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第20話 ソフィア、倒れる


――いったい、どう言うことでしょうか?


 分からない。けど、分かってしまう。

 ソフィアの視線は、まな板から離れていないはずだ。

 だが、厨房全体を見渡すことができる。アンドリューがフライを揚げている姿。シュナイダーがフライパンを振っている姿。名前も知らない人物が、料理を皿に盛りつけている姿。

 まるで、厨房という空間そのものが自分の領域であり、その中のことなら何でも分かってしまうような感覚だった。


――揚げるためのアジの用意が足りていませんね


 不思議な感覚を覚える。

 厨房とした空間の情報が脳に直接流れて来る。膨大な量の情報だが、速読スキルとリンクして膨大な情報が整理され頭の中にリストが出来上がる。そこには、誰が何を担当するのか分かりやすくまとめられていた。


 アンドリューは、今アジを揚げているが数が足りなくなるようだ。下準備した物がなく、一度食糧庫に戻る必要がある。

 そんな予測が瞬時にソフィアの頭をよぎった。


「【必要な物を】」


 ソフィアは魔王軍マンデリン支部に、過去に一回しか来たことがない。

 厨房どころか食堂にも来たことはなかった。だが、食糧庫のどこに何があるのか、整理された情報から汲み上げることができる。

 ソフィアの言葉がまるで見えない手をかたどった。

 そして、ソフィアの意思のままに求めるものへと伸びて行く。


――他の人は……


 視線を向けたわけではない。

 まるで、上空から俯瞰ふかんしているように誰が何をしているのか手に取るように理解できてしまう。それと同時に、次に何をしようとしているのか。何が足りないのか、それさえも理解できる。

 ソフィアは、今までに培って来た知識と経験を活かして頭の中で優先順位をつける。そして、極僅かな時間でも無駄にしない様に行動に出た。


「エビの下処理終わりました」


 ソフィアは下処理を終えたエビを、トレイに乗せて見知らぬ料理人に届ける。


「うぇっ!?……エ、エビ!?あっ!……ありがとう!」


 突然、エビがトレイに乗って飛んでくるのだ。

 驚くなと言う方が無茶だろう。だが、視界の端で起こっている不可思議な光景を前にある程度耐性が出来たようで、すぐにソフィアの仕業だと分かり、感謝する。


 すると、食糧庫からアジが届く。

 アジのウロコとゼイゴを取ると、頭を切り落とす。その後腹ワタの処理をして、水で洗って汚れを取る。

 身を開いた後、背骨を取り除くと、腹骨を薄く削ぎ取った。

 この作業を何度か繰り返す。


「後は衣を付けるだけ」


 溶き卵と小麦粉を水に混ぜ合わせて作ったバッター液に先ほど処理をしたアジをくぐらせ、パン粉にまぶす。

 幸いにも、ソフィアは一度フライを作ったためこの作業を知っていた。淀みのない動きで、アジの下処理を終えて行く。


「っ!?もうアジフライの材料がねぇ!」


 すると、アンドリューが予想通りの事態に陥ってしまったようだ。

 今からアジの下処理をする手間を考えて、表情が焦燥に染まる。すかさず、ソフィアはアンドリューに揚げるだけの状態のアジを届けた。


「アジの下処理を終えました」


「なに!?……っ、助かった!」



 アンドリューは、トレイに乗せられた下処理済みのアジを受け取ると、ソフィアに感謝する。

 そして、再び作業に戻って行く。


――あちらの方は、野菜の準備が整っていません。


――こっちは、魚の下ごしらえが。

 

――スープも少なくなり始めましたね。追加で作るための食材の下ごしらえも必要です。

 

「……忙しい」


 次から次へと、襲い掛かる仕事にソフィアはポツリと呟く。

 だが、その声からは辛さが感じられなかった。むしろ……


「けど、やっぱり料理って楽しいなぁ」


 自分は料理が好きだ。

 それを再確認した喜びをしみじみと感じる。それと同時に、この忙しさを懐かしくも感じるのだ。


――私って、ワーカーホリックの気質があるのかもしれませんね。

 

 自分がワーカーホリックだとすれば、宰相を始めアッサム王国にはワーカーホリックが大勢いるだろう。

 今も変わらず、大量の書類に埋もれている姿が容易に想像できてしまい、内心苦笑してしまう。


「十八番テーブル!

