第25話 先輩と後輩
マンデリンから南西に位置する研修所で、ソフィアが研修を受けるようになって数日が経過した。
時刻は午前十時。
初夏の日差しが照り付ける中、ソフィアの姿は研修所よりも北に位置する魔物の生息地にあった。
「クケェエエエ!!」
後ろを振り向くと、赤茶色の羽毛を持つ全長二メートルの鶏。ブラウンバードと呼ばれる魔物の亜種であり、口からは炎が噴き出ていた。
――何で、追われているのでしょうか?
ソフィアは現状に疑問を抱きながらも、必死で逃げる。
強化された身体能力によって辛うじて逃げられているが、魔物が生息することから魔王軍の管理地となっているこの森は、最低限しか手入れをされていないため足場が悪い。
常に足元に気をつけていなければ、一瞬で追いつかれてしまう状況だ。
「レッドホットチキンね。また、レアな食材ね。流石はソフィアね」
「ソフィア、凄い」
こちらは森の中で壮絶な鬼ごっこを繰り広げていると言うのに、あちらは敷かれたシートの上でお茶を飲んで和んでいた。
――全然、嬉しくないのは気のせいでしょうか?
森の中で、偶然にも遭遇したブラウンバード亜種。
ただのブラウンバードでさえも戦うことが出来ないと言うのに、その亜種と遭遇したのはソフィアにとっての不幸だ。
とは言え、二人にとっては火を噴く鶏でしかないのだろう。
「クケェエエエ!!」
ソフィアが、考え事をしているとブラウンバード亜種の炎を纏ったくちばしが近くを通過する。
流石に命の危険を感じたのだろう。
ソフィアは、和んでいる二人を見て叫び声を上げた。
「そろそろ、助けて下さい!!」
「これも訓練ね。一応魔道具を渡しておいたから心配ないね」
魔物であるブラウンバード亜種とソフィアが鬼ごっこできるのは、アニータから渡されたブレスレットにある。
これには【身体能力向上】の無属性魔法が込められており、ソフィアの身体能力を向上させていた。それ以外にも、【魔法障壁】の無属性魔法が込められたネックレスなど身体的な安全を考慮した魔道具を多数身に着けている。
だが、精神的な安全を一切確保してくれていなかった。
「体力トレーニング」
ロレッタは、お茶を啜ると静かだがよく通る声で静観すると伝える。
「それなら、魔物は必要ないですよね!?」
ロレッタの一言に、ソフィアは叫んだ。
二人のやり取りを聞いていたアニータが忍び笑いを浮かべて、言う。
「ソフィアは弱いから、逃げ足だけでも鍛えるね。危機的な状況にあるほど、人は伸びるね」
「パワーハラスメントです!」
アニータの言葉に、ソフィアは反射的に叫ぶ。
「大丈夫、私たちにパワーはないね」
おそらく面白がっているのだろう。
どこかで聞いたことがある言葉だなと思うが、それどころではない。木を利用してブラウンバード亜種との距離を取ろうとする。
「クケェエエエ!!」
「っ!?」
流石に何度も通用しないのだろう。
ブラウンバード亜種は、ソフィアが木陰に隠れた瞬間、その木に体当たりをする。ブラウンバードの巨体とスピードから生まれた運動エネルギーによって、木はへし折られてしまう。
「クケェエエ!!」
「ようやく追い詰めたぜ」とでも言いたそうな声を聞き、ソフィアは背に冷たい汗が流れる。無意識に、防御用の魔道具であるネックレスを握ると……
「そこまで」
ロレッタの声が響く。
それと同時に、強風がブラウンバードを襲った。
「ク、クケェエエエ!!?」
どうにか踏ん張ろうと頑張るが、襲い掛かる風の威力に負けブラウンバード亜種の巨体は地に着いていることもままならず、風の流れに沿って空高く飛ばされてしまう。
「お疲れね」
ロレッタが、ブラウンバードを吹き飛ばした後アニータがソフィアの水筒を持って近づいて来た。
危機的状況を脱したからだろう。
安堵のあまり、その場にへたり込んでしまう。
――これが、料理人になる厳しさ……
かつてメルディやフレディが語ったことを思い出す。
おそらく当人たちは、そう言う意味で言った訳ではないだろうが、今さらながら魔王軍の料理人になる厳しさを知った気がする。
お昼。
ソフィアとロレッタは、一足先に研修所へと戻って来た。
「疲れました……」
休憩椅子に腰かけると、ぐったりとしてしまう。
まだ四時間しか経過しておらず、ちょうど一日の折り返し地点だ。午前中は、体力作りと言うことだが、実際は魔物と魔草を見ることに意味がある。
目利きスキルの第一歩として必要なことだそうだ。
「お疲れさま」
「あっ、ロレッタさん……さっきはありがとうございます」
