魔国調査
アッサム王国と魔国の中間地点にある山クリスタルマウンテン。
そこに、三十代前半の男性二人の姿があった。
「クルーズ、本当に向かうのか?」
「ああ、せめてもう少しだけ成果を手に入れなければな。ゴドヴィンは、他の連中と近くの村で待機して、俺が戻って来るのを待て」
「そう言われて、待っていられる訳がないだろうが……俺もついて行く」
ゴドヴィンは、クルーズの突き放すような言葉にため息を吐く。
「だが、ここから先は危険だ。俺に何かあれば、お前が指揮して旦那様にここで得た情報を伝えるんだ」
クルーズはそう言って、ゴドヴィンに戻るように勧める。
だが、ゴドヴィンはすでに決心しているのだろう。真剣な表情で、首を横に振った。
「報告だけなら、あいつらだけで十分だ。
セドリック様ならば、お前が危険を冒そうとしているなら引き摺ってでも連れ帰って来いと言うだろうよ」
そう言って、ゴドヴィンは苦笑する。
その言葉に、クルーズは自分が危険を冒そうとしているという自覚はあるのだろう。反論しようにも反論できず、口を堅く閉ざすと憮然とした表情を浮かべる。
「そんな顔するなよ。さぁ、ソフィア様の捜索を始めるとしようか」
二人の目的は、ソフィア=アールグレイの捜索だ。
だが、国外追放されてから大分日が経っている。生存は絶望的な状況だった。万が一ソフィアが生存していたら……その可能性を考えて、二人はこの場にいる。
「ああ、分かっている。村人の話から、ここ最近この辺りに貴族の馬車が来たと言うことが分かった。おそらく、そこに乗っていたのがソフィア様だろう」
二人は、クリスタルマウンテン最寄りの村で情報を集めた。
その中で、半月以上前にこの辺りで貴族の馬車を見かけたと言う情報がある。家紋を確認したところ、アールグレイ家のものだと分かった。
「生存は絶望的だろうな……だが、ソフィア様は悪運が強いからな。もしかすれば、生きている可能性もある……よな?」
「俺に聞くな……ただ、悪運が強いことだけは認める」
二人は、ソフィアと言う人物を知っている。
そのため、顔を見合わせると、ふっと笑ってしまう。だが、表情が晴れないのは、例え悪運が強かろうと生存する可能性が限りなくゼロに近いからだろう。
「もしかすれば、あそこに避難したかと思っていたが……そうは上手く行かないか」
ソフィアの性格からして、もしかすれば先ほどの村に身を隠しているかも……そう考えたが、村民の中にソフィアを見た者がいなかった。
おそらく、戻ることも困難な状況にあったのだろう。そうなると、可能性は一つ……
「魔国へ向かった可能性もある……ソフィア様は、確か魔国語を覚えていたはずだ」
ソフィアであれば、退けないと分かれば前に進むだろう。
そこから導き出せるのは、ソフィアが魔国へ向かった可能性だ。ただ、ソフィアの戦闘能力は、ゼロと言っても過言ではない。魔国へ向かう途中で、魔物と遭遇して死んだ可能性の方が高いのだ。
「そう言えば、村で面白い情報が聞けたぞ」
ゴドヴィンは何かを思い出したかのように、ニヤリと笑う。
「何だ?」
ゴドヴィンの表情から、何か有力な情報の可能性があると感じたのだろう。クルーズは眉間に皺を寄せた状態で、ゴドヴィンに尋ねる。
「ああ。何でも、十年近くも前に銀髪の少年がクリスタルマウンテンの方へ向かって行ったらしい」
「銀髪の少年?」
「身なりからして、貴族の坊ちゃんみたいだったぜ。しかも、とんでもない美形だったらしい」
銀髪の貴族の少年。
アッサム王国では金髪や茶髪が多く、銀髪は少数派だ。ただ、いない訳ではない。実際にエリックやセドリックと言ったダージリン家の人間は銀髪だ。
クルーズはゴドヴィンの話にどこか引っ掛かりを覚えるが、本題が見えてこない。そのことに業を煮やしたのか、苛立った様子で尋ねる。
「それで、何が言いたい?」
「驚くなよ。十年近くも昔に消えたそいつを、一年近く前に見たって奴がいたらしい」
「何!?」
ゴドヴィンの言葉に、クルーズは驚く。
ゴドヴィンの話が本当であれば、魔国から人間が生きて帰ったことがあると言うことだ。仮に、ソフィアがクリスタルマウンテンを越えて魔国へ向かったのであれば、生きている可能性は十分にある。
「どうだ?」
「ああ。最高の情報だ……道理で、お前が引き止めなかったわけだ。僅かであることに違いはないが、打算があったと言う訳か」
ゴドヴィンの性格からして、可能性が全くないのであればこの時点でクルーズを止めていたはずだ。だが、この情報を手に入れていたからこそ、クルーズを引き留めることをしなかった。
「そう言うことだ」
そして、クルーズの言葉を肯定するとニヤリと笑う。