 ラーメン一つに、アジフライ定食一つ!後は、カルボナーラです!」


 ソフィアの内心を余所に、次から次へと注文は殺到する。

 ウエイターがホールから厨房に戻って来ると、客からの注文を全員に伝わるように声を張り上げた。


「だから、ジャンルは一つにしやがれ!」


 中華に和食、それから洋食。

 明らかに狙っているのではないか。そう思えるほど悪意を感じる注文内容に、アンドリューは思わず声を荒げてしまう。


「アンドリュー、文句を言うなら手を動かせ!」


「っ!?了解です!」


 シュナイダーの言葉に、アンドリューは苦言を押し殺して了承する。


――……どこか、懐かしい光景です


 ソフィアは、二人の話している姿を見てアッサム王国を思い出す。

 シュナイダーやアンドリューのような明確な上下関係こそなかったが、忙殺されるような日々の中、大臣同士で今後の展開を言い争う光景。

 それが、現在置かれている状況に重なって見えてしまい、ソフィアは自然と頬を緩ませてしまう。

 だが、それも一瞬の事だ。ウエイターから伝わる注文によって、ソフィアはすぐさま現実に戻され、再び料理に戻って行った。







 開店から既に二時間が過ぎた午後一時。

 料理人にも休憩が必要なためこの時間でランチは休業となり、来客のピークを通り過ぎた。たった二時間での来客数は、凡そ千人で今いる数を足せば千人を超えるだろう。


「これで、一段落ですね」


 アンドリューに一人の料理人が話しかける。

 既にピークを越えているためか、ウエイターの注文に間が空き始めたためだろう。いつもであれば、厨房の片づけなどをし始めるころだが、今日はその必要がなかった。


「そうだな……」


 アンドリューは、料理をしながら視線をソフィアへと向ける。

 図書館で出会った時にアンドリューが感じたソフィアへの印象は、頼りないの一言に収束されるものだった。だが、今の姿はどうだろうか。


――まるで別人だな。


 以前に見た能天気な表情ではなく、隙が感じられない凛とした表情をしていた。

 もともと、ソフィアの容姿は整っていた。ただ、あどけない表情をすることが多かったため可愛らしいという印象を感じてしまう。

 だが、もともと姿勢や動きが洗練されているためだろう。それが、凛とした表情に相乗効果をもたらし、容姿が変わったわけではないが別人のように見えてしまう。


「こりゃあ、合格言い渡すしかないか……」


 たった二時間の働きだが、合間に見たソフィアの働きぶりは凄まじかった。

 仕事の速さや正確さもさることながら、何よりも目立ったのが判断能力だ。

 まるで厨房全体を見渡しているように全体を把握し、どこのヘルプに回るか瞬時に正確な判断を下していた。

 いったいどのような経験をすれば、あの混雑している状況下で判断を下せるのか、アンドリューには想像できない。

 だが、間違いなくソフィアの才能はここで必要とされている力だと確信した。


 おそらく、シュナイダーも反対はしないだろう。他の料理人に関しても、今日の働きぶりを見て歓迎こそするものの、反対の意見は上がらないはずだ。

 それが分かっているはずなのに、アンドリューが何故浮かない表情をしているかと言うと……


『それと、二次選考は俺が担当だ。仮に一次選考を抜けたとしても、喜ぶなよ』


 つい先日、図書館で帰り際そう言い残したばかりだ。

 それも、背を向けて言い残すというシチュエーションで、だ。もちろん、アンドリューは狙ってやったわけではない。

 弁解をするならば、時間がなかったからだ。だから、恰好をつけたかったからという理由では決してない。

 だが、自分がソフィアの立場であった場合。それを考えると……


「俺、滅茶苦茶カッコわりぃ……」


 あれだけ、大物感を出しているのだ。

 この場合、「まあ、及第点だな」と合格させるのがアンドリューの中で恰好が付くと考える。

 だが、現状はどうだろうか。

 そんなセリフを吐いて、逃げられてしまえば目も当てられない。ただ、ソフィアに対して頭を下げている光景を想像すると……


「俺、超カッコわりぃ」


 結局、この言葉に収束される。

 二次試験を行うかどうかについては別として、ソフィアの力を認めているのだ。同僚となった場合、どう付き合えば良いか……考えるだけで憂鬱ゆううつだ。

 そんなアンドリューの内心を知らない同僚が、アンドリューの呟きに反応して笑い声を上げる。


「ぷっ!ふ、副料理長、今さら何を言っているんですか……この前、合コンでオークはちょっとって、断られていたじゃないですか……ぷっ」


「容姿の事を言っているんじゃねぇぞ、コラァ!!」


