宰相の苦悩
本日二話目の投稿です。
「この、馬鹿者が!!」
そう叫んだのは、セドリック=ダージリン。
アッサム王国において、アールグレイ公爵家と双璧を為すダージリン公爵家の当主であるとともに、アッサム王国で宰相を務めている。
彼は、帰宅するとすぐさま息子であるエリック=ダージリンを自身の執務室に呼びつけ、開口一番に罵った。
「ち、父上……一体何があったのですか?」
エリックは何故怒られたのか理解していないのだろう。セドリックがどうして剣呑な表情で睨みつけて来るのか、それさえも分かっていない様子だ。
セドリックは、そんな自分の後継者の姿に、激しい怒りを通り越して不安を覚えてしまう。
――これが、この国の次期宰相だと……
セドリックはまだ三十六歳とまだまだ若い。
アッサム王国の平均寿命は五十歳とされている。とは言え、これは半世紀近い前のものである。確かに平民であれば平均寿命はこのくらいだろう。
だが、魔法薬や魔法の技術進歩により貴族などの平均寿命はかなり延びた。
それにも関わらず、アッサム王国の要職の定年は昔のまま変わっておらず四十歳だ。つまり、あと四年したら後継者に自分の席を譲る必要がある。
そして、その後継者こそが目の前の青年エリックだ。
本来であれば、セドリックの弟でエリックの叔父が継ぐはずだった。しかし、先代のダージリン公爵は子供に恵まれずセドリックの弟は二人しかいない。
そして、弟の一人はすでに死去しており、もう一人に関しては国を出てしまい行方不明の状況にある。
今のエリックの年齢は十七歳。四年後には二十一歳となる。
セドリックの時もイレギュラー尽くしで、宰相の仕事を正式に継いだのが十九歳だった。そのため、優秀でさえあれば若すぎるとは言われることはないだろう。
セドリックは周囲からエリックが自分と同等。もしくはそれ以上のキレ者だと聞かされており、これから少しずつ宰相の仕事を教えて行けば問題ないと安心していた。
だが、それは間違いだったのだ。
「お前は、今日何をした?」
先ほどとは違い感情の籠っていない低い声だった。
その声を聞いたエリックは尻込みした様子で答える。
「パーティーに出席させて頂きました」
「ああ、それは知っている。では、そこでアールグレイ公爵令嬢に何をしたのかと聞いているのだ」
「ア、アイナとは踊らせて頂きましたが、それが……「もういい」……えっ?」
セドリックは、エリックの話を遮る。
アールグレイ公爵令嬢との問いに、エリックはアイナと答えたのだ。と言うことは、エリックの中ではソフィア=アールグレイがアイナ=アールグレイに劣っていると言うことを意味している。だが、これは酷い思い違いだ。
アッサム王国以外で、アールグレイ公爵令嬢と呼べば一人しか名前は出てこない。
その名前はアイナ=アールグレイではなく、ソフィア=アールグレイだ。多くの国の重鎮たちが、彼女の来国を心待ちにしているのが現状だ。
そして、このことは宰相であるセドリックを始めとしたこの国の重鎮たちの中では、アールグレイ家などの一部の例外を除くと周知の事実だ。
「では、話を変える。お前は、ソフィア=アールグレイをどう考えている」
「ソフィア=アールグレイ?……あの、悪女ですか!優秀なアイナに嫉妬して、色々と嫌がらせを。終には暗殺まで……「黙れ!」……っ!?」
再び、エリックの言葉はセドリックに遮られる。