「……行くぞ」
その表情を見たクルーズはため息を吐きそうになるが、それを堪えてクリスタルマウンテンに向かって歩き始める。
「はいはい」
ゴドヴィンは、そんなクルーズの態度に苦笑しながら後について行った。
クルーズたちが、クリスタルマウンテンを歩き始めて、早一時間。
魔物を警戒して慎重に歩いていたこともあって、まだ山の中腹まで到着していなかった。
「妙だな」
「ああ、魔物がいないな」
クルーズの呟きに、ゴドヴィンが答える。
この一時間、魔物と遭遇していないのだ。確かに、魔物避けの香を使っているため、遭遇しにくいだけかもしれない。
だが、二人が着目したのはそこではない。山の様子から、ある程度魔物の生活感と言うものが分かるのだが、それらが一切ないのだ。
「どう言うことだ?」
「分からん。魔物がいない山など存在するのか?」
人の手が届いていない山は、魔物にとっての住処となる。
その常識からして、食料も豊富なこの森に魔物が存在しないと言うことは異常だ。そのため、二人は顔を見合わせて首を傾げる。
「っ!?」
「おい、どうした?」
周囲に視線を向けていたクルーズが何かに気がつくと、近くにあった木に向かう。その行動を疑問に思ったゴドヴィンは、クルーズの後ろから声を掛ける。
「見てみろ、この木の傷」
「これは獣……ではないな。石で傷つけたのかもしれないな」
クルーズが見つけたのは、木につけられた真新しい傷跡だった。少なくとも、付けられてから一年は経っていないと断言できる。
獣の引っ掻き傷ではなく、人為的に付けられたものだ。
「もしかすると、ソフィア様が付けられたものではないか?」
「確かに、可能性はある。だが、ゴブリンでも目印をつけるからな。そう決めつけるのは早計じゃないか?」
ゴドヴィンの意見も一理ある。
ただ、このまま無暗に進むよりはこの後を辿ってみた方が良いと判断したのだろう。クルーズは、次の目印を探す。
「あった」
「おい、クルーズ!」
ゴドヴィンはクルーズに制止の声を掛けるものの、止まることはせず目印を辿って進み始める。それからしばらくして、クルーズは目印以外の物を見つけた。
「何だ、これは……」
「おい、どうか……っ!?」
山の中腹を越えたあたり。
目印を辿って来た二人は、明らかに人為的に舗装された道を見つけた。二人が驚いたのは、その道路の舗装技術だろう。土をかためただけではなく、まるで石の絨毯が敷かれているようだった。
「……これは、魔族の仕業か?」
「ここは魔国だ。それ以外考えられないだろうな。少なくとも、ゴブリンやオークのような魔物が作れるわけがない」
二人は知らない。
この道路を作った者の中に、ゴブリンやオークの姿があることを。そして、人間よりもよほど文明的な生活を魔国で送っていることを。
「だが、ソフィア様の生存の可能性がありそうだな」
「ああ、もし先ほどの目印がソフィア様のものだとすれば、少なくともここまでたどり着いたと言うことだろう」
絶望的とまで思われたソフィアの生存。
だが、ここに来てようやく一縷の希望を抱くことが出来た。
と、その時だった……
「ギャオオォ!!」
「「っ!?」」
二人は、突然聞こえて来た魔物の咆哮を聞き、息をのむ。そして、咆哮の聞こえて来た方角に視線を向けた。
「ワ、ワイバーン……だと」
二人の視線の先にいるのは、まるで王者の如く空を飛ぶ災厄の象徴ワイバーン。(←二人にとって)
彼らの実力はかなり高い。それこそ、近衛騎士に負けないほどの実力者だ。だが、たったの二人ではワイバーンを倒すことなどできない。見つかれば、逃げ切れるかどうか……。
「隠れるぞ」
クルーズは、ワイバーンに気づかれない様に小声でゴドヴィンに指示を出す。そして、ワイバーンに見つからない様に木陰に身を隠した。
「見つかっていないようだな……おそらく、ここに魔物がいないのはワイバーンの縄張りか何かだったからだろう」
ワイバーンは生態系の頂点に立つ存在だ。(←二人にとって)
ゴブリンやオークなどが、ここに存在しないのはワイバーンを避けていたからだろう。そう考えた。
「どうする?」
空を飛ぶワイバーンを見て、ゴドヴィンは尋ねる。
クルーズとしては、このまま魔国までたどり着きたかった。だが、ここで得た情報は確実にセドリックに伝えたかった。
その二つを天秤にかけ、悩むこと数秒。
「撤退するぞ」
と、決断した。
ゴドヴィンも、クルーズが止まらなければ無理やりにでも止めていただろう。撤退の判断を聞き、安堵の息を吐く。
そして、二人は撤退して行ったのだ。
「ギャオオォ!!」
それから数十分後。
クリスタルマウンテンに、ワイバーンの断末魔が響き渡った。




