携帯食料を持ち歩いておりますので、あまりお気になさらないで下さい」
隊長と副隊長の言葉に、部下たちは責めるような視線を向ける。
それもそうだろう。何せ、アッサム王国の携帯食料は不味いことで有名だ。
いや、アッサム王国もフェノール帝国もカテキン神聖王国もシアニン自治領も携帯食料については五十歩百歩。
ソフィアの手料理に比べれば、比べることがおこがましいほどの雲泥の差があった。
「気にしないで下さい。一応インスタント食品はかなりの量を用意していますから。ただ、栄養バランスが悪いんですよね。どこかで、食料調達をしたいのですが」
残念なことに、マジックテントに時間停止機能はない。
そのため、生鮮食品は時間と共に傷んでしまう。代わりに、インスタント食品を積んでいるのだが、健康に悪いとなるべく手料理を提供したい。
「了解です、どこかの都市で食料調達をしましょう。お金については、宿泊費などでそれなりの金額を旦那様より受け取っていますので問題ありません」
その一言に、部下たちは安堵したように息を吐く。
そんな彼らの様子に苦笑すると、ソフィアはマジックテントの中へ戻って行った。
「お腹、いっぱい……」
「ああ、食べたら吐き気がなくなったな」
「うん」
と、語るのはフラットホワイト宅の大食漢の二人シルヴィアとロレッタだ。
その理論はどう考えても可笑しい。
気持ち悪ければ、いまだソファでぐったりとしているフェルのように、食事が喉を通らないはずだ。
だというのに、この二人組はいつも以上の量を……それこそ、クルーズたちに提供した量に匹敵する量を食べているのだ。
これには、羨ましいを通り越して、呆れの方が大きかった。フェルにいたっては、まるで化け物を見るような目で二人を見ている。
「現地調達は必須の問題のようですね」
「一応、クルーズさんにも伝えておきました。旅費は向こう負担のようで安心です」
「こちらでは円が使えませんしね。それに、国交がない以上為替も設定されていませんから」
「確かにこちらでは、魔国の紙幣はただの紙としての価値しかありませんから。最悪はインスタント食品で我慢しようと思っていたので、良かったです」
「本当に、そうですね。まさか、これほどの量を食べるとは思ってもいませんでした」
そう語るのはアルフォンス。
彼は普通だ。そう、一般的な二十代前半の男性が食べるくらいの量を普通に食べた。
美味しそうに食べていたが、その反面尋常ではないスピードで平らげる二人に愕然とした様子だった。
ただ、このような反応をするのはソフィアが知る限りフェルとアルフォンスくらいだ。それ以外の面々、主にシルヴィアの同僚は二人に追随するように食べていた。
この辺りが、文官と武官の違いなのだろう。ただし、ロレッタは除く。
「フェルちゃん、大丈夫ですか?」
「うん、大分楽になったよ」
最初の勢いはどこへやら。
エアコンの効いた部屋で、経口飲料を摂取し体を横にするフェル。とは言え、体調が良くなっているのは事実だろう。
はしゃぎまわる余裕こそないが、顔色は大分良くなっている。
「まさか、お前にこんな弱点があるとはな。物理も魔法も毒さえも効かないお前の弱点が、まさかの乗り物酔いとは」
感慨深そうに呟くシルヴィア。
フェルの力をいまいち理解できていないソフィアを除いて、ロレッタもアルフォンスも意外だという表情を隠さず頷いている。
「一応、効いているには効いているんだよ……結果的に効かないだけで」
それは弱々しい反論だった。
とは言え、良い弱点を聞いたと思ったのだろう。特にシルヴィアとアルフォンスが、今後この手をどう使おうか考えている様子だ。
そんな二人を見て、フェルはソフィアに泣きつく。
「お姉さん助けて」
「大丈夫ですよ、悪ささえしなければ」
と、至極真面目な返答をするが……
「無理だな」
「無理」
「無理ですね」
と、フェルに代わってシルヴィア、ロレッタ、アルフォンスが口をそろえて即断する。
そして、当の本人はというと……
「むり、かな……」
「……私も無理かと思いました」
本人が無理だと言っているのだから、無理なのだろう。
なら、その後の罰を受け入れるのが世の定め。ソフィアは、この件について何も触れないように決心した。