ディックの転落
前話が、二章のエピローグでした。
今話と次話にアッサム王国編を入れて、二章は完結になります。
「ディック、貴様を解雇する」
そう言い放ったのは、豪華な衣装を身に纏う中年の男性。
かつては、かなりの美形で知れ渡った人物だが、不摂生が祟ったのだろう。まるで、蛙の様な姿をしている。
男性の名前は、ガマリエル=アールグレイ。
アールグレイ公爵家の当主であり、ソフィアやアイナの実の父親である。ガマリエルは、ソフィアの護衛であったディックを呼び出すと、解雇を言い渡す。
「お待ちください、旦那様!どうして、私が……「黙れ!」……っ!?」
突然の解雇にディックは反論しようとするが、ガマリエルはそれを聞くつもりはない。まるで、ゴミでも見るかのようにディックに人間味のない視線を向けた。
「我が家は、アールグレイ公爵家だ。この意味が分かるな……もともと、平民である貴様がいるような場所ではない」
公爵家に平民……それも、孤児がいる。
アッサム王国の常識からすれば、かなり外聞の悪い話だ。ディックもそれは理解しているのだろう。だが、何故今さら……そのような気持ちが強かった。
「しかし、私にはアイナを守るという使命があります!」
ディックにとって、重要なのはアイナの身の安全だ。
自分がそばにいるからこそ、アイナが安全に暮らせる。人に聞かれれば、傲慢だと言われるだろうが、本人はそのことを一分も疑っていなかった。
「はっ!笑わせてくれるな……貴様程度の実力者などいくらでもいる。それに、そもそもお前の専属はあれだっただろう?それさえも守れぬ者に、大事な一人娘を任せられると思っているのか?」
ガマリエルは、冷笑する。
確かに、ガマリエルの言う通りディック程度の実力者はいくらでもいる。現に、この屋敷の中にもディックより強い人物は存在しているのだ。
ガマリエルが指すあれとは、ソフィアのことだろう。ガマリエルの中では、もうすでにソフィアの事を娘ではないと考えている。
しかし、娘と思っていない相手でも護衛を怠った人物に、自身が可愛がっている娘を任せることはできないと考えるのは、親として当然だ。
「私の護衛対象は、最初からアイナです!あいつではありません!」
だが、ディックにも護衛としての誇りがある。
ソフィアはそもそもディックにとって護衛対象ではなかった。だからこそ、ソフィアを裏切ったことは、ディックの中では間違ったことと言う認識がない。
しかし、周囲から見れば話は別だ。ディックの考えがどうであれ、どう見ても主人に対する裏切り行為であり、護衛としての信頼は失墜したと言える。
「貴様がどう思おうが、関係ない……ただ、一つだけ言わせてもらうが、貴様ほど恩を仇で返す人間を見たことがないな」
「なっ!?」
ディックはガマリエルと言う人間を知っている。
貴族の中の貴族だ……それも、悪い意味での。だからこそ、表面上では好意的に接しても裏では正反対のことを考えている。
恩を仇で返すという行為を呼吸でもするかのように行って来た人物だ。
ディックは、ガマリエルだけには言われたくない。そう思い、反論しようとするが、ガマリエルが話を続ける。
「そもそも、お前を拾って来たのは誰だ?そして、誰に守られて来た?」
そう聞かれれば、一人の人物しか思い浮かばない。
「……あいつです。しかし!私は、守られてなどおりません!」
ディックにとって、ソフィアは確かに命の恩人だ。
スラム街で今日死ぬのか。明日死ぬのか。常に死と隣り合わせの世界に身を置いていた自分を拾ってくれた。
だが、守ってもらったことなど一度もない。
(俺を守ってくれたのは、いつもアイナだ……虐められていた時、いつも助けてくれた)
ディックは、孤児だ。
アールグレイ公爵家に来てから、それを理由に貴族家出身の従者から酷い虐めを受けて来た。そのとき、助けてくれたのはソフィアではなくアイナだ。