これ以上は聞くに堪えない話だった。それは、ソフィアのことを思っていることもあるが、自分の息子の見る目のなさに恥じてしまったからだ。
「嫌がらせだと?いつの話だ、それは?」
セドリックは知っている。ソフィアが嫌がらせをしている時間がないことを……。寝る間も惜しんで、アイナたちの無茶ぶりに応えている。
そして、本来外務卿であるアールグレイ公爵に代わって外交に出ているのだ。尤も、他国からすれば別の目的があるため、アールグレイ公爵本人が来れば怒り狂うだろうが。
それは、それとして。
ソフィアは月に一度か二度、他国へ出向いている。
当然のことながら、馬車の移動になる。その移動時間を考えると、多くて一年の半分が他国にいることになるだろう。
そして、アッサム王国にいる間の日中は学園に通う。その他の時間は、王妃教育やアイナに熱を上げて職務を放棄しているローレンスたちの仕事を肩代わりしていた。
これが、ソフィアの学園での成績が低い理由でもある。
学園に通う日などかなり少ないのだから当然と言えば当然だろう。本人は、公爵令嬢だから気を遣っていると主張しているが、一部の教員はソフィアの多忙さを知っておりそれで点数を水増ししていた。
ただ、自国にいる間ソフィアは、その多忙さから一日の睡眠時間は常人では仮眠と言って良いくらいの時間しか取れない。
そのため、睡眠耐性のレベルが高かったのだ。おそらく、セドリックを始めとしたこの国の本当の意味での重鎮のスキルレベルは同じくらいだろう。
もし、魔法薬がなければ彼らは全員揃って、過労死しているのではないか。そう思えてしまう。
――そんな少女が言うに事欠いて嫌がらせをした、と
セドリックは怒りを抑えた口調でエリックに尋ねた。
エリックはセドリックの怒りに気づいていないのだろう。まるで水を得た魚の様に確証もないことを述べ始める。
「最近では、つい昨日の事です。夕方の五時ごろにアイナの頭上に花瓶が落ちて来たそうです。アイナが言うには、花瓶が落ちて来た窓の所から両サイドに巻いた金髪が見えたと……」
両サイドに巻いた金髪。
それは、確かにソフィアの特徴に一致する。そのため、疑われても仕方がないだろう。
尤も、それが本当の話であればのことだが……
「その他にも、三日前のことです。
アイナの机の上にまるで残飯のようなものが、ぶちまけられていました。これもまた、目撃者が言うには同じ特徴の人物だったとのことです」
この二つの話を聞いた、セドリックは頭を抱える。
それは、エリックが望んだような理由からではない。彼の頭には、ふとソフィアが語ったことを思い出す。
『食材のあまりでも再調理すれば、食べられるんですよ?いつも思うんですが、貴族の方々は料理を無駄にし過ぎるんですよね』
『(君も一応貴族、それも公爵令嬢だろうに)』
楽しそうに余った食材を再調理して食べていた少女の光景を思い出す。
そんな少女が、食べ残しであろうと食べ物を嫌がらせに使うだろうか?……いや、使わないだろう。ただ、セドリックは、そのどちらの出来事もソフィアの仕業ではないと初めから考えていた。
「また、一週間前の「もう良い、黙れ」……父上」
やっと自分の話を信じてくれた。
そう考えたのだろう。だが、全く証拠のない犯行をどうして信じて貰えると思うのか。セドリックは不思議で仕方がない。
そして、重いため息を吐くと間違いを指摘する。
「それで、昨日の午後五時だったか?
