第23話 研修所への道のり
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雲一つない青空から降り注ぐ初夏の太陽。
最高気温三十度にも達する今日、この日。ソフィアは、木々の合間から覗く空に悠然と浮かぶ太陽を見て、ふと思った。
「ここは一体どこなのでしょうか?」
ソフィアは、ここまで地図に沿って歩いて来た。
地図の指し示す方角は、マンデリンから南西方向……アッサム王国やクリスタルマウンテンのある方角だ。
マンデリン支部を出たソフィアは、そのままマンデリンを抜け、平原を抜け、そして現在森の中で遭難していた。
南門を出た時点で疑問を抱くべきだった。
いや、普通なら気が付くだろう。そもそも、どうして地図を受け取った時点で、シュナイダーに目的地が壁の外にあるのかと尋ねなかったのか。
それを後悔せずにはいられない。
道を聞こうにも、クリスタルマウンテンの方角は人間の国に繋がっているため、人を見つけるのも困難な状況だ。
その関係で、道を聞くこともできない。
森の中で一人途方に暮れていると、のどの渇きを覚えて木陰で水分補給を済ませる。
――それにしても、自然豊かですね。
水筒を口から外すと、周囲を見渡して思う。
外壁の外は自然にあふれているのは当たり前だった。守りのない場所で建造物を建てれば、ゴブリンなどに悪用される。
ただ、魔国では勝手が違う。外壁の外に建造物がなく、道路こそ整備されているが九割以上自然が支配している景色を意外に感じてしまう。
「クスッ、こういう時は熊に出会うのでしたね」
ふと、マンデリンを出る時幼子が歌っていた歌を思い出す。
ガサッ!
「っ!?」
ソフィアの背後にある茂みから、何かが動く音が聞こえて来た。その音に驚き、すぐさま振り返る。
ここは都市内部ではない。
都市の外には盗賊や魔物など、自身に害意を持つ者が存在する。それは、この世界に住む人全員が知っていることだ。
魔国では、盗賊は知らないがワイバーンのような魔物も普通に存在する。
完全にソフィアは油断をしていた。何の用意もせず、警戒もせず森の中を歩いていたのだ。自分の迂闊さを呪うと、茂みに視線を向け、何があっても動けるように身構える。
「グオォオオ!!!」
「っ、フォレストベアー!?」
現れたのは、緑色の体毛を持つ全長四メートルほどの熊だ。
アッサム王国にも生息し、ワイバーンが空の王であれば、フォレストベアーは陸の王とまで言われる危険な魔物として知られている。
――ど、どうしましょう……
ソフィアの取れる行動は三つ。
一つ目は、戦うという選択肢。だが、ソフィアの唯一使える水魔法は、攻撃ができず美味しい水を生み出すだけ。
しかも、勢いは蛇口から出る水と同等。まったく、意味がない。
二つ目は、逃げるという選択肢。幸いにも、ソフィアの服装はスーツではなく、動きやすい格好で走ることは可能だ。だが、ソフィアの運動能力では間違いなく追いつかれる。
ソフィアではどう頑張っても数分後には、胃袋に収まっているはずだ。
三つ目は……
『クマに出会ったら、死んだふりよ』
ふと、昔聞いた母の言葉を思い出し、実行に移す。
正直、試したいとは思えない。だが、他に良い案がないのも事実だ。懸念があるとすれば、母は嘘つきだったことくらい。
この対処法も嘘だとしたら……
「……」
薄っすらと眼を開ける。
「……」
熊と目が合う。
しかも、徐々に近づいて来た。
のしっ、のしっ……
間違いなく近づいてきている。
徐々に大きくなって行く足音に、目を強く瞑る。母の言葉を信じて……信じたい、そう思うが心は摩耗して行く。
そして、ついにソフィアのすぐ近くまで来ると……
「あっはっはっは!!!突然フラグを立てたと思ったら、熊に対して死んだふりなんて!!自殺行為ね!!」
「へ?」
あまりにも突然のことだった。
驚きのあまり目を開けると、そこにはやはりフォレストベアーの姿がある。だが、そのフォレストベアーから甲高い女性のような声が聞こえて来る。
状況が呑み込めず、呆然としていると一人の少女が近づいて来た。
「大丈夫?」
とても綺麗な少女だった。シルヴィアが美人系だとすれば、こちらは可愛い系の美少女で、長い緑色の髪が、ひざ裏まで伸びている。
歳はソフィアとそれほど変わらず、背がソフィアよりも少しだけ低いため年下のようにも見える。特徴としては、淡い緑色の薄羽が背中から生えていることだろう。
――確か、妖精族でしたか。
少女に見惚れながらも、図書館で調べたことを思い出す。
妖精族は魔族の中でも特に数の少ない種族ということだ。人口三万人ほどのマンデリンでも、ほとんど見かけることはない。実際、ソフィアは今日初めて見たのだ。
「えっ、はい……ありがとうございます」
差し出された手を取り、起き上がる。
少女の傍らには、相も変わらず笑い続けるフォレストベアー。流石にこれが本物とは思えず、着ぐるみか何かで中に人が入っているのだと理解するのは容易い。
「教官、趣味が悪い」
「ごめん、ごめん。あまりにも反応がおもろすぎてね。つい悪乗りしちゃっただけだから、許してね」
と言うと、フォレストベアーの姿を煙が包み込む。
中から現れたのは、二十代半ばから後半くらいの茶髪の女性だ。特徴のある尻尾や耳から、おそらく狸の獣人なのだろう。
狸の獣人は、獣人の中では狐の獣人と並んで魔法が得意とされている。特に、幻覚魔法が得意で、先ほどの姿も幻覚魔法の一種なのだろう。
「……」
ソフィアは、女性の態度を見て白い目で見てしまう。