だからこそ、彼女を守る。そう決心したのだ。
「ふん!お前みたいな薄汚い孤児を置いておきたいと思うのか?早々に、殺処分にしろと命じておいたが、あれに邪魔をされていたから今も生きているのだ」
「っ!?」
ディックは、ガマリエルから好ましく思われていないのは知っていた。
命を狙われている自覚もあったのだ。ソフィアは拾った後は放置をして、アイナが自身を助けてくれたため、今もこうして生きていられると考えていた。しかし、ガマリエルからすれば、一番邪魔をしていたのはアイナではなくソフィアだった。
「貴様を森で魔物に殺される様に仕組んだ時には、どこからか冒険者がやって来て邪魔をされた。
暗殺ギルドに命じた時は、拒まれた。
毒を盛ろうとしたが、何故か商人から仕入れた毒が無害なものだった……これは、すべて偶然か?」
ディックを前にして、よくも堂々と言えるものだ。
ただ、ディックは平民でいくら殺人計画を告白されても何もできない。そう考えているのだろう。それに加え、この場にはディックよりも腕の立つ護衛が控えている。物理的に、できることがないと確信を持っているからだ。
そのため、ディックはガマリエルに危害を加えようと考えるも、拳を強く握ると鋭い視線で睨む。
「……偶然ではないのですか?運が良かった、それだけの話ではないのでしょうか?」
自分の運が良かった。
それにソフィアが関与しているなど、ディックは一切思っていない様子だ。そんなディックの態度にガマリエルは鼻で笑う。
「ふん、偶然が数十回も起きるものか。
調べさせてみれば、すぐに原因は分かった。どこで知り合ったか知らんが、あれが裏で手を回していたそうだ」
調べたではなく、調べさせたのだ。
宰相であるセドリック=ダージリンのように、外務卿の仕事を自分ですればソフィアが彼らと知り合う機会がなかっただろう。
忌々しそうに吐き捨てるが、そもそも暗殺未遂の原因が自分にあることに気づいていない様子だ。
「は?」
ディックは、ガマリエルが何を言っているのか理解できなかったのだろう。
これでは、まるで今までソフィアに守られていたようではないか。そう感じてしまったのだ。実際はその通りだが、ディックはそんな訳がない。そう結論付ける。
「まあ、どちらにせよ。
貴様は、不要だ。この金の意味は分かるな」
そう言うと、ガマリエルは机の上に金貨の入った袋を置く。
手切れ金だ。
ディックもその意味を即座に理解したが、受け取れるはずがない。受け取ってしまえば、その時点でアールグレイ公爵家とは関わりがなくなってしまう。そうなれば、アイナとは平民と公爵令嬢の関係に戻ってしまう。
それを理解しているのだろう。
「私は、アイナの護衛です!このお金は受け取れません!」
だからこそ、はっきりと断った。
だが、ガマリエルが「はい。そうですか」と引き下がるはずもない。むしろ、平民に反抗されたのだ。不愉快に思うことは火を見るよりも明らかだ。
「あれがいない以上、お前を殺すのは容易いのだぞ」
ガマリエルは、猛禽類を連想させる視線でディックを睨む。ガマリエルの言う通り、既にディックを殺すのは簡単なことだ。それこそ、この場にいる護衛に殺すように命じれば、ディックは間違いなく死ぬ。
それが分かっているからだろう。ディックは表情に緊張を滲ませる。
「ふん、理解したようで何よりだ。私の部屋を貴様のような下賤な者の血で汚したくはないからな……もう、行け」
「……」
ディックは、ガマリエルに何も言い返せなかった。
そのことに俯くと、悔しさのあまり唇を強く噛む。その様子に、業を煮やしたのか、ガマリエルは護衛の男性に向かって顎で指示をする。
「捨てておけ」
「畏まりました」
男性二人が、反応のないディックの両脇を抱えると、そのまま部屋を後にする。
「げほっ!」