その時間は、アールグレイ嬢は私とティンブラ財務卿、フレーバーティー商務卿、セイロン工務卿の五人で、手押しポンプなる物の会議をしていた時刻だな。私の目の前に居ながらにして、学園にも居たと?分身したとでも言うのか、お前は?」
手押しポンプは、アイナが提案したものだ。
井戸から水をくみ上げる作業が大変そうだとのことだ。だが、その詳細は知らないようで水が上る仕組みだけを教えて来た。
それで作れと言われても、かなり無理がある。結局、ソフィアが商業ギルドで試行錯誤をしてもらうように頼んだのだ。そして、本人たちは提案したことを忘れているだろうが、ようやく試作品が完成したため、今後それをどうするか話し合っていた。
「っ!?そ、それならその日の嫌がらせは別の誰かかもしれませんが、その前の……」
「三日前か。アールグレイ嬢は確か一昨日までフェノール帝国に外交に行っていた。今度は、瞬間移動でもしたと言いたいのか?」
「そ、それなら!……誰かにやらせた。それならば可能です!」
セドリックは怒りを通り越して呆れてしまう。
そもそも、ソフィアの犯行だと疑っていながらどうして裏付けも取らないのか。貴族社会でそのようなことをすれば、知らぬ存ぜぬでいくらでも言い逃れができる。
そんな簡単なことも分からないのか。
その挙句に、誰かにやらせたとのことだ。それならば、わざわざ自分と同じ特徴の人物にやらせる必要はないだろうに。尤も、その特徴自体が怪しいのだが。
「どうやら、私はお前を過大評価していたらしいな」
「っ!?」
セドリックの言葉の意味が理解できないほどエリックは愚鈍ではないらしい。
見限られた。それが分かったのだろう。そして、セドリックは感情の宿らない声で淡々と言った。
「もう良い、下がれ。明日から学園に行く必要はない。王城で仕事をしてもらう」
「父上っ!?」
それではアイナと会える時間が少なくなるではないか。
エリックの心情はそんなところだろう。だが、ソフィア以上にエリックこそ国外追放したほうが良いのでは。そう考えてしまう。
だが、エリック以上の後継者は誰もいない。セドリックには他にも息子がいるが、エリックの弟はまだ七歳だ。四年後十一歳だと考えると、無理がある。
そのため、やむなしと言った心情で、エリックを教育する必要があると考えた。なおも言い募るエリックを強制的に退出させると、エリックに代わって入室させた執事に声を掛ける。
「それで、見つかったか?」
「いいえ。ですが、王都のアールグレイ家の邸宅でなければ、アールグレイ公爵領へ連れていかれたようでもなさそうです」
誰をとは言わない。
ソフィアの行方について話をしている。今のところ、国王から正式に処罰を与えると聞かされていない。ただ、今回の件に関しては法務卿もソフィアに明らかに非はない。そう思っているはずだ。
そして、彼もまたソフィアの料理の味を知っている。公正を欠くかもしれないがこの件に関しては法務卿も完全に私情を挟んで判決を言い渡すだろう。
宰相としては文句を言う必要があるかもしれない。だが、ソフィアに濡れ衣を着せたとなれば国王よりも厄介な連中が押し寄せて来るはず。……絶対に。
仮に、この国で生きにくければ、ソフィアならばいくらでも亡命先はある。いや、どこの国もこぞって亡命先にと立候補してくるだろう。
ソフィアの存在がいなくなることは、この国にとって最大の損失だろう。
彼女個人が持つパイプは、他国の重鎮だけではない。
これは、怪我の功名と言っても良いだろう。外務卿であるアールグレイ公爵が娘に仕事を丸投げし、その挙句に必要最低限の資金しか渡さなかったことにより、数多くの出会いがあった。その中には、有力な商人や、有名な冒険者パーティーもある。
そして、実務能力に関しては既に宰相を任せても良い。そう思えるレベルだ。
まだ経験はセドリックには劣る。だが、外交を通じて得たパイプや十一もの言語を操る言語能力。それらは、セドリックにないものだ。
「まあ、彼女にとってはそちらの方が幸せだろう」
だが、これから数日後。
セドリックは、国王からソフィアを魔国に国外追放したことを聞かされた。
そして、これから起こるであろう商人たちを中心とした――その中に王国の重鎮が混じっていないはずだ――国内の騒乱。そして、国際問題に頭を抱えてしまったのは言うまでもないだろう。
そして、同時刻。
宰相たちが頭を抱えていることを知らない本人はと言うと……
「何としても魔王軍に就職します!」
魔国でそう息巻いていたのだった。
他者視点は、意外と難しいですね。
次話からは、再び主人公視点に戻ります。