「気にしなくて良い。スキルを取るまでの辛抱だから」
ロレッタは、言葉数こそ少ないがソフィアの事を案じている。
先ほどもアニータが動くよりも先に、率先して助けに入ってくれた。常に揶揄ってくるアニータよりも、ロレッタの方がソフィアは頼もしく思える。
「はい、目利きスキルを取れました。それと、調合も」
先ほど確認したところ、ソフィアのスキル欄に【目利き レベル1】が追加されていた。
調合スキルは、ロレッタが懇切丁寧にスパイスの事を教えてくれるからだろう。昨日の内にスキルを獲得できたのだ。
ロレッタは、ソフィアの言葉を聞き、表情が僅かに驚愕に染まる。
だが、それも一瞬でありソフィアはそれに気づかなかった。話題を変えるように、ロレッタは言う。
「そう。なら、お昼にしよう」
「あっ、そうでしたね……お腹が空いていました」
先ほどまで激しい運動をしていたからだろう。
ロレッタに指摘され空腹を思い出し、ロレッタがソフィアの対面に座ると早速お昼を取ることにした。
「それ、手作り?」
ソフィアが、今朝作ったお弁当を鞄から取り出すと隣から声がかかる。
――そう言えば、ロレッタさんと一緒にお昼を食べるのは初めてでしたね
これまでロレッタと一緒に昼食を取ることがなかったため、ソフィアが自分でお弁当を作っていることを知らなかったのだろう。
ソフィアは、ロレッタの言葉に頷く。
「はい、そうですよ。ロレッタさんは……コンビニのお弁当ですか?」
「うん。ここで散々料理しているから、家で作るのが面倒。けど、あまり美味しくない」
「あぁ、確かに分かります。やっぱり、大量生産されたものだとスキルの効果がないので味が落ちるんですよね」
ソフィアはそう言って納得したように頷く。その姿を見たロレッタが、首を傾げてソフィアを見る。
「大抵の人は料理スキルを持っていない。持っているのは料理をする人だけで、高くてもレベルは三だから、あまり変わらない」
「そうなんですか?」
ソフィアはロレッタの言葉にさらに首を傾げる。
だが、魔国では常識なのだろう。ロレッタは、ソフィアに不思議そうな視線を向ける。
「スキルは、五から先が大変。
才能がある者なら、大抵は五に到達することができる。ただ、五より下は基本的に変わらない」
ロレッタの話を聞いて、かつてシルヴィアから聞いた話を思い出す。
「そう言えば、五から先になると上がりにくくなると聞きました……なるほど」
魔国に住む人には常識だが、ソフィアにとっては新鮮な知識だ。
やはり本の知識だけでは常識は身につかない。そのことを痛感していると、ロレッタがソフィアのお弁当箱を見て言った。
「ソフィアは、家でもちゃんと料理しているんだ。偉い」
ロレッタが感心したように言うため、ソフィアは照れたようにはにかむ。
「いえいえ。朝食の残りを詰めただけですよ」
「……そもそも、朝食を作ることに驚き」
ここの出勤時間は、決して遅くない。
通勤時間を考えると、朝食を食べる暇こそあっても作る暇などないはずだ。ロレッタは、ソフィアの答えに僅かに目を見開く。
「そう言うロレッタさんは、朝食をどうしているのですか?流石に、何も食べてこないと言う訳ではないですよね?」
朝食を抜いてしまえば、この時間まで体力が持たない。ソフィアはそう思って、ロレッタが普段何を食べているのか気になった。
「……私は、朝はバランス栄養食品かインスタント食品。夕食は、基本的に買って帰る」
「そ、そうですか」
あまりにもシビアな食事内容を暗い表情で語る姿に、ソフィアはどう声を掛けて良いのか分からず口元を引きつらせてしまう。
「取りあえず、食べよう。あっためて来るから、先に食べていて」
しばらくして、気を取り直したのだろう。
ロレッタはそう言うと、お弁当を持って立ち上がる。
「はい」
ロレッタの後ろ姿を見たソフィアは、自身のお弁当箱を開ける。
ソフィアのお弁当箱は、下に温かいスープが入っている仕組みで保温機能に優れている代物だ。そのため、時間が経っても冷めてはいなかった。
「では、いただきます」
ソフィアはそう言うとお箸を持って食事を取り始める。
基本的には、朝食の残り物を入れただけだ。卵焼きとウインナーに煮物がおかずで、ご飯とみそ汁となる。
「少し冷めてしまいましたね。それにしても、やはりすごいですね。魔国の技術の高さには驚かされてばかりです」
魔法が使われているわけでもないのに、温かさを維持できる。