「冗談ですって、冗談……それで、何の話ですか?」


 アンドリューも、冗談で言っていることは分かっている。だが、部下に揶揄からかわれて面白いはずがない。が、いつもの事だと思いため息を吐く。


「いや、あいつのことだ。合格を言い渡そうと思うんだが、ちょっとな……」


「ああ、彼女ですか……確かに、優秀ですね」


「そうそう、下処理も丁寧だし、先も読めている」


 おそらく、彼らもアンドリューと同じ経験をしたのだろう。

 人手が足りないと感じたとき、必ずと言って良いほどサポートが入る。これは、流れを把握できているからこそできる行動だ。


「皿洗いとかも自動で、厨房が常に綺麗」


 と、集まって来た者たちが、次々に評価を下し始める。アンドリューもそれに頷くが、彼らは、「だが」と言って言葉を続けた。


「料理人としては欠陥だらけですね。少なくとも、メインを任せることはできません」


「そうなんだよね……目利きスキルどころか、調合スキルも持っていないって言ってたね。と言うより、スキルの存在を知らなかったみたい」


 魔国で一流の料理人となるに必要なスキルは料理スキルだけでない、調合スキルと目利きスキルも必要となって来る。


 アンドリューがその違和感を覚えたのは、唐揚げを任せた時のことだ。


『アーレイ、唐揚げの下準備を頼む!』


『了解です!』


 ここで作られる唐揚げには、胡椒以外にも臭み消しのためにタイムやパプリカなどのスパイスを使っている。味付けの指示は出したため、問題がないと判断したのだ。

 が、実際に完成したのは……


『スパイスの効きが悪いぞ』


 味は問題ないどころか十分すぎるものだった。だが、数種類のスパイスが上手く活かされていなかった。

 本人に確認したところ、調合スキルも目利きスキルも存在自体を知らなかった様子だ。唐揚げを見れば、その言葉が真実だと分かる。


 おそらく、彼らはそれを聞いていたのだろう。

 一人の男性が結論を出す。


「サポートに徹するなら、これ以上ない」


 アンドリューもこれには反論がなかった。そのため、彼らの言葉に頷く。


「一流の料理人は料理スキルだけでは足りない。……目利きは食材を活かすことに使え、調合スキルはスパイスを扱うのに効果が出る」


「そうですよ。料理スキルには限界があります……いくら下処理が上手くとも、メインの料理を作るのであれば、必ず目利きと調合は必要になりますから」


「まぁ。けど、合格で良いでしょ」


「そうそう、人手不足なんですから」


 と、各々が好き勝手に評価を下すと、再び持ち場へと戻って行く。その後ろ姿を見て、アンドリューはため息を吐いた。


「……あいつら、気づいてないのか?」


 確かにソフィアは魔国における一流の料理人として必要なスキルが欠けている。それをアンドリューは否定するつもりもないし、否定している者を叱るような真似をすることもない。


(スキルが欠けていてあれだぞ……)


 思い出すのは、先ほど話題に上がっていた唐揚げ。

 料理において、スパイスの香りは重要なものだ。中には、スパイスの香りが料理のレベルを決定するものもある。

 多数のスパイスを調合した唐揚げはまさにそれに当てはまるだろう。

 調合スキルなしにそれをやれば、とてもではないが料理として提供できない。だが、それを引いても自身に劣らない味付けが出来ていた。

 そこから考えられる可能性は……


「調合スキルがなくても、それを補えるほどの料理スキル……」


 いったい、どれほどのスキルレベルがあれば、そんな芸当が可能なのか。そして、同時に思う。


「もし、こいつが目利きスキルと調合スキルを覚えれば……」


 最後まで言葉を続けることはできなかった。

 まだ成人して間もないはずの少女が、天にそびえる玉座に王手をかけている状況にも関わらず、まだ大きな成長の余地を残している。

 どこまで伸びるのか……それを考えると、ソフィアの末恐ろしさとまだ見ぬ頂への期待に、背筋がゾクゾクとして来る。そして、ソフィアに視線を移すと……


「うん?」


 ソフィアの様子に異変を感じ、首を傾げる。

 足取りが覚束おぼつかなく、ふらふらとした様子だった。いつの間にか、厨房を覆っていた薄い魔力の膜は消えており、食器も動いていない。

 異変を感じたアンドリューが声をかけようとした瞬間……


 バタッ!


 突然、ソフィアがアンドリューたちの目の前で崩れ落ちるように倒れたのだった。







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