仕方がないことだろう。ソフィアとしては、命がけの試みだった。だと言うのに、ただのドッキリで軽い謝罪なのだから。
「えっと、その……ごめんなさいね」
ソフィアの様子から、流石に悪乗りし過ぎたのが理解できたのだろう。言葉こそ軽いが、先ほどとは違い本当に申し訳なく思っている様子だ。
その心情を表わしてか、耳が畳まれている。
「はぁ、分かりました……その代わり、道を教えてくれませんか?」
気持ちの籠った謝罪だ。
実害を被ったわけでもない。だからこそ、悪いと思っている相手を更に追撃するような真似をソフィアはしたくなかった。
謝罪を受け取ると、代わりに地図を出して場所を教えてもらう。
だが、女性は首を緩く横に振って言う。
「その必要はないね……あたしもロレッタも、シュナイダーから遭難者一名を迎えに行くよう頼まれたね」
「へ?」
何を言っているのか理解できず、首を傾げる。
その様子がおかしかったのか、クスリと笑うと女性は言葉を続ける。
「あたしは、魔王軍マンデリン支部研修所のアニータ=ラクンだね。こっちは、お前の先輩にあたるロレッタ=フェリーね。今日から、よろしくね」
「よろしく」
「……教官と先輩?」
自分で言っていて意味が分からなかった。
辺鄙な森の中で、ドッキリを仕掛けられたと思えば、仕掛け人は教官という。これもまた、ドッキリなのでは。そう思って、疑いの視線を向けてしまう。
「何かね、信用されていないみたいなんだけど」
「その反応が普通……アンドリュー同様に貫禄が足りない」
「な、なに!?あたしがあんなチンピラと同様!?」
マンデリンでは、アンドリューと言う名前は珍しくない。
だが、話の流れ的にソフィアの中で一人のオーク族の男性が頭をよぎる。
――これ、絶対に副料理長のことですよね。
二人の会話から、一人のオークが思い浮かぶ。
悲しきかな。
貫禄が足りないと言う言葉や、チンピラと言う言葉でよりいっそう確信してしまうのだから。
本人には聞かせられないが、二回しか会っていないソフィアでもそう思うのだ。おそらく、同僚の間では、暗黙の了解となっているのだろう。
いや、本人を前にしても言っている様が目に浮かぶため、暗黙というのは間違いかもしれない。尤も、本人はそれを聞いて激昂するだろうが。
「まぁ、それはどうでも良いとして」
「あたしの名誉がどうでも良いの!?」
「うん」
アニータの反論をロレッタはおざなりな態度で肯定する。
ロレッタの心底どうでも良いと言った態度に、アニータは愕然とした表情を浮かべた。そんなアニータを余所に、ロレッタはソフィアに視線を向ける。
「一先ず、研修所に案内する。ついてきて」
「あ、はい」
ソフィアのなかで、すでに疑いはなかった。
と言うよりも、展開が急で付いて行くことができなかったからだろう。ロレッタに言われて、そのまま後を付いて行く。
「ちょっ、まってぇね!!」
一人取り残された教官は、数瞬の後気を取り直して二人の後を追いかけた。
「あそこ」
しばらく歩くと、ロレッタが目的地を指す。
それなりに距離があるため、ソフィアの目には辛うじて見える程度だが、確かに建物があった。
坂道で疲れがたまっていたため、目的地が見つかったことに安堵すると、ふと後ろを振り返る。
――ここは……
そこに広がっていたのは、見覚えのある景色だ。
マンデリンを一望できる位置にあり、ソフィアが国外追放にあった日にマンデリンの夜景に見惚れた場所だと気づく。
おそらく、夜間であったため建物に気が付けなかったのだろう。
再びこの場所から、しかも昼の光景を見ることになるとは思いもしなかった。そのことに苦笑してしまう。
「大丈夫?疲れたの?」
ソフィアが立ち止まり振り返っていることに気づいたのだろう。
ロレッタの心配する声に感傷に浸っていたソフィアは気を取り直し、ロレッタを見て大丈夫だと首を振る。
「いえ、大丈夫です……それにしても、本当にこんな場所にあるんですね」
まさか、都市の外にあるとは思わなかった。
しかも、この辺りはワイバーンが生息していると言われている場所だ。先日、シルヴィアたちが討伐したワイバーンもこの辺りに迷い込んで来たと言う。
危険ではないのだろうか。そう思ってしまう。
「確かに辺鄙な場所だからね……まぁ、有体に言えば予算の問題ね。面倒やと思うけど、こればかりは仕方がないね」
「通うのが面倒」
と、二人はソフィアと違う懸念があるようだ。
都市内部では交通機関を使うとして、城壁からここまで徒歩でおよそ一時間。正直、毎日通うとなるとうんざりしてしまう。
それにこの辺りは魔物が出てもおかしくない。
先ほどは、ただの悪ふざけだったが本物であれば命はないだろう。もしかすると、それを教えるためにわざわざフォレストベアーに化けて現れたのかもしれない。
ソフィアの懸念が分かったのか、アニータは言う。
「まぁ、明日からはあたしが南門まで送迎してあげるから安心するね」
「本当ですか!?」
「本当ね……どうせ、ロレッタも車に乗っているんだから二人に増えても問題ないね。おねぇさんを頼るね」
と、笑って言う。
先ほどまでの不信感は一転して、不思議と頼もしく見えてしまう。そんな二人を見て、ロレッタが小さく呟いた。
「料理長に頼まれたからなのに……」
その呟きは、ソフィアの耳に届くことはなかった。
ロレッタ、登場です!
ちなみに、熊と遭遇した場合
目を見ながら、後退するのが正解のようです。
熊は人間を恐れているので、鈴で居場所を教えると近づいて来ません。
次話は明日更新します!