アールグレイ公爵家を追い出されたディックの姿は、王都のスラムにあった。暴行こそされはしなかったが、強引に土の上に投げ捨てられる。
「どうだ、今の気分は?」
男性は苛立った様子で、ディックを睨みつけるとそう言った。
「……はぁ、はぁ。……最悪に決まっているだろう」
「そうか、そうか……それは、良かった、ぜっ!」
男性は、言葉と同時にディックを蹴り飛ばす。
「ぐっ!」
突然の蹴りに対処できなかったディックは、そのまま蹴られた腹部を押さえて転がって行く。それを見た、男性は転がって行ったディックに近づくと言う。
「本当に、お前はどうしようもない奴だな。
あの蛙は相当な悪だ。けど、俺からすればお前の方がよっぽど気に食わないな」
「けほっ、はぁ、はぁ……何を、言っている」
男性の言葉に出て来た蛙とは、おそらくガマリエルのことだろう。
だが、男性はガマリエルの護衛のはずだ。いくら、スラム街だからと言って公に罵るようなことはしない。そのため、男性の言葉が理解できないのだろう。
「あ?まだ、理解できないのかよ。本当に、視野が狭い奴だな……なら、聞くが。俺の名前は分かるのか?」
「何を……っ!?」
ディックは、アールグレイ公爵家に仕えて長い。
そのため、護衛としている人間の名前は全員把握している。そのため、男性の問いかけに「何を当たり前のことを」と言いだそうとしたが、そこで気がつく。
「お前は……誰だ?」
ディックの目に映る男性は、どこにでも居る特徴のない男性だった。
屋敷の中にも似たような容姿の人間はいるだろう。ただ、よく見るとディックの知らない男性だった。
「ははっ!ようやく気付いたか。
本当にお前らは間抜けだよな。一人増えていて気が付かないとか、嬢ちゃんだったら、絶対に気づいていたぞ」
「……お前の目的は何だ?」
ディックは、冷酷な視線で見下す男性を睨みつける。
どうして公爵家に紛れ込んだ。もしかすれば、アイナの命を狙っているのかも。そんな考えが、頭をよぎったからだ。
そのことを察したのだろう。男性は、まるで憐れむような視線をディックに向ける。
「捨てられたのに、健気なことだ」
「俺は、アイナに捨てられてなんかいない!」
ガマリエルに捨てられたのであって、アイナに捨てられたわけではない。そう考えての一言だったが、それを聞いた男性は笑う。
「ははは!これは傑作だ!
こいつ、まだ捨てられたことに気が付いていないのかよ!あの女は、お前が近くにいることで不利益になりそうなことが分かった瞬間、切り捨てたんだぞ」
「……何を馬鹿なことを」
ディックの反応は冷静だった。
心の底から、アイナがそんなことをする訳がない。そう信じているからだろう。だが、現実は違う。男性は、ディックのこの態度に笑いを通り越して怒りを感じた。
「お前が、どう感じていようが俺らには関係ない。
俺たちの目的は、ソフィア=アールグレイの生存の確認だからな」
「ふん、あいつならもう死んでいるさ」
ディックは、ソフィアのその後を知っている。
だからこそ、上体を起こすとそう吐き捨てた。その言葉を聞いた、男性は感情を感じさせない目でディックの頭を押さえつけて言った。
「ああ、その可能性は高いな。だがな、可能性は低いが魔国で生き延びた可能性がある。
ここでお前を殺してしまおうかと思ったが、やめだ。お前には、まだ利用価値があるからな」
「俺が……お前たちに協力するわけがないだろう!ごろつきどもめ」
「はは!何を言ってやがる!
お前も、今日からそのごろつきの仲間だ!まあ、お前みたいな奴を仲間だとは思えないけどな……」
デッド オア アライブ。男性は、耳元でディックにそう告げた。
生か死か。ディックは、首に添えられた冷たい感覚に、状況を理解したのだろう。生きたいのであれば、道は一つしかない。
――アイナ……
もう二度と手の届かない存在。
その彼女の事を思い出せば、ディックの道は一つしかなかった。