確かに、魔法で同じことをすることができる。だが、そうすると魔石を使用することとなりお弁当箱の値段が上がる。アイディアとそれを可能にする技術があったからこそ値段を抑え、ソフィアでも普通に買える価格設定がされている。
「うん、美味しい」
卵焼きのほんのりとした甘さにソフィアが頬を緩ませていると、不意に視線を感じる。
「じー……」
視線の先にいたのはロレッタだ。
ロレッタは、温めたお弁当を持ってソフィアのお弁当を穴が空くのではないかと思うほど凝視してくる。
「あ、あの……どうかしましたか?」
ロレッタから向けられる視線に、ソフィアは尻込みした様子で尋ねる。
「じー……」
しかし、ロレッタは何も答えない。
「……」
ソフィアは、お弁当を持って動かす。
「……」
ロレッタの視線は、お弁当を追い続ける。
「「……」」
右へ。左へ。
お弁当を動かすソフィアとそれを視線で追うロレッタ。そこから導き出されるロレッタの行動理由は明白だった。
ソフィアは、お弁当を元にあった位置に戻すとロレッタに尋ねる。
「少し食べま……「食べる!」……」
ソフィアが言いきる前に、ロレッタが反応を示す。
いつの間にかソフィアの隣に座っており、お弁当の蓋を皿にしてソフィアに差し出していた。
「えっと、何を食べますか?」
「全種類……代わりに、好きなの取っていいよ」
ソフィアの問いかけにすぐさま答えるものの、流石に悪いと思っているのだろう。ロレッタは、自身のお弁当を差し出す。
手料理に飢えているような姿に、ソフィアは思わず苦笑してしまう。
「分かりました」
ソフィアはそう言うと、おかずを蓋に置いて行く。
「どれにする?」
「……それでは、コロッケを貰います」
「うん。あと、魚のフライもあげる」
「ありがとうございます」
ロレッタとお弁当のおかずを交換すると、二人は仕切り直して昼食を食べ始めた。
早速ソフィアは、ロレッタからもらった白身魚のフライを食べる。
(やっぱり衣がしっとりしていますね……)
揚げ物と言えばサクサク感だ。
ここ最近揚げ物を好むソフィアとしては、少しがっかりした感じがする。ただ、コンビニのお弁当にサクサク感を求めても仕方がない。
そう思って、ソフィアは無言となったロレッタに視線を向ける。
「ロレッタさん、味はどうです……か?」
ソフィアは、ロレッタに味の感想を聞こうとしてあることに気づいた。
(あれ、もうほとんど食べ終わっていないですか?)
ソフィアと交換したおかず。コンビニのお弁当。
それらの大半がなくなっており、今現在も物凄い勢いでロレッタの口の中に消えて行ってしまった。
ソフィアがロレッタの体型に似合わない食事のスピードに言葉を失っていると、ついにソフィアの卵焼きが最後なのだろう。
先ほどまでとは違い、ゆっくりとしたスピードで口に運ぶ。
「……美味」
無表情ながらも恍惚とした声を上げるロレッタ。
その声は非常に色っぽいものだった。同性であり、そう言った性癖を持たないソフィアでさえも思わず頬を赤く染めてしまう。
そして、名残惜しそうな表情で卵焼きを食べ終えたロレッタは、食後の愉悦に浸り宙に視線を彷徨わせると、視線がソフィアと交差する。
「ごちそうさま」
ごちそうさまと言っているにもかかわらず、視線はソフィアのお弁当箱に釘付けだ。ソフィアも、その視線の意味はすぐに理解できた。
「あの……食べますか?」
ソフィアはそう言って、おかずをロレッタに差し出す。
ロレッタも下心があって、視線を向けていた自覚はある。だが、後輩のお弁当を奪うような行為に抵抗がないはずもなく、それを受け取るのはどうなのかと、躊躇してしまう。
「……大丈夫」
ロレッタは、本音を言えば食べたい。
だが、先輩としての矜持だろう。喉から手が出るほど欲しいと思うが、受け取ろうとする手を止める。
ソフィアは、ロレッタのその姿を見て苦笑すると、提案する。
「もし良ければ、夕食を作りましょうか?」
「ほんと!?」
ロレッタは、ソフィアの提案に目を輝かせる。
普段見ないそのリアクションにソフィアが戸惑ってしまう。そんなソフィアを余所に、ロレッタが悲しみを堪えるような、それでいて喜びをかみしめるような、複雑な表情を浮かべる。
(こう言う場合、先輩が手料理を作るべき。けど……)
ロレッタの中の葛藤の原因は、先輩としての矜持と食い意地だろう。
ロレッタの中では、疲れ果てた後輩に手料理をふるまうと言うのが理想だ。しかし、理想は理想でしかなく、現実とは乖離している。
数瞬の思考の末、ロレッタは決断した。
「是非」
ロレッタの中の天秤は、食い意地に傾いたのであった。
次話は、明日更新です!




